第12話




 翌朝。天佑の訪れがなかったことを女官達は『執務がお忙しいのでしょう』とわたしを励まそうとしてくれていた。曖昧に笑って頷けば、彼女らはホッとしたような顔で、わたしの髪を櫛で丁寧に梳かしていく。



「でも貴妃様は愛されていますわね」

「……え?」

「陛下は今まで女人を遠ざけていました。どんな美姫であろうと絶対に後宮に入内することを拒んでおいででしたから」


 誰も居ない後宮で寂しかったのですよ、と彼女らが言う。


(でもそれは『琴葉』に想いを寄せていたから……)


 きっと本物の『琴葉』が現れたら、自分なんてお払い箱だ。

 そう考えるとチクリと胸が痛む。その理由を考えようとしたタイミングで、別の女官が興奮した様子で部屋を訪れ、そして、天佑がやってこようとしていることを告げたのだった。



***


 張り切った女官達がいつも以上に着飾らせてくれた。

 豪奢な衣に濃い口紅。鏡に映る自分が別人みたいだった。

 ーー『佐野琴葉』という人物が消えて、天佑の望む『琴葉』になろうとしているのではないか?

 そんな疑惑すら湧き上がる自分に嫌気がさした。

 どんよりとした気持ちに蓋をして、口角を上げる。

 表情だけでも明るくしたのは、どれだけ暗い気持ちを抱いていようと、それを人にぶつけるのは間違っていると思ったからだ。



***




 しばらくして天佑が部屋を訪ねた。

 女官達は気を遣ってか、横並びで長椅子に座った天佑にお茶を出すとすぐに退出していく。二人きりになっても天佑は一向に喋る気配がない。



(……どうして無言なの?)


 そろりと見上げれば、強い視線に射抜かれる。


「琴葉」


 焦がれるように名前を呼ばれる。このままではいけない。彼のペースになる。そう思ったわたしは彼が言葉を発する前に、口を開く。



「……稀人を召喚されるのは難しいのですか?」

「ああ、そうだな。記録を調べてみたが、過去に稀人の召喚を成功させた王はいなかったようだ。だが、稀人を正妃として娶った王は、賢王としてあがめられる……それゆえ栄誉を求める王の代では召喚の研究を盛んにしていて、稀人の偽者を用意させる王もいたそうだ」

「では『稀人』であるわたしが天佑様と結婚しなかった場合……」


 言葉尻を濁らせる。稀人は信仰の対象だ。稀人であるわたしが『琴葉』ではないからと後宮を去ったとしたら天佑の評判はどうなるのだろう?

 ーー臣民の心が離れていくのではないのか?



「それでも良い。私はお前が『琴葉』だと思った。もし違うのであれば、私の見る目がなかった。それだけの話だ」

「どうして……」


 そこまで言い切れるのだろう。

 自分が琴葉だなんて思えない。

 なのになぜ天佑はわたしを『琴葉』だと思えるのか。



「理屈ではない。ただ私の本能がお前が『琴葉』であると告げている」


 愚かだろう、と嘆息した天佑はゆっくりとわたしの頬に両手をあてがった。

 求められている。そう思うと胸がドキドキするのは、好きだったキャラに言い寄られているから?

 分からないけれど、そのような理由だけでは自分の心を預けられない。


「離してください」


 このままでは彼に捕まってしまう。本能的にそう思った。

 身体を引こうとすれば、天佑はそれを見咎めた。


「賭けの間は私から逃げてはならない。そう約束したはずだ」

「それはっ……」


 怯んだ途端。視界が反転した。押し倒されたのだと理解する前に、彼が耳朶に息を吹きかける。



「…………ゃ」

「可愛らしく鳴く。私から逃げ出すくらいなら、鎖を付けようか? そうすれば、逃げられまい」



 クツクツと喉奥を震わせて嗤う。昏い哄笑を浴びせられて、血の気が引く。


「やだ……」


 彼が本気になれば、そのようなことすぐに実行される。

 わたしがこうして自由に動けていたのは彼の慈悲があってのもの。

 なんてちっぽけで弱い存在なのだろう。

 彼の腕から逃れることもできやしない。

 腕力も、財力も、権力も、全て彼が上。わたしが天佑に勝てるところは何一つない。

 けれど……。気力でだけは負けたくはなかった。


「……まだ賭けは終わっていません」

「何……?」

「わたしが『琴葉』である絶対的な証拠を見つけた訳ではないでしょう?」


 ともすれば、震えてしまいそうな声。だけど、怯んでいるのだと知られたくなくて、真っ直ぐに彼の目を見つめた。



「王であるあなたがご自身の言葉に背くおつもりですか?」

「……お前が認めぬ限り賭けは終わらぬか」



 ゆっくりと彼がわたしから離れ、扉に向かう。

 そして最後に「次はない」と言って、部屋から去っていった。

 取り残されたわたしは、早鐘を打つ心臓を押さえ、ただ彼の出ていった扉を見つめていた。



 

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