第2話 不思議な男の子の正体
なぞの男の子のせいで、ミシンのこともバッグのことも頭から吹き飛んでしまって、家に帰ってもずっとグルグル彼のことを考え続けていた。
誰だったんだろう、あの人。どうして、わたしのこと知ってたんだろう。
額に当てられた手の冷たさとか、骨ばった指の感触を思い出しては、ぬいぐるみを抱きしめて部屋で一人ジタバタしていた。
もしかして、これってあれかな。
少女漫画で見たことがあるやつ。
運命の相手が、ある日突然目の前に現れるっていう。
そして次の日。
あの男の子、うちの中学の男子が着る紺色のブレザー姿だった。もしかしたら学校で、また会えるかもしれない。
昨日のあれこれを思い出して、何だか胸がキュンとなって。鏡の前でついいつもより念入りに身支度してしまう。
うちの制服は女子はセーラー服で襟はグレー。スカートはグレーのチェック模様で、えんじ色のスカーフをリボン結びにする。
いつもより時間をかけて胸元のリボンを整えて、肩に届くくらいの髪は片方だけ編みこんで耳にかける。
「いってきます」
いつも通りに家を出て、学校に向かっているだけなのに、ドキドキが止まらない。
通学路のどこかで、またあの人に会えるかもしれない。学校に行ったら、また話しかけられるかもしれない。
漫画みたいな展開が、わたしの身にも起こるのかもしれない。
何だか舞踏会に向かうシンデレラになった気分。
いつもより姿勢よく、ぎょうぎよく歩いて、でも何もないまま学校に着いて、いつも通りの教室に、いつも通りの顔ぶれ。真弓ちゃんとのおしゃべりもいつも通り。
もしかしたらあの人、転校生だったりしないかな。
だけど朝の会で入って来た先生は一人きりで、その後何事もなく退屈な授業が続いて。
休み時間にあの人が突然教室にわたしを訪ねて来る、なんてこともなくて。
いつも通りの平穏な一日が過ぎて、あっという間に放課後だった。
「はあー」
むだにドキドキして、緊張して一日を過ごして、何にも起こらなかったのにわたしはすっかり疲れてきってしまっていた。
「どしたの? みうちゃん。今日は体育もない日なのに」
机につっぷしてるわたしを見て、真弓ちゃんが呆れたように笑っている。
「何でもないよ」
机にあごをのせたまま、力なく答えた時だった。
「真弓―!」
教室の入り口から、よく通る声が真弓ちゃんを呼んだ。
机に体を預けたまま声のするほうに顔を向けて――わたしは硬直した。
そこに立っていた男の子。昨日話しかけて来た、あの人だったんだ。
「何よ、大声出さないでくれる。恥ずかしいじゃない」
真弓ちゃんがぶつくさ言いながら、男の子に近づいていく。
「お前まっすぐ帰る? 俺より道するから、遅くなるって言っといてよ」
「スマホで連絡すればいいじゃない」
「めんどくさい」
「あ、そうだ。いい機会だから、みうちゃーん」
硬直したまま二人のやり取りを見つめていると、突然名前を呼ばれてわたしはボールがはねるみたいな勢いで、イスから立ち上がった。
立ったはずみでイスが倒れて、教室中の注目を浴びてしまう。あわててイスを直して、手まねきしている真弓ちゃんの元まで行った。
「紹介するね。こちら、友達の笠森美布ちゃん」
相手が誰かもわからないままで、わたしはペコリとおじぎする。
男の子は面倒そうにわたしを見て、わずかに頭を下げただけだった。
(え、え?)
何、この感じ。昨日はあんなに親し気に話しかけて来たのに。頭クシャってしたのに。
まるで、初めましてっていう顔をしてる。
「でね、これがうわさの弟。梓っていうの」
小さな声で「ども」と言って、彼はまたわずかに頭を下げる。
(お、お……)
「おとうとー!?」
思わず大音量で叫んでしまって、あわてて口を押えた。
「あれ? 弟いるって、言ったよね」
酸素を求める魚みたいに口をパクパクさせて、それでもわたしはうなずいた。
「で、でも、中学生……」
真弓ちゃんも中学一年生なのに、どうやったら弟も中学生になるんだろう。
「ああ、そっか。大事なこと言い忘れてた」
パンと手を叩いて、真弓ちゃんは言った。
「わたし達、双子なの。二卵性双生児」
「ふ、双子―!?」
思わず二人を指さして、もう一度叫んでしまう。
「そう、双子。似てないってよく言われるー」
真弓ちゃんの言葉に、思わず二人を見比べてしまう。確かに目は全然似てない。真弓ちゃんはパッチリしたキラキラした目をしてるけど、梓君は切れ長でその瞳は月の光を思わせる静かな雰囲気だ。
でも顔の下の方、鼻の形や唇の印象が、ああ姉弟なんだなって思わせる。
「似てるよ。鼻と口の感じが、血が繋がってるんだなって感じる」
梓君と真弓ちゃんは顔を見合わせて、片方の唇だけを上げる独特の笑い方をした。
「それ、お父さんとお母さんによく言われてるやつ」
「親以外に言われたの、初めてだな」
(笑い方もそっくり)
だけどすぐに、梓君は笑みを引っこめてしまう。昨日はあんなにニコニコしていたのに。
ああ、そうか。昨日彼の顔が誰かに似てるって思ったんだけど、あれ真弓ちゃんだったんだ。
「あ、あの、梓……君」
「何、笠森さん」
その呼び方で、梓君のわたしへの距離感がわかった。中学生男子がほとんど話したことのない女子に接する時の、正しい距離感。
昨日のわたしへの距離感と比べたら、地球と月くらい離れている感じだろうか。
「わたしのこと、知ってた?」
梓君の顔を見ただけでわかった。一瞬表情が固まって、顔全体で?って言ってる。
「いや。今初めて笠森美布という人間を認識した」
人工知能の回答みたいなことを言って、「逆に聞きたい」と梓君は続けた。
「笠森さんは、俺のことを知ってたの?」
今度はわたしが固まる番だった。
どうしよう。昨日のことを、話してもいいのかな。
助け舟を出してくれたのは、真弓ちゃんだった。
「もしかして、どこかで梓に話しかけられたりした?」
一瞬迷って、わたしは隠さずに昨日のできごとを話すことにした。
「き、昨日の放課後、梓君に話しかけられたの。あの手芸屋さんで」
真弓ちゃんがするどい目で梓君を見つめるけど、梓君はぶんぶんと首を振る。
そ、そんな。これじゃわたしがうそついてるみたいじゃない。
「ほんとに、俺だった?」
「ま、まちがいない……と思う。その制服着てたし、あ、ザックにミンクラのキーホルダーついてた」
真弓ちゃんが眉を寄せて、梓君を見る。
「それ、梓だね。梓、昨日の放課後の記憶はあるの?」
「――ない」
記憶にないって、やっぱりわたしがうそつきみたいだ。
「みうちゃん、梓は何かおかしなことしなかった?」
真剣な顔の真弓ちゃんに詰められて、しぶしぶ昨日のやり取りを話し出す。
「わたしの見ていた布をオックス地だって言って、ひょっとしてバッグ作るのって聞いて……」
「聞いて?」
「あ、相変わらずかわいいね、みうちゃんはって」
「言ったの? 梓が?」
「言った覚えはない」
むすっとしている梓君に胃がキリキリ痛むけど、真弓ちゃんに「その後は?」とうながされて続けるしかない。
「わたしの顔が赤いからって、熱でもあるんじゃないかって、おでこに手を当てて……」
「ほうほう」
「熱はなかったから、よかったって言って、頭をクシャって撫でて……」
言いながら自分の頬が熱くなるのがわかる。
「やったの?」
警察みたいに問い詰めて来る真弓ちゃんに、梓君は首を振っている。
「やったとしても、覚えてないって!」
梓君にはっきりと否定されて、胃のキリキリがひどくなる。
記憶にない。覚えてない。
彼の行動で勝手に舞い上がって、ドキドキして一人でソワソワして。その時間も気持ちも全部なかったことにされたみたいで、そのことにわたしは傷ついているんだ。
「わたし、うそなんてついてない」
ポツンと言うと、真弓ちゃんと梓君がはっとしたようにこちらを見た。
「うそなんて、思ってないよ」
「笠森さんの言うことを信じてないわけじゃない。記憶にないのは、本当なんだ」
かわいいって言ったことも、頭を撫でたことも覚えてないって、それはそれでひどい気がする。
「自分のしたことを、覚えてないの?」
「どう、話せばいいのかな」
困ったように梓君は真弓ちゃんと目を合わせる。やれやれというように首を振って、真弓ちゃんが言った。
「梓はね、時々人格が変わるの」
「人格が……変わる?」
「何が起きてるのかは、わたし達にもわからないのよ。とにかく時々梓は、人が変わったみたいな行動を取るの。その間の記憶は本人にはないから、度々めんどうごとに巻きこまれたり、人に迷惑かけたりしてるわけ」
本やドラマでは見たことある。多重人格って、言うんだっけ?
「二重人格とか、多重人格……みたいな?」
「うん、お医者さんにかかったわけじゃないから、はっきりとは言えないんだけど」
記憶にないとか覚えてないとか、言い訳してるのかなと思ってたけど、本当にそうだったんだ。
ペコッと梓君が頭を下げる。わたしに向かって。
「すまない。記憶にはないけど、俺の行動で不快な思いをさせたのなら謝る。申し訳なかった」
「私からもごめんなさい。普段の梓は、そんな漫画に出てくるイケメンみたいなまねはしない子なの。そこは信じてあげて」
二人にそろって頭を下げられて、わたしは後ずさってしまう。思わず周りを見渡すと、まだ教室に残っている子達に、注目されてしまっていた。
「そんな、やめて二人とも。確かにびっくりしたけど、ふ、不快とかそういうことは思ってないから」
二人は同じタイミングで頭を上げ、わたしの顔を見て本当に怒ってないんだと確認すると、顔を見合わせてほっとしたように笑った。その息の合った行動に、本当に双子なんだなって実感する。
「人格変わっちゃうなんて、大変だね。そういえば真弓ちゃん言ってたね。弟が木登りして、レスキュー呼ばれかけたとか」
「うあぁぁ」
木登りって言ったとたん、梓君が頭を抱えてうめいた。見えない攻撃でも受けてるみたいだ。
「あと、しょっちゅう、わあわあ泣いてるっていうのも」
「や、やめてくれ……」
さらにダメージを受けたようで、頭を抱えたまま梓君が身をよじっている。
「ご、ごめん。言っちゃいけなかった?」
「俺の記憶にはないのに、俺とは思えない行動を取った話を聞かされるのは、精神に結構なダメージを食らうものなんだ」
「うわっ。ごめんなさい。知らなくて」
「そうそう。あと、近所の小さな女の子達と楽しそうにおままごとしてたとかね」
「ぎゃあぁぁぁ」
とどめを刺すような真弓ちゃんの言葉に、杭を打ちこまれた吸血鬼みたいな悲鳴を上げて、「かんべんしてくれ」と小さな声で言うと、梓君はフラフラと自分の教室へと去っていった。
1-3。となりが梓君のクラスなんだ。
「な、何か大変そうだね」
「だね。見てるだけなら楽しいんだけどね」
かわいそうだから、楽しまないであげて。
昨日のなぞの男の子の正体がわかって、すっきりしたようながっかりしたような、複雑な気分だった。
やっぱり運命の王子様が突然現れるなんて、漫画やドラマの中だけの話だよね。
それにしても……と帰り支度をしながら考えてしまう。
昨日会った彼が、梓君のもう一つの人格だとしたら、どうして彼はわたしの名前を知っていたんだろう?
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