第14話
昼過ぎ。わたしは黄先生に文字を習っていた。
簡単な文字を教えてもらって、紙にその文字を模写していく。けれど、筆を使って文字を書くのは慣れないせいか、難しく感じていた。筆を握るのは習字の時以来だ。
慣れない道具を使ったからか、模写が終わった頃には妙に肩が凝っていた。
「お疲れ様にございました」
「ありがとうございます」
淹れられたお茶を受け取って机ごしに話す。穏やかな世間話が続いて、そろそろお開きにしようかという頃。黄先生が口を開く。
「陛下と貴妃様は仲がよろしいご様子。皆(みな)も早く陛下に御子ができますことを楽しみにしておりますよ」
その言葉にどう返せば良いのか分からなくて、俯く。しかし黄先生はさらに言葉を続けた。
「連夜陛下が貴妃様の元へ渡っていらしたご様子から、きっとすぐに御子ができましょう」
違う。わたし達はそんな行為していない。
だけど貴妃として立場上、否定するのはいかがなものか……。
それに天佑と夜を過ごしたのは事実だ。
否定したところで、かえって言い訳がましく映るだろう。
曖昧に頷いて、話題を変える。
「そういえば、わたし以外にも稀人はいらっしゃるのですか?」
「いいえ。おりませぬ」
「では以前稀人が現れたのはどれくらい前のことでしょう?」
「百年近く前、と聞いております」
「そんなに昔のことなんですね」
「……実のところ、私は稀人の召喚を反対していました」
「……え」
「今まで幾人もの王が稀人を召喚しようとし、失敗してきておりましたから。召喚を失敗した王はことごとく財政を傾かせていました。だから私は反対したのです。せっかく安定した統治をなさっているのに、みすみすそれを手放すのは惜しいではありませんかと」
黄先生は目を伏せて、そしてゆっくりと顔を上げた。
「ですが、陛下はそれを成功させた。陛下の愛が勝利したわけですかな?」
意味ありげな視線にたじろぎたくなるのをグッと堪える。
動揺しているのを悟られるわけにはいかなかった。
「稀人が現れるのは珍しいのですね?」
「ええ。さようでございます」
「では同じ時期に二人の稀人が現れることはあったのでしょうか?」
「いいえ。そのような話は聞いたことがございませぬ」
「ですが、わたしは陛下に召喚されました。いわゆる人工的なものです。それなら他の稀人が現れる可能性だってあるのではありませんか?」
ーーそう。たとえば本物の『琴葉』とか。
可能性はゼロではない。
その時わたしは……。
「たとえ、他の稀人が現れても陛下はきっと貴妃様をお選びになるでしょうーーもし貴妃様が不安になるのなら、今のうちに仲を深めておくのも手にございましょう。よく言いますでしょう。子は鎹(かすがい)だと」
(仲を深める、って……)
その意味を理解して、顔が赤くなる。
「陛下も既に何度も貴妃様の元にお渡りになっておりまする。可能性がないとは言い切れますまい」
意味深な視線にたじろぐ。
今が令和の時代だったら、こんなあけすけな言い方されないだろう。
直接的な物言いにどう反応すれば良いのか分からなくて押し黙って俯く。
「申し訳ありませぬ。いささか口が出過ぎました」
「い、いいえ」
「ですが、陛下には子がおりませぬ。私にはそれが心配なのですよ」
王族は子をこさえないといけない。そうでないとまた跡目争いが起こる可能性がある。そうなると国は荒れる。その可能性を黄先生に説かれる。
「陛下も二十五の年。今まで陛下は他の誰もが進言しようと後宮に女人を召しませんでした。だからこそ、貴妃様が入内されたと耳にした時。皆(みな)一様に喜んだのです……ですが、それはあくまでわたくしどもの事情にございます。貴妃様には気苦労をお掛けして申し訳なくおりまする」
そう言った黄先生は懐から何かを取り出した。
「それは……?」
「匂い袋にございます。慣れない環境でお疲れでしょう。安眠効果がありますので、貴妃様がよろしければお使いください」
「ありがとうございます。早速今夜使わせてもらいます」
お礼を言って部屋を出る。
一人取り残された黄先生はポツリと呟く。その言葉を知らないまま、わたしは部屋に戻ってしまった。
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