第17話 嘘だらけ
『君たち、何してるの?』
ルステムの冷たい視線がアスランを捕らえた。絶対に勝てない敵に狙われた小動物のように、体が動かなくなる。アスランの額に雫が光る。
『その、手に抱えてるものは何?』
腕を組み、壁にもたれる。アスランが答えるのを待っていたが、少しして大きくため息をついた。
『この国のことには関わるなって伝えたよね?師団の隊員は今、とある犯人を血眼になって探してる』
「僕たちをですか!?」
『正確には、まだ君たちと確定したわけではない。予測の段階だ。先ほど師団上層部から連絡があった。見回りの警備員が、工場の裏の森をうろつくふたりの人間の姿を見たと。特徴も報告されてた。そしてその特徴から俺は、犯人が君たちじゃないかと考えている』
ルステムがアスランに近づいた。木の床を削るように革靴の踵を擦る。
『アスラン、髪が濡れているが、風呂に入ったにしては砂だらけだな』
ここで認めてしまうと、サムまで道連れにすることになる。そして、返答に迷うことは、自分が犯人だと認めることになる。ここはうまく嘘を吐こう。3秒ほどでそう判断し、視線を上げると同時に口を開く。
しけし、アスランの唇は少し開いたまま、動きを止めた。
ルステムの灰色の瞳は、一瞬の揺らぎも見逃さない。きっと、自分が愚かな決断を下すことも想定内なのだろう。考えてみれば、ルステムはいつだってそうだ。彼の瞳は、この世の全てが見えているかのようで、この人に嘘をつくことほど無駄なことはない。アスランはそう考えた。
「‥‥海で、‥‥これを見つけました」
抱えていた、運動靴を前に差し出した。
『中身は?』
「‥‥人間の足でした」
ルステムは目を瞑り上を向いたまま、少しの間動かなかった。
『このことは、まだ誰にも話してない?』
「はい」
その時、廊下の奥から数名の隊員が歩いてくる声が聞こえた。
『部屋に入ろう』
ルステムは、人差し指で部屋を指差した。中に入ると椅子に腰掛けた。アスランとサムは隣同士でベッドに腰を沈める。
『嘘をついたら、殴って、上層部に突き出そうかと思ってた。これは冗談じゃない』
ルステムは、つま先をふたりの方へ向けた。
『君たちが犯したことは、この国の刑法に違反する。君たちには死刑判決が下り、ご両親には作業中の事故で亡くなったと伝えられる。 この国はイカれてるから』
「作業中の事故‥‥」
『この国が何を始めようとしているか、君たちがずっと探していたことを、今から教える』
夜8時。
秋の夜の月は、作り物のように丸く、美しかった。ありかを知らせるように、部屋の中が月の光で満ちている。
『この国は昨年、隣国を含む3カ国と同盟を組んだ。もうすぐ、戦争が始まる』
「この国が戦争を‥‥では、僕たちが造ってきた軍需品は、これから起きる戦争に使われるということですか。あの飛行機も」
『あぁ。ここで作った爆弾たちが雨のように降り注いで、敵国を火の海へと誘う。あの飛行機には、疾風隊が乗ることになるだろう』
『‥‥それはつまり、軍需品を輸送する役割ということですか』
サムの問いかけに、少しの沈黙が流れた。
『そうか。ファルクには、輸送用の飛行機だと伝えていたな。彼が純粋で助かったよ』
「‥‥特攻」
ルステムは、斜め上を見ていた視線をアスランに移し、見下ろすようにすると、また視線を上へと戻した。
『王政は、空の警備隊なんて異名をつければ、夢と希望を持った、若く志の高い戦士たちが集まってくると考えた。いずれは国のために翼を燃やし死んでくれる白い鳩たちがね』
それからルステムは、彼が知る限りのこの国の歴史について話し始めた。
『25年前から、戦争を始めるための準備が水面下で行われていた。国の金のほとんどは戦争への準備に費やされた。軍事機器の研究、工場の設立、環境整備、国防のためだと謳われ集められた若い隊員の育成、そして、国民の記憶を消失させる薬の研究』
『‥‥記憶』
『20年前に起きた隕石の墜落。あれは隕石なんかじゃない。王政が海の底を爆破し、深い穴を作ったんだ。製造に失敗した軍需品を捨てるためのゴミ箱だった。そしてそれを占い師に予言してもらった。国民は、この海が我々を守ってくれたんだと大喜びし、マケイラを信じるようになった。人々の心を操りやすくしたといううわけだ。しかし、反対する者たちもいた』
「王政批判団体ですか」
『そうだ。彼らを完全に従わせることは難しかった。その上、この国が戦争を始めようとしていると知れば、どんな暴動を起こすか分からなかった。そこで、国民の記憶を消失させる計画が始まった』
その計画はルステムが17歳の頃に始まったという。
ある日、工場で作業をしていたルステムとセヘルはティムールに呼び出され、国の秘密について、そして記憶を消す薬の開発について知った。その後ふたりは、ティムールの下で薬の研究に携わることになったのだ。耐えられなくなったセヘルは自害し、他の人間も死んでいく中、ルステムだけが生き残った。
昨年、記憶を消す薬が完成すると、一気に接種が始まった。感染病対策だと言えば、国民は喜んで接種した。対象は、副作用を起こしにくいとされる16歳以上の国民全員だった。
『あの海の中には、薬の人体実験に使用された隊員たちの死体がゴロゴロと沈んでる。初めの頃は副作用で暴れ出す奴もいて、そいつらは全員、腕と足を切り落とされ海に沈められた』
ルステムは、下を向き、自分の手のひらを見つめた。
『全員、俺が殺したんだ。海の秘密を知った愚かな製造部隊の人間も、同い年の兵隊たちも‥‥セヘルだって‥‥みんな‥‥俺が殺した』
『僕のおじいちゃんの記憶が薄れていっているのも‥‥』
『あぁ、薬の効果だろう。1年かけてゆっくりと消えていくようになっている。記憶がなくなれば、意思を失くし最後には死ぬが、その前に戦争で焼けこげることになるだろう』
「疾風隊にいる僕の友人も、記憶が無くなっていました」
『第七の隊員たちには、無条件で薬を接種するようにしている。副作用が出れば処刑、薬が効けば、幼少期の幸せな記憶から消えていく』
月は雲に隠れてしまった。部屋の中は薄暗い。
『どんな大国もいつかは滅亡する。この国は、戦争が始まればすぐに滅びるよ。ティムールとマケイラに力を持たせすぎたんだ。俺がここに来た時には、王政はほとんど機能していなかった。こうなってしまったら、もう、どうすることもできないんだ。嘘だらけの国さ』
伝えられた真実に、ふたりは何を言えばいいのか分からなかった。いや、あまりの衝撃に心が感電してしまい、意識を失いかけていたという方が正しいかもしれない。
『なぁ、アスラン。君は、ここが自分の居場所だと思うか』
しばらくしてルステムが口を開いた。
アスランは、迷わなかった。
「いいえ。思いません」
ルステムが顔を上げた。そして、微笑んだ。
『あと、2時間だ』
「え?」
『聖海祭の警備にあたっていた師団たちが、一同にこちらへ向かっている。2時間後には寮内で調査が始まる。指紋をとられたら、君たちふたりが犯人であることはすぐにバレる。両足切られて、明日には海の中だ』
「それは、つまり‥‥」
『今すぐにここから出ていけ。大切な友人も連れて』
ルステムの言葉にふたりは顔を見合わせた。
『‥‥アスラン、行こう!』
悲しみを堪えるサムの瞳の奥が、小さな声で怖いと言っていた。しかし、選択肢はない。僕たちに残されている道はそれしかなかった。
「うん!」
『僕、ジェラールを呼んでくる!』
サムが飛び出し、静まり返る部屋の中。アスランは、机の中に隠していた1枚の写真を、ルステムに見せた。
「ルステムさんが言っていた、海の秘密を知った愚かな製造部隊員とは、この人ですか」
ルステムは立ち上がり、後ろ向けの写真を受け取った。ゆっくりと裏返すと、ハッと息を吸い、手から写真が離れ、ひらひらと床に落ちた。指先が少し震えている。
『これは‥‥』
「僕の父です」
外から、空を切る風の音が聞こえた。
『君と初めて会った時、どうして君を故郷に帰そうとしたのか、真相が分かった気がするよ』
「あの時は、セヘルさんの面影を感じたからとおっしゃっていました」
『もしかしたら、君の瞳があの人に似ていて、怖かったのかもしれない』
「ルステムさんは、この後どうなるんですか」
『どうって?』
「僕たちが逃げた後です」
『君のお父上の後を追うことになると思う。当然さ。自分の部下が海の秘密を知って、姿をくらませたんだから』
「僕たちと、一緒に行きませんか」
ルステムは少し驚いた顔をして、柔らかく微笑んだ。
『ここに長く居すぎた。俺の居場所は、他にはない』
椅子に座るとポケットからタバコを取り出し、マッチに火をつけた。目線はアスランの足元に向けられている。
『‥‥最後に、償いはできたかな』
静かな部屋には、雫が一滴、木の板に落ちて弾いた。
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