第16話 ◾️ヴェニー30%(2日目)

 目が覚め、井戸で顔を洗って部屋で着替えていると、母さんから声をかけられた。


「おはようさん、リンの部屋の前に、湯桶があったら片付けておいてくれるかい?一番奥だよ」


「おはよう、わかったよ」


 2階に上がり、一番奥の部屋へと向かう。


 2階は全て客室だ。階段を登ってすぐ手前の廊下に5部屋、右奥に進んで5部屋の計10部屋の内訳になっている。母さんが言う奥とは右奥5部屋の突き当たりという意味だろう。俺にとっては物の持ち運びなどで一番面倒な部屋だが、客にとっては角部屋だし、階段から一番遠いからうるさくない。過ごしやすい部屋だ。リンは母さんに気に入られているようだ。


 リンの部屋の前まで向かう。湯桶があった、部屋の中にはリンはいないようだ、人の気配がしない。すれ違いで井戸にでも行ったのだろうか。


 少し水の残った桶と、縁に掛けてある布を見やる。


 昨日、夕食時のリンの姿を思い出す。目鼻立ちの整った容姿、細く、それでいて色の濃い眉、触れたら震えそうな唇、肩が露出した服。


 湯桶とのつながりで、リンの、その露わになった肢体を想像してしまう。夜の部屋、ランプの灯りによってできた影が、揺らめきながら壁にリンの肢体を映し出しているのを想像して……。


 被りを振って、その妄想を途中で振り払う。血流が巡り、顔が赤くなっていくのを感じる。


「どうかしてるな」


 湯桶を持って、階段へと戻る。戻る途中で、今、井戸でリンと出会ったら非常に気まずい思いをすることになると気づいた。


 多少不自然だがリンを避けるために、井戸ではなく勝手場で水を捨てて、取り置きの水壺の水で洗ってしまおう。


 母さんに不審な目を向けられつつも、俺は作業を行う。桶の中に残った水に触れたときに、先ほどの妄想の続きが始まりそうになるが、耐える。俺は感情のないゴーレムだ。人間の女の使った残り湯になど何も感じないし、欲情などしない。


 片付けを終えて、俺は部屋に戻ると、今日の予定を考える。とは言っても、ギルドに行って魔石を買い取って貰い、荷物を軽くしてから森へ向かい、昨日と同じようにスライムを狩るだけだ。


 そういえば、リンは今日はどうするのだろうか?昨日冒険者になったと言っていた。路銀も少ないと言っていたし、今日から稼ぎに向かうのだろうか。あの少女が?。魔物を倒せるのか?


 スライムに襲われ、気を失った彼女が傷つき、ぼろぼろの状態で、何匹ものスライムが彼女に覆い被さる。スライムの微酸により衣服が溶かされ、彼女の絹のような肌が少しずつ露わになる。彼女はまだ目を覚さない。スライムの数がさらに増える。そして……。


 俺は何を考えているんだ!


「どうかしてるよ、本当に」


 最低な妄想をしてしまった。


 さっさと身支度を整えて、ギルドへ向かおう。リンだって自分のことは自分で出来るだろう。元は旅人らしいし、俺なんかよりよっぽど世間慣れしているはずだ。




 出かけようとすると、母さんに呼び止められた。


「出かける時は声をかけな。あんた、今日はどうするつもり?」


「昨日と同じだよ、北東の森で狩りだ」


「稼げてんのかい?」


「ぼちぼちだよ」


 それを聞いて、母さんは溜息を吐いて言った。


「家を手伝ってくれるのは嬉しいんだ。でもね、あんたが冒険者をしたいなら、それに専念しな。その内サーティスが戻ってくるまで、私が頑張れば良いだけだからね」


 母さんは、俺のためを思って言ってくれているんだろう。どっちつかずなように見えるのだろう。気まぐれで家の手伝いをしたり、散歩に行く感覚で片手間に森に行っていると思っているに違いない。宿を心配して、冒険者に専念するのを我慢しているように見えるのかもしれない。違うんだ、冒険者に専念する目処が立たないんだ。俺が弱いから。


 それに、全く、俺のことを分かっていない。


 俺がやりたかったのは、宿屋だ。


 でも、それは言えない。兄貴が跡取りだ。俺じゃない。親父の遺言で、俺にはどうしようもない。


「……近いうちに、結果を出すよ」


 本心を隠して、誤魔化す事には慣れている。


 冒険者になりたい宿屋の次男は、誰にとっても都合がいいはずだ。


 俺が呟くように返事をして、それに合わせたように、リンが上からやってきた。正直助かった。


 リンの髪型が変わっていた。昨日は掛けていた眼鏡も外している。


 長い髪を後頭部で1本に括り、後ろに垂らして、根本は白いスカーフで飾っている。


 眼鏡をしているときも、整った顔立ちは明らかだったが、外したことで、より周囲の視線を集めるような美人がそこにいた。


「おはようございます、今日は天気が良くていい洗濯日和ですね」


「おはよう、そうだね、私も今から取り掛かるよ。それよりリン、あんた髪型どうしたんだい、眼鏡も外しちゃって。いいじゃないか」


「ありがとうございます。ちょっと、気分を変えようと思って。眼鏡は伊達ですし。どう、ヴェニー、似合ってる?」


 自分が口を半開きにして呆けている事に気づいて、慌てて口を閉じる。


 リンは俺に、髪を上げて露わになった首筋を、傾け、見せつける。腰に手を当て姿勢を崩し、格好を付ける。表情は不敵な笑みを浮かべ、明らかに俺を誘っている。


「えっと、その、あー、……悪くないぞ」


 俺の首に急激に血流が巡り、首すじが痒くなる。ぶわっと、汗をかき始めたのを感じた。


 こんなに美人な女は見たことがない。


「あんた馬鹿だね、こういう時は、昨日も可愛かったけど、今日の方が好き、だとか、そういう気の利いたことを言うんだよ。だからモテないんだよ」


「うっせえよ!……俺出かけるから!」


 逃げ出した俺の後ろで何やら話し声が聞こえるが、気にしていられるか!


 朝の淫らな妄想が、眼鏡を外したリンの姿に更新されていた。




 ◾️◾️◾️




 ギルドに着いて、それまでにいくらか冷えた頭を振って、妄想を振り払う。


 まずは依頼情報を確認しよう。依頼を受けるつもりはなくても、どういう依頼が出ているのかを日々確認、把握することは大事だ。


 既に、新規依頼を求める朝の混雑は解消されていたので、ゆっくりと落ち着いて依頼を見ることができる。


 1つ1つ依頼を手に取り確認していく。掲示板にずっと前から残っている依頼もあれば、新規で増えている依頼もある。自分の普段の狩場に、強い魔物が出没しているかどうかも間接的にわかる。知らなかったじゃ済まない。


 依頼は一番上に掲示されているものが新しく、下に行くほど古いものになっている。下の依頼は目線の高さだから目に止まりやすく、報酬が不味くてもよく考えずに受領する冒険者がたまにいるため腐りにくい。不味い依頼の塩漬け対策なんだろう。


 眺めていると、新規で入った一番上の依頼で気になるものがあった。ゴブリンの討伐依頼だ。報酬は不味い。誰も受けずに残るだろうが、やはり討伐依頼は魔石の他に報酬が設定されているため、短期間で稼ぐには都合がいい。もちろん今の俺に似つかわしいランクの依頼ではないので、受けないが。


 ちなみに塩漬け依頼を受けて完了すると、ギルドの評価に大幅にプラスされる。内容に報酬が見合っていない部分を、ランクアップ評価で補っているのだ。この辺りもよく考えられていると思う。


 一通り眺めたので俺は魔石の換金をするために窓口に向かう。


 魔物の核とも言われる魔石は、多種多様な魔道具の燃料にするのが主な使用法となる。専用の魔道具はそれなりに高価だが、魔石を使えば誰にでも使えるので便利だ。例えば、煮炊きするのに炭や薪を使って火を起こすのだって、慣れていないやつはできない。だが魔道具を使えば魔石を専用の容器に入れて、起動するだけで魔石が無くなるまで火が出続けるし、誰にでも使える。炭と比較しても、煤が出づらく、火力調整も用意だ。


 冒険者の魔物狩りによって、町や都市などの人口集中地の治安は維持されるし、得られる魔石によって、俺たちの生活は向上していく。俺は、それを担っている冒険者が嫌いなわけではない。好きでもないが。


 魔石を売却する。売却する量は、スライム10個分だ。2日分の稼ぎを1度に処理するようにしている。それによって、まるで1日で稼いだかのように見せかけ、見栄を張っている。下らないことをしている自覚はある。持ち運ぶ量をいくらでも減らした方が、効率はいいのに。




 ◾️◾️◾️




 ギルドを出て、森へ行くため東門に向かう。


 東門で、兄貴に会い、挨拶を交わす。


 毎回兄貴に会うのが憂鬱だ。さっさと兵士を辞めて、家を継げばいいのに。だが、それをされると今の俺では家を出られないから、ただでさえ居づらい環境が悪化してしまう。早く独り立ちして家を出なければ、嫉妬で俺はどうにかなってしまう。


「おはよう、今日も北東の森か?」


「おはよう、ああ。今日は少し早めに出てきた」


 そう言って、立ち去ろうとすると、兄貴が俺を引き止めるように言う。


「そういえば、昨日、別嬪の嬢ちゃんを通したんだが、家には行ったか?」


 ああ、そういえば兄貴の差金だったな。ずっとそうやって、門で宿の客引をしてくれていればいいのに。


「リンのことか。ああ泊まってるよ、しばらくいてくれるみたいだな。昨日冒険者になったって言っていたから、今日あたりもしかしたら、また門に来るんじゃないか?」


「リンちゃんって言うのか。そうか、あの子、冒険者になったのか。ヴェニーは先輩になるんだから世話してやったりすれば、仲良くなれるんじゃないか?」


 俺の嫉妬や、諦念や、今朝の欲望の感情を知っているのかいないのか、ニタニタと笑いながら、的確に癪に触る言葉を投げつけてくる。分かっている、兄貴は何も悪くない。俺の胸の内を知らないから、仕方がない。


 なんでもいいから言葉を返そうと思ったが、声がくぐもりそうだ。俺は何も言わずにその場を後にした。




 ◾️◾️◾️




 森に入って、スライムを探す。なんだか、いつもと違う。


 周りの木々の、細かなざわめきを感じ取れるような。風に揺れる葉の動きが分かるような気がする。いつもより、感覚が鋭くなっている。なんだ、これは。


 困惑しながらも、周囲の気配を探る。やはり、いつもよりも、遠くが見えるような、倍以上の範囲で。


 真っ直ぐに歩いて森を進んでいると、かなり遠く、斜め右の木々の合間で小さく身じろぎする気配を感じる。スライムだ。


 慎重に、にじり寄る。相手はこっちに気づいていない。


 およそ10歩分くらいだろうか、近づいたところで、スライムが俺に気づいた。スライムがこちらに向かって突っ込んでくる。俺は迎え打つため姿勢を正す。スライムが急に止まって、たっぷり溜めを作った後に勢いよく俺の腹に向かって飛んできた。


 俺はそれを左にかわし、ぼたりと落ちたスライムに向かって、1歩、2歩と間合いをつめて、3歩目で斬りかかる。スライムの肉に短剣が食い込み、肉を吹き飛ばす。


 スライムが動かなくなった。


 初めて、攻撃を受けずにスライムを倒すことができた。




 その後も、広がった感覚に任せてスライムを発見し、逆にこちらから先制攻撃を仕掛けて、スライムを倒していった。


 気づけば森の奥に足が向かっていたが、問題なかった。


 冒険者になってから今日までの1週間分の魔石を、今日1日で手に入れた俺は、その重さに喜びつつも、倒したのを後悔しながら東門への帰路についた。


 ここしばらくの俺の懊悩は、興奮と喜びで塗りつぶされていた。




 ◾️◾️◾️




「そいつは『位階が上がる』ってやつだな」


「位階?」


「ああ、戦いで体を鍛えていたり、魔物を狩ったりしている人に起こるらしい、体の力が強くなったり、動きが速くなったりして、その状態がずっと続いて自分のものになるんだそうだ。人によっては、魔法を使えるようになったり、剣の扱いが上手くなったりする。それを、身体の階級が上がったっていうことで、『位階が上がる』って言うんだ」


「何が強くなるかは、自分で決められないのかな」


「そこまでは俺も聞いたことがないな。お前は何か特別なことをしたり、思ったりしなかったのか?」


 俺がしたことってなんだ?何かを強くしたいって思ったのか?

 ……遠くの気配が分かるようになれば、スライムを多く狩れるようになる、とは思ったな。


「……心当たりがあるな」


 そういえばなんとなく、体の調子もいいような気がする。肉体の力が上がっているのかもしれない。


「よかったじゃないか!強くなったんだろ?冒険者らしくなってきたな!」


 そう言って兄貴は俺の肩をバンバンと叩く。痛いが、不思議と腹は立たない。

 今朝までの俺だったら、怒っていたかもしれない。


「そろそろ戻るよ、そろそろ鐘が鳴りそうだし」


「おう、少し前に嬢ちゃんが戻ってきて、たんまり魔石を持って帰ってきたみたいだからな。負けんなよ。ギルドで会うかもな」


 よかった、あいつは無事に帰ってきたようだ。それに稼げてるみたいだ。俺のように食うのに困るようなことにならなくてよかった。


 ギルドに向かって、ドアを潜る。少し遅い時間だからか、人影はまばらで、窓口も空いている。リンの姿は見つからなかった。既に売却を終えて帰ったようだ。


 中央の窓口に言って、受付嬢に声をかける。


「魔石の買取を頼みます」


「はい、お預かりします。ヴェニー様は今日は2度目ですね。いつもより多いですし」


 いつもは無愛想な受付嬢が、なんだか知らないが今日は話しかけてくる。


 この人、名前なんて言ったっけかな。あ、思い出した。


「まあ、ぼちぼちです。……なんか、雰囲気変わりましたね。ミリアさん」


「そうですか?そうかもしれませんね」


 何がおかしいのか、ニコニコと嬉しそうに表情を崩しては、戻す。崩しては、戻すを繰り返しながら、魔石の塵を払っている。変な女だ。


 魔石を交換して、家に帰った。




 ◾️◾️◾️




 家に帰ると、カウンターに母さんがいた。


「今帰ったよ」


「おかえり。今日はどうだった?」


「ぼちぼち」


「あんた最近それしか言わないね」


 溜息を吐いて、母さんが奥に行こうとする。それを、声をかけて止める。


「俺、冒険者やっていけそうだよ」


 それを聞いた母さんが振り返って、笑いながら言った。


「ぼちぼちかい?」


「ああ、ぼちぼち、やっていけそうだ」


 俺も笑みを返してそう言った。





 今日は手伝わなくていいから飯まで休めと言われて、素直に従った。


 横になって休んでいたら呼ばれたので、飯を食いにいく。


 昨日と同じ席に座って飯を食っていたら、リンが2階から降りてきて、飯を受け取って、俺の斜め向かいに座る。


「いただきます」


 リンが聞きなれない言葉を口にしてから飯を食い始める。今、なんて言った?


「どうしたの?私何かした?」


 リンが俺の視線に気づいて問う。


「いや、さっきの何?いただきますってやつ」


「食事の前の感謝の言葉だよ、これから食べますって。えーっと、私の生まれたところの」


「感謝?何に感謝してるんだよ」


「材料を作ってくれた農家の人、料理を作ってくれた人。色々だよ」


 なるほど、飯を作ってくれた母さんたちに感謝してくれてるんだな。いいやつだな、リンは。でもまだ、よくわからない。


「それで、なんでいただきます。なんだ?ありがとうじゃダメなのか?」


「材料になってくれたお野菜やお肉になった動物にも、命があって、私たちはそれを奪って食べる、いただくってこと。だからそれらにも、ありがとうっていう意味を含めて、いただきますっていうんだ。まあ、他にも意味はあるんだろうけど、人によって考え方は違うからね、私はこういう考え方っていうだけ。あ、食べ終わったらごちそうさまでしたって言うんだよ。食べ終わりましたありがとうございましたってこと」


 材料に感謝する……か。今まで考えたこともなかったな。


「いただきました、じゃだめなのか?」


「ご飯が美味しかったですっていうのを強調するために、ご馳走様でしたっていうんだよ」


 今まで、母親に面と向かって飯の感謝をするなんてこと、したことなかったな。恥ずかしいし。せっかくだし、見てないところでくらい、感謝しよう。


 リンの言うところによると、つまり、飯を食う前はいただきます。食い終わった後はご馳走様でした。俺は今食ってる最中だから、合わせるとこうか?


「ご馳走をいただいてます」


 それを聞いて、リンが口に手を当てて笑いを噛み殺している。一々仕草が可愛いな。こいつ。


「ん?なんかおかしかったか?」


「いや、何もおかしくはないし、今回はそれでいいよ。次からは食事を始める前に、いただきます、だね」


 リンとの会話は楽しい。


 リンはいつまで、ここにいてくれるんだろうか。




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