第犬餌3話 あの日憧れた人

「なんで、冬奈が……?」


「なんでって、貴女とお茶をしようって約束していたからよ」


 考え事に集中していて約束の事を完全に忘れていた。でも、冬奈が来たような足音も気配も無かったはずなのに。


「翔梨ほどじゃ無いけど、私もそれなりに運動は出来るわ。例えば、足音を消すなんて事も一応出来るのよ?」


 冬奈は私の対面の席に座りながらそう答えてくる。


「……そんなの、初耳だよ」


 やられた。いや、私が全面的に悪いのだけれど、完全に油断していた。


「あら、口調がいつもと違うのね」


「ッ!」


 その指摘に私の体がビクッと跳ねた。私は脳をフル回転させ、言い訳を考える。


「いや、えっと、これは」


「気分転換、かしら? いえ、それとも偶然?」


 私の即興で考えた言い訳を冬奈に全て言い当てられる。この距離は冬奈の能力の射程距離。なら、今何を考えても無駄だろう。


「……ごめん」


「何故謝るの? そんな貴女も私は新鮮で好きよ?」


「いや、そうじゃなくて。全部、聞こえてたんでしょ?」


 最初のあの言葉。あれは私の心の声を聞いていなければ出てこないだろう。そして、最後の質問を聞いていたということはその前の事を聞いていてもおかしくはない。


 そして、私の推測は当たった。いや、一部だが当たってしまった。


「途中からしか聞こえてないわ。来た時に貴女の心の声が聞こえたの。それが少し暗くて重そうな感じだったから声をかけられなくて」


「……そっか」


 なら、口調は戻さなくて良いか。それに、もう全部話しちゃおう。もう全部バレているのなら関係ない。


「言い訳になるけど、怖かったんだ。また私が虐められたら、尊敬する母を侮辱されたらって」


 あの日々を思い出して体が震えてくる。そして、あの時の何も出来なかった自分の姿を思い出し、涙が溢れ出す。


「あの時、誓ったんだ。高校は静かに過ごそうって。友達が出来なくても、ずっと一人でも、私はそれで良いって」


 出てくる涙は止まらず、ポタポタと店の机に落ちる。


「でも、翔梨に会って、冬奈と1度でも良いから話してみたいってのを言ったら橋渡しをしてくれるって言ってくれて。冬奈と水初、そして泰晴君までこんな変な私と仲良くしてくれて」


 頭では理解していた。誓いを守るのならすぐに離れて1人で居るべきだって。でも、出来なかった。この4人と離れたく無いと思ってしまったのだ。


「何度も言おうと思ったよ。私の秘密を。でもね、そう思って足を踏み出そうとすると震えちゃうの」


「…………」


 私の独白を冬奈は黙って聞いてくれている。情けなくて、恩知らずな言葉を文句も言わずに聞いてくれている。その事実に、私の頬を伝う涙が増す。


「ねえ、冬奈」


「……なに、胡桃?」


 私は俯いたまま冬奈に問いかける。今の私の話を聞いたら、冬奈達は離れていっちゃうかな?


 そんな不安を抱きながらも私は口を止めない。ここで、私の覚悟を示す。


「私はね、何も変わってないの。あの虐められていた弱い私から。何年経っても勇気を出せない臆病者のクズ」


 たとえ冬奈に、そして翔梨達に罵倒されたとしても私は受け入れる。それが臆病者わたしへの罰だと思うから。


「それでも冬奈は私を友達なんて言える?」


「勿論」


 1秒も経たずに帰ってきた言葉に私は驚きで目を見開く。ここまで色々と言ったのに、まだそんな事を言えるなんて思わなかった。


「ねえ、胡桃。私、怒ってるの」


「は、はい……?」


「私は大切な友人の悪口を言われるのは嫌いなの。たとえその相手が貴女でもね」


「は、はい……すみませんでした」


 冬奈のえもいわれぬ怒気を含んだ空気に圧倒され、思わず謝罪が口から出る。


「それに胡桃。隠し事をしていたのは私も同じよ。なのに貴女を責めるなんて私には出来ないわ」


「いや、冬奈と翔梨のは重みが——」


「貴女にとってその秘密はかなり重いのでしょう? なら比べる事なんて出来ないと思うわ。違う?」


「うっ……」


 私は反論が思い付かず黙る。確かに、本人にとってその秘密は何よりも重いかもしれない。それを比べるなんて良くないと私も思う。


「それに、胡桃は変わっているわ。さっき胡桃は何度も言わなきゃと思っていたって言ってた。多分昔の胡桃のままなら何度も考える前に諦めていたと私は思う」


「私が、変わってる? こんな臆病で、大切な人の為に踏み出せない私が?」


「そうよ。胡桃は弱くない。だって胡桃には変わろうとする強い意志があるもの」


「そう、なのかな? その言葉を、信じて良いのかな?」


「ええ。だって私は憧れの人なのでしょう? なら自信を持って信じなさい」


 羨ましいほどの豊満な胸を張り、冬奈は言った。だが恥ずかしくなったのか、頬を掻きながら「自分で憧れの人なんて言うの、ちょっと照れるわね」とはにかみながらハンカチで私の頬を伝っている涙を拭ってくれる。


 ……ああ、そうだ。あの時私はこの人の言葉に救われたんだ。かっこよくて、可愛くて、優しくて、温かくて、そして強い。私の話を聞いた後、開口一番に虐められていた時、そして4人の本当の友達になりたいと思った時に言わなければいけなかった事を言うほどの強さ。そんな玖凰冬奈に私は憧れたんだ。


「私は胡桃の友達で居たい。貴女が良いなら、ずっとそう名乗りたい。胡桃は嫌?」


「い、いや! 全然そんな事は!」


「ならもう暗い話は終わり。今日、私は親友くるみと楽しくおしゃべりをしに来たのだから」


「……うん。そうだね、冬奈」


 決めた。翔梨達にもちゃんと話そう。許して貰えなくても、言いたい。この誓いは必ず守る。


「許してくれるわ。だって貴女と翔梨達は友達なのだから」


「そう、だね」


「私達の家にみんなを招く。だからその時にまでに覚悟を決めなさい」


「……わかったよ、冬奈」


「ふふ、やっぱり貴女は素敵よ」


 その日の私と冬奈の女子会には笑顔が咲いた。


 


 

 

 

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