第18話 助けてよ、みんな

 劇団は、野村さんの話していた通り、大きな分岐点を迎えていた。在籍している脚本家が『シンデレラの秘密』という作品で脚本賞を受賞したからだ。

 自分たちの『劇団としての強さ』に自信を持っていた野村さんたちは、『シンデレラの秘密』の公演をステップアップと捉えた。


 ――これを大成功させて、必ずや成り上がってみせる!


 そんなわけで、さまざまなコネを使って、著名な演出家を呼ぶことにした。

 だけど、それが悲劇の始まりだった。


「なんだ、この軟弱な脚本は! ふわふわした幸せ!? そんなもので観客の気持ちを高揚させられるか!」


 演出家は脚本に怒り、その全ての改稿を宣言したのだ。

 そう、そのときの『シンデレラの秘密』の脚本は、お婆さんが杉山さんに話した通りの、『シンデレラと王子が手を取り合って、国民の幸せのために尽くす』物語だからだ。

 ……本当に存在したんだ。お婆さんが話していた物語は……。

 それが今、外部からやってきた人によって潰されようとしている。

 その横暴に反論した人物が2人いた。

 1人は脚本を書いた水谷多江さん。そして、もう1人は――初子さん。おとなしい性格の多江さんよりも、初子さんの語調は強かった。


「ダメです! 多江の書いた脚本じゃないと! もし、そんなことを押し通すのなら、私は劇を降ります!」


「なら降りるといい。悪いけど、君程度の女優はいくらでもいるんだよ。地方で有名になって図にのっちゃった? もっと美人で演技の上手い、僕の知り合いを代役に呼ぶから」


 ……ひどい。本当にひどい!

 もう泣きそうだった。初子さんの言っていることは何も間違っていない。正しいことを言っているのだ。書いたものが踏み躙られようとしている仲間を必死に守ろうとしたのだ。

 なのに、こんなこと!

 無茶苦茶じゃないかの? 苦しくて、息ができなくなりそうだった。

 初子さんがいなくなったまま劇の練習は進み――


「『シンデレラの秘密』の公演は大失敗――俺たちの快進撃はそこまでだった」


 野村さんの口から出た言葉は、まるでピリオドのようだった。かすれて、滲んで、完璧からほど遠い終極。


「あとはゆっくりと死に絶えていくだけだった。何をやってもうまくいかない、失った輝きは戻らない――客も団員も少しずつ離れていって、灯火は消えた」


 ため息とともに、野村さんが最後の言葉をこぼす。


「両翼を失ったんだ。飛べるわけもないよな……」


 その言葉は、何かを伝えようというよりは、自分への戒めのような響きだった。

 両翼――看板女優の初子さんと脚本家の多江さん。

 あのとき、この劇団は決して失ってはいけないものを捨ててしまったものだ。

 重い緞帳どんちょうのような沈黙が降りて――


「うっ……く……ううう……」


 私の涙声だけが響いた。ああ、いかん……涙もろくて我慢できなかった。だって、だって、初子さんたちの無念が――初子さんたちを見捨ててしまった団員たちの感情が胸に広がってくるんだもん……。


「ど、どうしたの、三森さん!?」


 杉山さんが慌てた様子で私に近づいてくる。

 ああ、だめだ……立っていられない。まるで土下座でもするかのように、私は床に体を折りたたむ。舞い上がった埃のせいで鼻がつんとして、涙がまた出てくる。


 ひどい、ひどいよ……。

 そんな悲しみに心の半分が沈むと同時、もう半分は怒りで燃え上がっていた。

 こんなの、黙っていられない!

 こんな横暴を、こっそりと大昔の出来事として葬られてたまるか! こんな悲しみは知られなくちゃいけない! この悔しさは知られなくちゃいけない!

 でも問題がある。どうやって『追憶』の力を隠して伝えるか?


 いつもの私ならそう考えるだろう、だけど――

 そんなものも関係ない。


 ブチぎれた! どうなろうと知ったこっちゃない! やったろうじゃないか!

 本当に、心の底から、私はブチぎれたのだ!

 未来のことなんて、知るか!

 今は過去が大事なんだ!

 全力全開! 『追憶』の力を解放する!

 いっけええええええええええええええ!


「気分は大丈夫、三森さん! 三森――……え、ええ、え?」


 私の背中をゆすっていた杉山さんの手が止まる。

 私は体を起こす。

 そして、見た。杉山さんたちが見ているものを。

 そこにはたくさんの劇団員たちが立っていた――そう、50年前の光景だ。私の『追憶』には、読み取った記憶を空間に再現する力もあるのだ。

 さあ、刮目してみなさい!

 50年前の真実を!

 劇団員たちに向かって、上等なスーツを着た男が叫んでいる。


 ――なんだ、この軟弱な脚本は! ふわふわした幸せ!? そんなもので観客の気持ちを高揚させられるか!


 そう、あの演出家だ。

 それから押し問答が始まり、懸命に初子さんが言い返している。


「あれは、お婆ちゃん……?」


 自分に似た人物を凝視して、杉山さんが声をわななかせる。

 そして、もう一人――


「そ、そんな……なぜ、どうして……これは……許してくれ……許してくれ……」


 野村さんが大きな体を震わせている。

 演出家が鼻で笑う。


 ――なら降りるといい。悪いけど、君程度の女優はいくらでもいるんだよ。


 そんな冷たい言葉を口にして。

 だけど、初子さんは怯まなかった。


 ――私だけで終わると思っているんですか!? こんな気持ちで、演技なんてできるはずがない! 劇団員をみんな入れ替えでもするつもりですか!? みんなも反対でしょ! ねぇ、みんな! 早く声を!


 初子さんは信じていた。

 皆の団結を。

 みんな、苦楽をともにしてきた仲間なのだ。いつものように、みんなで一致団結すれば、きっと状況を変えられる。

 だけど、


 ――み、みんな……?


 いつまで経っても、声は上がらなかった。己の罪悪感を誤魔化すように、目を逸らして、曖昧な表情を浮かべている。


 ――どうして、みんな……仲間じゃない……みんな……みんな……ねえ、お願い……助けてよ、助けて……みんな……助けて……。


 残響のように響く初子さんの声を残して、映像が消えた。

 野村さんが号泣しながら、震えていた。


「許してくれ、許してくれ……本当に悪かった……俺たちが間違えていた……仕方がなかったんだ……みんな、夢を見ていた。魔が刺してしまったんだ……有名な演出家が間違えるはずがない……成功して、この道で食っていけるようになりたい……だから、お前たちを見捨ててしまった……ああ、本当はお前たちが正しかったのに……守ってやれなくて、すまなかった……すまなかった……」


 老人の嗚咽が、彼らの青春の墓場に響き渡る。

 ……そういうことだったのか……。

 ずっと気になっていた。どうして、野村さんも光世さんも、こんなにガードが硬いのかと。

 彼らにとっては『罪』なのだ。

 己の浅ましさにより、己の夢と仲間を壊してしまった罪――

 全てを失った彼らは、この墓場にそれらを封印して日常へと帰った。『シンデレラの秘密』にまつわる話は、その罪を蘇らせることなのだ。

 だから、頑なに口をつぐんだ。

 ……どうやら野村さんはさっきの映像を、心霊現象的な何かと思い込んでいるらしい。なので、罪の意識にさいなまれて懺悔の言葉を口にした。

 よしよし、都合がいい。そんなわけで、乗っかることにしよう。


「許されたいのなら、行動で示すべきですよ」


「……行動……?」


「はい。せめて、本物の『シンデレラの秘密』の脚本を世に出してはいかがですか? それこそが本当の罪滅ぼしですでは?」


「そうか……確かに、そうだな……」


 少し気分を落ち着かせてから、野村さんが続ける。


「脚本を書いた水谷多江に聞けばいい。台本を持っているから。連絡先は――」


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