第13話 いざ、師団の寮へ
金属がぶつかり合う音が響く。アスランも無心でハンマーをふり落とす。いつもより、少しだけ早く作業を終わらせていく。
『アスラン、今日も調子が良さそうだなガハハハ』
『そこっ!私語はつつしめ!』
『けっ、うっせーな』
話しかけてきたファルクにも構わず、ひたすらに鉄皮を打ちつけていく。何も考えなかった。体だけがその動きを覚え、勝手に動いているようだった。理由は、ただひとつ。
就業のチャイムが鳴った。アスランは、チャイムと同時に南館を出て廊下を走っていく。外から差し込む光には橙色が混ざっていた。
中央館へ続く扉を勢いよく開けると、目を見開いたルステムの姿があった。
「失礼しました!聞きたいことがあって、ルステムさんを探していました」
『異動願い?あ、ファルクの声がでかいとか?』
「いいえ!」
『冗談だよ。悪いが先約だ。先に夕食を済ませて7時ごろ部屋に来てくれ』
分厚いファイルを2冊抱え、ルステムは南館へと入っていった。中央館の中をひとり歩いていると、後ろからサムの声が聞こえた。
夕食を済ませると、アスランは、一度自分の部屋へと戻った。スイッチを入れると、暗闇に気持ち程度の光が灯る。そのままベッドに寝転んだ。
昨日からずっと、頭に貼り付いて離れないのは、ジーベルのことだった。
あの後、同じく名を告げたアスランに対しジーベルは、『はじめまして』と手を差し出してきた。契約を締結するような堅苦しい挨拶に、アスランは戸惑いながらも、差し出された手を受け取った。本気なのか、演技なのかは分からなかった。他の訓練生もいた手前、くだけた会話をするのが難しかったのかもしれない、とも考えた。
ただひとつ、心に浮かんでくるのは"もう一度会って、ふたりで話したがしたい"ということだった。時計を見ると、時間は6時50分。月の光だけが頼りの洗面所。アスランは冷水で顔を引き締めると、ルステムの部屋へ向かった。
ノックをしようと腕を上げた瞬間、『どうぞー』と中から声が聞こえた。ハッとしたアスランは腕を下ろし、「失礼します」と挨拶をして扉を開いた。
『君から俺に話って初めてじゃない?嬉しいなー、上司っぽい』
「でも、そんな大したことではないというか」
「失礼します」と告げ、アスランはベッドに腰掛けた。
『恋の悩み?』
体が硬直した。全ての過程を吹っ飛ばし、いきなりゴール手前に敵が現れ、緊張が走る。まどろこしい聞き方をしないところがルステムらしいなとアスランは思った。心臓の音が大きくなる。
机に肘をついたルステムは、全身の毛をピンと立たせたアスランを、嬉しそうに眺めている。
『図星?溝掘り隊の人?』
「いや、あのぉ‥‥」
太ももに置いていた拳にギュッと力が入る。アスランの呼吸が少し乱れた。ルステムは肘をついたまま、アスランが話し出すのを待っている。10秒ほどの沈黙が流れた。
「第七師団の寮への行き方を知りたいです」
振り絞った声はアスランの唇を滑り、洞窟の中に響く雫の滴りのように床に落ちた。
『‥‥なーるほど、あの少女ねぇ』
少し笑った後、何かを考えるように口元に手を当てた。アスランは、一瞬で全てを悟るルステムに降参するように下を向いた。
『一目惚れ?』
「‥‥いえ、実は‥‥」
アスランは、ジーベルと同じ村に住んでいたことを話した。『彼女もそっちの出身だったか』と驚いた様子はなかった。
『部隊間のルールで、互いの寮に入ることは原則では禁じられている。しかし、例外はある』
脚を組み替え、手を口元に戻した。『ちょっと待って』と上を向いて目を瞑った。2分が経った。紙の山から1枚引っ張り出し、ペンを走らせた。アスランは動かずじっと待っていた。5分が経った時だった。
『よし、これだ』
渡されたA4の紙に描いてあったのは、地図だった。
『第七の寮は、バヌー指揮官とティムールがいる研究室の隣にある。ふたつの部屋は廊下で繋がってるんだ。中央と南みたいに』
紙の上を滑る赤ペンが2つの四角を囲った。
『そしてこれ』
ルステムが持っていたのは、大きな茶封筒だった。
『報告書、毎週末バヌー指揮官に提出してる。これを俺の代理で届けてくれ。寮に繋がる廊下は見ればすぐ分かる。玄関か、その廊下しかないから』
『ただ‥』と言葉を続けようとして、ルステムはそれを止めた。そしてまた腕を組み、『いや、これしかないな』とアスランへ意識を戻した。
『ただ、寮の人間に見つかると面倒だ。ここに入って来た理由を鬼の形相で迫ってくる。万が一出会ってしまった時は、初めてで道に迷ったのだと伝え、それ以外は何も言わない。分かったか』
2回頷いたアスランの瞳は、了解の合図を送った。
『じゃあ、明日の20時までにこれを届けてくれ。例外は何度もは認められない。これを逃すと、今度いつその日が来るか分からない。健闘を祈る』
行き方の詳細が書かれた紙と封筒をルステムから受け取り、アスランは部屋を後にした。
翌日のアスランは、思い詰めたように眉間に皺を寄せていた。鉄皮を一枚貼り付けては、何かを考えた。長く重たい息を吐く姿は、ひどく緊張しているようだった。それに気づいたサムが『体調悪い?』と声をかけると、「僕よりこいつの方が体調が悪そうだ」と錆びついた工具をゴミ箱に入れた。アスランなりの気遣いだった。この日は、1日がやけに長く感じた。何度も時計を見ていたせいだ。長針は2をさしている。あと50分で今日が終わる。一定のリズムを刻む打音は、近づいてくる足音のように聞こえた。
『アスランおつかれー!食堂行こう!』
「ごめんサム。用事があるから晩御飯は後で取るよ」
顔も見ずに言葉を投げると、ロッカーに向かった。隠しておいた地図と封筒を抱え工場を飛び出す。第七の寮は、中央館から歩いて30分ほどのところにある。アスランは、ほとんど電池の残らない体で走った。門を抜け、石壁に沿ってまっすぐ走っていく。蚊がぶつかってきた。それでも目を擦り走り続けた。しばらくすると王政の正門が見えてきた。あと半分。これまでのことを伝えたい。会える保証はないけれど、もし出会えたら、どんな2年間を過ごしていたのか、話を聞きたい。
夕日の沈む時間がはやくなった。空は少し青みを帯びている。
走り続けたアスランは、遠くに青い門を見つけ足を止めた。立ち止まると、急に呼吸が苦しくなって、その場にひざまづいた。壁にもたれ深呼吸を繰り返すと、鼓動は少しずつ速度を落とす。アスランは、紙に書いてある指示をもう一度よく読んだ。書いてある通り、青門の前には警備隊がふたり立っていた。門の前に到着すると、警戒されないよう背筋を伸ばし、敬礼のポーズをとる。
「はじめまして。私は製造部隊に所属する、アスラン・コルクトと申します!本日は、飛行機製造班、班長のルステム・サイより代理を受け、報告書の引き渡しに参りました!」
長い拳銃を腰に巻いた警備隊は、壁にもたれ脚を組んだままその体勢を変えようとしなかった。
「こちらを通してはいただけないでしょうか‥‥」
右側の男がアスランに近づいた。ほのかに苦い匂いがした。ルステムと同じ匂いだった。男は、舐め回すようにアスランの隅々を見た。そしてアスランの服の中に手を入れると、探るように背中に手を這わせた。
『よし。何も持ってない』
『お前、ルステムの代理と言ったな』
「はい!」
『ルステムに、次回から自分で来るように伝えておけ。入れ』
「ありがとうございます!」
門が開かれ、アスランは小さな息を吐いた。すれ違う時、右側の隊員と目が合ったが、アスランはすぐに逸らした。
門をくぐると、右手に大きなグラウンドが見えた。体育館のような建物もある。師団の訓練所だ。
地図を開くと、門を抜け、研究室は左に進んだ場所にあるようだった。
少し進むと、師団の寮と思われる建物が見えた。4階建ての立派なマンション、ではなく師団の寮である。冷たい、コンクリート構造の建物だった。年季は入っているが、製造部隊の寮の方が好きだなとアスランは思った。
研究室を見つけた。寮からのびる廊下の先に小さな建物があった。扉を引くと、想像よりも軽かった。中は真っ暗だった。廊下へ続く扉はすぐに見つけられた。
「失礼します!」
返ってきたのは、壁にぶつかったアスランの声だけだった。しかし、物音が聞こえた。2階からだった。中は暗かったが、本や紙類が乱雑に積み上げられ、床には、割れたメスシリンダーの破片が散乱していた。建物の中に入り、錆びついた階段を登っていく。これは早く修理した方がいいとアスランは思った。製造部隊員の勘である。
2階に着くと、ふたつの部屋があった。アスランは電気のついた部屋に近づき、扉のガラス窓をノックした。耳を近づけると、椅子から立ちあがる音が聞こえた。
『‥‥どなたかな』
「失礼致します。私はアスランと申します。本日は、飛行機製造班、班長のルステム・サイより代理を受け、報告書の引き渡しに参りました」
『‥‥アスラン?アスラン・コルクトか?』
「はい、そうです」
答えた瞬間、扉が勢いよく開き、出てきたのは長い白髭にまる眼鏡をかけ、白衣を着た老人だった。
『おお!!会いたかったぞアスランくん!!私の名はティムールだ。君がここに来てからろくに挨拶もできてなくてすまなかった!君をここへ呼んだのは私なんだ。どうだい製造部隊は?楽しいかい?』
「え、えぇ」
ティムールは、しわしわの両手でアスランの手を包んだ。頭はアスランの胸の位置にあり、身長は150センチほどだった。
『本当に嬉しいよ。君は暗雲を切り裂き、星のアーチをくぐり我々のもとへ突然現れた‥‥そう、まるで流れ星のような存在なのだよ!君の作ったあの飛行機は私の理想そのものだった!何度神に感謝を伝えたことか』
「あぁ、ありがとうございます。これは、我が班長ルステムからの報告書です。これからも精進します。それでは、急いでおりますので」
『君の活躍に期待しているよ。頑張って』
アスランは、強く握られた手から逃げるように腕を引くと、さっと頭を下げた。急いで階段を降りた。背中を指でなぞられたような感覚がした。不気味だった。あまりにも長くいると、何かに取り憑かれてしまいそうな、暗くて恐い場所だった。いや、恐ろしかったのは、ティムールの纏っていた狂気的な何かかもしれない。ひとつのことに集中していると、みなああなってしまうのだろうか。
またひとつ息を吐き、アスランはドアノブに手をかけた。建物の入り口の扉ではなく、もうひとつの廊下へと続く扉である。ガラス窓から、廊下に誰もいないことを確認する。慎重に、誰にも見つからないように。ドアノブを回すと、鍵はまだ開いていた。時計はもうすぐ7時をさそうとしている。
10メートルの廊下をササっと渡り切ると、花壇の茂みに隠れ、外から寮内を観察した。静かだった。7時といえば、脱衣所に人が集まっている時間だろうか。
足を踏み入れるとキュッと音が響いた。足を擦らないように歩いていく。廊下は、製造部隊の寮と同じくらい暗かった。
『ちょっと‥‥やめてください』
廊下の奥から女性の声が聞こえた。アスランは、歩くスピードを少しだけ速めた。
階段の下、ほとんど物置になっているその場所で、段ボールに隠れるふたつの人影が見えた。壁側にいるのが女性で、アスランに背を向けているのが男性だった。暗闇に浮かび上がる、金色の髪が見えた。
『‥‥やめてください』
『僕は本当に君が好きなんだ。いつになったら答えてくれるんだい』
男が女性にグッと顔を近づけた、その時。
「あっ!!」
予期せぬ声に、男は驚き、振り返った。
『‥‥お前、誰だ!その服は、第七師団の人間じゃないな。どうやってこの寮へ侵入した!!!』
「私は製造部隊に所属する、アスラン・コルクトと申します。本日は代理を受け、調査書の引き渡しに参りました。しかし帰りに道に迷い、そちらの女性がお困りのようでしたので声をかけました!」
『‥‥アスラン』
『製造部隊ごときがなにを偉そうに!』
男がアスランの襟元を掴むと、なんだなんだと人が集まってきた。
「あまり人目につくとまずいのでは」
男は右の口角を痙攣させながら、掴んでいた手を離した。
『なんでもねーよ!お前らあっちいけ!』
男の背中に向けていた視線を、ジーベルに戻した。
「ジーベル、元気だったかい」
大きく見開いたジーベルの瞳に光が映った。
『こっちへ』
アスランの手を引き、そのまま外へ移動すると、ふたりは石段に腰掛けた。
『中にいては見つかった時に厄介ですから。助けていただき、ありがとうございます。あなたは、先日私に挨拶してくれたアスランさん。お会いするのは2回目ですね』
「ジーベル、それは何かの冗談なのかな。僕たちは同じ場所に住んでいたのに」
『私は笑わず、冗談も言わないことで有名です。同じ場所に住んでいた、というのは、口説き文句かなにかでしょうか』
この状態を完全に理解したわけではなかった。
ただ押し寄せる悲しみを必死に隠した。ジーベルが嘘をついているようには見えなかった。
それからアスランは、いくつかの思い出を話した。ジーベルが村へ引っ越してきたこと、一緒に聖海祭へ行ったこと、交換日記をしていたこと。青い瞳は優しくアスランを見つめた。星が降ってきそうな夏の夜。
ジーベルは、何ひとつとして覚えてはいなかった。
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