第17話(side:天佑)



 黄は星読みの家に生まれ、呪術にも詳しい。

 私は琴葉をこちらに喚び寄せるためにあらゆる書物を読んできた。あらゆる知識を求めてきた。その中には当然呪術も含まれている。

 ーー私に呪術を教えたのは黄だ。琴葉を得ようと足掻いていた私は少しでも可能性を高めるために彼に教えを乞うた。

 だが、今や。呪術に関する知識であれば、私が上だ。黄だってそれを知っている。それなのに、あえて呪術を仕掛けたのは……

 匂い袋の『中身』に、解呪可能な呪い。黄の意図に気が付いて顔を歪める。


「黄を私の私室に呼べ」


 近くに居た武官に命令し、連れてこさせる。その間に医官達が琴葉の身体に他の不調がないのか調べ、呪術者が解呪の言霊を紡いでいく。それにともなって、琴葉の手が体温を取り戻していく。きっとこれで琴葉は目を覚ますだろう。

 だが……彼女が目を覚ます前にやっておかなければならないことがある。



***



 自室に戻って黄と対峙する。武官に彼を離すように言い渡した。



「しかし……」

「なんだ? そなたたちは私が後ろ手で縛られている老年の男に遅れを取るとでも言いたいか?」


 剣術には心得があった。

 いつかやって来る琴葉を守れるように、鍛えてきたのだ。

 それに、黄は

 そんな相手に何を恐れよう。

 武官達から解放された黄を呼べば、ゆったりとした仕草で顔を上げた。その表情に後悔は滲んでいない。


「……そのご様子ではお気付きになられたようですね」

「なぜ、このようなことをした?」



 荒ぶりそうになった声を、意識して平坦に戻す。

 きっと周囲に居る者達にはわたしの声が冷たく聞こえているだろう。

 しかし、黄はそれに動じなかった。それどころか不適に微笑いもした。




「……私は老先が短い。ですから、賭けをしたのですよ」

「賭け、だと?」

「もう陛下も私の思惑なぞご存知でしょう? でしたら、賭けは私の勝ちです」


 鮮やかに微笑った黄の表情は、きっと彼の生涯で一番の晴れやかな姿であったのかもしれない。

 しかし。言い切った途端。急に胸を押さえ、苦しみ始める。



「……ぐ、……っ」

「黄?」


 立つ余裕もないのか、しゃがみ込み、ぜぇぜぇと呼吸を乱す。額には脂汗が浮かんでおり、やがてその場に倒れた。なのに、彼は真っ青になった顔で律儀に答えた。


「のろい、が……返された、よう、ですな……っ」


 息をするだけでも苦しそうな様子なのに、それでも彼は続けた。


「人を、呪わば……あなふたつ。わたしは……呪いに、まけたのですーーけれど、賭けには勝った。そう、でしょう?」

「ああ、お前の勝ちだ」


 そう答えれば、黄は満足そうに頷いてーーそして、事切れた。

 彼の天命が尽きてしまったのだ。


「黄」


 このような事態になる前に、気付くべきだった。

 『敵』が動き始めたことを。

 きちんと気付くべきだったのだ。

 奥歯を噛み締めて、黄の顔を見やる。

 土気色の顔に、大粒の汗が流れている。それを懐から取り出した手拭いで、拭き取る。

 ひどい顔色であるのに、黄の顔は穏やかで、満足そうだった。


(確かに賭けはお前の勝ちだ)


 貴妃の暗殺未遂の首謀者。命も、名誉も、なにもかもを捨ててまで彼が伝えたかったことーーそうでもしないと、伝えられなかった情報。

 匂い袋には乾燥した花と一緒に細かく刻まれた蛇の抜け殻が共に入っていた。蛇と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、先帝の正妃だったあの女。陰湿で、気が強い、業つくばり。まさしく巳家を体現したかのような女だった。


(だが、あの女は毒殺されたはずだ)


 先王が崩御する前。かつてこの宮では次の王の座を巡って血で血を洗う政権争いがあった。

 先代の後宮では十一の家から一人以上の女を後宮に召しあげている。子を持つ側姫だって何人も居た。

 家同士の誇りと栄華を賭けた王位争い。もとよりそれぞれの家は小国といえど、王の血を引いている。その矜持の高さが苛烈な政争を生んでしまった。


 当時最大の攻勢を誇った巳家だ。

 しかし政権争いに負けてからというもの大人しく……。


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