第9話 涅色の弾丸


次の日から、早速作業が始まった。

朝目が覚めても、アスランは、頭の中に何かが詰まっているような、あるいは膜がかかっているような圧を感じた。昨日の出来事をまだ処理しきれていないようだった。怒涛の1日だったのだからむりもないとアスランは思った。


昨晩、食堂からの帰りにルステムに呼び止められ、翌朝の集合時間を伝えられた。毎朝早朝に薪割りをしていたアスランにしてみれば、5時に起きるのは容易い事だった。

カバンの中から服とズボンを取り出し着替えた。青色のTシャツに緑の半ズボンという不思議な組み合わせだったが、服を気にする人間はこの寮にはいなかった。共用トイレには5台の洗面台が並び、そのうちの3台は埋まっている。アスランは1番奥の洗面台で顔を洗った。冷たい水は、顔だけで無く心まで引き締めるようだった。


急いで階段下に行くと、ルステムとひとりの男がアスランを待っていた。


『よし、5分前。よく眠れたか』


「はい。でもまだ少しだけ頭がいっぱいで」


『今日からは一緒に作業に入ってもらう。細かい説明を受けるよりも手を動かした方が早いだろう。始めたら他のことは考えなくなる。あ、こいつがもうひとりの班員、ファルクだ』


ルステムがファルクの肩にポンと手をのせた。差し出されたファルクの分厚い手が、アスランのか細い手をぎゅっと包んだ。薄茶色の肌に、鍛え上げられた体と丸刈り。ルステムとは対照的な見かけをしていた。


『今日からよろしくなアスラン!俺のことは気軽にファルクと呼んでくれ』


廊下中にファルクの声が響き渡る。


『悪い悪い、工場で働いてるとつい声がデカくなるんだガハハハハ』


そしてより一層響く声で笑いながら頭をかいた。


「ハ、ハハハ」


『よし、じゃあ軽く朝飯食って工場行くか』


食堂には、50名ほどの隊員が座っていた。みな一瞬で食べ終わると、食器を水の浸った桶に入れ、足早に食堂を出た。

野菜のシチューと白米を5分で空腹の胃袋に詰め込み、3人も工場へと向かった。


「製造部隊のご飯って、思ってたより健康的なんですね。野菜とお肉がしっかり入ってる」


『もっと残飯みたいな飯かと思ってた?』


「いいえ、そんなことは。パンとか、もっと簡素なものかと思ってました」


『数年前から栄養調査が入るようになったんだ、生産効率向上の為に食生活の改善が必要だとかで。昔は食うに耐えないものだったよ。生焼けの肉魚に、ほとんど腐った野菜とかな。まぁタダで食えるんだから文句は言えねぇが』


「来たのが今でよかったです」


『俺は食えれば何でもいいがなガハハハ』


工場が近づき、あの重たいひとつ目の扉が見えてきた。誰もこの白い扉からは、奥で待ち構える世界を想像できないだろうとアスランは思った。ルステムが鍵を開けると、ファルクがひとりで扉を開いた。扉を閉めると鍵も閉まる仕組みだった。

靴を履き替え、つなぎに着替え、ゴーグルを装着した。最後の扉が開かれる瞬間、アスランは目を瞑り深呼吸をした。


『ま、体調悪くなったら教えて』


くるっと取っ手を回し、ルステムが扉を開くと、劈く臭いと機械音がアスランを出迎えた。これに慣れる日は来るのだろうか。いや、慣れてしまうのは、それはそれで違う気がする。まだもう少し人間らしい気持ちは持っていたい。そんなことを考えながら、鉄臭の暖簾をくぐり抜けファルクの後をついていった。

今日も隊員たちは、リズムよくペダルを踏み、何かを削り、何かを溶かし、何かを燃やしていた。ひとりの隊員が、機械からひとつの光るものを取り出し、いろんな角度から見つめていた。スライダーからジャラジャラと大量に流れてきたのは、涅色の弾丸だった。

旧式ミシンの機械の列を通り過ぎると、ファルクは足を止めた。


『これが、俺たちの担当する場所だ』


そこには、黒い自動車が疲れ果てた姿で止まっていた。


「自動車‥‥ですか」


『そうだ。故障した自動車を直すのも俺たちの仕事だ。大きな故障じゃない限りは、ここの隊員が修理し、元の状態に戻して送り出す。アスランと俺の主な仕事は、車輪の取り替え、エンジンの故障の修繕、車体の点検だ』


ファルクの説明に、アスランの肩から少しだけ力が抜けた。軍需品を造るものだと思っていた体は、工場に入る前からひどく強張っていた。作業場には5台の故障した車が、横並びで置かれていた。


「これは全部僕たちの担当ですか?」


『いや、ここでは3班合同で作業を行ってる。ほら、あれが他の連中だ』



『おいお前ら!今日は3時間で片付けるぞ!いいか!』

『『はい!!』』


ファルクが指差した先には、握りしめたハンマーを振りかぶる、ジェラールとサムの姿があった。


『よし!俺らも始めるぞ』


ファルクが伸びをしたその時だった。工場にチャイムが響き渡った。何かを命ずるような大きな音だった。隊員たちは手を止め、建物の南の方角、上にある窓に体を向けた。


『祈祷!』


誰かの指示により、全員が願うように両手を握った。何が起こっているのか分からないアスランは、手をぶら下げたまま立ち尽くしていた。


『アスランちゃんとやっとけ。心象悪くなる』


アスランは軽く手を合わせたが、頭の中では何も考えていなかった。1分間の祈祷が終わると、別のスイッチが押されたかのように、隊員たちはそれぞれの鉄械へと意識を戻した。


ファルクは1台の車に近づき、タイヤに触れた。


『タイヤの破損だな。よし、取り外して穴を塞ぐぞ』


ファルクは、棚の中から青色の工具入れを取り出した。開くと中は全く整理されておらず、ネジやドライバー、紙やすりや何かの部品がごちゃごちゃに混ざっていた。しかしファルクはどこに何が入っているのか理解しているようだった。

手際よく四角い布、丸い形のビニール、チューブ一本を工具入れから取り出し床に置いた。


『よし、じゃあまずは俺が外すから、近くでよく見ててくれ』


「はい」


ファルクは赤色の工具入れの中から長いL字型の工具を取り出し、車の中心部分のネジを4つ手で緩めた。これはナットという部品だと、ファルクは指を差して教えてくれた。

全てのタイヤのナットを緩めると、ファルクは柱についていた赤いボタンを押した。グウォーンという機械音がして、車はメキメキ音を立てながら1メートルほど浮いた。


『ここからは、車体を上げて取り外す。この時、タイヤを持ちながら左右に回して、固着がないかとか、他にガタきてそうなところがないか確認してくれ』


流れるようにドリルに持ち代えると、一瞬のうちにしてナットは外され、簡単にタイヤも外れた。ファルクはある機械の上にタイヤを寝かした。そして取っ手を持ち、ゆっくりと下げた。ホイールとタイヤの間に鉄の板が挟まり、タイヤがグニャとへこむと、ホイールとタイヤの間に隙間ができた。


『ビードは大丈夫そうだな。他の部分か』


タイヤの4箇所に隙間を作ると、最後には手でホイールからゴムを外した。そして外したゴムをグルグルと回し何かを探している。


『ここだ。アスラン見てみろ』


近づいて見てみると、タイヤの側面に釘が刺さっていた。


『穴を塞ぐから見とけ』


「はい」


『まずは、タイヤの後ろ側を布やすりで磨く、こういう風に。ほら、やってみろ』


黒い布のやすりでゴムの裏側をきれいに磨く。そしてファルクの指示通り、穴を塞ぐように、接着剤のついたゴムを被せた。


『できたタイヤはあっちに積んでく。他の奴らが修繕機にかけて、完成したら戻ってくるから、取り付けてやっと1台目が終了。タイヤが完成するまでは車体の点検だ』


アスランは車の下に潜り、ファルクの指示を受けながら点検をした。少しすると完全に修繕されたタイヤが戻ってきたので付け方を教わった。修繕した1台目を送り、2台目はファルクに教わりながらアスランが修繕した。そして3台目に取り掛かろうとした時だった。再びチャイムが鳴り、隊員たちは一斉に持ち場を離れた。


『昼飯行くか』


12時を知らせるチャイムだった。みな、手も顔も洗わず、煤だらけの状態で食道へと向かった。アスランの手のひらも真っ黒だった。お昼は朝食と同じ野菜のシチューだった。人参は時間が経ったおかげで少し柔らかくなっていた。しかしそれを味わう間もなく、10分で胃袋へかきこみ、すぐ工場へと戻った。


その日は1日、タイヤの修繕、取り付けと点検の繰り返しだった。最後の1台は、アスランがひとりで手際よく修理した。


『すげーな、飲み込みが早いぞ!明日はエンジンやってみるか!』


『さ、今日はもうおしまいだ〜』と両手を頭に回し口笛を吹きながら、ファルクは入り口へと向かった。アスランは持っていたレンチを工具入れに戻し、後を追いかけた。





一日があっという間に過ぎていった。朝感じた頭の重たさは無くなり、少しの達成感が生まれていた。窓から外を覗くと、いくつかの星と欠けた月が見えた。アスランはカーディガンを羽織り、寮の外へと出た。玄関の3段しかない階段に腰掛け、目を瞑りながら風を感じる。夜の風はまだ冷たかったが、もうすぐ夏が来る匂いがした。大きく息を吸って吐く。ただそれだけのことで心が空っぽになっていくように落ち着いた。もう一度、深く息を吸った。


『何してんの』


ゆっくりと無に近づいていたアスランの意識がパンッと覚め、後ろを振り向くとジェラールが柱にもたれて立っていた。


「あ、ちょっと休憩?」


『あっそ』


冷たく言葉を投げ捨てると、ジェラールは柱から体を離し立ち去ろうとした。


「あ、待って!」


『何?』


ジェラールは再度柱にもたれかかった。


「よ、良ければ少し話さない?」


『1位の余裕?』


「違う。悪いけど僕は順位とかどうでもよくて、自分が何位かも知らなかった」


『‥‥お前、思ってたより嫌なやつだな』


「本当のことを言ってる」


『‥‥見回り』


「え?」


『もう少しで見回りくる』


そう言い残すと、斜めだった体を戻し、今度こそ行ってしまった。






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