第5話 良き友
アスランの問いかけにメーメット先生は、しまった‥‥という顔をした。
「でも、どうして僕が選ばれたんですか」
『アスランが授業で作った作品を、工作コンクールに応募したんだ。あまりによくできていたからね。作品を見たティムールという科学者がえらく感動していたそうだよ。それで、ぜひ12歳になる頃には、CAR'sに来てほしいと連絡が来たんだと思う』
ティムールとは、マケイラと共にこの国を支配する科学者である。
「あんなのはただのガラクタです。押し潰してしまえばおしまいです」
『アスラン、君は自分の才能に気づいていないんだ。ほとんどの人は紙を渡され飛行機を作って欲しいといわれたら、紙飛行機を折るんだよ。5回くらい折ればできるからね。でも君は違う』
「逆にどうしてみんな、あれくらいのものが作れないのか分かりません」
『材料は?』
「針金と画用紙と、薄い紙も使いました。支柱とタイヤ、リブに針金を使っています。タイヤは、針金で円を作って、その周りに薄い紙を巻きつけて見立てました」
『プロペラは?画用紙の厚さじゃなかったけど』
「削り出ししやすいように薄い紙を10枚重ねて貼り付けて、プロペラの形に削りました。細かい部品も全てそのように作りました。翼は薄い紙を半分に折ってその中に針金で作った骨組みを入れ込み、貼り付けています。いろいろ試しましたが、その方法が一番きれいに再現できました」
『作るのにどれくらいかかった?』
「2週間くらいです。時間は覚えていません。夢中で作ったので」
『君の飛行機を見て、その情熱に王政は注目した』
「こんなの誰でも作れます」
『どうして周りはできないのか分からない。才能とはそういうものだよ。‥‥おっと、こんな時間だ。まずはジェンギスさんとよく話してほしい。候補生になれば、この村を離れ寮で暮らすことになるからね。また改めて答えを聞かせてくれ。‥‥あと、この話はクラスメイトには内緒だよ』
小さな部屋の扉は開かれ、アスランは職員室を出た。教室に戻るとビュゼがニコニコしながら近づいてきた。
『アッスラーン。‥‥何したの?』
「何って、何もしてないよ」
『うっそだー!メーメット先生から呼び出しがかかるなんてよっぽどのことよ!ジーベルが呼び出されたのも知ってるのよ。ふたりして何か隠していることがあるんじゃないの?』
「‥‥ないよ、そんなこと」
『うそつけー』
「しつこいな!!ないってば!!!」
教室はシンと静まり、アスランに集まる視線の中にジーベルの瞳があった。「あっちいけよ」とアスランは顔を伏せ、ビュゼは『やっだー、むきになっちゃって』と呆れた顔で自分の席に戻って行った。
今日の風は冷たいが、頭を冷やすにはちょうどいいとアスランは思った。空は分厚い灰色の雲で覆われていた。また雨が降るのだろうか。植物もみなベージュに染まり、世界が色を失ってしまったようだった。帰り道。歩くたびに、カサカサと枯葉を踏む音が響いた。後ろの方で誰かが叫んでいた。恐怖の叫びというよりは明るい叫び声で、楽しそうだなとアスランは思った。
「‥‥ラン」
「‥‥スラン」
「アスラン!!」
誰かがアスランの服の裾を掴んだ。ジーベルだった。波のない海に浮かぶヨットのようにぼーっとしていたアスランは、名前を呼ばれていることに気づいていなかった。
「うわぁ!‥‥びっくりした‥‥」
「‥‥あ、ごめん‥‥。後ろ姿が見えて、つい追いかけちゃった」
「こちらこそごめん、考え事してた」
沈黙が流れる。風で揺れる木々の音がやたらと大きく耳に入ってくる。アスランの手のひらには雫が浮き上がった。指の間を風が通り抜けていく。話したいのに、何も思い浮かばなかった。
「‥‥ア、アスランは、最近元気?」
ジーベルの声は少しだけ震えていた。
「元気だよ」
「‥‥そう、良かった。寒くなったから。私のお母さん風邪ひいちゃったの」
「ジーベルも気をつけてね」
「うん、そうする‥‥」
2度目の沈黙だった。以前も存在したはずの沈黙が、今はとても心地が悪かった。
ジーベルは何か聞きたそうだった。きっと、メーメット先生に飛び出されたことについてだろうとアスランは思った。しかし、口外はしないと約束した以上、聞かれても答えることはできなかった。
「‥‥私ね、メーメット先生に呼び出されたんだ。一昨日。‥‥‥アスラン、私12歳になったら「似合うと思う」
「‥‥え?」
「ジーベルは頭もいいし、運動神経も抜群だから、似合うと思う」
ふたりの間に風が吹いた。先ほどとは違うぬるい風だった。ジーベルは何も言わずに立ち尽くしていた。
「秘密だよってメーメット先生に言われたんじゃない?」とアスランは問いかけた。
少し悲しい顔をしたジーベルは、鞄の持ち手を強く握ると「ありがとう」と呟いた。
雲の隙間から、細い、白い光が差し込んだ。
ふたつの影は話すことなく、分かれ道で立ち止まると、軽く手を上げてそれぞれの道に進んだ。
「ただいまおじぃ。話があるんだ。いま大丈夫?」
『おぉ、おかえりアスラン。少し待ってくれ、書類の整理があと少し』
アスランは鞄をそっと置くと、暖炉の近くの椅子に座り、ジェンギスの整理が終わるのを待った。
『お待たせ、アスラン。話とはなんだ』
「うん‥‥、王政下の製造部隊に来ないかって、誘われた」
ジェンギスは動かしていた手を止め、アスランの方を向いた。
『今、なんと言った』
「製造部隊だよ。CAR's っていうところ。僕の父さんが入ってたところでしょ?そこから誘いを受けたんだ、12歳になったら候補生として迎えたいって」
『それは、本当の話なのか。間違いではなくてか』
ジェンギスはアスラン以上に興奮している様子だった。アスランは王政からの依頼書を見せた。ジェンギスは目を通すと、そっと机に置いた。そして背を向け、野菜を切り始めた。
『アスラン。おまえさんはどうしたい』
「僕は‥‥行きたいと思ってる。でも、ここに入ると寮で暮らすことになるんだ。そしたらジェンギスがひとりになる。こないだみたいに椅子から落ちでもしたら」
『行ってきなさい』
「‥‥いいの?」
『‥‥昔な、バークが製造部隊に呼ばれた時、わしは反対したんじゃ。あいつは頭は良くなかった。だから王政の下なんかより町の工場に勤める方があいつのためだと思っとった。でもバークは聞かんかった。週に2日ほどは帰ってきて、おまえさんと母親と過ごしとった。記憶は無いと思うがの。
でもある日突然、作業中の事故で亡くなった。わしは後悔しとる。自分の息子のことを信じて、応援できんかったことを。
アスランが行きたいと思うなら、そこがおまえさんの居場所だ。わしのことを心配しているなら、そんなことは気にせんでいい』
包丁の音が部屋に響いた。ジェンギスはそのあと何も言わなかった。窓の外は、雲が去り、月が久しぶりに顔を出していた。アスランは、ジェンギスの後ろ姿を見つめていた。
体を包み込むように風が吹く。生徒たちは初等部を卒業し中等部へ進む。しかしアスランとジーベルは、その制服に袖を通すことはなかった。
空気はオレンジ色を纏っているように見えた。それほど暖かくなったという意味である。外には、名前の知らない花がたくさん咲いている。小さな白い花びらが、風の上を滑るように舞っていく。
初等部の卒業式はとても簡素なものだった。校長先生からの挨拶の後、一人一人に花束が渡された。30人だけの卒業式は40分ほどで終了した。校長先生は最後に言った。「努力と幸運は良き友である」と。
アスランは、外を眺めていた。このかすかに漂う香りは、舞っている花の香りだろうかと考えていた。
『ジーベルゥー!!!まさか王政の訓練生になるなんて!聞いてないわよー!もう会えなくなるて寂しすぎる!』
「黙っててごめんね。でも一生の別れではないわ。いつかまた、必ず会いましょう」
ジーベルはクラスメイトたちと熱い抱擁を交わした。続けて中等部の卒業式が始まろうとしている中、アスランはひとり、教室へと向かった。ジーベルに交換ノートを渡すためだった。アスランはジーベルの鞄にノートをしまった。
自分の席に座り、いつものように右側を向いて机に顔を伏せる。ふと左側を向くと、窓から春の日差しが差し込み、埃が雪のように白く舞っているのが見えた。綺麗だった。視線の先にはちょうどジーベルの席があり、なぜいつも右側ばかり向いて顔を伏せていたのか、アスランは分かった気がした。
小鳥たちが空で戯れ、世界は色を取り戻したように花めいている。朝11時。アスランは、一瞬窓の外を見て、また荷造りを始めた。何が必要なのか分からなかったので、ジェンギスがくれた革製の鞄に洋服と靴を詰め込んだ。明日のお昼頃、王政から迎えが来る予定だ。
夜ご飯は鹿肉のシチューだった。朝市の肉屋の店主が希少な部位を安く売ってくれたと、ジェンギスは嬉しそうだった。
ゴロゴロと大きめの野菜が入った、少し味の薄いシチュー。いつもと同じシチューが今日はなぜか特別に感じた。
「鹿肉のせいかな」
『おいしいか?』
「うん」
アスランは一気にかき込んだ。
「おかわり」
ジェンギスが器を受け取った。
『アスラン、何か不安なことはないか』
「んー、今のところは」
『辛くなったらいつでも辞めていい。いつでも帰っておいで。お前の家はここにある』
「うん」
アスランの心は、不思議なくらい落ち着いていた。どんな未来が待っているのか、全く想像できなかったからである。働き出すとお小遣い程度の収入があるらしく、楽しみだなと思っていたくらいだった。ジェンギスがひとりで暮らすことになるのは心配もあったが、シチューを食べながら、涙を流し喜ぶジェンギスの姿を見て、この決断は間違いではなかったと思った。
朝7時。寝過ぎたせいか、起き上がると頭が少し重たかった。アスランは顔を洗うと、濡れた顔を腕で拭い、薪を割りに外に出た。
いつもより多めに薪を割る。ジェンギスのためにできることを考えて出した、アスランなりの答えだった。
ジェンギスが起きてきて『おはよう』と挨拶をする。アスランは『おはよう、おじぃ」と返事する。今日でこの村を去るとは思えないほど、いつもと同じ会話だった。
12時。もうすぐ迎えが来る。
『アスラン、これを持っていきなさい』
ジェンギスが差し出したのは、バークとアスランの写真だった。
「いいよ。それ、おじぃの宝物でしょ。持ってなよ」
『いいから持っていきなさい。いつかこの写真が、おまえさんを助けてくれる時が来る。大事に持っておくのじゃ』
「本当にいいの?」
『あぁ』
アスランはパンパンに詰まった鞄のファスナーを少し開き、隙間から押し込んだ。その時、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
『いってらっしゃい。良き友に出会えることを願っておる。体には気をつけて』
「うん。ジェンギスも。 じゃあ、行ってきます」
扉を開くと白い光が差し込み、その中から、深緑の軍服を着た男が姿を現した。
『初めまして。私は王政の常備軍、地英隊第一師団副長、コライ・デミレルと申します。CAR'sの最高指揮官、バヌー・コルクト様の指令により、お迎えにあがりました』
男はハキハキとした口調でそう言うと、帽子を取り、深く頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
『それでは、参りましょう』
アスランはジェンギスに手を振った。前を向き、少し進むと、また振り返り手を振った。そして、車に乗り込む時、もう一度家の方を見た。アスランが大きく手を振り、ジェンギスも大きく手を振り返した。
停まっていたのは真っ黒のつるっとした車だった。大きなタイヤとまん丸のライトをつけていた。広い踏み台に足を乗せ乗り込むと、座席は茶色の革張りだった。ガラスのない窓から風が入り、アスランの前を通り抜けていった。
コライが乗り込むと、エンジン音が鳴り、景色が動き出した。窓から顔を出すと、ジェンギスは家に入らず、こちらを見ていた。
「おじぃー!ありがとうー!!」
ジェンギスがどんどん小さくなっていく、アスランは、見えなくなるまで手を振り続けた。
ジェンギスが完全に見えなくなると、アスランの目から雫がこぼれ、手の甲で跳ねた。コライは、アスランの背中をそっとさすった。
『アスラン、不安かい?今日は君が配属される製造部隊に案内するよ。君と同い年のふたりの
候補生もいる。きっと、良き友になれる。今から2時間ほど走るから、もし疲れたら寝てもいい』
「‥‥はい」
アスランは、ぼんやりする視界に映る青い海を眺めていた。
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