6話 ビーフストロガノフとボルシチ 追加でウォッカ

ボルシチをスプーンですくい口に運ぶと、爽やかな酸味が少しだけ舌に広がるのがわかった。

赤い見た目から辛そうに見えたボルシチだが、味は以外にも酸っぱかった。

材料名を見れば唐辛子などの辛い香辛料は入っていないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが…恐らくこの赤はトマトから出たものなのだろう。

ボルシチを食べるのはおそらくはじめてだがここのボルシチはロシア内でもかなり美味な方なのではないかと思う。

トマトの酸味だけでなく肉の濃厚な脂や他のニンジン タマネギ キャベツ ビートの甘みがスープ自体にとけこんでいて互いが互いの味を引き出しているのをわずかだが感じる。

味覚が完全でないのが残念でならなく、僕は再び『CELL』を何がなんでも全て集めてやると決心した。

ボルシチをもう一度口に入れる味覚がほぼない状態でもこのスープの味を少しでも感じていたいのだ。

そういうふうに何度もボルシチをすくっては口に入れていると目の前でビーフストロガノフを食べていた先生がスプーンをおき、おもむろにはなしだした。

「ビーフストロガノフはロシア発祥の牛肉料理だ。

しかし、ボルシチはロシア発祥として広く知られる料理だが実はウクライナ発祥だ。」

「いきなりなんですか?そんなこと言って。」

「君は自分がどこから来たのか知りたいと思ったことはあるか?」

唐突な質問だった。自分が何者なのかそんなことは余命宣告を受けて自分のことなんてどうでもよくなってから考えたこともなかった。だけれど、

「…ありますよ。それくらい。」

クルーザーに乗ってロシアに来るまでの間、『CELL』によって希望をもてたため、この数ヶ月考えてもなかったことを再び考え始めていた。

自分は何なのかを…

「なぜ?」

「なぜって…気になるでしょう。親とか家とか。」

これは人ならばあたりまえのことだろう。

「真実を知れば多かれ少なかれ衝撃を受けるものだ、それが本来普通だったと思っていたのならなおさら。」

「何が言いたいんですか?」

「君は自身が本当に普通の家庭で育ったとでも思っているのか?私が推測するところによると君の背中の魔術紋、ぐちゃぐちゃになっているところから考えると、君の家庭環境はろくなものではなかっただろう。いや、魔術師の家庭なんて多かれ少なかれそんなもんだが。」

僕はその言葉になにも返すことができない。

「ボルシチのルーツなんて知らなくても生きてはいける。そこでどのようにして生まれたのか発展させられていったのかを知っても知らなくても味にはかかわらない。ただ、味だけ楽しむのもいい。アーリ、自分の過去を考えなくても今と未来の自分その2つだけを考えるのも生き方としてはありなんじゃないかと私は思うがね。」

そういうと先生はスプーンでビーフストロガノを再びゆっくりと食べ始めた。

……………………………………………………………


僕、アルカニオ・パラ・ド・プラチナ には5年より前の記憶がない。

気づいた時にはカナダのとある小さな街の路地裏にゴミのように転がっていた。

その後色々あって、多くの街を巡って食料品や雑貨店で盗みを働いて生活していた。

そんな生活を3年間ほどして、先生に捕まって一緒に生活するようになった。

ドラッグに出会ったのは3年半前くらいでそこから先生に捕まるまでの約1年半使っていた。

そのおかげで今後遺症に苦しんでいるけど…、

だから記憶がない僕には自分がどこでうまれたのかも両親も分からないし、自分の本当の名前もわからない。

だけれど、多分 魔術師の家系ではあるのだと思う。

魔術師は自分自身にあった独自の魔術を作り出し、それを子孫へと渡していく。

そして、その魔術を使うために必要なものは魔術紋というもので、親が子に 子はさらに自身の子にこれを刻みつける。

僕の背中にはその魔術紋がある。

でもそれは、どこの家のものかも分からないほどぐちゃぐちゃにされているらしかった。

どんなことをしてそうなったのかは分からない…

しかし、分かることもある。

知りたくも、理解したくもないけれど…多分僕は両親に捨てられたんだろう。

理由は分からないが、僕の背中と5年前の状況を考えるに捨てられたことは間違いないだろう。

確かに自分の過去を知ったところでただたださらに悲しくなるだけなのかもしれない。

そうなるくらいだったら先生が言うようにボルシチの味だけを楽しむ方がいいんだと思うようにした。


考えている間にボルシチは少し冷めてしまっているように感じられた。

味覚と同じように舌の温覚や冷覚も弱いはずなのに

このボルシチが冷めてしまったことは不思議とよく感じられた。

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