第四話:クッソ嫌われすぎて攻略法が見つからないんだが!

――――真っ暗な闇が、洛星宇ルオシンユーを包み込み、その身を離すまいとまるで底なし沼のように纏わり付く。

 逃げられない。己の犯した罪からは、逃げられない。

 足掻き、沼から這い上がろうと、洛星宇ルオシンユーは上に向かって真っ直ぐに腕を伸ばした。

 誰かに届いてほしい、引っ張ってほしい。その思いを込めて、腕を伸ばし続ける。

 伸ばした先には、洛星宇ルオシンユーいざなうかのように、白く華奢な手がこちらへと伸ばされ待ち構えていた。

 洛星宇ルオシンユーは迷わず、その白い手に己の手を絡め合わせた。

 途端、その手は洛星宇ルオシンユーを地上へと解放するかのように力強く上へと引っ張りあげていく。

 この力強い手の主は、まぎれもなく――――。





 広く開け放たれた窓から入り込む日の光に充てられ、洛星宇ルオシンユーはその端整な顔をしかめながら瞼を開ける。

 未だ光に慣れていない眼を細め、状況を把握するために辺りを見渡すと、目の前には己の宿敵である男がこちらを真っ直ぐに見つめる光景が広がっていた。 

「……っ!」

「よっ、目ぇ覚めたかイタチ野郎?」

師尊シズン、口調」

「あ…っと。ようやく目が覚めたか。洛星宇ルオシンユーよ」

 広々とした椅子にふんぞり返りながら座り、傍らに立っている高雨桐ガオユートンから若干呆れた視線を受ける余楽清ユイルゥチン

 ちなみに余裕綽々とした表情を浮かべてはいるが、先ほど洛星宇ルオシンユーに殴られた腹と背中の骨には案の定ヒビが入っているため、実は内心痛みで今にも涙を溢しそうになっている事は内緒だ。

 一方、自身を妹とともに黒化した張本人であるかたきを目の前に、洛星宇ルオシンユーは怒りで身体を震えさせた。

 射殺すような眼光を携え、憎しみを募らせた胸の内を表すかのように奥歯をギリギリと噛み締める。

 妖王のその、視線だけで人を殺してしまえそうな程に強い殺意を滲ませた表情に、高雨桐ガオユートンは『ひえっ……』と情けない声を上げるが、余楽清ユイルゥチンは未だ余裕そうな表情のままだ。

「……余楽清ユイルゥチン!」

 全ての憎しみを乗せて洛星宇ルオシンユーが叫ぶ。

 同時に、目の前の男の身体を今すぐにでも引き裂いて再起不能にするため腕を振り上げようとした瞬間。

 腕はおろか、足や胴体ですら何かに阻まれ、まともに動かす事が叶わない事に気づく。

 言うなれば、手足や胴を頑丈な鎖で雁字搦めにされているような感覚だった。

「っ!?何だこれはっ……!クソっ!」

 戸惑う洛星宇ルオシンユーが自身の身体を見下ろせば、黄金の鎖の刺青のような模様が全身を埋め尽くし、まるで己を縛り付けるかのように神々と光り輝いていた。

 見下ろすにも限度があるために首元を見る事は叶わないが、この鎖に見覚えのある洛星宇ルオシンユーは、己の首に『それ』が装着されている事を瞬時に察し、ますますその顔に憎しみを増長させた。

「まぁ、なんだ。目が覚めたらお前は当然のように私を襲ってくるだろ?だから先手をとっておいたまでだ。なに、危害を加えないと約束してくれるなら、私はお前たちにはこれ以上何もしない」

「……」

 洛星宇ルオシンユーの首に装着されている物――それは一見何の変哲もなさそうな、しかし強力な力を持つ『首枷』だ。

 この首枷は、神通力を流し込む事により強大な力を発揮する事のできる神器の一種である。

 神器を創造する事を得意とする仙人が作り上げた首枷は、装着した者の神通力や妖力を一時的に外へと放出できない状態にするのと同時に、他の者に少しでも危害を加えそうになったら身体が硬直する性質を持っている。

 そしてやっかいな事に、この首枷は装着する際、持ち主の神通力を流し込んで鍵をかけなければいけないため、神通力の主である者の手でなければ外す事は叶わないのだ。

 洛星宇ルオシンユーを捕らえた際、目が覚めた暁には必ず自身を襲いに来るだろうと見込んでいた余楽清ユイルゥチンが、伝を辿って仙人から神器を買い取っていたのが幸いした。

 首枷を装着する際、これまた小説の見よう見まねで神通力を流し込んでいた事により、今現在洛星宇ルオシンユーは敵意がある限りは余楽清ユイルゥチンに指一本すら触れる事ができない。

 普段の洛星宇ルオシンユーであれば、こんな神器の制御なぞ簡単に壊せてしまえる程に強力な仙根と妖根を携えている。

 しかし、黒化から目覚めたばかりでそのどちらもが尽きかけている今の現状では、抵抗する事ができない。

 かたきを目の前にして何もできない事に悔しい思いを滲ませながらも、洛星宇ルオシンユーは一旦は諦めその場で立ち止まり、低く艶のある声でぽそりと呟いた。

「……林杏リンシンはどうした?」

「……林杏リンシンならまだ黒化を解かれてから目覚めていないので、別室で寝かせている。こちらから危害を加える事はないから安心しろ」

「何が安心しろだ!お前の事を俺が今さら信用できるとでも思っているのなら、お前の頭は随分とお気楽になったものだ!」

 余楽清ユイルゥチンの言葉に、洛星宇ルオシンユーは吐き捨てるかのような怒声を上げた。

 自身と妹を封印した男の言葉なぞ、誰が信じるものか。

 世界の全てから裏切られ、苦汁を舐めさせられた者の怒りは、三界を震えさせる程に凄まじい迫力を携えている。

「俺はお前たちを信じない……俺たちの母親を殺した仙人どもも、俺を裏切った父や妖怪も、俺を気味悪がり、石を投げ付けてきた人間どもも、そして俺を妹とともに封じ込めたお前の事も……俺はもう、戻れない所まで来てしまったんだ!全てを恨み、全てを壊さないと俺のこの怒りや憎しみが絶える事はない!」

 かつて、怒りと悲しみの果てに三界を消滅させようと殺戮の限りを尽くしてきた洛星宇ルオシンユーのその叫びは、消えてしまいそうな程の恐怖を帯びているのと同時に、どこか切なさを滲ませていた。

余楽清ユイルゥチン、この枷が外れた暁には、まず貴様を真っ先に殺してやる」

 静かに呟くその声は、どこか儚さすら感じ取れた。

 妖怪の頂点に君臨する王のそのあまりの迫力に、高雨桐ガオユートンは言葉をなくしてただただ身を縮こませて震える他ない。

 推しがめちゃくちゃ怖い。死ぬほど格好いいけど怖い。

 おばあちゃん助けてと情けなく心の中で懇願するばかりだ。

 一方、先ほどから黙って洛星宇ルオシンユーの言葉を聞いていた余楽清ユイルゥチンは、目の前の妖王の言葉が終わるや否や、顔を俯かせてすくっと立ち上がる。

 そしてそのままゆっくりと洛星宇ルオシンユーの元へと歩み寄ったかと思えば、突如として身動きの取れない彼の胸ぐらを勢いよく掴み上げた。

「……かげんに……」

「……師尊シズン?」

「いい加減にしやがれこの中二病野郎がぁぁぁ!」

 先ほどの洛星宇ルオシンユーの怒声などまるで意に介さず、余楽清ユイルゥチンもまたありったけの怒りを込めて大声を上げる。

 しかし洛星宇ルオシンユーと違うのは、その怒りの中におせっかいとでも言うべき気持ちが込められている所だ。

 まさか怒鳴られるとは思ってもみなかった洛星宇ルオシンユーがぽかんと口を半開きにして驚くのも気に止めず、余楽清ユイルゥチンは続けざまに怒りをぶつけていく。

「思い上がるのも大概にしろよ!そもそもそんな状況で俺の事殺せるとでも思ってんのか?ああ妖王様はさぞかしお強くて偉くて大層なお方なんでしょうねぇ!ぼくがこーんなに不幸なのはぜーんぶお前たちのせいだー!ってわんわんガキみたく泣き喚けば許されるとでも思ってんのか?舐めんのも大概にしとけクソガキが!」

 余楽清ユイルゥチンが許せなかったのは、何も自分に向けられた敵意だけが理由ではなかった。

 自分は不幸だと決めつけ、何もかも後ろ向きに考えてしまうその心を許せなかったのだ。

 確かに彼の今までの事を思えば、自分の人生に絶望してしまうのは当然かもしれない。

 しかし、今こうして解放された事をも頑なに受け入れようとしないその態度に、堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。

 怒りで手がぷるぷると震える余楽清ユイルゥチンだったが、一度怒声を上げただけでは収まりそうにない。

 再びぐっと胸ぐらを掴んでいた手に力を込め、声量を落とさずに子供相手のように叱り続ける。

「いいかよく聞け!俺はお前を救いたかったから、お前ら兄妹に幸せになってほしかったから黒化を解いてやったんだよ!なのに恩を仇で返すようなマネしやがって……」

 幸せになってほしいという気持ちを抱いたのは、それこそ最初は自分たちが元の世界に戻るための必要条件に過ぎなかった。

 しかし、今こうして本人と対面した事により、その気持ちが徐々に本気の物となっていったのもまた事実だ。

 ほぼ初対面に過ぎない相手。しかし、ずっと『修仙人妖伝』を追ってきた根っからのファンである余楽清ユイルゥチンは、洛星宇ルオシンユー洛林杏ルオリンシンと共に救われて欲しいと願わずにはいられなくなった。

「戻れねぇ所まで来ちまったんなら、俺がお前らの手ぇ引っ張って連れ戻しに行ってやる!だからうだうだ言ってねぇでお前は幸せになる準備でもしとけってんだ!」

 ありったけの気持ちを込めて余楽清ユイルゥチンが叫び終われば、途端にこの場がシーンと静まり返る。

 勢いあまりすぎてはぁはぁと大きな息切れをする余楽清ユイルゥチンに対して目を見開いていた洛星宇ルオシンユーだったが、そのうちふと我に返ったのか、彼の横で生まれたての小鹿のようにぷるぷる震えている高雨桐ガオユートンに静かに話しかける。

「……おい」

「は、はひっ!?」

 まさか話しかけられるとは思ってもみなかった高雨桐ガオユートンは、背後にきゅうりを置かれた猫のように背筋をピンと伸ばす。

 情けなくも裏返った声が、潰れた蛙のようである。

「こいつは頭がおかしくなったのか?」

「えっ、と……師尊シズンは貴方との戦闘においてまだ少々混乱しているので……というかこの説明何回すればいいんだ……」

「……これが混乱だけで片付く事か?」

 訝しげに視線を寄越してくる推しの圧力に冷や汗を流す高雨桐ガオユートンの傍らで、余楽清ユイルゥチンは表情には出さなかったが、内心冷や冷やとしていた。

 勢いに全てを任せて怒鳴ってしまったはいいものの、マジで枷外したらめっためたにやられるのでは?と今さらながらにビビり散らかす。あと普通に怒鳴ったせいで腹と背中の骨が痛い。

 しかし余楽清ユイルゥチンの考えとは裏腹に、洛星宇ルオシンユーは意外にも沈黙したまま、胸ぐらを掴んでいた彼の手をゆっくりと外しながら立ち上がる。

 首枷は、他の者に危害を加える可能性がなければ日常生活程度の動きはできるため、洛星宇ルオシンユーは仕方なく敵意を捨てながらふらふらと部屋の扉の前に歩みを進めた。

「……どこ行くんだよ?」

「……これ以上ここにいたら、お前のように俺も狂ってしまう。妹を連れてすぐにここを出ていく」

 洛星宇ルオシンユーの言葉に、余楽清ユイルゥチンはすぐさま制止の声をかけた。

 今の洛星宇ルオシンユーを野放しにしてしまっては、何をしでかすかわからない。

「ダメだ。下界に出たら、お前は人間や仙人、罪のない妖怪を殺す可能性だってある。そう簡単には行かせねぇぞ」

「……もう、三界には関わらない。俺の復讐はあの時、実の父の命を持って果たした。これからは静かに妹と過ごしていく」

「……本当だな?」

「ああ」

 気力のない、しかし確かな決意を滲ませたその声色に、余楽清ユイルゥチンも頷く他ない。

 先ほどまでの殺意がまるで嘘のように意気消沈気味に呟く洛星宇ルオシンユーのその背中が、妖王とは思えぬ程に小さく見えたのが心に響いてしまったが故か。

 力の入っていない手で扉に手をかける洛星宇ルオシンユーを遠目で見つつ、余楽清ユイルゥチンはふと悪戯心が働き、ニヤッと訝しげな笑みを浮かべる。

「あっ、星宇シンユー

「……今度は何だ」

「最後だし、せっかくならもう一回口づけでもしてみる?」

「っ!?」

 そっと細い指を艶やかな唇に添えながら、余楽清ユイルゥチンは蠱惑的な微笑みを浮かべた。

 長い睫毛の影が頬に落ち、蒼い瞳が欲情を誘うかのように細められる様は甘美な光景に映る。

 自身の容姿の美しさを最大限に活かしたその笑みは、相手が洛星宇ルオシンユーでなければ老若男女共にイチコロだっただろう。現に高雨桐ガオユートンも、その微笑みを目の当たりにして思わず顔を赤らめたほどだ。

 しかし、件の男は馬鹿にされたと思い込んだのか、高雨桐ガオユートンとはまた違った意味で顔を真っ赤に染め上げ、先ほどと同じくらいの怒声を上げ始める。

「……俺を馬鹿にするのも大概にしろ!この変態男衆野郎!」

「なっ……俺は女の子が好きだってのバーカ!」

 あんな事があっては確かに男好きだと思われても仕方がないのだが、そこは勘違いしないでほしかった。

 あれは洛星宇ルオシンユーを油断させるのに仕方がなくやってのけた事だ。断じてアハンウフンな展開を期待していたわけではない。

 再度言い争いをした事によるその後の独特な沈黙で、高雨桐ガオユートンは内心もう現世に帰りたい思いでいっぱいだった。自分が招いた種だという事は棚に上げて。

 しかしその沈黙も、余楽清ユイルゥチンの一言で破かれる事となる。

雨桐ユートン林杏リンシンの所に案内してやれ」

「えっ、でも……」

 しっしっと追っ払うように手を振る余楽清ユイルゥチンに戸惑いながらも、高雨桐ガオユートンは主の命令には逆らわない方が懸命だと判断し、すぐさま洛星宇ルオシンユー洛林杏ルオリンシンの眠っている部屋に案内した。

 黙って後ろから着いてくる推しの存在にドギマギしながらも、洛林杏ルオリンシンが寝かされている部屋にたどり着いた洛星宇ルオシンユーが珍しく心底ホッとしたかのような笑みを浮かべた事に、思わず連れて小さな笑みが溢れてしまう。

 洛星宇ルオシンユーはそのまま眠り続けている洛林杏ルオリンシンを優しく抱え上げると、高雨桐ガオユートンには目も暮れずに仙城を後にしてしまった。

 行く充てもないだろうに、それでも妹を数多の敵から守ろうと歩みを進める推しの後ろ姿を見てしまえば、もう何も言えなかった。

 高雨桐ガオユートンはそのまま余楽清ユイルゥチンのいる居室へと戻ると、再び椅子にふんぞり返る姿を横目に小さく呟く。

師尊シズン、いいのですか?」

「あー、まあいんじゃねーの?とりあえず復活はさせられたし、後は好きなように林杏リンシンちゃんと過ごしていけば、そのうちハッピーエンド迎えて俺らも元の世界へレッツゴー!だって」

「……こんな形で星宇シンユー様に報われて欲しかったわけじゃないんだけどなぁ」

 確かに、忌み嫌う宿敵の相手と共に過ごすよりかは、大切な妹と密やかに過ごしていった方がまだハッピーエンドになる確率は高いのかもしれない。

 しかし、どうにも納得がいかない。

 もっと何か劇的な出来事があってもいいのではないかとうんうん悩む高雨桐ガオユートンだったが、ふと頭の中にある疑問が浮かび上がる。

「あ、ところで師尊シズン星宇シンユー様の首の枷って取りました?」

「……」

「……」

「……あらら、やっちゃった……」

 てへへと舌を出しながらおどけてみせる余楽清ユイルゥチンに、高雨桐ガオユートンは思わず白目を剥いた。

 首枷を着けられたままの妖王を野に放ってしまったら、ここぞとばかりに次の妖王の座を狙おうと画策する野蛮な妖怪が現れる可能性が非常に高くなる。

 万が一、洛星宇ルオシンユーがそんな事になってしまえば、自分たちは一生現世に帰る事ができなくなるのだ。

「ちょっとアンタ何やってんですか!?あれ外さないと、星宇シンユー様は妖力や神通力は愚か肉弾戦でさえままならなくなるっていうのに。道中で妖怪かなんかに襲われたら一溜りもありませんよ!」

 高雨桐ガオユートンのその焦燥しきった言葉を受け、余楽清ユイルゥチンははっと目を見開く。

 洛星宇ルオシンユーは強いから大丈夫だと勝手に思い込んでいたが、今の彼は下手したら生まれたての赤子よりもか弱い身だ。

 というか、洛星宇ルオシンユーもその場で気づくべきだろう。真面目そうに見えて、意外と抜けている性格なのか。

 巻き込まれただけの身とはいえ、あれだけ洛星宇ルオシンユーに啖呵を切ってしまった後だ。ここは責任を持って救わねばならない。

「……仕方ねぇ、助けに行くか!」

 意を決したように余楽清ユイルゥチンが椅子から勢いよく立ち上がったのを機に、高雨桐ガオユートンもまた決意を滲ませて彼の後を着いていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る