第11話 今、僕たちの国は
「サム、あれはなんだろう」
昼の12時。食堂へ向かう途中、フェンスに沿って並ぶ、人の列が見えた。
『あ〜、予防接種じゃない?隣国で疫病が流行ってるらしいから。
「知らなかった」
『副作用の関係で15歳以上からの接種なんだって』
『お前よく知ってるな』
『ふたりと違ってちゃんと王政の動向にも目を向けているからね』
「王政の動向?」
『この国が今、何をしようとしてるかってことだよ』
「別に、変わりないように思えるけど」
『僕たちの情報源は、班長から聞かされる世間話くらいだからね。今度の帰郷で、家族に聞いてみるといいよ』
ここでは、1年に1度、5日間だけ帰郷することが許れる。サムとジェラールは同郷のため、日程を合わせ一緒に帰るという。ルステムに、今週中に希望日を提出しろと言われていたことを思い出した。今日は金曜日である。
「ふたりはいつにしたの?」
『2週間後の昼に出発する。父さんも休みが取れたから家族で旅行するんだ〜』
サムは嬉しそうにジャンプしながら歩いた。
昼食はチキンライス。といってもケチャップの味はほとんどせず、なぜかほんの少し塩辛かった。食器を戻す列に並びながら、アスランはふたりに、先に戻って欲しいと伝えた。帰る日程を決めようと考えた。部屋に戻り、引き出しにしまった希望用紙を取り出す。特にこの日がいいという希望はなかったので、適当に3つ候補を書いて、工場へ向かった。
工場に入ってすぐにルステムを探した。アスランの班員は3人だったが、ルステムはすぐに見回りに行ってしまい、アスランと共に作業をすることはなかった。
旋盤の列を探したがルステムの姿はなかった。 弾薬部隊にも、ミサイル部隊にもその姿はなかった。後で渡すかと、持ち場に戻ろうとした時だった。
『アスラン!!!』
工場内に声が響き渡った。ルステムの声だった。息を切らしたルステムは、アスランの目の前まで来ると両膝に手を乗せ呼吸を整えた。
『さっき電報が届いた。君のおじいさんが倒れて病院に運ばれたって』
いつもより早口で話すルステムに、アスランの鼓動も少し急いだ。
『しかし病状は軽いそうだ。倒れた時に少し頭を打って気絶していたみたいだが、今は意識を取り戻してるらしい』
「はぁ、そうですか。よかったです」
安心して下を向いた瞬間、ふた粒の雫がアスファルトに落ちて、丸いシミをつくった。
『アスラン、今から荷物をまとめて村へ帰るんだ』
「‥‥でもまだ仕事が」
『上には帰郷を早めたと伝えておくから。何も考えず、村へ帰るんだ。そしておじいさんに君の顔を見せてあげなさい』
ルステムはアスランの肩に手をのせた。顔を上げたアスランの瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちた。
『よし、俺はファルクに作業を引き継ぐように伝えてくる。迎えは頼んでおいたから、荷物まとめて待ってろ』
ルステムが『早く行け』と背中を押した。アスランは背負っていた全ての荷物を下ろし、寮へ向かった。
バッグに服と靴を詰める。カバンの上に、動かす手の上に、ポタポタと涙が落ちてきて、何度拭っても止まることはなかった。アスランの心にずっと前からのしかかろうとしていた壁。前だけを見て走っていたから、いつの間にか忘れてしまっていた。そんな不安ごと、ぎゅっとカバンに詰め込んだ。
寮の玄関で待つこと10分。やって来たのはあの日と同じ、黒い車だった。乗り込むと、置き場に困った視線を窓の外に向けた。揺られること2時間。その間アスランの全神経は心に注がれ、風景は全く頭に入ってこなかった。
病院前に到着すると、運転手は『気をつけて』と右手をあげ、アスランを降ろすと元の道を帰って行った。
病院は、アスランが暮らしていた山の麓から、徒歩で20分ほど離れた場所にあった。少し震える手で扉を開くと、何人かの患者が椅子に座り、名前を呼ばれるのを待っていた。アスランが横を通ったひとりの看護師に声をかけると6号室だと教えてくれた。
廊下を進んでいくと、『6号』の札のかかった部屋を見つけた。カーテンをくぐると、部屋には鉄製のベッドがひとつ、窓辺の花瓶には素朴な白い花が一輪ささっていた。ジェンギスは大きな枕に頭を沈め、気持ちよさそうに眠っていた。夕日が沈んでいくのが見えた。病室には一定の呼吸音だけがあった。ジェンギスの目の下にホクロがあるのを見つけた。よく見ると、いろんなところにホクロがあることに気づいた。見えているようで、全然見えていなかったんだなとアスランは思った。
じっと見つめていると視線を感じたのか、ジェンギスがゆっくりと目を開いた。それからまたゆっくりと3回瞬きをすると、アスランの方に顔を向けた。
『‥‥お、おぉ‥‥ア、アスラン‥‥』
「おじぃ、動かない方がいい。電報を受け取ってさっき戻ってきたんだ。少し早めの帰郷」
『おぉ‥‥』
少しの間天井を見つめ、目を閉じた。
『来てくれたのか。すまなかったなぁ、頑張っている時に』
「ううん。もうすぐで帰郷だったし、仕事は代わりの人がいるから大丈夫だよ」
『そうか‥‥体調は、元気だったか?』
「うん。それよりは今は自分のこと」
『‥‥よかった』
そのまま、夢に誘われるようにまた眠ってしまった。
それから2日後の朝、アスランはジェンギスを迎えに病院へ向かった。
『アスラン、おはよう。わざわざすまんな』
「ううん、行こう。お世話になりました」
ふたりは受付に座る看護師へ向けて頭を下げた。ジェンギスの体調はすっかり回復したようで、ゆるい坂道をぐんぐんと登って行った。
「おじぃ、あんまり無理しないで。手つなぐ?」
『もう大丈夫じゃ。ちょっと転んだだけじゃからのぉ』
「看護師さんからは、物を取ろうとして転んだって聞いたけど」
『あぁ、隣のメレクさんが音で気づいたみたいで、助けに来てくれたんじゃ。その後の記憶はあまりないが‥‥』
「何もなくてよかったけど、ちゃんと気をつけて」
道に映るふたつの影。ひとつの影がぴたりと止まり、アスランは振り返った。
「おじぃ、どうしたの?」
『いや、なんだか少し優しくなったなぁと思ってな。あと、見ないうちに背が大きくなった』
「‥‥そうかな」
『おかえり、アスラン』
「ただいま」
差し出された手を、ジェンギスは優しく握った。
「最近の村はどう?」
『何も変わっておらんよ。‥‥しかし、国からの配給が少し増えたと誰かが噂していたな。あと、最近は、市場でやってた王政批判団体のデモもめっきり見かけなくなった。この国も、人間も、少しずつ豊かになってきたのかもしれんな』
繋いでいた手を離すと、ジェンギスは両手を合わせ『海の神や、ありがたや〜』と唱えた。
「おじぃは予防接種受けた?疫病も流行ってるみたいだけど」
『もう受けたよ』
「そ」
夕方。アスランの家の窓からは、美味しそうな匂いの煙がもくもくと立ちこめた。ふたりは一緒に台所に立ち、シチューを作った。トントンとにんじんを切る音が響く。鍋に入った牛乳がぼこぼこと煮えたぎっている。
『向こうではちゃんと食べとるか?』
「うん」
横に並ぶと、アスランの肩はジェンギスと同じ位置にあった。
「おじぃ縮んだ?」
『お前さんが大きくなったんじゃ。よし、完成じゃ』
ふたつ並んだ木の器に盛り付ける。
『アスラン、パン切ってくれ』
「棚の上?」
『あぁ』
机には、ホワイトシチューとフランスパンが並んだ。味の薄いシチューを口いっぱいに頬張る。
『もっと食べるか?』
「うん、おかわり」
『工場の飯はうまいのか?』
「いまいち。野菜はたくさん入ってる」
器を受け取ったジェンギス。背中は少し寂しそうに見えた。
「明日帰るよ」
『‥‥もっとゆっくりしていけばいいじゃろ』
「でも、あまり長くいると寂しくなるから」
『そうか‥‥今度会えるのは、また1年後か』
「手紙書くよ。忙しくて書けなかったけど」
『あぁ、そうしてくれると嬉しい』
シチューのたんまり入った器を渡すと、アスランはまた口いっぱいに頬張った。その姿を見つめるジェンギスの微笑みには、寂しさが半分混ざっていた。
迎えは、昼の12時ぴったりにやってきた。
『元気そうな顔が見れてよかった。体に気をつけて。手紙待っておるぞ』
「うん、おじぃもね」
荷物を下ろしゆっくり近づくと、アスランはジェンギスを抱きしめた。1年前はこうしなかったことをひどく後悔した。
『‥アスラン‥‥』
「じゃあ、行くね」
振り向かず足早に車へ乗り込むと、窓から体を乗り出し手を振った。何度も振り返ると名残惜しくなってしまうからだ。車はすぐに発車した。ジェンギスの姿が見えなくなっても、アスランは手を振り続けた。頬に光が走る。心の穴を塞いでいた絆創膏が剥がれ、涙が溢れてしまうのは、どうしようもないことらしい。
アスランを乗せた車は止まることなく、白の鉄骨城に向かい進んでいくのであった。
寮に着くと中はシンと静かで、初めてここに来た時のことを思い出した。
廊下を歩く。滑走路では、あの日と同じように青龍隊の隊員たちが訓練をしていた。
その隊員の中に、金色の髪を靡かす少女がいることに、アスランは気づいていなかった。
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