第15話 ◾️ヴェニー10%(1日目)
森の中を気配を殺しながら、慎重に歩く。
ひたすらに真っ直ぐ歩いて、魔物に遭遇せずに目標地点まで着いたら、直角に左に曲がり、先ほどと同じだけの距離を歩く。
魔物に遭遇すれば、相手を見極めて勝てそうなら戦うし、そうでなければ逃げる。勝ったら、真っ直ぐ進み、目標地点まで進んだら左に曲がる。それを繰り返して行く。
相手は大抵スライムで俺より弱いから、基本は戦うことになる。ただ俺には狩人のような、遠くの生き物の気配を察知するような能力は無い。スライムの方がそういう能力は上なんだろう。普段から森で生きているような奴らだ、当然だ。だから、大抵の場合は、あいつらから襲ってくる。森の木々を踏分けながら音を立てて。音に気付いた時は、こちらに向かって突進してきている最中だ。黙って突っ立っていれば3秒後には体当たりを受ける。直撃したとしてもダメージ自体はそこまで重くない。とはいえ、それを連続で10回も食らえば、もしかしたらと思ってしまう程度には痛い。それに頭にでも受ければ、気を失って、その間に何をされるかわかったもんじゃない。スライムが最弱の魔物とはいえ、森の中、視界の悪い場所での戦いというのは、相当な不利をこちらに押し付けてくる。それを、俺はこの1週間で思い知った。
スライムが、例えば見晴らしの良い、草原のような場所に出現する魔物であったなら、目視で互いを発見してから接近戦になるまでに10秒程度は時間ができると思う。そのくらいの時間があれば覚悟を決める余裕ができるし、立ち回りの選択肢も取れる。だから……。
そうやって、どうすればこの不利な状況を解決できるか考えていると、右側からズサ、ザザと、音が聞こえた。首筋に寒気を感じながらも右側を振り向くと、こちらに向かって走り寄ってくる薄水色の物体が目に入った。スライムだ。見えたと言っても、葉や枝に隠れて全体像は見えない。そいつが俺よりも低い位置から走り寄ってくる。すぐ目の前だ。
俺は正面から迎え撃とうと姿勢を変えようとして、右足が木の根か何かにひっかり、大きくタタラを踏んでしまう。その隙にスライムは俺に飛びかかり、皮鎧も何もつけていない俺の胸にぶち当たる。
鳩尾に入った衝撃に一瞬呼吸が止まる。体がくの字に折り曲がりかけるも耐えて、口から涎が垂れるのも構わずに、必死で足元に落ちたスライム目掛けて短剣を振り上げて、落とす。
スライムはその一撃で薄水色の肉を飛び散らせて、動かなくなった。俺は鈍い痛みを訴える胸元を押さえながら、ため息を吐いて、ぼやく。
「やっぱり俺には冒険者は向いてないよな……」
◾️◾️◾️
東門に向かう。
兄貴は今日も暇そうに門を守っている。
他の人が見れば、姿勢良く真っ直ぐに立っているように見えて、真面目そうな門兵の印象を受けるだろう。
兄貴はぼーっとしていたり、別のことを考えている時は、指が動く癖がある。今も左手で忙しく親指と中指を擦り合わせている。だからと言って俺はせめているわけじゃ無い。立ちっぱなしだって意外と疲れるし、気を抜くことも必要だ。
兄貴に今帰ったと報告するために声をかける。
「今帰ったよ、今日も門は平和だった?」
「おかえり、特に何もない、平和な1日だったぞ。今日は成果はあったか?」
「ぼちぼちだよ」
言い捨てて、俺は門を潜り町に戻った。
1週間前、初めて冒険者になった。
俺の装備は、荷物を入れるリュックと、安物の短剣のみ。安物といっても、金貨3枚の品だ。成人したての俺にとっては、所持品の中で一番値が張る。皮鎧も、盾もない、本当に最低限の装備。
何も俺だけがこうなわけじゃない。大抵の新人冒険者の初期装備なんてこんなものだ。人によっては遠征用に小物が必要になるだろうけど、俺はこの町の生まれで、実家通いのお手軽冒険者だから、タープや、ランプ、飲み食いするための食器などは必要ないし、宿代だってかからない。そういう意味で、あまり金は使わなくて済んだのは恵まれていると思う。
でも、稼ぎは必要だ。
冒険者になった日。俺は初めて森に入った。
魔物よりも、森で迷う方が危ないと感じた俺は、初めは森のかなり浅い、それこそ森の外が見えるような場所で、スライムを探した。
森の浅い場所を広範囲で探すように歩き回り、なかなか見つからないな、なんて考えていた俺の背後から衝撃が襲ってきて、前につんのめって転んだ俺は、何者かの猛攻を受けて蹲った。なんとかして立ち上がってから森の外へ向けて駆け出し、外へ出たところで後ろを振り返るとそこにいたのはスライムだった。
その日はなんの収穫もなく、早々に東門に帰った。転んで土まみれのボロボロになった服は、事前にある程度整えていたので、その時は兄貴にバレてはいなかったと思う。「初仕事の収穫はあったか?」と俺に笑いながら聞く兄貴に対して、俺は「今日は森の偵察だけだからねーよ」と返して、東門を後にした。
その時は、明日からどうしようとばかり考えて、不安でしょうがなかった。
次の日、なんとか1匹、スライムを倒した。その次の日は5匹。以降は、1日5匹のペースで倒している。1日の稼ぎは銀貨1、銅貨7。今の3倍は稼がないと、食っていけない。
だというのに俺は、今だに森の奥へ進めないでいる。
魔石の買取は、明日の朝でいいか。
そう思って、家に向かって歩いていると、馴染みの店から、知り合いが出てくるところに遭遇した。
「あ、ヴェニー。今帰ったんだ」
「おう、お疲れ様、ホミィ」
茶色い髪を肩口あたりで切り揃え、仕事でついたのだろう、頬に真っ黒な炭跡を付けて、額に汗を浮かべた女。オーバーオールっていうらしいが、革製のエプロンみたいな服を着ている。仕事上、この服装が便利なのだろう。服にも、至る所に炭跡が付いている。
この鍛冶屋の、跡取りだ。
「今日はどうだった?」
「ぼちぼちだよ」
「またそれ?昨日もだったじゃん」
「じゃあ、ぼちぼちぼちだ」
俺の冗談に、ホミィがにししと笑みを浮かべる。
「そんなナマクラじゃ、魔物なんて狩れないよ」
そう言って、俺の腰に差している短剣を指差す。
「お前が今出てきた店で買ったんだけどな」
「じゃあせめて、防具を買って行きなよ。命がいくつあっても足りないよ」
「前も言っただろ、金がないんだよ。貯まったら買うさ」
「この辺の魔物相手なら、武器よりも防具を買うべきだって、口を酸っぱくして言ってやったのに、全然言う事聞かないんだから、怪我しても知らないからね」
「男は防具より武器が好きなんだよ、じゃあな」
そう言って、横を通り過ぎて、家へと向かった。
◾️◾️◾️
家に付いて、先に井戸で顔と短剣を洗ってから、布で水気を拭きとる。夕方の冷たくて心地良い風が、頬を撫でる。
母さんに帰りを告げて、部屋に荷物を置く。少し休憩しよう。
ベッドに横になって、今後のことを考える。今日のような狩りをいつまでも続けていてはダメだ。
「スライムより先に相手の位置がわかればな。怯えなくて済むし、森の奥に入れるようになる。そうすれば数を狩れるんだけどな」
魔物は、森の奥に行けば行くほど、数が増える。森の入り口だけだと、どうしても効率が悪い。
「狙いを変えるか?ゴブリンなら、討伐依頼をやれば報酬と、魔石も手に入るし」
ゴブリンを倒しても、素材買取箇所は得られないが、積極的に人家に悪さをする魔物として、よく討伐対象になっている。報酬を得られる分、スライムを狩るよりも短期間で金を稼げるだろう。
「でもスライムよりも格上だし、まずはスライム相手に先制攻撃が出来るようにならないとな、もう少し我慢だな」
まだたった1週間だ。俺が、宿屋を諦めてから。
◾️◾️◾️
少し休んでから、母さんの手伝いに行く。
成人したのに、住む所も飯も未だに世話になっている。その方が効率が良いとはいえ、世話になりっぱなしはバランスがよくない。
「こっち、片付けておくからな?」
母さんが忙しそうに走り回っていたので、適当に仕事を見繕って手をつけ始める。
「あんたもそれが終わったらあっちで食ってきな!」
大声でがなり立てられる。別に、怒っているわけじゃないのは知っている。
「ほぼやることねえじゃねえか」
休まなければよかった。バランスが悪い。
手持ち無沙汰になってしまったので、言われた通り飯を食いに表に出る。飯はその辺に1人分だけ置いてあるやつを勝手に持っていく。多分俺の分だろう。
テーブルに向かうと、客らしき女が飯を食っていた。
女物の服のことなんてわからないので適当だが、首と肩回りが露わになった白いふわふわしたやつと、革製のように見える黒いコルセット、ひらひらしたひだ飾りがついた赤茶色のスカート、膝丈の長いブーツ。この辺じゃ見ない格好だ。
背丈は座っているので分かりにくいが、俺より頭半分は低いだろう。顔は、俺と同じくらいの年齢に見えるが、やけに整っている。銀縁の眼鏡を掛けていて、頭が良さそうだ。黒髪を何やら首の後ろでぐるぐるしている。下ろせば長そうだ。
そんな女が、母さんの用意した飯を食って表情を次から次へと変えている。
つまりは、目立つ格好をした変な美人の女だ。
「うまいのかまずいのかよくわからない飯だよな」
黙って同じテーブルにつくのもなんだと思ったから、適当に声をかける。
「えっと……美味しいですよ?」
飯の味と同じような表情で女が言う。
「気を使わなくていいんだよ、毎日食ってる俺がそう言ってるんだから」
「長く泊まっているんですか?」
「いや、ここの息子」
「息子さんって、サーティスさんだけじゃないんですか?」
なんだ、兄貴のことを知っているのか?ああそうか、東門からきたのか。
「兄貴は長男で、次男が俺。あんたは?」
「えっと、リンと言います。夕方、冒険者になりましたね、昼頃は無職でした」
思わず笑ってしまう。なんというか、初対面で冗談を言ってくる女は、初めてだ。距離の詰めかたが面白い。
「フフッ、あんた面白い人だな。俺はヴェニー。俺も冒険者だよ、先輩って呼んでいいぜ」
「何言ってんだい!たった一週間で先輩を気取るんじゃないよ!」
奥から横槍が入った。
母さんめ、冗談なのに俺が本気で言ったみたいになっちまったじゃねえか。
「先輩は次男なんですよね?サーティスさんもそうですけど、《竜の止まり木》を継がないんですか?」
リンが、揶揄うような笑みを浮かべながら、嫌なことを聞いてくる。
「悪かった。ヴェニーって呼んでくれ。
兄貴は今は兵士をやってるけど、後何年かしたら辞めて店に戻ってくるんだ。今は他所で雇われて稼いで、金を貯めてる途中さ。だから、次男の俺は店にはいられない。別に元から冒険者になって荒稼ぎしてやろうって思ってたからいいんだけどな」
なるべく、違和感なく、流れるように嘘を言えたと思う。
「リンはどうなんだよ」
俺の身の上話は面白くないから、リンに振る。
「わたし?わたしはなんとなくかな」
なんだよ、なんとなくって。
「なんとなくで冒険者がやれるのかよ」
「わたしは旅人で、今まで働かずにもともとあったお金で生活してたんだけど、路銀も少なくなったから、仕方がなく冒険者になったよ。強いて理由を挙げるとしたら、他にやれることがなかったから」
他にやれることがなかった、か。
同じ、なのか?
「そうか、まあそういうやつも、いるんだろうな」
さっさと片付けて寝てしまおう。
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