第19話 真・『シンデレラの秘密』の台本

 稽古場の前で野村さんと別れて、私たち三人は帰路についた。


「なんだか、すごいことが起こったなあ……」


「そうね……」


 葛城くんと杉山さんが、まだ現世にチャンネルが合っていないのか、夢見心地の様子で、ふわふわと歩いている。い、いかん……なんか放っておくと迷子になりそうだから、私がしっかりしないと……。

 葛城くんが続ける。


「なんか、やな演出家でしたね。ああいうの、業界に本当にいるんですか?」


「うーん……どうだろう……。私も学生演劇しかやったことがないから、よくわかんないかな」


 ははは、と杉山さんが笑う。


「でも、今の時代はともかく、昔はあってもおかしくはないかな? ほら、むっちゃ厳しくておっかない昭和の映画監督とかたまにテレビでやるじゃない?」


「ああ……野球選手にもいますね。なんかヤクザみたいなやつ」


「昭和だねー」


「昭和ですねー」


「「令和の世で本当に良かった良かった」」


 なんだか、妙にしみじみしている。

 しかし、昭和ってどんなにアウトローなんだろうね? 噂を聞くたびに震えるんだけど。みんなモヒカン釘バットを持って生きていた時代かな?

 とりあえず、私の『追憶』は二人の中でも心霊現象に片がついているようだ。

 そんなんで誤魔化せるのなら、この空間投射は連発しても隠せそうか?

 いやいや……毎度そんな都合よく行かないから、やっぱり使うときは慎重に行こう。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 家に帰るなり、私たちは水谷多江さんに連絡を取った。

 水谷さんは、突然の連絡に驚きながらも、杉山さんが初子さんの孫であり、『シンデレラの秘密』のオリジナル脚本を探していることを伝えると、大喜びのようだった。

 翌日、家を訪れると、笑顔の老婦人が出迎えてくれた。

 彼女は杉山さんを見るなり、「ああ、本当に初子さんの孫なんだねぇ」と嬉しそうに眉を下げてくれた。

 居間に上がると、1冊の古びた本を差し出してくれた。


「これが、私の書いた『シンデレラの秘密』の台本よ」


 まるで宝石箱に手をかけるように、杉山さんが慎重な手でページをめくっていく。私は横目で眺めただけだけど、公演で使おうとしていた作品とは似ても似つかない優しいストーリーラインなのはわかった。


「これだ……やっと見つけた。おばあちゃんから聞かされた話だ……」


 杉山さんが感極まった声を出す。本当に大切なもののように、まるでそこにおばあちゃんとの思い出が宿っているかのように、杉山さんが台本を手で撫でる。

 うう……また目がうるうるしちゃう……。涙もろいもので……。

 良かったね、杉山さん。

 多江さんが口を開いた。


「こういうこともあるのね……その台本、残しておいて良かったわ」


「え? 捨てるつもりだったんですか?」


 私の問いに、多江さんはほろ苦い表情を作った。


「夢と、夢の終わりを見せてくれた本だからね……」


 多江さんが力なく笑う。


「受賞したとき、本当に嬉しかった。賞を取ったからじゃないのよ。私の作品で、みんなともっと上のステージを目指せると思ったから。だけど、待っていたのは、そんな結末じゃなくて――私たちの青春の終わりだった」


「その辺については……なんとなく伺っていますので、知っています」


「そう、なら詳細は省こうかしら……思い出すのも辛いからね……」


 弱々しい笑顔の後、多江さんが続けた。


「だけど、あのとき、初子さんだけは私を見捨てなかった。それが良かったのか悪かったのか、今もわからない。もし初子さんが参加していれば、あの劇は成功していたかもしれないから。初子さんだけでも、次のステージには行けたかもしれないのに……」


 その未来を、潰してしまった。

 それほど、素晴らしい女優だったのだ。杉山さんのお婆ちゃんは。


「初子さんには、申し訳ない気持ちがある。守ってくれたことは、本当に嬉しいことだったけど」


「祖母は……恨んでいないと思います」


 多江さんの瞳をじっと眺めて、杉山さんが言う。


「そんな恨み言を聞いたことがありませんでしたから。後悔をする人物ではなかったです。あと――私に、いつも正直に生きるよう、言っていたので」


 正直ゆえに夢が破れたかもしれないのに、それを孫にも伝えようとしている。

 そこには清々しい心地よさしかなくて――

 なんて強くて素敵な女の人なんだ。


「正直に、か。初子さんらしいわね」


「あの、ところで――」


 そこで私が言葉を挟む。


「この脚本は賞を取ったから、脚本集に載ることになったんですよね?」


「そうよ」


「どうして、原本であるこの脚本ではなく、変更された後のものが載っていたんですか?」


「劇団で演じるものだから、実際に劇を使ったものを載せてもらうように話をしていたの。なので、私のではなく、演出家が大きく書き換えたものが載ることになったのよ」


「ここまで変わって、大丈夫なんですか? 協会の人、変に思わないのですか?」



「今だったら大騒ぎかもしれないけど、昔だから。色々とおおらかで適当な時代だったってことでしょう」


 50年も前だしなあ……。

 やっぱり『昭和』だなあ。昭和怖い。

「多江さんはそれで良かったんですか……?」


 脚本の作者として、多江さんの名前が載っているのに。自分が書いたものと違う作品が載って納得できるのだろうか? 私だったら、鬼抗議だな。うん。


「その頃は、色々と精も根も尽き果てていたから……」


 本当に寂しそうな表情だった。


「何かをする気力もなかったの。大好きだった劇団が壊れてしまったから。その発端になった、この脚本も恨めしく思ったの。こんなものを書かなければ良かったって。だから、何も言わなかった。それは、振り返りたくない過去だったの」


 ほっと息を吐く。


「だけど、捨てられなかった。捨てずに置いておいて良かったわ。初子さんのお孫さんにも会えたんだから。世の中、捨てたものじゃないわね」


 私たちは多江さんにお礼を言って、家を出た。

 別れ際、杉山さんが「公演日が近いから、この台本をすぐに使えるかどうかはわかりません。いずれにせよ、結果は連絡します。今回がダメでも、必ず私はいつかこの台本を劇にします。そのときは見に来てください」と約束すると、多江さんは目を細めて「じゃあ、長生きしなきゃね」と応じてくれた。


 ……台本は手に入った。

 あとは先に進むのみだ。



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