第20話

「あっ」


 悠太がそう声をこぼし、絵梨のファイルから一枚のプリントを取り出した。どうやらそれが国語の宿題らしい。

 悠太はそれを持って上へと掲げ、羽菜の名前の跡が見えるかどうかを試した後、羽菜を呼んだ。

 呼ばれるとすぐに走っていき、悠太からプリントを受けとった。


 一目見た瞬間に分かった。

それはまさに自分が探していたプリントであり、昨日の夕方家で書いた自分の文字。たった一つ、違うところがあるとすれば、名前の欄に小山絵里と書いてあったところだ。


「これ、私のだ」


 そう言う前に先生が二人の元へ行き、プリントを確認した。


「確かに、水野さんの字と似ているね」

「羽菜ちゃんの名前が消された跡もあります」


 先生は苦い顔をし、悠太はため息を吐いた。


「こんなことをする人がいるなんて、思いもしませんでした」


 絵梨が何かしら関わっているのではないかと思っていたが、まさかこういう形で羽菜の宿題が見つかるとは。

 羽菜の方を見ると、今にも泣きそうに唇をかみしめていた。


「これは話をしないといけないね。先生も気づくべきだったわ、水野さんごめんなさい。それにしても、よく分かったね荒野くん」

「別に。そういうことしそうな奴だろ」


 大河はぶっきらぼうに吐き捨て、自分の宿題と向き合っていた。

 視線は自分のプリントへやっていても問題を解くつもりはなく、耳だけ傾けて三人の話に集中していた。


 暫く教室で待っていると、トイレから戻った絵梨が教室に足を踏み入れた。

 四人の目が絵梨に注がれ、絵梨は教室を出る前と空気が変わっていることに気付き、三人がいる場所を見て息を呑んだ。


「じゃあ先生は小山さんと話があるから。小山さん、一緒に多目的室に来てくれる?」


 閉めたはずのランドセルが開けられ、自分が使っているファイル、そして羽菜が持っている一枚の紙。それらを見て察した絵梨は、視線を床にやり頷いた。先生は羽菜に「このプリント、少し預かるね。また返すから。三人とも早く帰りなさいね」と言って教室を出て行き、絵梨はその後を追った。


 残された羽菜と悠太、大河は二人が完全に出て行ったことを確認すると肩の力を抜いた。


「大河、本当によく分かったな。僕なんか風に飛ばされたか、誰かが間違えて持ってるのかと思ったよ」


 はぁ、と溜めていた息を吐いた。

 最悪、絵梨が隠したのではないかと想像もしたが、まさか自分の提出物にしているとは。自分の想像力もまだまだだと思い知らされ、そして自分ではなく大河が解決したことに少しの嫉妬を覚えた。


「あいつせこい事よくやるからな」


 そう言って筆箱を片付け、ランドセルを背負った。

 大河としては事の成り行きを見たかっただけで、本気で宿題をしたいわけではなかった。しかしそんなこと微塵も伝えたくないため、速足で教室を出ようとした。


「あ、大河くん」


 普段より少しだけ声を大きく出し、羽菜は呼び止めた。

 大河は自分の名前を呼ばれたことで反応し、足を止めた。そして嫌そうに顔を顰め、「なんだよブス」と羽菜の方を向いた。


 羽菜は目を泳がせ、言いにくそうに口をもごもごさせた。

 そうして決心したかのように唇をきゅっと閉じ、大河を見つめた。


「あの、ありがとう」


 大河は羽菜にお礼を言われたことはなかった。なぜなら、感謝されるようなことをしたことがなかったからだ。嫌われるようなことばかりしていたため、いざ感謝をされるとどう反応していいのか分からず、顔が一気に熱くなった。


「バッ!!うるせえ!!」


 顔が真っ赤になっている自覚があり、それを隠すように走って教室を出た。


 羽菜は、大河に感謝する日がくるとは夢にも思っていなかった。しかし今回は大河が解決に導いてくれ、大河の言葉がなければ宿題を見つけることもなく家に帰っていただろう。

 絵梨に対して怒っているが、それよりも大河への感謝の方が大きかった。


 大河が出て行くと室内には悠太と羽菜だけが残った。


「じゃあ、僕らも帰ろうか。このことはまた明日先生が話してくれると思うから」

「うん、そうだね」


 悠太と羽菜もランドセルを背負い、教室の電気を消して扉を閉めた。


 廊下を歩き下駄箱で靴を履き替える。

 悠太は悔しかった。見下していたわけではないが、普段成績の良い自分と良くない大河を比べると自分の方が頭は良い。それは周囲も分かっていることで、悠太自身も思っていた。しかし、今回大河の推測は的中し、羽菜も感謝していた。それを見たら、なんだかもやもやした気持ちでいっぱいだった。


 大河の方が正しかった。


 恋敵だからか、それとも自分の方が頭は良いと思っていたからか。その両方か。

 素直に受け入れることはできなかった。


 そんなことを思っている自分はとても小さい人間だと殴りたくなる。

 無意識に拳を握りしめ、二度とこんな気持ちにはなりたくないと噛みしめた。


 大河が絵梨に気付いたのは偶然だった。


 国語の授業が終わった後の休憩時間、絵梨は席を立ってトイレに行った。絵梨より早く大河もトイレに行っていたため、教室に戻るのも絵梨より早かった。

 偶然だった。絵梨の席がなんとなく目に入り、机の上に置いてあったファイルが視界に入った。そして気づいた。ファイルの中に入っているプリントは先程の授業で少し問題になっていた宿題。そしてそこに書かれていた字は今まで何度も目にした羽菜の字だった。


 クラスで頭の良い羽菜はどの授業でも名指しされ、問題を解くことが多かった。嫌という程見たその字を大河は間違えたりしなかった。


 大河はすぐそのファイルを取り上げたかった。

しかし、そうすると何故このプリントが羽菜のだと分かったか聞かれることになる。一目見ただけで羽菜の文字だと分かりました、なんて言えるはずもない。


 その後の授業も考えていた。いかにしてあの宿題を羽菜のものだと主張するか。

 既に大河の中で無視を決め込むという選択肢はなく、暴かなければならないという一心だった。


 他のクラスメイトの前であのプリントを見せたらわかるだろうか。この考えはすぐさま却下した。羽菜の文字であると気づくことができる人間がどれだけいるか。

 羽菜の字は、あまり特徴がない。綺麗としか表現できず、書道をやっている者であれば書ける字だ。実際にクラスメイトには何人か書道をやっている者がおり、その子たちと羽菜の字は似ている。大河が羽菜の字だと気づいたのは、羽菜が黒板に書く字を毎度睨みつけてじっくり見ているからだった。


 悠太に見せたら、分かるだろうか。この考えもすぐ却下した。自分の手柄が悠太のものになってしまう。そうすると羽菜は悠太に感謝し、悠太の好感度が上がってしまう。本当は自分が気づいたのに、悠太の手柄になり羽菜に感謝されるのは気に食わなかった。


 そうして出した結論は、自分がそれっぽい理由をつけて暴くことだった。


 その作戦はうまくいき、なんと羽菜に感謝までされた。


 帰宅後、自分の部屋のベッドで両手両足をばたつかせた。


「くぁぁあ、ひっひ」


 意味もない声が口から出て悶える。


 自分が今喜んでいる自覚はなかった。

 羽菜に感謝されたことが嬉しく、それを内だけでは処理しきれなくなっていた。


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