第14話 失われた記憶



『アスラン!昨日のこと、ちゃ〜んと説明してよね』


「なんのこと?」


『隠しても無駄だよ。どこかへ走って行ったじゃないか。誰かに会いにいくみたいに嬉しそうな顔してさ』


「そんな顔してた?誰とも会ってないよ。ルステムさんから、報告書を代理で届けるよう頼まれただけ。急いでたんだ」


『え〜、そ〜なの〜?絶対に何かあると思ったのに』


期待外れの答えに、サムは唇を尖らせた。


ジーベルのことは、このふたりには話していなかった。秘密にしたいわけではない。どんな風に話したらいいのか分からないだけだ。友人、幼馴染、以前ならそう紹介することもできたけれど、なぜかジーベルは、村でのことを何も覚えていなかった。この2年間の間に、他人になってしまっていた。


それでも、アスランは嬉しかった。昔のことを忘れてしまっても、ジーベル自身は何も変わっていなかった。青い瞳を見て、まっすぐな心に触れれば、すぐにあの頃の彼女を見つけることができた。だから問い詰めることはしなかった。不思議と寂しくなかった。またこうして話せてよかったと、その気持ちだけが心に浮かんでいた。



「あれはなんだろう」


フェンスの向こう。複数の男たちが大量の木板をトラックに積み込んでいた。


『もうすぐ聖海祭だから、設営準備だよ。去年は台風で中止だったから、今年は盛大にやるよきっと。いいなぁ〜、僕も行きたいなぁ』


聖海祭。もうそんな季節になった。後ろからトンボが飛んできて、アスランたちの間を通り抜けた。寮に植えられた木々は、最近になり黄色に衣替えを始めた。頬を撫でる風は、軽く、心地よい温度だった。



「僕も行ったな、昔」


『ジェラールは好きな子と行ってたよね?そういやあれからどうなったの?』


つなぎのボタンを留めながらサムが訊ねた。

突然の質問に、ジェラールの顔は一瞬にして薄桃色に染まった。


『なっ!!忘れたよ昔のことなんて!』


『またまた〜、彼女への手紙を共に考えたあの夜を、僕は忘れてないよ』


「へぇ!ジェラールにもそんな人がいたのか」


『うるせー!』


コツンとサムのヘルメットを小突くと、足早に中央館へ入って行った。


『多分、祭りの後にフラれちゃったんだ。誰にでも苦い思い出はあるよね〜』


「サムも好きな人いた?」


『んー、どうだろ』


アスランの顔を見て、少し微笑んだ。





昼食を終えた3人は、工場に向かい歩いていた。後ろから、サムを呼ぶ声がして足を止め、振り向いた。サムの上司である、ケナン班長だった。


『これお前さんに。昨日届いていたんだが、遅くなってすまんな』


渡されたのは白の便箋だった。


『わぁ!!ありがとうございます!!』


両手で大事そうに受け取ると、差出人の名前を確認し、クシャッと便箋を抱きしめた。


『手紙か?』


『そう!きっと妹からだ!いや、おじいちゃんかもしれない!嬉しいなぁ』


アスランは、ジェンギスとの約束を思い出した。


「サム、手紙ってどうやって出すの」


『ルステムさんから申請書もらってない?』


「うん、僕の番長は結構テキトーなんだ。何かルールがあるの?」


『教えてあげる。夕食後部屋に行くよ。細かい決まりがあるんだ』


「うん、ありがとう」



その時だった。ピーと滑走路の警音が鳴り響き、赤い警光灯がくるくると回り光った。格納庫のシャッターがガラガラと音を立て、現れたのは、白い羽を広げた中型ジェット機だった。


『うわぁー!聖海祭で飛ぶジェット機だよ!試験飛行をするんだ!今年は誰がパイロットに選ばれたのかなぁ』


ダブルボタンの青い制服。袖には黄色の2本線。黒い革靴を履いた6名の疾風隊隊員が、青い空の下、敬礼をしながらジェット機の登場を待っていた。



「僕の友達、あそこにいるんだ」


『え?!友達、疾風隊なの??!すごいね!!』


横並びになる6名の隊員。その1番端に、頭ひとつ分背の低い後ろ姿が見えた。



「がんばれ」



遠い背中に囁いた。

強く風が吹き、アスランは思わず一歩を踏み出した。


『あなたもね』


アスランには、風がそう言っているように聞こえた。




午後の作業を終え、帰り道。疾風隊も訓練を終えたようで、滑走路はシンと静かだった。格納庫のシャッターは下りていた。夕日が沈んで、暗くなってきた。外灯がついている。空気は少しだけ冷たい。視線を前に戻し、滑走路を通り過ぎようとした時だった。 



『アスランさーん!!』



視線をすぐに滑走路に戻し、声の持ち主を探す。右前方50メートル、濃青色の中で手を振るジーベルを見つけた。嬉しそうに走って近づいてきた。アスランの体も引きつけられるようにジーベルへと向かった。


『ごめんなさい引き止めてしまって‥‥ハァハァ』


右手を胸に当て、呼吸を整える。


「いいや、会えて嬉しい。訓練、お疲れ様」


『そうなんです!私、疾風隊に選ばれたんです!今朝名前を呼ばれた瞬間、全身が震えた。なぜか、この気持ちをアスランさんにも伝えないといけない気がして』


「待ってたの?」


『はい。先輩にお願いして、少しだけ待たせてもらったんです。ほらあそこ』


指差した先には、ひとりの男性隊員が立っていた。


『もう10分も待たせちゃった。それでは』


「待って」


白く細い手首を掴んだ。


「ジーベルおめでとう。夢が叶ったんだね」


ジーベルは微笑んだ。


『ありがとう!でも、私の夢はまだまだ続くんです』


ゆっくりと指が解かれ、ジーベルの細い手首はするりと離れた。そして最後に一度、ヒラヒラと手を振ると、煙のように濃い青の中に消えてしまった。


『例の友人?』


「うん」


ポケットに手を突っ込み歩き始め、少し進むと立ち止まり、振り返った。息を吸う。夏と秋の真ん中は、切ない匂いで満ちていた。




夕食を済ませると、床に広がる洗濯物をかき集め、洗濯室へ向かった。10台並んだ洗濯機はどれも使用中だった。夏の間に奥の2台が故障したので、稼働しているのは実質8台である。

アスランはひとつの洗濯機の前に、自分の洗い物を置き、部屋へ戻った。

扉にもたれ三角座りをするサムの姿があった。



「サム、どうした?」


『どうしたって、手紙の書き方!教えるって言ったでしょ!』


「あ!忘れてた!ありがとう入って」


『まったく!』


「ごめんごめん。どこでも座って」


ぼふんっと音を立て、遠慮なしにベッドへ腰掛けると、1枚の紙をアスランに見せた。


『これが手紙を書く時の決まり。10項目ある。こっちが申請書の書き方だよ』


そこには、製造物の機密情報や個人名の口外禁止等、内容についての規定が細かく記載されていた。書いた手紙と一緒に書簡申請書を提出し、郵政局が内容を確認後、許可が下りれば発送される、という手順だった。


『ほんっっと、めんどくさいよね。手紙ひとつ書くだけなのにさ』


「これじゃあ何も書けないな」


『元気ですか〜?とか、当たり障りのないことしか書けないよ』


「サムは?手紙書くの?」


ベッドにさらに深く座り込んだサムは、『それがね』と話し始めた。


『おじいちゃんの記憶が、だんだん薄れてるみたいなんだ』


「認知症?」


『分からない。突然だって。昔の記憶がすっぽり抜かれたみたいだって、手紙には書いてあった。昔王政と戦っていた時のことも、半分は忘れてしまったって』


重たい空気を背負ったサムは背中を丸くし、ふたりは沈黙した。椅子に座っていたアスランは、サムの隣に腰掛けた。


「僕にはね、ジーベルという友達がいたんだ‥‥いや、僕はジーベルのことが好きだったんだ」


アスランはサムに、ジーベルの話をした。学校で彼女が挨拶をした日、一目惚れをしたこと。近づいたと思えば、枝が左右に別れ伸びていくように、ふたりは別々の道を進んだこと。再会した時には記憶がなくなっていたこと。



『そんなことがあったんだ』


「でも、不思議と悲しくはなかったんだ。こうしてまた会えて、話せたことの嬉しさの方が大きい」


『記憶がないなんて‥‥』


また、沈黙が流れる。それを破ったのはサムの方だった。


『あの写真、アスランのお父さん?』


「そう。正直、ほとんど覚えてないんだ。父さんも王政の製造部隊にいたみたいだけど、僕が小さい時に亡くなった」


『そうなんだ』


アスランが写真立てを持ち上げた瞬間、裏板が外れ、写真がひらりとサムの足元に落ちた。

サムはそれを拾おうとして、手を止めた。


「サム、どうした?」


『何か書いてある』


「え?」


『ほら』


それは写真の裏側に薄く残っていた。鉛筆で書いた後に消されたようだったが、かすかに文字が見えた。アスランはサムから写真を奪うと、電球の下に移動し、顔を近づけた。



"う み の な か を み よ"



「"海の中を見よ"って書いてある」





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