ソーイングッ!

@ryounatumagi

第1話 おばあちゃんのミシン

「みうちゃん一緒に帰ろう」

 教科書をザッグにしまっていると、後ろの席の真弓ちゃんが声をかけてくれた。

 真弓ちゃんはショートカットのちょっとボーイッシュな子。

 この春、ここ晴田東中学校に入学して、はり出されたクラス発表を見て、わたしは絶望してしまった。

 二組のところに自分の名前を見つけたけど、二組の女の子の中に同じ小学校の子がいなかったんだ。

 確かに小規模な小学校だったけど、こんなことある?

 男の子の知り合いはいたけれど、話しかけるほど仲良くもない。

 周りでは同じ小学校出身らしい子達が集まって、楽しそうにおしゃべりしてる。

 入学早々泣きたいような気分で一人席に座って、入学のしおりを読んでいた時だった。

「もしかして、あなたも転入生?」

 そう声をかけてくれたのが、後ろの席の真弓ちゃんだった。

 真弓ちゃんの家は真弓ちゃんが中学に進学するタイミングで、お家を買ったんだって。前とは少し離れた地域だから、小学校仲間もいなくて、話し相手をさがしていた時にわたしを見つけたのだそうだ。

 それから一カ月。

 わたしと真弓ちゃんはずっと友達だったみたいに、何でも話せる仲になっていた。

 真弓ちゃんとは帰る方向も一緒で、真弓ちゃんの部活がない日は一緒に帰ることにしている。

 この中学の指定カバンは、紺色の校章入りのザッグ。でも教科書を入れただけでいっぱいになっちゃうから、体操着入れにはみんな自前のバッグを使っている。

 真弓ちゃんの持っているバッグに、ふと目が留まる。

 水色っぽいデニム生地で、ポケットや縁取りには紺のチェック模様の布が使われている。

「そのバッグかわいいね」

「お、やっと気づいたね」

 真弓ちゃんはニヤリと笑った。

「朝から見せびらかしてたのに。いつみうちゃん気づいてくれるかなと思ってたんだ」

 自分の鈍さに恥ずかしくなりながらも、話を続ける。

「どこのお店で買ったの?」

「誰かとかぶりたくなかったからさ、一点物を探したんだよね」

「一点物?」

 それって、オーダーメイドか何か?

「そうだ。帰り道だから、寄ってく?」

 学校から家までの道のりには、地元の商店街しかないんだけど、おしゃれなバッグを売ってるお店なんてあったかな?


「ほら、ここここ」

 真弓ちゃんが足を止めたのは、昔から知ってるお店だった。

 店先には確かにバッグやポーチが飾られている。それと一緒にミシンやボタンも。

 手芸の井上。それがこのお店の名前だ。

「手芸屋さんかあ。なるほど」

「お店の人が作ったバッグも売ってるからね、ひょっとしたらほりだし物があるかなってさがしてみたら、これを見つけたってわけ」

「いらっしゃい、あら、みうちゃんこんにちは」

 レジにいたお店のおばさんが、わたし達を見つけて声をかけてくれる。

「みうちゃん常連さんなの?」

「ん、わたしじゃなくて、おばあちゃんがね……」

「そうなんだ。ねえ、ちょっと中見てこうよ」

 真弓ちゃんにさそわれるまま、お店の中へ進んでいく。おばあちゃんと一緒に何度も来たお店だから、どこのたなに何があるのかも知っている。

 ずらっと並んだたなには、色んな種類の色とりどりの布。小さな引き出しにつまった、宝石みたいなボタン。お姫様が使うようなレースがかざられたかべ。

「手芸屋さんって今まで見る機会なかったんだけど、おもしろいんだね。家庭科苦手だけど、見てるのは楽しい」

 変わったボタンを見つけてはしゃいでいる真弓ちゃんにうなずきながら、わたしは店の奥へと進む。

(あ、これ)

 トクンと胸が高鳴った。

 たなに置かれた布に目が吸い寄せられた。ベージュの生地に水色でたくさんの輪が描かれている。その輪がよく見ると、小さな水色の花が連なっているものなんだ。

(かわいい)

 胸がキュンとなって、思わず布を手にしていた。

 手芸屋さんに置いてある布は、大抵何メートルも巻いてあるものだ。その布も巻かれていて両手で抱えるだけの大きさだった。

 表面の布だけを手に取って、感触を確かめてみる。適度に厚みがあって、しっかりとした素材だ。タグを見てみるとオックス地とある。

 おばあちゃんに教わったことがある。バッグを作るのには帆布やオックス地が向いているんだって。

「みうちゃんそれ気に入ったの?」

 真弓ちゃんの声に我に返った。

「かわいいじゃん。へえ、ただの輪っかじゃないんだね。お花の輪っかだ。これでバッグ作ったら素敵だろうね」

 バッグという言葉に、胸の底がヒリリとする。絆創膏を乱暴にはがした時みたいに。

 慌てて布をたなに戻して、「行こうか」と真弓ちゃんに声をかける。レジにいたおばさんにおじぎして、店の外に出た。

「みうちゃん、どうかした?」

 真弓ちゃんに声をかけられてもう無理だった。自分の体操服を入れたバッグが目に入って、視界がにじんでいく。絵の具を塗った絵に、水をこぼしたみたいに。

「みうちゃん?」

「ごめん、真弓ちゃん」

 両方の目から涙がこぼれ落ちていく。中学生にもなって恥ずかしいと思いながらも、あふれ出していく涙を止められなかった。


「どう? 落ち着いた?」

 近くの児童公園のベンチに移動して、しゃくりあげるまで泣いて、やっと涙が止まったところだった。

 ハンカチをにぎりしめながら、心配そうにわたしを見つめる真弓ちゃんにうなずく。

「ご、ごめ……ね。いきなり」

「うん、びっくりしたけど、何か事情があるんでしょ。話すと楽になるかもよ」

 ふうと息をついて、足元の石ころをける。

「重たい話だけど、ひかない?」

「ひくかもしれないけど、聞いてみないことにはね」

 顔を上げると、真弓ちゃんがニッと片唇だけ引き上げて笑う。本人には言えないけど、男前な笑い方だ。

「わたしのおばあちゃんね、ミシンが得意な人だったんだ」

 そしてわたしは話し始めた。おばあちゃんとミシンの思い出を。


 おばあちゃんは、お母さんのお母さんだ。わたしが生まれた時もうおじいちゃんは亡くなっていて、お父さんとお母さんとおばあちゃんとわたし、四人家族で暮らしてきた。

 おばあちゃんの部屋にいるのが、小さなころから好きだった。おばあちゃんの部屋は畳のしかれた和室で、きれいな手毬や日本人形やちりめん細工の小物が飾られている。

 そして、ミシン。

 おばあちゃんのミシンは白色で銀色のダイヤルがついていて、窓辺のテーブルの上にいつでもいた。この部屋の主役はわたしですっていう感じで。

 おばあちゃんはミシンに紫色のカバーをかけて、油を差したり部品を分解して糸くずを取りのぞいたりと、大事に手入れして使っていた。

 そのミシンは、おばあちゃんがお嫁入する時に買ってもらったものだったって。

 その時代は、たんすや鏡台を嫁入り道具にするのが普通だったけど、何もいらないからミシンだけはって、お父さんとお母さんにお願いしたんだって。

 そのミシンでおばあちゃんは、わたしのお母さんの服をたくさん縫った。子供ができたら手作りの服を着せるのが、おばあちゃんの夢だったんだって。

 お母さんが大きくなったら手作りの服を嫌がるようになって、それからは自分の服を縫っていたけど……。

『美(み)布(う)ちゃんが、来てくれた』

 そう言ってうれしそうに笑ったおばあちゃんの顔を、今でも覚えている。

 わたしの名前は元々美羽にするつもりだったけど、おばあちゃんの希望で布の字に変えて、美布にしたんだって。初対面ですっと読んでもらえる名前じゃないけど、わたしは気に入ってる。

 わたしが生まれる前からおばあちゃんははりきってベビー服をたくさん作って、わたしの成長に合わせて季節ごとにたくさんの服を作ってくれた。

 わたしがこんな服が着たいって絵に書いてみせると、おばあちゃんは絵の通りの生地を見つけてきて、絵と同じ服を作ってくれた。

小さなわたしにとっておばあちゃんは、魔法使いそのものだった。

 おばあちゃんのミシンの音は、服ができ上がっていく魔法の呪文の音だった。

一枚の布からパーツを切り取って縫い合わせていくと、そでが現れてプリーツができて、いつの間にかワンピースの形になっている。

何度見ても服ができていく過程は不思議でしかなかった。平面的な布が、いつの間にか立体的な服になっているんだから。

小さなころの思い出は、いつでもおばあちゃんが縫ってくれた服と共にある。

小学校に入っても、おばあちゃんは服を縫ってくれた。手作りの服を着ている子なんて周りにはいなくて、わたしにとってはそれはちょっとした自慢だったんだ。

だけどね、小学校の高学年になった時、お母さんに言われちゃったんだ。

もう手作りの服は卒業しなくちゃって。手作りの服なんて恥ずかしいでしょって。

わたしは恥ずかしいなんて思ったことなかったけど、それを聞いたおばあちゃんはわたしに何か作るのをやめちゃったんだ。

そのころからおばあちゃんはミシンを使うこともなくなって、元気がなくなったみたいだった。

もう一度おばあちゃんに縫い物をしてもらいたくて、わたし言ったんだ。

『わたしもミシン使ってみたい』

『ミシンの使い方、教えて』

だけどおばあちゃんは、『みうちゃんにはまだ早いよ』と言った。

小学校ではミシンの授業を受けていたから大丈夫と言ったけど、おばあちゃんは首を振るばかり。

『じゃあ、いつになったら、ミシンを使わせてくれるの?』

 そう問いかけると、考えるように首を傾げて、おばあちゃんは答えた。

『みうちゃんが中学生になったら、いいよ』

『じゃあわたし、中学に持っていくバッグが縫いたい』

『いいねえ。じゃあみうちゃんが中学生になったら、一緒にバッグを作ろうか』

 わたしは子供の時みたいにおばあちゃんと指切りげんまんをして、約束したんだ。

 でもその約束が果たされることはなかった。

 この前の冬に、おばあちゃんは天国に行ってしまったんだ。

 数年前から心臓が弱っていて、ミシンを使わなくなったのはそのせいもあったみたい。

 冬の寒い朝に心臓が止まってしまって、それっきりおばあちゃんは目を覚まさなかった。

 中学に入学する時に体操着を入れるバッグを用意しなくちゃって思ったんだけど、おばあちゃんとの約束を果たせなかったことが悲しくて、結局生成りのシンプルな帆布バッグで間に合わせてしまったんだ。


「さっきのお店ね、おばあちゃんともよく一緒に行ってたの。あそこで選んだ生地で服を縫ってもらったり、お弁当袋の材料を買ったり」

「そっかあ。みうちゃんの体操着入れ、ずいぶんシンプルだなーって思ってたけど、そういうわけだったんだね」

「うん。ごめんね。めそめそしちゃって」

「悲しい時にはちゃんと泣いたほうがいいよ。うちの弟もしょっちゅうわあわあ泣いてるよ」

 真弓ちゃんのおしゃべりには、時々弟君の話が出てくる。何だかやんちゃな男の子らしくて、この間は木登りしてレスキュー呼ばれそうになったって言ってたな。

「でも、みうちゃん、本とか見ながら自分でバッグ縫うこともできるんじゃない?」

 真弓ちゃんの提案に、わたしはキョトンとしてしまった。

 そっか。自分で調べながら縫うことだってできるんだ。

「そうだね。あっ、でも……」

「ん?」

「おばあちゃんのミシン、古いのだから使い方がよくわかんないの。それに……」

 続く言葉をわたしは飲みこんだ。

『お母さんが、ミシンに触ると怒るんだ』

「ありがとう、話聞いてくれて。もう大丈夫」

 無理やり笑顔を作ってわたしは立ち上がった。

 バッグのことはもう、考えないようにしよう。


 家に帰るとカギで玄関のドアを開けて、誰もいない部屋に向かって「ただいま」を言う。

 お母さんはわたしが小学生の時から仕事をしていて、夕方の六時にならないと帰って来ない。

 おばあちゃんがいたころは「お帰り」って返って来たんだけど、今はしんとした空気が出迎えてくれるだけだ。

 バッグのことはもう考えないようにしようって思ってたのに、わたしの足はおばあちゃんの部屋に向かっていた。

 この家で唯一の和室の部屋。引き戸を開けると、畳の匂いがする。

 たなに置かれた箱の中には、はぎれがたくさん詰めこまれていて、その横の紙の束はわたしやおばあちゃんの服を作るための型紙だ。

 そして窓辺に置かれたミシン。

 おばあちゃんが元気がなくなってから、黙ったままのミシン。

 カバーの紫色の布を取ると、貴婦人のようにたたずむミシンの姿が現れる。

 白いボディはなめらかで、銀色のピカピカ光るダイヤルは、昔のSF映画に出てくる機械みたいだ。

 針もはずされて糸もかけられていないミシンは、ひたすら寂しそうに見えた。

 説明書ってあったかな。

 テーブルの引き出しを開けると、たくさんの糸とミシンの部品が詰まっている。でもそこに冊子のようなものはない。

 もう一つの引き出しを開けてみたら、そこに説明書が入っていた。

 これを読めば、わたしにもできるのかな?

 窓の外から町のチャイムが聞こえてくる。新世界より。六時の合図だ。お母さんが帰って来る。

 慌てて説明書を元通りにしまい、ミシンにカバーをかけると、わたしはそっとおばあちゃんの部屋を後にした。


 次の日もわたしはぐるぐる考え続けていた。

 わたし一人でも、あのミシン動かせるのかな。本を読んだだけで、バッグって作れるのかな。

 今日は部活のある日だったから、真弓ちゃんとは教室で別れて一人で帰り道をたどる。

 足は自然と手芸の井上に向かっていた。

 店の奥へと進んで、昨日一目ぼれしたあの布を手に取る。

 真弓ちゃんが言った通り、これでバッグを作ったら素敵だろうな。

しっかりした生地だけど、これ一枚じゃ難しいかな。おばあちゃんがよく口にしていた、裏地という言葉を思い出す。

そう。裏地用の布もきっと必要だ。今月分のおこづかいだけだと、足りないかな。

布を見つめながら、考えこんでいた時だった。

「その生地が気に入ったの?」

 真後ろから声が響いて、わたしは飛び上がるほど驚いてしまった。

 男の人の声だった。お店の人かなとおそるおそる振り向くと、そこにいたのはわたしと同じ中学の制服を着た男の子だった。

「その生地が気に入ったの?」

 声変わりを終えた低い声で、男の子はもう一度言った。

「う、うん」

 男の子はグイッとわたしに近寄って来ると、たなの布を手に取った。

(ちょっ、初対面なのに、近すぎない?)

 あせってるわたしに気づかずに、彼はしげしげとタグの表示を見つめ、布の手触りを確かめている。

「オックス地か。ひょっとしてバッグにするの?」

「そ、そう」

(何でわかるの? っていうか、やっぱり近いんだけど!)

 前髪が触れそうなほどわたしに顔を近づけて、彼はニコッと笑う。

「相変わらずかわいいね。みうちゃんは」

(キャー!!)

 自分の顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。

 か、かわいいって言われちゃった。

 男の子にそんなこと言われたの、初めてかもしれない。

 間近で見る男の子の顔は、切れ長の目が冷たそうだけど全体的に整っていて、正直に言って。

(かっこいい)

 クラスでもてているタイプの男の子達とは、明らかに違う。あんな風にキラキラした華やかさはないけど、その落ち着いた雰囲気にひきつけられてしまう。

(って、ていうか、何でわたしの名前知って……?)

「あれ、顔が赤いね。熱でもある?」

 彼は手を伸ばすと、わたしの額に手を当てた。ひんやりとした手の感触に、ますますわたしの頬は熱くなる。

 初めて会った相手にこんなことするって、ちょっと距離感おかしい人なのかな。

 初めて会った……人だよね?

 額に手を当てられたまま、まじまじとその人を見つめる。

 何となくこの人の顔、見覚えがある気がする。誰かに似ているような……。

 それにこの話し方も、すごくなつかしい感じがする。

「大丈夫、熱はなさそうだ」

 男の子は安心したように笑って、わたしの頭をクシャリと撫でた。

(ひゃー!)

 漫画でしか見たことがない、頭クシャだよね、これ。

 何、何? 本当に何が起きてるの?

「ああ、もう時間切れみたいだ。じゃあまたね、みうちゃん」

 わたしの頭から手を離して、目じりを下げて優しく微笑んで、気がついたら彼は風のように目の前からいなくなっていた。

 あわててお店の外を見ると、歩いて行く男の子が学校指定のザックを背負っていて、それにつけられたゲームキャラクターのキーホルダーがゆれているのが見えた。

 何だったの……? 本当に。





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