第三話:まずは天清仙人として、妖王・洛星宇を叩き起こして来ます。

余楽清ユイルゥチン からの協力関係成立の言葉を受け、高雨桐ガオユートンは天にも昇りそうな勢いで力の籠ったガッツポーズをする。

 その喜びようは、生前『修仙人妖伝しゅうせんじんようでん』の実写映画化の舞台挨拶付き先行上映のチケット(倍率約三百倍)に当選した時以来の物である。 

 その様を呆れ返ったかのように若干冷たい瞳を自身へと無言で向けて来る余楽清ユイルゥチンには気づかず、高雨桐ガオユートンは気を取り直したかのように勢いよく立ち上がった。

 土下座の際に地面に額を擦り付けすぎたせいで赤くなった顔が、何とも情けない。

 未だ興奮が止まない見開いた瞳を真っ直ぐに自身へと向けて来るその異様な様に、余楽清ユイルゥチンは参ったとばかりに疲弊した表情を色濃くする。

「ひとまず、他の登場人物たちに怪しまれないように、普段から二人きりの時も原作の名前で呼び合う癖をつけましょうか。僕……あ、高雨桐ガオユートンの一人称は私、ですね。改めてよろしくお願いいたします、楽清ルゥチン師尊シズン

「おーう、よろしく雨桐ユートン。ちょうどお前の本名なんだっけ?って思ってた所だったから良かったわ」

「クッソ、陽キャは陰キャの名前もろくに覚えないのが癪に触る……」

 飄々とした態度で呑気に欠伸をし出す余楽清ユイルゥチンのそのあまりの堕落っぷりに、今度は高雨桐ガオユートンの方が若干冷めた瞳を向け、心の中でとある疑問を生み出す事となる。

 コイツ、これから本当に余楽清ユイルゥチンとして過ごしていけるのか?……と。今さらすぎるが。

「というか、君……じゃなかった。貴方も口調や一人称は気をつけてくださいよ。余楽清ユイルゥチンの性格は無口で堅実、たまに飛び交う毒舌とその奥に潜む何気ない優しさで世の女どもをキャーキャー言わせしめたギャップ萌えの象徴です。一人称は私で、二人称はお前またはそなた、目上の方には貴殿です。その清楚な成りで貴方みたいなヤンキー口調が飛び出して来たら、他の弟子たちにまた頭の心配されてしまいますからね」

「はーいはいわかってるよ、さすがに原作ファンなんだから知ってる。皆の前では上手くやるから」

「癖を付ける為に今からやれっつってんですよ!」

 もう我慢ならんと高雨桐ガオユートンがこめかみに青筋を浮かび上がらせながら半ば怒鳴るように言い聞かせても、余楽清ユイルゥチンはどこ吹く風といった感じで呑気な態度のままだ。

 下品にも耳の穴に指を突っ込みながらホジホジ、挙げ句の果てにピッとどこかへ耳垢を弾き飛ばす余楽清ユイルゥチンの姿を見ながら、高雨桐ガオユートンは深い深いため息を吐く他なかった。

 現実世界で世の女性ファンを洛星宇ルオシンユーと共にキャーキャー言わせしめた容姿端麗の主人公のこんな下品な姿なぞ、いったい誰が見たいと言うのだ。

 コイツ、小学生のガキかよと思わず呟きそうになるのをどうにかして堪えるしかない。

「んで、俺は何すりゃいーんだ?」

「だから口調って言ってるのに……まあとりあえず星宇シンユー様と洛林杏ルオリンシン黒化こくかから解かないと話にならないので、まずはそれからですね」

「おっしゃ!じゃあさっそく……あはぁぁぁんっ!」

「え、何急に。キモっ」

 急に断末魔のような雄叫びを上げ、包帯だらけの身体をこんにゃくゼリーのようにプルプルと震わせ出した余楽清ユイルゥチンに、さすがの高雨桐ガオユートンも口の端をヒクヒクさせながらドン引いた瞳で彼を見つめる他ない。

 真っ青な額に滴る無数の汗の筋や、尋常じゃなく何かを耐え忍びすぎてもはや梅干しのようにしわくちゃになる美青年(のはず)の顔に、思わず一歩後ずさってしまうのを止められなかった。

 対して件の人物である余楽清ユイルゥチンは、まるで陸に打ち上げられ瀕死になっている魚のように細かくピクピクと身体を震えさせ、蚊の鳴くような声で呟く。

「身体が痛すぎて動けねぇ……」

「あー、まあ最終回直後ですもんね。ほぼ死にかけの状態だったので、とりあえず怪我が治るまでは寝ててください。まぁ貴方仙人だし、死ぬ事はないでしょうけど」

「ちくしょー……転生したらチート無双状態になれんじゃねぇのかよぉ」

「日本アニメの観すぎです。とりあえず治癒能力を使える道士を呼んで来るので、それまでは大人しくしといてください」

 しくしくと痛む腕で顔を覆い隠した余楽清ユイルゥチンの身体を優しく布団に横たえさせた後、高雨桐ガオユートンは窓際に立って寝室の大きな窓を全開にした。

 外から入ってきた涼しい風が部屋の装飾を揺らめかせ、空に浮かび上がる黄金の太陽の光が開いた窓から侵入してくるその様を見やり、余楽清ユイルゥチンは『俺専属の白衣の天使ちゃんキボンヌ』と深い深いため息をつくのであった。




 時は少しばかり流れ行き、次の日の朝。

「あー、暇……」

 スマートフォンも、漫画も、テレビも、アニメもないこの世界に置いて何の娯楽も得られず、ただボケッと布団の上で寝ているだけの時間を、余楽清ユイルゥチンは苦痛に感じて仕方がなかった。

 おまけに身体はズキズキと激痛に見舞われ、指一本動かす事でさえ億劫な程に悲鳴を上げている。

 そんな満身創痍状態の余楽清ユイルゥチンに、突如として来客が訪れる。

「失礼致しますよ、楽清ルゥチン

「……入れ」

 人がこんなに苦しんでる所に来やがって、いったいどこのどいつだとは思わんでもなかったが、それは声には出さずにぐっと堪える。

 何とも言えない怒りを滲ませる余楽清ユイルゥチンの元に、ふと誰かの影がゆっくりと被さってきた。

「おや、お休みの所でしたか。これはすみません」

「……汀洲テイシュウか。何の用だ」

「つれないですねぇ。僕と貴方の仲だっていうのに」

 柔和で、余楽清ユイルゥチンよりも一回りほど年上のように見えるが整った顔立ちと長い黒の髪、全体的に水色っぽい道衣を身に纏ったその人物――李汀洲リーテイシュウは、飄々とした辛気臭いような笑みを浮かべながら余楽清ユイルゥチンの隣へとストンと座る。

「……用がないなら帰れ」

「あります~。貴方の治療をしてくれって高雨桐ガオユートンくんが直々に僕に頼み込んで来たので、こうやってわざわざここまで来てやったんです。全く、一応名の知れた仙人であるこの僕を呼びつけるなんて、貴方が腐れ縁の友でなければ引き受けてませんからね」

「……それは、どうも」

 李汀洲 リーテイシュウ――彼もまた、余楽清ユイルゥチンと同じく、仙人である。

 ただ、余楽清ユイルゥチン天清仙人てんしょうせんにんであるのとは少し違い、李汀洲 リーテイシュウは人間の頃に修仙を見事に習得し、主に治療術を得意とした仙人となった努力家の道士なのだ。

 言うならば、ゲームのパーティーにおけるヒーラー的役割を担う存在だ。

 種は違えども同じ仙人同士、二人は『修仙人妖伝』の作品内でも昔からの仲で所謂腐れ縁という設定であったと思う。

 ならば、李汀洲 リーテイシュウがわざわざ多忙な中でこちらへと来てくれる事の辻褄が合うだろう。

 李汀洲 リーテイシュウはさっそく、余楽清ユイルゥチンの身体に巻かれた包帯を雑な手でぺりぺりと剥がしながら、その傷の具合をじっくり調べ上げた。

 しかし――。

(……なんかコイツ、視線がスケベだな……実はそっち系?原作にはそんな設定なかったはずだけど……)

 その視線は、じとっと湿気っているかのような、それでいて僅かに舐め回すかのような淫靡な雰囲気を醸し出している印象を受けた。

 確かに余楽清ユイルゥチンの容姿は、主人公補正もかかっているからか女性と見まごう程に整った作りになっている。

 しかし、作中でもそのような関係性があるとは一切明記されていないはずなのに、この滑るような視線が意味するものとはいったい何なのだろうか。

 (……どうせならおっさんじゃなくて、白衣の天使ちゃんにドスケベな目で見られたかった……)

 今の余楽清ユイルゥチンにとっては見ず知らずの中年男性でしかない李汀洲 リーテイシュウに対し、密かに心の中でドン引くのを止められそうになかった。

 さらけ出された身体をじとっと見つめてくる、僅かに熱の籠った李汀洲 リーテイシュウの瞳に余楽清ユイルゥチンは少しばかりの居心地の悪さを感じるが、辛うじてそれを声に出すことをぐっと堪える。

 李汀洲 リーテイシュウは視線を傷だらけの白い身体に這わせながら、より深く傷ついていた内臓付近に軽く手を翳すと、すかさず神通力を込めてそこに流し込み始めた。

 ほわっと温泉のような温い暖かさが流れてきたその途端、傷ついた内臓付近の変色していた皮膚が元の滑らかな白い肌に戻っていくのが明らかに見てとれていく。

 それと同時に、ズキズキと痛んでいた腹の中が途端に楽になり、余楽清ユイルゥチンはほっと息をつく。

 治療をし終わった後、心なしかスルッと白肌をさりげなく撫でていく李汀洲 リーテイシュウの手にはとりあえず気づいていないふりをした。

 李汀洲 リーテイシュウはその後も骨折等の深く傷ついた所に手を翳しては神通力を込める作業を黙々と行っていたが、そのうちぴたっと手を止めてしまう。

 確かに、死ぬほど痛かった部分は緩和された。

 されたが、全体的には傷ついた部分の五分の一にも満たないくらいにしか治っていない。

 すなわち、まだまだ普通に痛い所だらけだ。

「ほら、今日の分の治療は終わりました。また明日以降も来ますので、くれぐれも暴れたりしないでくださいね」

「するわけねぇだろ!こんなちょびっとしか治療しねぇでいつになったら完治すんだよ!完治する頃には寿命が来ちまうだろうがっ!」

師尊シズン、仙人は不老不死なので寿命という概念はありません。それに一気に治療となると、莫大な量の神通力を使用せねばいけないので、汀洲テイシュウ殿の仙根せんこんが尽きてしまいます」

「うるせーこちとら原作厨だからそんな事くらいわかっとるわ!言葉のあやだってのちくしょー!」

 治療が終わった途端、布団の上でジタバタと子供のように暴れ出す余楽清ユイルゥチンを、高雨桐ガオユートンは心底冷めきった瞳で静かに見つめながらもどうどうとあやした。

 というか、まだ全然傷治ってないのにそんだけ暴れられるのならもう放っておいてもいいのでは?

 そんな呆れた気持ちを抱く高雨桐ガオユートンとは裏腹に、急に目の前で暴れだした道友の姿に呆気にとられたままの李汀洲 リーテイシュウは、驚愕のあまり半開いていた口を直す事もせずにか細い声で呟く。

「……貴方、本当に楽清ルゥチンですよね?え、洛星宇ルオシンユーとの戦いの後に何か変な物でも食べちゃいました……?」

汀洲テイシュウ殿、楽清ルゥチン師尊シズンは深い眠りから目覚めたばかりでまだ頭が混乱しているようなのです。そのうち冷静になると思いますので、お気になさらないでください」

 そんなちんけな理由で納得するものか。

 心の中では容赦なく突っ込みを入れる李汀洲 リーテイシュウだったが、もうこれ以上ここにいても自身が変なことに巻き込まれかねないとそそくさ帰宅する準備をし出した。

「あ、はい……え、と……じゃあ僕はこれで」

 一通り荷物を纏め、最後に余楽清ユイルゥチンのために調合してきたという仙薬の入った巾着をどさっとテーブルの上に置く。

「いいですか?処方した仙薬は絶対飲み忘れのないようにお願いいたしますよ!いくら不老不死といえど、病気や怪我の化膿は侮れませんからね!」

「わかったから早く行け」

 しっしっと有象無象を追い払うかのように余楽清ユイルゥチンが手をふりふりとすれば、李汀洲 リーテイシュウは訝しげな表情を浮かべながらも今度は大人しく退室した。

 なぜかその波に乗って高雨桐ガオユートンまでもが退室したのはいささか疑問が残るが(おそらく余楽清ユイルゥチンの相手をするのが面倒くさくなったため)。

 自身以外いなくなり、部屋の中に沈黙が訪れる中で余楽清ユイルゥチンは一人ふと物思いに耽る。

「……にしても、マージでイケメンだよなぁ…てかこの小説の登場人物全員、美男美女しかいねぇ…世の中顔かよ結局」

 ふと、枕元に置いてあった、顔と同じサイズ感の銅鏡を手に取り、余楽清ユイルゥチンは鏡を覗き込みながら小さく呟いた。

 少し面長のバランスのいい輪郭は、二十歳そこらの若々しくも色気のある雰囲気を醸し出している。

 長く艶やかな栗色の髪には、所々に星空のような輝く青色の髪がメッシュのように交じっており、それが天清仙人である証のように浮世離れした幻想的な美しさを作り上げていた。

 まろい頬の上には、深海のように深く青い瞳が二つ鎮座している。

 その瞳を縁取る長い絹のような睫毛は、瞬きをするたびにパサパサと鳥の羽ばたきのように微かな音を奏でる。

 スッと筋の通った鼻筋、細く整えられた眉、薄めだが、桃色に色づく唇が扇情的な雰囲気を作り上げている。

 極め付きは、その珠のような滑らかで美しい、吸い付くような弾力の白い肌だ。

 おまけに身体付きは、背こそ中国人男性の平均身長とほぼ同じかそれよりほんの少しだけ小さいくらいで、後はスラッとした均等のとれた筋肉の付く細身の肉付き。

 モデルかと見まごう程に長い手足。喉仏のあまり目立たない細く白い首筋。

 キュッと引き締まった小さな臀部の上に鎮座する、両手で包み込めてしまえるくらいに細いくびれの仕上がった艶やかな腰付き。

 一通り観察した後、よくここまで完璧な中性的美青年を造り上げたもんだと感心する。

 それに、今はまだ直接会ってはいないが、ルオ兄妹も作中では絶世の美男美女兄妹としてファンは数知れずといった具合だ。

 更には、凛々しい漢前な顔立ちの高雨桐ガオユートンや大人の魅力溢れる李汀洲 リーテイシュウなど、自分以外の登場人物、果ては最初に出会った己の弟子たちまで皆イケメン揃いだった。

 なんだここは。かの有名なイ○メンパラ○イスというやつか。

 余楽清ユイルゥチンの生前――呉浩然ウーハオランの時のビジュアルは、まあ『そこそこ整ってる』だの『よく見れば可愛い系』だのと言われてきた。

 だからこそ、『そこそこ』であった自身が今こうして圧倒的顔面偏差値の高い所にぶちこまれた事により、余楽清ユイルゥチンのわずかばかり残っていたはずの自尊心は脆くも崩れ去りそうになるのであった。




 

師尊シズン、身体の具合はいかがですか?」

「おー!もう元気ハツラツよ!これだったら妖王の一匹や二匹余裕余裕!」

「それは良かった。星宇シンユー様を甘く見たら私が貴方をはっ倒しますよ」

「お前の情緒がわかんねぇって……」

 あれから一週間程かけて李汀洲 リーテイシュウが治癒の神通力を施してくれたり、舌が痺れる程に苦い仙薬を服用していたおかげで、余楽清ユイルゥチンの身体はもうすっかりと完治していた(李汀洲 リーテイシュウは相変わらずスケベな目で見てきていたが)。

 相変わらずの高雨桐ガオユートンの若干冷たいような態度が気にならないわけではないが、それよりも今は洛星宇ルオシンユー洛林杏ルオリンシンを黒化から解かねば話にならない。

 そうと決まれば、余楽清ユイルゥチンの決断は早いものであった。

「んじゃさっそく洛星宇ルオシンユー林杏リンシンちゃんの所に行くかー。何かあったらヤバいから、他の弟子たちも呼んで来い」

「それに関しては手筈は整ってますのでご安心を。念のため、他の道士たちにも万が一に備えて今回の事はお伝えしてあります」

「……お前、そのコミュ力あれば普通に余楽清ユイルゥチンとしてやってけただろ」

「甘いですね、主人公としてのプレッシャーがないからこそ脇役としては力を発揮できるものなんです」

 主人公だとコミュ障を発揮する癖して、脇役となると途端に内に潜んでいた陽キャの部分がひょっこりするこの一番弟子に、若干呆れた気持ちになってしまうのは否めないだろう。

 しかし、未だ冷静沈着な主人公になりきれない自分とは違い、何だかんだこの世界のキャラクターとして馴染んできてしまってる高雨桐ガオユートンを見やりつつ、余楽清ユイルゥチンははぁっと深いため息を吐く他なかったのだった。






 

師尊シズン!全快されたようで本当に良かったです!我ら弟子たちはもう心配で心配で……」

「ああ師尊シズン!その麗しい姿をまたお目にかかれるなんて私は何て幸せ者なのでしょうか!」

 弟子たちが集まっているという、仙城の広々とした中庭に余楽清ユイルゥチンがやってくると、途端に弟子たちは待ちわびていたとばかりにわぁっと歓声をあげた。

 中には涙を溢れさせておいおいと顔を覆いながら号泣する者までいる。

 それほどまでに、余楽清ユイルゥチンの弟子たちからの人望は厚い物であった。

(すっげーな余楽清ユイルゥチン…さすがクールイケメン主人公は格が違う) 

 そしてあれだけ重症であった両足肋骨その他もろもろの骨折や破裂しかかってた内臓でさえ、三界一の治癒の仙人と吟われる李汀洲 リーテイシュウの手にかかれば傷痕ひとつない綺麗な身体へと戻ってしまった事に、余楽清ユイルゥチンは今さらながらに『グッジョブ変態おっさん』と心の中で親指を立てる。

 わいわいと我らが師匠の快気を祝う中、余楽清ユイルゥチンはこのざわめきを一掃するかのようにこほんと大きく咳払いをする。

 その途端、あれだけ騒がしかった場が嘘のようにしんと静まりかえった事に、余楽清ユイルゥチンは一人心の中でニヤニヤと不気味な笑みを浮かべた。

 気分は『皆さんが静かになるまで三分かかりました』と全校生徒に告げる生活指導の先生のようで、なかなかのものだ。

「あー……お前たちも、健在のようで何よりだ。心配をかけたな、すまなかった」

「いえそんな!師尊シズンがご無事であるならば!」

 素をなるべく出さないように余楽清ユイルゥチンが厳粛とした声色でそう呟けば、一人の若者がはつらつとした声でそう返答した。

 うむ、と得意気に余楽清ユイルゥチンが頷いた所で、また別の若者が恐る恐るといった具合に片手を上げる。

「ところで師尊シズン……せっかく黒化して鎮める事のできた洛星宇ルオシンユーを解放するというのは本当なのでしょうか?」

「……本当だが、何か問題でも?」

「あ、いえ……ただ、アイツは我らと共闘関係を結びながらも、結局はこの三界を滅ぼそうとした極悪非道な罪人です。何故、今になって助けるような真似を……」

 若者の言葉を静かに聞いていた余楽清ユイルゥチンが、鋭い光を青い瞳に宿しながら発言主である若者に視線を寄越せば、途端に彼はビクッと蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。

 そんな若者を一瞥した後、余楽清ユイルゥチンは厳しい視線をそのままに他の弟子たちにをぐるりと見渡すと、威厳のある声色をその場に響き渡らせる。

「……お前たちも見て来ただろう?洛星宇ルオシンユーは、大切な妹とただ精一杯生きて来ただけ。半仙半妖というだけで蔑まれ、実の母は殺され、挙げ句の果てに実父や親友を自らの手で殺さねばならなくなり、その身を永遠に封じ込められてしまったなぞ、あまりにも酷い結末だとは思わぬか?」

 そう。原作内で闇落ちし、三界を滅ぼそうとしてしまった洛星宇ルオシンユーは、この世界の民からも現実世界からも悪役として見られてしまっている。

 しかし元を辿れば、彼がそうせざるを得ない状況に追い込んでしまった原因は、まぎれもなく彼が生きてきた環境や周りの醜悪な人物、彼に理解を示そうともしてやらなかった我々なのではないか。

 余楽清ユイルゥチンの推しはあくまでも洛林杏ルオリンシンではあるが、原作を読み込んでいる中で、壮絶なる時を生きてきた洛星宇ルオシンユーに感情移入していたのもまた事実だ。

「彼は凄惨なる運命に翻弄された被害者だ。もう罰は充分に受けたはず。今度は我らが救済の手を差し伸べる番だ」

 余楽清ユイルゥチンがそう告げるや否や、先ほどまで静まり返っていた庭は、途端にわぁっとざわめき出した歓声のせいで賑やかさを取り戻していった。

「なんて寛大なお言葉だ……!さすがは我らが楽清ルゥチン師尊シズンだ!」

「容姿も内面も考え方も全てが尊く美しい……!まさにこの方こそが天清仙人てんしょうせんにんなるお方!」

 弟子たち同士で呟く声を、こっそりと耳を澄ませて聞いていた余楽清ユイルゥチンは、隣で控えていた高雨桐ガオユートンの耳にそっと語りかける。

「くぅ~!我ながらめちゃくちゃカッケーこと言っちゃった……!どうだった?どうだったよ?」

「さすがです、師尊シズン。やはり陽キャは決める時はばっちり決めますね」

「だろぉ~?」

 こんなくだらない会話が、弟子たちの憧れの存在である師尊シズン師兄シケイの間で繰り広げられているなぞ知られるわけにはいかない。

 こそこそと互いにしか聞こえないくらいの声量で茶番的なやりとりをする二人を、若者たちは俄然キラキラとした純粋な瞳で見つめ続けるのであった。






 師匠と弟子たちの茶番劇が終わった後、余楽清ユイルゥチン一向はとある峡谷へと訪れた。

 青々と茂る木々に囲まれたその峡谷の中心には、芯まで透き通り太陽の光を反射させキラキラと輝きを帯びる川の水が幻想的な景色を作り上げている。

 余楽清ユイルゥチンの所有する仙城に程近い山の中にあるその峡谷は、深く入り組んだ獣道を辿っていかないと着かない所にあり、修仙の鍛練で身体を鍛えているはずの弟子たちでさえ滅多に訪れる事のない場所だ。

 なので、天清仙人であり無限の戦闘力を携えている余楽清ユイルゥチンのペースに合わせて着いてきた弟子たちは、今現在体力を極限まで削られて死にかけの妖怪のような有り様になっている。

「……お前たち、何だその体たらくは。そんな有り様では仙人への道は俄然険しい物になるぞ。もっと修行に励み、体力をつけなさい」

「……ぎょ、御意……」

 死人のようにバタバタと倒れていく弟子たちの哀れな姿を見やりながら、余楽清ユイルゥチンは唯一己にまともに着いて来られた高雨桐ガオユートンと共に目的の場所へと歩みを進める。

 人の手がほとんど加えられておらず、なおかつ人が滅多に立ち入る事のないこの峡谷の川のど真ん中に、『それ』は静かに鎮座していた。

「……これが黒化されたルオ兄妹か……綺麗な黒曜石だなぁ」

「現実世界で売ったら相当価値付きそうじゃないですか?」

「わかる、ちょっと削って持ち帰っちゃダメかな」

星宇シンユー様の御神体を少しでも傷つけたら承知しませんよ」

「お前本当に情緒の波おかしくねぇ……?」

 二人の目の前には、人の背丈の倍はありそうな高さのある巨大な黒曜石の塊が、その存在感をありありと主張している。

 そう、まぎれもなくこれは黒化された洛星宇ルオシンユー洛林杏ルオリンシンそのものだ。

 原作通りであれば、主人公の余楽清ユイルゥチンは二人をこの黒曜石の塊に魂ごと封じ込め、傷つけられたりしないよう、万が一に備えてこの人目の付きにくい所に保管していたのだ。

 そして、余楽清ユイルゥチン自身が解かない限りは二人は永遠にこの中で眠り続けなければいけない状況に置かれている。

 不老不死であるルオ兄妹を鎮めるためにはこれしか方法がなかったとはいえ、不幸な人生を歩んできた二人の成れの果てを思うと心が痛む思いでいっぱいになる。

 憐れみと同情の気持ちを込めながら、余楽清ユイルゥチンは優しい手付きで巨大な黒曜石を撫でるが、ふと何かを考える素振りを見せながら高雨桐ガオユートンをくるっと振り返った。

「……んで、これどうやって解けばいいん?」

「……さぁ?貴方天清仙人なんだし、黒化した張本人なんだからご自分で何とかしてくださいよ」

「おいテメェこの役立たず!ちっとは手貸せや!」

 原作ファンと言えど、神通力の使い方なぞ普通の人間であった余楽清ユイルゥチン(元呉浩然ウーハオラン)がわかるわけがない。

 藁にも縋る思いで隣にいた高雨桐ガオユートンに投げ掛けてみるも、彼自身ももちろん元は普通の人間であったためにわかるわけがなかった。

 この世界に同級生を巻き込んだ張本人である責任を少しも感じさせない飄々としたその態度に、余楽清ユイルゥチンのこめかみに青筋が浮かび上がる。

 どこ吹く風といったように知らん顔で視線を反らす高雨桐ガオユートンに怒りが沸々と募っていく思いでいっぱいだったが、そこは天下の天清仙人である事を自覚し必死に抑えた。

 再び黒曜石に視線を寄越しながら余楽清ユイルゥチンはしばらく考え込むが、ふと何かを思い付いたかのようにポツリと呟く。

「……こういう封印系って、なんかこううまーく手に力を込めながら『解!』とかって唱えればだいたい解けたような……」

「それこそアニメの観すぎですね、原作であんだけ苦労した黒化がそう簡単に解けるとは……」

「解!」

「話を聞きなさいよアンタ!」

 やれやれと呆れた手振りをしていた高雨桐ガオユートンを横目に、余楽清ユイルゥチンは適当にアニメの真似事をしてみた。

 そう。あくまでも『真似事』に過ぎなかったはずであった。

 黒曜石に添えていた手に力を込める素振りをしながら、何となく『解!』と唱えただけだったのに、途端に目の前の黒曜石にピキピキと亀裂が入り出す。

 驚く間もなくあっという間に上から下までびっしりとヒビを行き渡らせた黒曜石は、その瞬間凄まじい音を立てながら粉々に砕かれ散ってしまった。

「うっそマジかよできちゃったよ!」

「ちょ、危ないって!」

 大きな黒曜石が砕かれた事により、鋭い破片が四方八方に飛び散っていく。

 破片の散乱で嵐のような突風までもが発生し、身体が吹き飛びそうになった。

 突風に耐えつつ間一髪で破片を避けながら、余楽清ユイルゥチン高雨桐ガオユートンは目の前で繰り広げられる光景を信じられないとでも言うかのように目を見開く他ない。

 粉々になり、煙を巻き上げる無惨な姿の黒曜石の中心から、何やら背の高い人のような影がゆらりゆらりと身体を揺らめかせているのが微かに見て取れる。

 一歩、また一歩と、その『人影』が余楽清ユイルゥチンたちの方へと歩みを進めた。

 そしてある程度の所で歩みを止めたかと思えば、今度は峡谷の合間を縫って吹き付けてくる自然の突風に煽られ、黒曜石の周りを覆っていた煙がサァッと風に流されていく。

 煙が全てなくなり、件の人物がその姿を完全に現すと、途端に渓谷中に弟子たちによる驚愕と恐怖の悲鳴が轟き出した。

「うわあああ!洛星宇ルオシンユーだあああ!」

 ゆらり。ゆらり。

 ゆらゆらと身体を左右にゆっくりと揺すりながら、件の人物――洛星宇ルオシンユーが、こちらへ歩みを進めるのをただ黙って見つめる他ない。

 二メートル近い高さの背丈に、程よく筋肉の付いた、しかし全体的にガッチリとした身体はそれだけで厳かな雰囲気を纏っている。

 面長のシュッとした輪郭に、切れ長の黄金に輝く瞳。目の縁を囲うように、艶やかな朱の刺青が差し色として入っている所が妖艶さを引き立たせている。

 高い筋の通った鼻や薄い唇は、男らしくもどこか艶やかな印象を抱かせた。

 長いぬばたまの髪の毛は少し癖があり、頭の高い位置でひとつに結んである。その漆黒の髪には、所々金色に光る髪の毛がメッシュのように入り組んで生えており、まるで余楽清ユイルゥチンと対比させたかのような出で立ちとなっている。

 『修仙人妖伝』の悪役は、見る者を惹き付けて放さない、御伽話の王子のような美貌の青年であった。

 そして洛星宇ルオシンユーがその逞しい腕で横抱きにしている人物は、間違いなく洛星宇ルオシンユーの実の妹である洛林杏ルオリンシンだ。

 洛林杏ルオリンシンもまた、兄とよく似た顔立ちでありながらも非常に可憐な容貌であった。

 兄と同じように黒色に金色の混じった長い髪の毛を艶やかにたなびかせながらも、黒化によって仙根と妖根が尽きかけている影響からか、その黄金の瞳は閉じられ、今は洛星宇ルオシンユーの腕の中で眠っている様子だ。

 黒化から解放され件のルオ兄妹が蘇った事により、今まで死体のようにその辺に転がっていた弟子たちは洛星宇ルオシンユーのそのあまりの迫力に圧倒され、先ほどまでの騒がしい様子から一変し、言葉をなくしてその様子を見つめる。

 妹を抱える腕の優しさとは相反して、洛星宇ルオシンユーはその類いまれな美貌に圧倒的なまでの冷酷さと怒りを滲ませていた。

 凍てつく黄金の瞳は、まるでこの世の全ての生き物を駆逐せんばかりに射殺すような憎しみを携えながら、目の前に立つ余楽清ユイルゥチンを真っ直ぐに見つめている。

 一方、突如として現れたルオ兄妹を目の当たりにした余楽清ユイルゥチン高雨桐ガオユートンはと言うと――。

林杏リンシンちゃんクッッッソ激かわ!」

星宇シンユー様あまりにもビジュが強い!」

 推しを間近で見ることのできた嬉しさからか、両手で顔を覆いながらその場で蹲り、あまりの尊さを噛み締め消化するために叫び散らかす他なかった。

 小説の挿し絵や実写映画で幾度となく見てきたはずの推しのビジュアルだが、実際の代物というのは所詮作り物でしかないそれらとは比べ物にならないくらいに輝いて見える。

 創作物でしかなかった推しが、息をして動いているというその事実だけで饅頭十個は腹に入りそうだ。

 ありがとう作者様、ありがとう呪術師のおばあちゃん。

 緊迫感漂うこの状況を置いてきぼりにしながら、二人は今にも射殺さんとこちらを睨み付けてくる洛星宇ルオシンユーのその様子には微塵も気づく事なく、尊さが爆発しすぎて遂にはおいおいと涙を流し始める始末であった。

 だってしょうがないじゃないか。推しのビジュアルがあまりにも良すぎるのが悪いのだから。

 身体をぶるぶると震わせながら、壊れたロボットのように『ありがとうございますありがとうございます』と呟き続ける余楽清ユイルゥチン高雨桐ガオユートンを目の前にしながら、洛星宇ルオシンユーは今まで噤んでいた唇をうっすらと開き出し、低く艶のある声で呟き始めた。

「……かの者が、我らが宿敵、余楽清ユイルゥチン……」

「ん?鴨の肉が、柔らかステーキ、美味ルンルン?お前鴨好きなん?食わしてやりてーけどここにそんなモンあるかな?」

師尊シズン、アンタ耳どうなってんですか!」

 推しを前に思考回路がイカれた余楽清ユイルゥチンがわけのわからない聞き間違いでうーんと唸り出した事に、同じく尊さで涙を流していた高雨桐ガオユートンがすかさず突っ込んだ。

 何がどうしたらそんな聞き間違いができるのか。さすがの自分でもそれはないと思ったと高雨桐ガオユートンが先ほどとは違う意味で頭を抱え出した事に、余楽清ユイルゥチンは気づく事なくキョトンとした顔を崩さない。

 しかし、二人の間に流れるその茶番のような空気感は、突如として洛星宇ルオシンユーの怒りが滲んだ声色によって打ち砕かれる事となる。 

「……貴様、どういうつもりだ」

「……え?どういうって……」

「とぼけるな!貴様、一度は俺と妹を黒化しておいて、再び解放するとは……俺たちを馬鹿にするのも大概にしろ!」

「えぇ……本当に馬鹿になんかしてないって……うわぉぉぉっ!?」

 腕に抱えていた眠る洛林杏ルオリンシンを静かに太い木の根元付近に下ろしつつ、洛星宇ルオシンユーが殺意を滲ませた声色を発したその瞬間。

 推しに悶えて油断していた余楽清ユイルゥチンの身体が遥か後方にふっ飛んだ。

 いや。正確には、妖王としての圧倒的な身体能力を携えている洛星宇ルオシンユーが、目にも追えぬスピードで余楽清ユイルゥチンの腹に拳を打ち込んだのだ。

 ぽかんと呆気にとられる高雨桐ガオユートンや弟子たちの横を、凄まじいスピードで飛ばされる余楽清ユイルゥチンのその様は、まるで赤子に振り回されるぬいぐるみのようにされるがままである。

 何が起きたのかもわからないまま、余楽清ユイルゥチンの身体は近くにそびえ立っていた大木に激しく背を打ち付けられた事によりようやく制止した。

 その代償に、完治していた筈の腹と背中に大ダメージを食らい、衝撃に耐えきれなかった反動で激しく咳き込むのを止められなかった。

「ゲホッゴホッ!ってーな!こちとら病み上がりなんだからやめろよアホが!お前を助ける為に解放してやったのに何で攻撃してくるんだよ!?」

「黙れ!仙人も妖怪も人間も、もう何も信じない!俺には妹の林杏リンシンだけだ!」

 痛みで震える己に再び殴りがかってきた洛星宇ルオシンユーの攻撃を何とかいなしながら、余楽清ユイルゥチンは彼の発した人物の名前にぴくんと耳を動かした。

 (ハッ!そういえば林杏リンシンちゃんは……!)

 そう。余楽清ユイルゥチンの最推しである、洛林杏ルオリンシンは無事か。

 先ほどは彼女の凄まじい可憐な容姿にばかり釘付けになっていたが、安否は未だ確認できていない。

 洛星宇ルオシンユーと同じく半仙半妖であるが故に不老不死の彼女が死んでいるというような事はないだろう。

 現に先ほども、仙根と妖根の尽きかけで眠っているだけに見えたが、不老不死というのは何も病気や怪我をしないというわけではないのだ。油断は禁物である。それは余楽清ユイルゥチン自身が身を持って知っている。

 洛星宇ルオシンユーの繰り出して来る拳や蹴りを間一髪で避けながら、余楽清ユイルゥチン洛林杏ルオリンシンの無事を知るために辺りを見渡すと――。

「テメェどさくさに紛れて林杏リンシンちゃんにセクハラしてんじゃねぇぞコラ!」

「セクハラじゃありません。介抱です。それより師尊シズン、マジで集中しないと身体みじん切りにされますよ」

「ふざけんなテメェぇぇ!」

 何と。この戦闘のどさくさに紛れて高雨桐ガオユートンが、大木の元で眠っている洛林杏ルオリンシンを守るように腕の中に抱えているではないか。

 ヒロインらしく、露出の多めなコスチュームを見に纏っている洛林杏ルオリンシンの柔らかい白肌が、高雨桐ガオユートンの健康的な小麦色の手によって包み込まれているその現状に、余楽清ユイルゥチンは心の中で密かに決意した。

 あのクソ陰キャ野郎。後でしばくと。

 一方、天清仙人と妖王の激しい戦闘を目の当たりにしながら、弟子たちはひそひそと言葉を交わしていた。

師尊シズン……やはりかの戦闘からかなり性格がお変わりになられた……よな?」

「気のせいじゃなさそうだ……」

「心なしか師兄シケイ師尊シズンに厳しいような……お二人の間にいったい何が……」

「それにしても、やはり天清仙人と妖王の戦いは凄まじい……あの中に入ったら私たちなぞ簡単に捻り潰されるだろうな」

「おお、お労しや師尊シズン……」

 憧れの師匠を想い、しくしくと泣く若者たちとは裏腹に、余楽清ユイルゥチンはこの状況をどうやって打破すればいいのか脳ミソをフル回転させながら考えていた。

 妹と同じように、黒化の影響で仙根と妖根が尽きかけており肉弾戦でしか攻撃する事のできない洛星宇ルオシンユーではあったが、その戦闘力は未だ衰える事なく、凄まじい力で攻撃を繰り出してくる。

 それをこれまた天清仙人持ち前の戦闘力によって必死に躱していた余楽清ユイルゥチンだが、さすがに先ほど殴られた跡の痛みが残っているため、何とか洛星宇ルオシンユーと冷静に話す事ができないか交渉しにかかってみる事にした。

「待て待て待て!いったん話し合おうってば!こんないたちごっこ的に戦ったってキリないだろって!」

「黙れ!いたちだかタヌキだかモグラだか知らないが、たかが仙人ごときが俺に指図するなっ!」

「ノリ良いんだか悪いんだかわかんねぇ奴だな!?」

 先ほどの余楽清ユイルゥチンのようによくわからない事を言う洛星宇ルオシンユーは、実は案外親しみやすい奴なのでは?

 一瞬そう考えた余楽清ユイルゥチンだったが、洛星宇ルオシンユーの表情を見ればそれが真剣に発した言葉だというのをすぐさま察する。

 どう見ても、普通に殺意びんびんな顔をしているから。

 そうこうしている間にも、二人の攻防戦が終わりそうな気配はいっさい訪れない。

 本気で殴りかかって来る者と、本気で防御に徹する者の実力差がほとんどないからだ。

 (クッソ……!この感じだと戦闘力は五分五分ってとこか…あーもうマジでこのまんま戦い続けたら三界がヤバい事になるって!)

 これではキリがないという考えに至った余楽清ユイルゥチンは、頭の中に一つのある考えを導き出した。

「こうなったら……!」

 渾身の力を込めて拳で顔付近を殴りかかってきた洛星宇ルオシンユーの腕を両手で掴み、動きを止める。

 今まで攻撃を流す事しかしてこなかったはずの余楽清ユイルゥチンが、突如として明確に動きを止めてきた事に、洛星宇ルオシンユーは驚愕で一瞬身体を硬直させた。

 それを、余楽清ユイルゥチンは見逃さなかった。

 固まる洛星宇ルオシンユーの頬を両手で包み込むと、そのまま自身の顔を近づけていく。

 何事かと見開かれていく黄金の瞳を見つめながら、余楽清ユイルゥチン洛星宇ルオシンユーの薄い艶やかな唇に自身の唇をそっと乗せた。

「んっ……」

「んぐっ!?」

 洛星宇ルオシンユーの暴走を止めるために、余楽清ユイルゥチンが考えた作戦。

 それは、『洛星宇ルオシンユーに口づけし、油断させる事』だったのだ。

 突然の事に、洛星宇ルオシンユーはもちろんの事高雨桐ガオユートンや弟子たちまでもがその光景に目が釘付けになった。

 そのあまりの驚き様に、まるで時が止まってしまったかのような沈黙が流れ行く。

 そんな驚愕の展開からいち早く目を覚ました弟子たちは、未だ整理のできないこの状況に対して声を震わせる他なかった。

「し、師尊シズン洛寒星宇ルオシンユーがっ……!く、口づけを!」

「何と……何と破廉恥な!我らが師尊シズンのいたいけな唇を奪うなんて!」

「いやどう見てもあれ師尊シズンから仕掛けてるだろ」

 弟子たちの次に目を覚ました高雨桐ガオユートンが冷静にそう呟くが、彼らは依然としてちらの声を遮断しているようだ。

 驚きすぎて逆に冷静になった高雨桐ガオユートンがふと件の人物二人に目を向ければ、未だ固まっている洛星宇ルオシンユーに対して余楽清ユイルゥチンが何かをしようとしていた。

 余楽清ユイルゥチン洛星宇ルオシンユーの顔に添えていた片方の手を外すと、すかさず彼の腹の辺りに掌を推し当てる。

 そしてそのまま、ほぼ小説の受け売りと真似事を試すかのように、ぐっと手に力を込めて神通力を腹の中に流し込んだ。

「スキありっ!」

「っ!?」

 余楽清ユイルゥチンからのキスで完全に油断していた洛星宇ルオシンユーは、突如として身体の中に流れ込んできた異物の衝撃に耐えきれず、そのまま意識を失った。

 重力に従い倒れそうになった洛星宇ルオシンユーを慌てて支えてやりながら、余楽清ユイルゥチンははぁっと深いため息を溢す。

「へへっ……さすがの妖王様でもこれは利くだろ……!」

 余楽清ユイルゥチンの腕の中でぷらんと力なく抱えられる洛星宇ルオシンユーを横目で見やりながら、高雨桐ガオユートン洛林杏ルオリンシンを他の弟子に預け、素早く主の元へと駆けつけた。 

「はぁ~……死ぬかと思った……また身体いてーしよぉ……黒化から解放された直後でコイツの仙根と妖根が尽きかけてたのが幸いしたな」

「お疲れ様です、師尊シズン。とりあえず沈静化はできたようで何より」

「おー……にしてもこれからどうすっかなぁ。起きたらまた暴れるだろうし……」

 腕の中でぐったりと気絶する妖王の姿を見ながら、余楽清ユイルゥチンはこれからの事を考え頭が痛むのを止められない。

 洛星宇ルオシンユーを幸せにしなければいけないが、先ほどまでの自身の嫌われッぷりの凄まじさを目の当たりにしてしまった後で、果たしてそんな都合よく話が進むとは到底思えない。

「……マジでこんなんで本当にコイツの事ハッピーエンドにできんのか……?」

 余楽清ユイルゥチンのその不安が携わった小さな声色は、三界中の誰の耳にも伝わる事はなかったのであった。

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