第42話 ◾️いまさら宿屋といわれても(17日目)
家に帰って、ボロボロで血まみれの服を着替える。夕食までまだ少し時間があるから少し休む。
ベッドに横になるとそのまま眠ってしまいそうだったので、腰掛けるまでに留める。
無事に家に帰って来れたことに安堵し、大きなため息が漏れた。
リンには本当に感謝してもしきれない。リンが来なければ俺は今頃ゴブリンの腹の中だ。
今日1日で何度も死にかけたし、心臓が縮むような恐怖も感じた。思い出すだけでも、寒気が蘇ってくるような気がしてくる。
俺は冒険者に向いていないだろう。それでも俺はリンと一緒にいたい。今日の件で改めて思い知った。俺はリンが好きだ。
ホミィには、なんて言えばいいだろうか。おそらくは俺に好意を抱いているあいつに。母さんや兄貴にも、町を離れる意思を伝えなければならないだろう。
まあ、いずれにせよリンに伝えてからだ。
もしリンに断られたら、どうしようか。考えたくない。考えたくないが、そうなったとしても俺はこの町を出る。まあ、リンがこの町を去ってからになるだろうが。
そうしたら、1人でリンとは別の街に行って、金を稼いで、稼ぎまくる。そしていつか宿を開こう。死ぬ間際になって分かった。もう、あんな風に後悔するのは嫌だ。俺は宿屋をやりたい気持ちを捨てきれない。でもそれは別にこの町じゃなくてもいい。1から始めればいいだけだ。
……そろそろ夕食の時間だ。
部屋から出て、飯を食おう。
テーブルに着くのは俺だけだ、他の客はいない。元々客足が少ない時期だったので仕方ないが、家の将来が心配になる。兄貴が多少入れてくれているとは言え、大丈夫だろうか。
まあ、心配しても仕方ない。どうせ俺は出て行くんだからな。
食い始めてすぐ、リンが2階から降りて来た。俺と同じテーブルについて飯を食い始める。
……リンは俺の気持ちに気づいているのだろうか。
ついて行く、行かないの話じゃなくて、俺の好意についてだ。
気づいているから、一晩考えろだなんて言ったんじゃないか?
俺に考え直して欲しいって、思っているんじゃないか?
それはつまり……。
「ようヴェニー、家で会うのは久しぶりだな」
「兄貴、珍しいな、帰って来たのか」
店の入り口から兄貴が入ってきた。普段は宿舎で過ごしているから、東門以外で会う機会はあまりないんだが、今日は何か用事でもあるのだろうか。
「ちょっとな」
兄貴がちらりとリンを見やる。なんだ、リンが関係あるのか?
リンの様子がおかしい、掻っ込むようにして飯を食い始めた。
「ご馳走様でした。女将さん、今日は湯桶はいらないので、ゆっくりしてくださいね」
そう言って2階へと足早に去っていく。去り際に俺と目が合うが、特に何も言わなかった。
急な状況の変化に困惑していると、兄貴が母さんを呼びに奥に行って何やら話している。一体何が始まるんだ。
◾️◾️◾️
「……なんだよ、それは」
兄貴が母さんを連れてきて、やれ、どこそこのあいつが結婚しただの、どこそこの爺さんが亡くなっただのの世間話が始まった。どうでもいい話なら、そろそろ俺も部屋に戻ろうかと思って立ち上がったところで、兄貴が俺に待ったをかけて、本題に入った。大人しく聞いていたら、兄貴がふざけた事を言い始めた。
「俺も、母さんも、お前が宿屋をやりたがっていることを、ずっと前から知っていたんだ。お前は、そうは言わなかったし、隠しているつもりだったんだろうがな。親父の遺言のせいもあっただろうし」
宿屋を、俺に譲る?
「でもな、親父だって、別に俺が継ごうが、お前が継ごうがどっちでも文句は言わないだろう。お前にやりたいことがあるように、俺にだってやりたいことがある。お前が宿屋をやりたいなら、やればいい」
やればいいだと?
「前から、言おうとは思っていたんだが、言いづらくて、ここまで引っ張ってしまった。すまない」
頭を下げるな。
宿屋をやりたいと、言わなかった俺に兄貴を責める資格はない。資格はないが、俺がどんな気持ちで冒険者をやっていたのか察していて、黙っていたのか。
ぶん殴りたいのに、殴る資格が俺にはない。
溢れる感情の行き先を、テーブルに拳で叩きつける。衝撃で食器が揺れる。
「なんでだよ……」
兄に対する怒りが俺を満たしていく。だけどそれだけじゃない、嬉しさもあるんだ。この町で宿屋ができる、その可能性が、選択肢が生まれたことに。だけど。
「なんで今更になって言うんだよ!俺が!どんな思いでゴブリンに挑んで!殺されそうになって!それでも生きて帰って来たから町を出る覚悟を決めたんだよ!今日!」
諦めていたのに、覚悟を決めた今になって、そんな選択肢を与えられても俺は困る。
また、悩んでしまう。
覚悟を決めたと言っても、結局これだ。
だってもう想像してしまっている。客がいっぱいのこの店で、カウンターで嬉しそうに客を眺めている俺自身の姿を。
「覚悟して捨てたもんを、わざわざ拾ってくるんじゃねえよ」
兄貴は俺を思って、こう言ってくれている。でも、どうしたって腹が立ってしょうがない。ただ、だからってどうしようもない。遅かったけれど、兄貴は親切でこう言ってくれてるんだから、飲み込むしかない。
なんで今日、俺にこんな話をしたのか。
別に今日じゃなくても良かったはずだ。
夕方の兄貴とリンのやりとりを思い出す。そういえば依頼からの帰り道でリンに一晩待てとも言われたな。
「……リンは知ってるんだな?」
「そうだ、相談もした」
その瞬間、我慢ができる筈もなく、兄貴の右頬をぶん殴っていた。
倒れた兄貴の襟首を掴む。
「兄貴っていうのは、弟の色恋に首を突っ込んでも許されんのか!ああ?」
「聞いてくれ、俺は確かにあの子に相談はしたが、嗜められてしまった。お前の気持ちはきっとこうだとか、そういうことは言っていない。もう正直に言ってしまうが、俺はお前に町を出ていって欲しくなくて、あの子に連れて行かないでくれと言ったんだ」
もう1発殴る。勝手なことをしやがって。
「それで?」
「あの子は、自分の道を勝手に決められるのは嫌だろうから、まずはお前に話をつけろと言ったよ。5日前だ」
なるほどな、よく分かったよ。
襟から手を離す。
「すまなかった」
兄貴が立ち上がって、謝罪する。
「……もういいよ。頭に来たし、殴ったけど。まあ、選択肢が増えたのは、良かったんだと思う」
これから色々と考えなければならない。眠れない夜になりそうだ。1度死にかけたのに。
そう言えば母さんはずっと黙ったままだ。目の前で次男が長男を殴っているというのに止めもしないし我関せずを貫いている。
「母さんはなんか言うこと無いのかよ。親父の遺言を無視するかもしれないんだぞ?」
「私はあの人の遺言に関しては、2人で決めろとしか言いようがないね。当然、サーティスが継ぐと思っていたから。2人の間で決めれるならそうしなさい」
随分とあっさりしたもんだ。遺言なんて重く考えるもんじゃないのかもしれない。
「ただ……」
顎に手を当てて何やら悩んでいるようだ。
言い淀まれると気になる。
「なんだよ」
「私はね、男の子より女の子が欲しかったんだよ」
「は?どう言う意味だよ」
「頑張って口説きな」
そう言って奥に下がっていってしまった。
呆然とする俺に口元を痛そうに押さえながら兄貴が言う。
「選択肢が増えたな」
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