第35話
真奈は家に帰った後、入学式の際に配られた教科書を机の上に置き、じっと眺めていた。ページをめくればめくる程、難しい言葉も増えていくことに落ち込み、頭を抱えた。
大河も羽菜も悠太も上位の成績だった。それに比べて自分は下から数えた方が早い。顔は三人に並べているが、学力はどうだろう。数歩どころか遙か彼方後ろにいる。このままでは三人の話にも入っていけなくなり、自分一人がおいていかれる。
大河と羽菜、悠太が勉強の話をしていても、自分だけ蚊帳の外にいる未来が想像できる。そして大河と羽菜が二人きりで勉強し、距離が縮まり、最悪の可能性だって起こりうるかもしれない。それは嫌だ。
自分に振り向いてほしい、仲間はずれは嫌だ。
今までろくに勉強をしてこなかったし、しようと思ったことすらあまりない。自分が馬鹿だと思ったこともないが、三人と比べると底辺にいる気分だ。
物置でしかなかった自分の勉強机に教科書とノートを置き、何としてでも学年の中間層には入っておきたいという思いでシャーペンを動かした。
あの三人とは元々頭のつくりが違うのかも、とネガティブなことを考えてしまう。
それでも羽菜に大河をとられたくない一心で好きでもない勉強を毎晩の日課とするようになった。
その甲斐あってか、翌月には授業に追いつけるようになり、徐々に勉強の仕方も理解した。
三人が勉強の話をしていても、なんとかついていけるようになった。
それでも、いっぱいいっぱいであやふやな部分が多い。
家に帰って泣いた日も幾度かあった。
「真奈ちゃん、大丈夫?」
「何が?」
「最近、目の下の隈がひどいよ」
羽菜が心配そうにのぞき込む。
真奈はそれがなんだか鬱陶しいと感じた。
隈ができたとしてそれが何か関係あるのだろうか。
そんなこと言われなくても、鏡を見ればわかっている。
態々そんなことを言いに来るなんて、辱めようとしているのではないか。
やりたくもない勉強の日々で苛々は募り、羽菜の顔を見る度に舌打ちをしたくなる。
「なんでもないから」
「そうなの?無理はしないでね」
眉を下げて本気で心配している羽菜の表情を見て、やはり苛立つ。
そんな真奈の状況を、悠太は冷めた目で眺めていた。
通いたくもなかった学校に来て、やりたくもない勉強をし、毎日嫌いな羽菜の顔を見る。
そんな日々が一ヶ月も続くと、真奈の精神は限界を迎えていた。
大好きな大河はずっと羽菜を見ている。
それを遠くから見ることしかできない。
こちらのアピールなんてまるで視界に入っていないかのよう。
未だに大河の中で真奈の存在は「羽菜の友達」のまま。
それが痛い程に分かってしまう。
惨めだと思った。
まだ入学して間もないのに。
こんなはずではなかった。想像していた中学校生活とはかけ離れている現実に、悔しくて惨めで、女子トイレの中で涙を流した。
羽菜は毎日楽しそうで、最近できた友達と仲良くしゃべっている。悠太や大河とも小学生のときと変わらず話している。自分はどうだろうか。勉強に必死で友達もできず、大河は話しかけてもくれない、悠太は最近冷めた目で見てくる。
羽菜と自分は何が違うのだろう。
顔は負けてないし、羽菜なんて優柔不断で弱い。良いところなんて顔だけだ。
自分は社交性もあって顔も良くて、誰にでも優しいし、しっかりしている。学力の面では劣るが、女子は少しくらい勉強ができない方が可愛い。
「ひっく....ううっ」
涙が溢れ、何度も手で拭う。
心が痛い。
下校時間だというのに、女子トイレに数人女子が入ってきた音がし、慌てて声を抑えた。
思わず声が出てしまいそうで、必死に両手で口を押さえる。
「羽菜ちゃんさー、めっちゃ可愛いよね」
「わかる。ほわほわした感じが可愛い」
クラスメイトだろうか。
可愛い羽菜と聞いて思い浮かべるのは、大嫌いな女の顔。
恐らく鏡の前に立ち、リップでも塗っているのだろう。
ポーチを開ける音がする。
「同じ出身校だよね、あの四人」
「あー、もう学年で有名じゃん」
「付き合ったりしないのかな」
「なんかありそうじゃない?羽菜ちゃん可愛いし」
つい聞き耳を立ててしまい、羽菜を褒めるような発言に眉を寄せる。
「黒木さんだっけ、女の子」
「きつそうな子でしょ」
「そうそう。なんかすごい羽菜ちゃん意識してない?」
「思った。寄せてるよね。最近必死に勉強してるし」
「見た目も寄せてるよね。似てないけど」
キャハハハと大きな笑い声を聞き、またしても視界が涙でぼやける。
まさかそんな風に思われているとは想像もしてなかった。
大河に好かれようと思うと、自然に羽菜のまねをしてしまっている。
だって、大河に好かれたいのだから。大河が惚れている羽菜を手本にするのは当然のこと。
もしかしたら、大河もそう思っているのではないか。
羽菜の周りをうろちょろし、羽菜のまねをしている自分に呆れているのではないか。
好かれるどころか嫌われているのかもしれない。
止まりそうだった涙はまた溢れ始めた。
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