第13話 (side:天佑)



 琴葉の部屋を出た後。私は執務室へと戻った。書簡に目を通す、と言って人払いはさせてある。けれど、今日に限っては、どうあっても集中できそうにはない。



(上手く逃げられたか)


 敗因は分かっている。私は焦り過ぎてしまったのだ。

 琴葉を本当に手に入れたいと思うのならば、きちんと根回しをしておけば良かった。

 それを怠ったのは確かに私の落ち度だった。


(……私はどうも琴葉に関することには冷静さを欠いてしまう)


 筆を置いて、こめかみを揉む。

 そして琴葉に触れた感触を思い出した。


(あんなに触れたいと願っていたのに)


 いざ実行しようとすれば、琴葉の怯えた顔に私は怯んでしまった。


(強引に琴葉を抱いたところで、心は手に入らない)


 そうなれば、きっと幼少期に過ごしたような優しい時間を共有するのは不可能になるだろう。

 ーー幸せにしたい。けれど、離れられることは耐え難い。

 矛盾めいた思いが胸を苦しめる。


(琴葉を召喚した最初のうちに抱いてしまえば良かったか……?)



 琴葉と過ごしてまだ数日しか経っていない。なのに、私はもう迷い始めている。琴葉の心を手に入れる方法はないのか……模索しようとしている。

 思い出すのは、くるくると変わる彼女の表情。

 考えていることが顔に出る素直さ。寝ていないわたしを心配する優しさ。彼女の温もり。それを手放すのが惜しい、と思ってしまった。

 だから強引にことを進められなかったのだ。

 彼女が優しかった分、自分も彼女を悲しませるようなことをしたくなかった。


(きっと彼女は『琴葉』で間違いない)


 だけどそれを押し通して良いものか……迷い始める。

 私がこんなにも優柔不断だとは自分でも思いもしなかった。

 

 

(徹底的な証拠を突き付けられなければ、正妃にはできない)



 決定的な証拠があれば、彼女も納得してくれるだろうか。そう思案していると、遠慮がちに部屋の扉を叩く音が聞こえた。


(……ああ、来たか)



 部屋に入ってきたのは琴葉の教師に選んだ黄であった。

 彼の一族は星読みが得意で、私も彼に勉学を教えて貰ったことがある。

 穏やかな彼であれば教師役に打ってつけだと思い、黄(こう)に声を掛けたのだ。


「ーーして琴葉の様子はどうであったか?」


 軽い挨拶を済ませた後。早速とばかりに琴葉の様子を聞き出そうとした。 黄は早計な私の様子に苦笑しながらも話してくれた。 



「ええ。真面目に私の話を聞いていらしたご様子から、きっと早く文字を覚えられるでしょう。しかし……」


 言い淀む黄に何があったのかと片眉を上げる。



「どうした?」

「貴妃様はこの国の内政についてご存知だったのでしょうか?」

「いいや。琴葉が私はこの国について説明はしていない」

「……そのように伺っていましたが、貴妃様は巳家と兎家にご興味があるようのご様子でした」

「なに……?」


 椅子から立ち上がる。

 十一もある貴族の家の名前。なのに彼女は巳家と兎家に絞って興味を示したという。これはただの偶然だろうか。


(『琴葉』でなければ、どうして稀人の彼女がこの国の内情を知っている?)


 幼少期。私は正妻の出自と自分の母親の出自を彼女に話したことがある。

 彼女はそれを覚えていたのではないか?


(もし彼女が『琴葉』ではないのだと認めないのであれば、なぜあの二家に興味を示したのか……具体的な理由を語って貰わなければならない)


 

 恐らく彼女が『琴葉』であろう証拠が手に入り、先程まで抱いていた迷いが霧散する。

 



 私は約束したことは守る。

 それがどれだけ辛いことだとしても。

 琴葉にも必ず守って貰う。



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