第3話

 朝、いってきますと言って家を出た。遅刻はしないようにいつも早めに家を出る。そして必ず教室には一番乗りだった。朝早いため、登校している生徒は少なく、羽菜が視界に入れたのは三人の上級生だった。


 真奈はチャイムが鳴る五分前に教室に入ってくるため、いつも一緒に登校することはなかった。


「あ、水野」


 歩道の端を歩いていると、嫌いな声がした。

 まさかと思い、声のした方を見ると大河が立っていた。


 なんでいるの、いつも真奈ちゃんの前か後に来るくらい遅いのに。


 綺麗に髪を整えた羽菜とは違い、寝癖をつけた大河は羽菜の方へ寄ってきた。

 反射的に距離を取ろうとしたが、歩道の端にいたため、できなかった。


「おはよ」

「お、おはよう」


 初めて挨拶をされたかもしれない。


「何突っ立ってんだよ、行かないのか?」

「い、行くよ」


 いつもの雰囲気とは違い、なんだか落ち着きがあって羽菜は変な感じがした。


「きょ、今日は早いんだね」

「まあな。母ちゃんに叩き起こされた」


 ふわぁ、と大きな欠伸をする大河。


 小学三年生だというのに、新品だったランドセルは少しへこみ、他の子よりも汚くなっていた。どういう使い方をしたらそんな風になるのかと、羽菜は疑問だったが、一部の女子にはこれがウケているらしい。かっこいい、と言われている。羽菜にはそれが分からなかった。


 やんちゃな見た目で、性格もやんちゃ。一年生のときから突っかかってくるし、意地悪するし、暴力だってする。そんな大河は割とモテているし、羽菜をいじめる姿を見てかっこいいと女子が言っていたときは、さすがに羽菜でも腹が立ったし悲しかった。


「昨日何だったんだよ」


 むすっとしながら大河は羽菜を見た。

 羽菜は真奈に言われた通り、勇気を出した。


「真奈ちゃんが、心配してくれたんだよ。わ、私は大河くんに意地悪されるの嫌だし、もうしないで」


 言った、言えた!

 怖かったけれど、ちゃんと言えた。これでまた言い返されたり、蹴られたりしたらどうしようかと思ったが、それでも言えたことが素直に嬉しかった。頑張ったと思う。


「え、やだ」

「な、なんで」

「だって楽しいから」

「た、楽しいって…」

「お前、なんか他の女子と違うから楽しい」


 な、なんて酷い男子なんだろう。他の女子と違って、確かに私は身体も弱いし、そのせいでお父さんやお母さんに心配もたくさんかけてる。先生やクラスの子にも、他の子と違う扱いをされるし、確かに、確かに他の子と違うけれど、そんな風に言わなくてもいいじゃん。


 今度は羽菜がむすっと頬を膨らませた。


「でも黒木は嫌い」

「わ、私の友達だもん。わ、悪く言わないで」


 そう反論すると「はあ?」と不機嫌な声を出され、羽菜は怯んだ。


 だ、だって真奈ちゃんは一番の友達だし。私のことを心配してくれてるんだもん。

 誰だって友達が悪く言われれば、嫌な気持ちになるよ。


 今まで一度も経験したことがない、大河と二人での登校。羽菜は特に話すこともなく、嫌いな大河が隣にいるということで悶々としていた。

 反して大河は、嫌な気分は一切なかった。珍しく朝早くから仕事に出る母に叩き起こされ、嫌々起き上がって家を出たが、運良く羽菜と二人で歩くことができ、悪い気はしなかった。

 二人並んで歩くが、話題もなくただ黙々と足を動かしていた。


 本当にこいつ喋らないな。なんでこんなに静かなんだ。黒木はあんなにうるさいのに、こいつは静か。まあ、黒木よりは楽でいいけど。


 しかし不思議と沈黙が嫌ではなかった。うるさいのが嫌いというわけではなかったが、羽菜と喋らずにいる空間は決して悪いものではなかった。

 ちょっかいをかける気も起きなかった。


 大河はじーっと隣で歩く羽菜を見ていた。その視線に気づいた羽菜は、また何かされるのだろうかと思い、「何?」と聞いた。


 目が合うと思っていなかった大河はぎょっとし、慌てて前を向きながら言った。


「ブスだなと思っただけだ」


 他意があったわけではない。ただ、なんとなく、本当になんとなく眺めていただけだった。しかし、それを直接言う素直さはなかった。


「なっ」


 ブスと言われ、ショックを受けた。


 お母さんとお父さんは可愛いって言ってくれるもん。ブスじゃないもん。


 それを正直にぶつける勇気はまだなかった。きっと、「何言ってんだブス」と、更に言われるに違いなかった。そうして今度はブスブスと意地悪をしてくる。

 意地悪をしてくる大河のパターンは、なんとなくだが覚えた。


 結局、学校に到着するまでお互い一言も話さなかった。

 下駄箱で靴を履き替えると大河はさっさと教室に向かい、その理由について羽菜はなんとなく察した。大河はこの時間に来るのは恐らく初めてだろう。もし教室に誰かいたら、という考えになり、さっさと一人で教室へ行ったのだ。羽菜と一緒にいることで何か言われるかもしれないと思ったからだ。


 しかし羽菜は悩んだ。きっと今教室には大河一人がいるはずだ。下駄箱もそれとなく見たが、上履きばかりで靴はなかった。今から教室に行ってもまた大河と二人になるだけだ。そうして後から入ってきた子に「あれ、二人?」と言われ、からかわれる。そうなると困るのは羽菜の方だ。


 羽菜はテストの点も悪くないし、今後の展開が読めないような子ではなかった。この程度の予想くらい、ついてしまう。


 悩んだ羽菜は一度だけ教室に入り、鞄を置いてから図書室へ向かった。

 大河は付いてこなかった。

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