第10話 洗濯と屋台(2日目:ヴェニー)

 1日の始まりを、ちゅん、ちゅん、と小鳥の囀りが告げる。


 目を覚ますと、体に違和感があった。


 胸にも、股にも下着を着ていなかった。たまに起きる現象だ。


 寝具が変わったり、暑くて夜、寝苦しかったりすると、身につけている服を無意識に脱いでしまうことがわたしにはよくある。多分、わたしだけじゃないはずだ。


 わたしはこの現象を、『サキュバスさんに襲われた』もしくは『サキュバスさんが来た』と命名している。


『妖精さんが来た』みたいでなんか可愛い表現だと思っている。


 用例としては『昨晩はサキュバスさんが来たせいで、今日は寝不足だよははっ』って感じで使う。前世なら人に聞かれたら正気を疑うセリフだ。今世では現実に起こりうるかもしれないけれど。異世界だし、淫魔や吸血鬼くらいその辺の草むらから出てきそうなものだ。


 ところで、サキュバスと対になるのはなんだったか。サキュバスが女の淫魔で、もう片方が……まあ、どうでもいいや。


 まだ脳が半分寝ているみたいだ、だいぶ下らないことを考えてた。


 体を起こして、その辺に放られている下着を見つけて着てから、ステータスをチェックする。


 魔力は全回復していた。十中八九、回復しているとは思っていたけど、不安ではあったので、安心する。


「さて、今日の予定を決めようかな」


 お腹が空いたし、お金を稼がなきゃいけないし、情報集めも大事だ。とりあえず実行順に頭の中で箇条書きにする。


 1:身支度を整える

 2:洗濯して干す

 3:腹ごしらえする

 4:ギルドで情報集め

 5:スライム狩り


 こんなところだと思う。多分、しばらくはこの生活が続く。でもいつまでそれを続けるんだろう。


 お金を貯めて、物資を整えて、強くなって。わたしがその先でどうなりたいのかはまだ、わからない。




 櫛を入れて、髪をとかす。

 今日は髪型をポニテに戻して、眼鏡を外してみよう。結ぶのは少し高めのところにする。それだけじゃつまらないので、スカーフをポニテの尾元に結んで隠す感じにする。うん、シンプルだけど可愛い。今日はこれで行こう。


 下着に、ブラウスとスカートを着て、洗濯物などを自前の桶に突っ込んで、一回に降りる。コルセットは着ない。井戸に向かうだけだから必要ない。


 昨日体を拭くのに使った湯桶は、廊下に出しておく。女将さんが回収してくれると言っていた。自分で下まで持って行ってもよかったけれど、女将さんには女将さんの段取りというものがあるだろうし、親切には甘えておこう。


 1階に降りて、井戸へと向かう。昨日教えてもらった戸口を抜けると、5メートル四方くらい庭の中央に、小さな東屋みたいな設備と井戸があった。


 滑車を使って、井戸から水を汲む。結構重いけど、なんとかして上まで持ち上げた。手で救って顔を洗う。毛穴が閉まるような冷たさに、完全に目が覚める。


 顔を拭いてスッキリしたところで、次の作業に取り掛かる。誰か他の人が来る前にやりきってしまおう。


 井戸の水を桶に移し、洗濯物を入れ、追加で秘密兵器の木の実を入れる。昨日森で手当たり次第に鑑定した時に見つけた、《メケワズの実》だ。水につけて擦ると泡立つらしい。ちなみに種の1部分だけらしいけど、食べられるようだ。


 布で木の実を包んで、散らばらないようにしながら、桶の中で揉むと、面白いくらいに泡立つ。つい楽しくてやりすぎてしまった。準備できたので、洗濯物を入れて洗っていく。


 洗濯物を洗うついでに、泡を二の腕の内側に塗って、しばらく放置してから洗い流す。アレルギーの簡易パッチテストのつもりだけど、大丈夫かな。今日の夜に肌が赤くなっていないか確認して、影響がなければシャンプーとして使いたい。昨日の夜に初見で使うのは、リスクが高すぎたからやらなかったけれど、洗髪問題は早くなんとかしたい。


 水を換え、洗濯物をすすいでから、できるだけしわにならないよう、押すように絞り、ぱんぱんと振って水気を飛ばす。

 洗濯はひとまず終わった。部屋に戻って干したら、町に出かけよう。出先で喉が渇いたら、いつでも水が飲めるように、水筒に水を入れておこう。水魔法で桶に水を出して、入れ替えておく。井戸の水が飲用に適しているのかどうか、わからないしね。水魔法を取得しておいて本当に良かった。


 戸口を通って宿の中に戻ると、女将さんとヴェニーくんと出会った。


「おはようございます、今日は天気が良くていい洗濯日和ですね」


「おはよう、そうだね、私も今から取り掛かるよ。それよりリン、あんた髪型どうしたんだい、眼鏡も外しちゃって。良いじゃないか」


「ありがとうございます。ちょっと、気分を変えようと思って。眼鏡は伊達ですし。どう、ヴェニー、似合ってる?」


 ヴェニーくんが先ほどからなんだか呆けた顔をして黙っている。揶揄うつもりで、うなじを見せつけるように首を傾けながら話を振ると、なんだか今度はあたふたし始めた。悪女ロールしすぎたかもしれない。


「えっと、その、あー、……悪くないぞ」


 首のあたりを指で掻きながら、感想をくれた。照れているようだ。可愛い反応に思わずわたしも笑みが溢れる。お礼を言おうと思ったのだが、女将さんが割り込んできた。


「あんた馬鹿だね、こういう時は、昨日も可愛かったけど、今日の方が好き、だとか、そういう気の利いたことを言うんだよ。だからモテないんだよ」


「うっせえよ!……俺出かけるから!」


 そう言ってヴェニーくんは走り去ってしまった。


「あー行っちまった。悪いね、息子ながら、甲斐性がなくて」


「ふふっ、いいえ、なんだか反応が若くて可愛らしくて、癒されます」


「若くて可愛い、ね。まだ13歳だけど、もう13歳なんだよね……心配だよあたしは。そういうリンはいくつなんだい?15歳くらいかい?」


「えーっと、内緒です。13歳より、若いかもしれませんね」



 ◼️◼️◼️



 部屋に戻ると、廊下に置いた湯桶が無くなっていた。わたしが井戸に行っている間に、女将さんが片付けてくれたようだ。ありがとうございます、と心の中で礼を言う。


 部屋に入って洗濯物を干そうと思って、手持ちのロープをかけれそうな場所がないか探す。

 部屋の角の少し高めのところに、釘が打ち付けてあって、それに細めのロープが吊るしてあるのを見つけた。対角の位置にも同様に釘があったので、多分洗濯用の設備だろう。ありがたく使わせてもらう。


 洗濯物を干し終わる。2つある小窓を両方開けて、風通しをよくしておこう。


「よしっ!洗濯終わり!」


 洗濯物自体は、昨日1日分の下着と、ボロ布だけだったのでそれほど時間はかからなかった。明日からは2、3日に1回でいいだろう。天気予報のない世界なので、空の様子を伺っていくしかない。


 この後は、お腹が空いたので、適当に露店で果物でも摘んで、そのまま冒険者ギルドで情報収集、時間を見つつスライム狩りだ。


 1階に降りて女将さんに一声かけようとした所で、ゴーンという音が聞こえる。時間を告げる鐘の音だろうか?そういえば鐘の音について詳細を聞くのを忘れていた。挨拶がてら女将さんに確認しよう。


「この鐘の音なんですけど、今のって何回目の鐘なんですか?」


「これは2回目の鐘だよ、当たり前じゃないか」


 女将さんに不審に思われているようだ。なんかまずいこと言ったかな、わたし。


 女将さんがいうには、時刻を告げる鐘は日の出と同時に1回目、太陽が真上に来た時に3回目、日没と同時に最後の5回目を、街の西の鐘楼で、係の人が鳴らすのだそうだ。2回目と4回目の鐘は、ちょうど中間の位置に太陽が来た時に鳴らすらしい。ざっくり6時、9時、12時、15時、18時で覚えておけばいいかな。今まで旅人にも聞かれたことがなかったそうだから、どこの町でもそうなんじゃないのか?と逆に聞かれてしまった。


「わたしが今までいたところでは鐘の音が2種類あってですね……あっそろそろ出発しますね、5の鐘が鳴る頃には戻ります」


 咄嗟に言い訳したが、深く突っ込まれたら嘘を重ねてしまう。出かけると言って逃げ出した。


 ギルドに向かう途中で、屋台からいい匂いがしてきた。気になって見てみると、肉っぽいものに木の串を刺して焼いているようだ。横の看板には『串焼き1本銅貨5枚』と書かれている。


 見ていると、肉を焼いているおじさんに、声をかけられた。


「お嬢ちゃん、1本どうだい?涎垂れてるぜ」


 おじさんはそう言って指で自分の口角を指す。焦って手の甲でゴシゴシと擦るけどついてないじゃん!揶揄われた!


 眉を顰めておじさんを睨むと、企みが上手くいったのが楽しいのかニヤニヤ笑いながら言う。


「怒った顔も可愛いなあ、ほらほら、2本目も買ってくれたら少しサービスするからさ」


「……1本ください」


 揶揄われたことに腹が立つ。だけど美味しそうだし、もうお肉を食べるお腹になっちゃったので、不満な素振りを前面にだしつつ、1本注文した。


 硬貨を差し出して、代わりに1本もらう。3ミリくらいの厚さの1枚の肉が、折り曲げられて2回、串を打たれている。それが3枚。


 1枚。……美味しい。味は、塩味と、山椒のような風味を感じる。食感は、羊の肉に近い。でも、羊特有の臭さがあまりなく、それでいてハーブなどの香りもしない。十分な厚さがあるため、程よく歯応えを感じて、それでいて身が解れやすい。1口大に揃えられたサイズからも、食べやすさに工夫を凝らしているのがわかる。残りの2本の肉を見ると、薄く何本かの切れ込みが入っている。これが柔らかさの理由かな。このおじさん、なかなかやるな。


 2枚目を口にする。美味い。最後の1枚を食べる。美味い。無くなってしまった。物足りない。そもそも肉のサイズがあまり大きくないのと、枚数が3枚と言うのもずるい。2本目が食べたくなるに決まってる。


「これ、なんのお肉を使ってるんですか?」


「2本目を買ってくれたら、教えてあげたくなるかもしれないな」


 ムカつく。


 銅貨を5枚差し出す。おじさんは4枚だけ受け取ってから、串肉を渡してくれた。


「ありがとうございます。それで、なんのお肉なんですか?」


 ハムハムと肉を食べる合間に聞いてみる。


「アサルトシープの肉だよ、ベルティオル王国はどこでもシープが走り回ってるけど、特にマリスラは数が多いからな」


 おっ、新情報だ。ベルティオルね。あとシープっていうくらいだからやっぱり羊なんだろうけど、魔物なのかな。無知を晒しそうだから、そこまでは聞けない。


「前に、同じようなお肉を食べたことがあったんですけど、ちょっと臭みが強かったんですよね。なんか秘伝の技みたいなものってあるんですか?」


「特に臭みを取るようなことはしてないけどな。……お嬢ちゃん、もしかして鉄板で焼いたやつを食ったんじゃねえか?シープの肉は確かに臭みがあるが、あれは油が臭いんだよ。串焼きだと油が落ちるからな、多分それじゃねえか?」


 なるほど、参考になる。確かにジンギスカンは油が鍋の縁に溜まるし、タレの小皿にも溜まるし。


 いい情報を聞いた。商売上手な屋台のおじさんにごちそうさまと、ありがとうのお礼を告げて、わたしはギルドに向かった。







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