第21話
それまで悠太は羽菜を好きではなかった。ただのクラスメイトであり、それ以上でも以下でもなかった。会話をしたことはあった。挨拶をしたり、互いの友達を介して一言二言喋ったことはあった。だけど二人で話をしたことはなかった。互いに関心はなかったと自覚している。
悠太が羽菜を気にし始めたのは、二年の夏。大河にいじめられたのか、校舎裏ですんすん泣いていた。悠太としては、大河が羽菜をいじめているのは好きだからと思っていたし、そのことに関して興味はなかった。大河が羽菜にする行為はいじめだいじめだと騒ぐ程ではなかったし、大河は他の女子にも似たようなことをしていたときもあったため、羽菜が反応しすぎだと思っていた節もある。
校舎裏にある花壇に水をあげてきてほしいと保健室の先生に頼まれたため、如雨露を持って行くと、羽菜を見つけた。
体を小さく丸めて泣いている羽菜と目が合い、気まずい空気が流れたが、悠太は泣いている羽菜を見てドキっとした。
大きな瞳からはらはらと流れている涙、口を必死に閉じて大声で泣くまいとしている姿が愛らしく、数秒見惚れていた。
羽菜は見られたことが恥ずかしくなりその場から腰をあげて、よろよろと歩き出した。
力なく、細い足が必死に体を支えているその姿に鼓動がはやくなった。
恋に落ちた瞬間だった。
悠太はこれが初恋であるため、どういう行動に出ればいいのか分からなかった。
そのまま羽菜に話しかけることなく時が過ぎた。
ある日、悠太の両親が仕事で帰らない日があった。悠太一人では心配だということで、親戚の家に泊めてもらうことになった。祖父母の家は県外、叔父や叔母の家は車で三時間以上もかかるところだったため、両親は悠太を近くの親戚の家に預けることにした。
小学校から歩いて四十分程の場所にあるマンションで、そこに住んでいる親戚のお兄さんの家に行った。
遠縁で血は繋がっていない。大学を機に実家を出たのだと両親は話していた。
「こんにちは。お邪魔します」
互いの両親が遠縁の割に仲が良く、何度か会ったことがあった。数えることができる程しか会ったことがないが、良いお兄さんだった。悠太はこのお兄さんが好きで、自分もこんな大人になりたいと思っているくらい、優しくて頭の良いお兄さんだった。
顔はとてつもなく綺麗で、小学生の自分でさえ神様がいたらこんな感じだろうと思うのだから、大学ではさぞかし人気者であると確信していた。
「いらっしゃい。久しぶりだね」
優しさの塊のような笑顔で迎えてくれたお兄さんに、悠太は目を細めた。
相変わらず綺麗な人だなぁ。僕が女子だったら絶対好きになってる。
悠太は靴を脱ぎ部屋にあがったが、気になったのは玄関に女性ものの靴が置いてあったことだ。
両親には「同棲しているらしいから、彼女さんに迷惑をかけないようにね」と言われていた。同棲とは、好きな人同士が一緒に住んでいることだと認識している。結婚の準備のようなものだと、親は言っていた。
「悠太くん?」
部屋は広く、リビングのソファに座っていた女性が立ち上がり声をかけてきた。
「藤田優です、一日よろしくね」
「佐藤悠太です。こちらこそお邪魔します」
互いに一礼して挨拶をした。
この女性とは去年、数回会う機会があったが、長い時間一緒にいたわけでも話したわけでもないが、優さん、悠太くんと呼び合いすぐに打ち解けた。
悠太は内心疑問だった。空お兄さんは綺麗な顔をしているから、きっと彼女もさぞかし美人だと思っていた。しかし、優はどう見ても普通。話していても、良い人以外の感想はなかった。
空お兄さんなら、もっと綺麗な人と付き合えたと思うんだけど。
見た目がすべてではないと理解しているが、いざ直面するとやはり外見で判断してしまう。
そんなことを本人に言えるはずもなく、夕飯と風呂を済ませ、リビングで三人寛いでいたとき。ふいに優が悠太の恋愛について聞いてきた。
悠太は今まで誰にも話したことのなかった羽菜のことを話し、初恋であることを伝えた。
「へえ、可愛い。いいな、小学生の恋愛。ねえ?」
「確かに。俺が小学生のときなんて優に振り回されてばっかだった気がする」
二人は幼馴染で長い付き合いだと聞いた。しかし実際に付き合ったのは高校生のときだとか。悠太はそれを自分に置き換えて微妙な気持ちになった。
羽菜と高校まで一緒かどうか分からないからだ。中学で離れるかもしれないし、そうなるとあと数年でさようならをしなければならない。
「空お兄さんは、中学と高校はどうして優さんと同じになれたんですか?」
「優について行ったからだよ。俺の方が好きだったから」
それもいいなと思った。自分と羽菜は学力が同じくらいで、もっと言うならば自分の方が頭は良い。羽菜に合わせるのは簡単だ。
「でも、自分の意志はどうだったんですか?行きたい学校とか」
「ないね。俺のすべては優だから、だから大学も優と同じところに通ってるわけだし。優と一緒にいることが俺の意志かな」
清々しいほどの一途さに悠太は感動した。
聞きたいことは山ほどあった。すべて聞いていいのか、失礼でないかと躊躇っていると、優に「聞きたいことがあるなら聞いておいた方がいいよ。恋愛の先輩だから」と笑いながら言われ、結局就寝したのは深夜三時だった。
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