第8話 逃走の始まり

「獣人や魔族達は、人間とは価値観が違うかもしれない」

「それは確かに…」


 彼等が戦闘や闘争において矜持…プライドを持ち合わせる存在だと仮定した場合、澪ちゃんは戦わず敵前逃亡した挙句に顔も知らない相手に助けてくれと頼み込むような腑抜け・・・だと思われてしまうだろう。そうなれば助けて貰うどころか囚われの身になる可能性すらある。


「それに…」

「? どうしたの爽くん」


澪ちゃんは自分の事を『反魔導国の象徴』と言ったが、恐らくそのままの意味で連盟は澪ちゃんを利用するだろう。


「また皆から、期待の眼差しを向けられる事になってしまう」

「あ…そう、だね。なんで気付かなかったんだろ」


 今回は知りもしない、ましてや違う世界の赤の他人達。更には差別や世界の根幹を変えてくれなんていう他人任せで、余りにも図々しいお願いだ。…澪ちゃんは既に充分以上に苦しんだ。そう、苦しい思いをしてきたんだ。俺は澪ちゃんの隣に座ってその白く細い、けれど温かい手を握った。


「…爽、くん?」

「2人で何処か…何の変哲もない平和な片田舎の村でも探して、そこで羊を育てたり木こりをしたりして…何もかも放り出して暮らそう。コーヒーを飲んでまったり外の景色を眺めたり…」

「ちょ、ちょっと。それって…」

「子どもと交代交代で遊んだりとか…」

「こ、子ども!?」


流れとはいえ、俺も澪ちゃんも既に一度は死んだ身だ。それも望まない形での終着点。『もしも生まれ変わったら?』なんて空想が今、俺と澪ちゃんの手の中にはある。


「幸せになってイイと思うし、心の底から澪ちゃんには無邪気に幸せでいて欲しい」

「———」

「澪ちゃんは、どうしたい?」


何故か顔を赤く赤く茹で上げた澪ちゃんは俺の手を握り返して続ける。


「そうだね…うん。今ならきっと、嫌な事から逃げ出して。我関せずな態度のままそれなりの幸せを手に入れられるんだと思う」


 澪ちゃんの人差し指がまるで赤ん坊の頭でも撫ぜるように俺の手を触った。きっと今、澪ちゃんの心の中には幸せな自分自身が映っているんだ。


「でもさ、爽くん。そんな幸せな時に魔導国の人と出会ったり、魔導国に関する記事を読んだ時に『これは私のせいで起きた事なんだ』って、そう思ってしまわないと…思えるのかな?」

「分からない」

「…うん。私もそう思う」


 嫌な事から目を逸らすのは簡単だ。あまりに簡単だ。だけど、それは必ず・・やってくる。それが、そうする事が人間に定められた運命だから。


「やっぱり私は、連盟へ向かおうと思う」

「…分かった。一緒に行くよ」


 澪ちゃんのライトアップされた夜景みたいな瞳には死ぬ最後の瞬間にはなかった決意のような輝きがあった。彼女のこの輝きを消えさせない為にも、俺の全てを澪ちゃんに捧げよう。


「それと、ね…? 返事はまだまだ保留にさせて。その…ほら! まだお互いの事とか深く知り合えたとは、言えないし…」

「え?」


 ——あ。澪ちゃんの顔が異様に赤いのは、俺の言動がそうさせたのか。反芻されるそれは人生大一番のプロポーズ・・・・・さながらである。ごめん! というのは留まる。それはそれで、澪ちゃんの心を弄んだ事になってしまう。それだけは許されない事のような気がするから。


「…」

「…」

「…」

「…」


 別に、嫌いではないし寧ろ澪ちゃんの事は好きだ。だが…いや、言い訳にしかならないか。と互いの気恥ずかしさを吹き飛ばすように澪ちゃんは咳払いをして新しい進路を決めた。


「それでね? 爽くんの力を使って、最短コースを突っ切ってしまうのが1番リスクが少ないルートだと思うの」

「そうなると、この『リトル・チノプーナ小王爵領』を通過するのか…」


俺の持つリボルバー…エゴイスタ無垢な悪意で時間を止めながら最短コースを抜ければ澪ちゃんを狙う刺客と接触する機会も大幅に減らせるというわけだ。リスクは当然あるが、それは百も承知。


「それじゃ…早速行こう! 爽、くん」

「ああ」


 洞窟に差す朝日を見守って、それから俺と澪ちゃんの初めての旅が始まった——




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る