第42話

 大河と真奈が付き合っているのではないか、そんな噂が出るようになった。

 羽菜自身、「大河くんと真奈ちゃんって、そうなの?」と、遠まわしに聞かれることがある。そのときは「え、そうなのかな?」と知らない振りをしてみるが、本当はどうなのか羽菜も知らない。真奈から付き合ったという報告は聞いていないし、大河からももちろん聞いていない。昼休憩は一緒だが、帰宅は毎日一緒というわけではない。真奈から大河についての話題もあの告白以来聞いていない。だが二人一緒にいる場面は増えた。それは事実だ。その場面だけを切り抜いて噂が広まったのだろうと思う。「付き合っているのでは」という憶測の話しか羽菜までまわってこない。


「もしかして、私が知らないだけなのかな」

「うん?何が?」


 放課後の教室でため息を吐いていると、隣に座って羽菜と同じく勉強をしていた悠太が聞き返した。


「え、いや、悠太くんは聞いた?あの噂」

「あの噂?」

「真奈ちゃんと大河くんが付き合ってる、って噂」

「あぁ、それね」

「本当なのかなぁ。でも真奈ちゃんから何も聞いてないし、嘘なんだと思うけど、でも最近大河くんとよく一緒にいるし」

「はは、付き合ってる噂は嘘だよ。多分黒木が頑張ってるところだから、応援してあげないとね」


 穏やかにそう言う悠太を横目に、大人だなと感心する。

 自分だったら噂に反応して、本当なのかなと惑わされてしまうところを悠太は真奈のことを分かっているかのように、噂を一蹴した。

 いつからだろう、とふと小学生の頃を思い出した。

 いつからか、悠太は真奈の良き理解者になっていた。真奈のことなら分かっている、そんな雰囲気が伝わってくるときがあった。羽菜は今まで気にしたことはなかったが、何故かこのタイミングで胸と喉の間がもやもやした。何か思うことがあるのだが、何かが分からない。真奈に対する嫉妬か、それとも悠太に対する嫉妬か。はたまた別の感情か。


「羽菜ちゃんはどう思う?」

「何が?」

「大河と黒木のこと」


 悠太はシャーペンを置いて隣に座っている羽菜の方を見る。


「どうって…うーん、お似合いだとは思うかな。真奈ちゃんと大河くん性格がちょっと似てるし」

「そうだね、でも、二人の性格って変わったと思わない?」

「確かに、大河くんは優しくなったし、真奈ちゃんは…真奈ちゃんは落ち着いた感じになったのかなぁ。でも真奈ちゃんは普段から優しいし、うーん」


 大河が変わったのはなんとなく分かるが、真奈は変わったのだろうか。外見は確かに変わった。以前は勝気な印象を与えていたが、今は落ち着いた女の子に見える。


「最近、大河と黒木が喋っているところを見てない?」

「あんまり見てない、かも。聞こうと思ったこともないから、耳に入って来ないかなぁ」


 全く気にならないわけではないが、盗み聞きはよくない。しかし、盗み聞きしようと思う程聞きたいわけでもなかった。

どんな話をしているんだろう。そう思うだけだった。


 悠太も二人の会話に興味があるわけではない。むしろどうでもよかった。ただ耳に入ってくるものは仕方ない。


「よく微笑んでるよ。恋する女の子って感じ」

「恋する女の子」

「あのまま上手くいくといいね」


 置いていたシャーペンを手に取り、中断していた勉強を再開する悠太だが、羽菜は悠太の「恋する女の子」という言葉に、またもやもやを感じた。


「悠太くんは恋してるの?」


 羽菜から思わぬことを言われ、驚いて勉強する手を止めてしまった。

 窓から入る風が羽菜の髪を揺らし、悠太と羽菜の視線を遮る。それを鬱陶しく思い、遮る羽菜の髪を片手で耳にかけてやる。


「どうだと思う?」


 まるで挑発するような表情で、少しだけ故意に羽菜の耳を掠める。

 ぴくっと肩で反応する羽菜に今度は「ふはっ」と声に出して笑う。


「な、なに?」


 離れた悠太の手を確認し、今度は自分で髪を耳にかける。悠太が一度してくれたため、特に意味のない動作だった。


「ごめんね、びっくりした?」

「う、うん、ちょっとだけ」

「羽菜ちゃんの顔が見えなかったから、つい」

「そ、そっか、そうだよね」


 ははは、と笑って見せるが何が「そうだよね」なのか自分でもよく分かっていない。なんだか急に恥ずかしくなり、耳にかけた髪で顔を隠したくなる。たった今、顔が見えなかったという理由で髪を触られたのだから、隠そうなんてことはできないが。


「羽菜ちゃん、復習はもう終わりそう?」

「あ、うん」

「そっか、じゃあ今日は昨日より早く帰れそうだね」

「そ、そうだね」


 早く帰りたい。悠太と一緒にいて初めて思った。

 恥ずかしい、見られたくない、顔を隠したい。なんだかシャーペンを持つ手が震えているような気がする。早く復習を終わらせたい。

 ノートに文字を書いていくが、普段より字が汚い。


 震える手で普段より乱れている字を書き、顔をトマトのように耳まで赤くしている羽菜を盗み見て、満足気に笑う悠太がそこにいた。



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