第15話 アンタッチャブルゾーン

 翌日、私たち3人は栗田光代さんの家を訪ねた。

 駅から少し離れた閑静な住宅街の一角にある、古いけれど手入れの行き届いた二階建ての家だ。玄関の周りには季節の花を植えたプランターが置いてある。


「ここだね」


 杉山さんが玄関のチャイムを押す。

 しばらくすると、70歳くらいの優しそうなお婆さんが出てきた。柔らかな目元が印象的だった。髪は少し白髪交じりだけど、きちんとまとめられている。彼女の温かい笑顔が私たちを迎え入れてくれた。


「いらっしゃい、どうぞ、上がって」


 案内されたリビングには、大きな窓から柔らかな日差しが差し込んでいて、部屋全体が明るく感じられた。


「お茶を淹れるわね。少し待ってて」


 栗田さんがキッチンに向かうと、私たちはソファに腰を下ろした。

 部屋の中には、様々な演劇のポスターや小道具が飾られている。大昔のものだから、デザインのレトロ感がすごい。昭和って感じだなあ……。そんな古いものを飾っているのだから、きっと劇団への愛情も深いのだろう。

 これは何か有益な情報が得られるんじゃないかな?

 期待が膨らむね!

 栗田さんが戻ってきた。私たちの視線に気づいて苦笑を浮かべる。


「なかなか捨てられなくてね。青春の輝きってやつね。ずっと演劇ばかりしていたから」


 そして、杉山さんに視線を向ける。


「あなたが、初子さんのお孫さん?」


「はい、杉山凛です」


「だと思った。初子さんに似ているから」


 まるで、自分の若い頃を思い出したかのように、光代さんが微笑を浮かべる。


「演劇をやっているのよね?」


「はい、中学校で部長をしています」


「あら素敵ね。そこも血は争えないわね。初子さんは本当に才能のある人でね……もし、今の時代に生まれていたら、テレビで活躍する女優さんになれていたかもしれないわね」


 栗田さんが昔を懐かしむように昔話を始めた。

 劇団を結成した頃の苦労や、初子さんがどれほど才能があったのか、仲間として輝いていたのか、誇りだったのか――

 それは言葉だけでじゃない。

 私の『追憶』が反応して、彼女のを記憶を垣間見たから。

 杉山さんに似た初子さんが、堂々とした姿で芝居をしているのが見える。その声は朗々としていて、観客たちを魅了していた。多くの仲間たちに囲まれて、多くの観客たちに愛された初子さんは、とても幸せそうだった。


「ぐすん」


 うっかり感動してしまった私の言葉にみんなが反応する。

 葛城くんが口を開いた。


「おいおい、どうしたんだ? 急に」


「ちょっと感動しちゃって……」


「私のお婆ちゃんの話を、そんなふうに感じてくれてありがとう」


 栗田さんがにっこりと微笑む。


「楽しい時代だったわよ。初子さん以外にも、みんな才能があったから。ひょっとしたら、プロになれるんじゃないか――そんなふうに夢も見ていた」


 そこで、杉山さんが本題を切り出した。


「あの……その劇団で『シンデレラの秘密』という劇を演じたと思うのですが」


「シンデレラの、秘密……」


 ……え?

 その瞬間だった。あっという間に、優しげだった栗田さんの顔が強張る。

 そして、覗けていた青春の記憶も、まるでドアをバタンと閉じるかのように消えてしまった。

 ……な、何が、あったの?


「『シンデレラの秘密』という劇について、色々知りたいのですが――」


 杉山さんの声もこわばっている。

 役者である彼女もまた、栗田さんの態度が硬化したことに気づいている。

 栗田さんは静かに息を吐き、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「『シンデレラの秘密』は――」


 彼女の言葉が途切れた瞬間、部屋の空気が重く感じられた。栗田さんの顔には、かすかな悲しみ――あるいは苦しみが浮かんでいた。

「……ごめんなさい、あまり覚えていないわ……」


 その言葉が嘘なのは明白だった。明らかな拒絶があったから。


「実は、当時の台本を探しているんです」


「脚本集に載っているから、それを見てもらえないかしら?」


「それではないんです。私たちは『シンデレラの秘密』の台本は2冊あると思っています。脚本集に載っているものとは違う――おそらくは、本物の台本です」


「――――」


 栗田さんの表情が強く狼狽している。その態度が、全てを雄弁に語っていた。

 つまり、2冊目の台本が、間違いなく存在する!?


「帰って。帰りなさい」


 今までとは違う、敵意に満ちた目だった。


「その件について話すことはないし、私は何も知らない。お婆さんの思い出話なら良かれと思って受けたけど、残念ね」


「……知っている人は、誰かいませんか?」


 栗田さんは口を開かず、首を振るだけだった。これ以上は無駄だと、誰でもわかった。

 杉山さんはため息を噛み殺しながら、スッと頭を下げる。


「……わかりました。今日は帰ります。『シンデレラの秘密』のことが聞けないのは残念ですが、お婆ちゃんの若い頃の話が聞けことはとても貴重です。本当にありがとうございました」


 私たちは栗田さんの家を出た。見送りはなかった。

 その後、家に帰った後、杉山さんの叔父さんに経緯を説明し、他の関係者はいないか、と相談した。叔父さんは「他にも何人か連絡先を知っているから、確認してみる」と請け負ってくれたが――


「ダメだ。全員、拒否された」


 部屋の空気が重くなる。

 ……おそらく、光代さんから連絡が回ったのだろう。初子さんの孫が『シンデレラの秘密』について嗅ぎ回っている、絶対に会わないように、と。

 そんなわけで、ゴールデンウィーク中はみっちりと『シンデレラの秘密』の秘密を追う予定だったが、初日にして頓挫、スケジュールが白紙になってしまった。


 これはまずい……。


 そんなわけで、翌日は自由時間になったので、私は周辺を散策することにした。

 スマホという優秀なカメラがあるので、地方都市を歩きながら、気になった風景を写真に収めていく。

 うーむ……明日もこのまま暇暇だったら、3人みんなでどこかに遊びに行きたいな。せっかくだし、思い出くらい作りたい。

 そんなことを思いながら歩いていると、遠くからジャージ姿で走ってくる人影が見えた。


「……あれ? 杉山さん?」


 声をかけると、杉山さんは少し息を切らしながら立ち止まった。


「あ、三森さん。どうしたの?」


「暇なので散歩していたんです。杉山さんは?」


「ランニング。劇団員は体力が資本だからね」


 彼女は爽やかに笑った。

 おお……ちょっとした暇を見つけて訓練をする。さすがは部長さん……!


「稽古しないと感覚が鈍っちゃう。せめて、体力くらいは維持しないとね」


 稽古は部室でするけど、今は旅先だからね。

 ……うん? じゃあ、学校がなければ――

「学生じゃない劇団員はどこで稽古しているんですか?」


「大きな劇団なら自前で持っているけど……小さなところは、練習用スペースを借りる――か、な……」


 その言葉を吐きながら、だんだんと杉山さんの思考が沈んでいく。

 おやおやおや?


「……あ、そうだ!」


 おおお!? 何か思いついた!?


「お婆さんの劇団が練習していた場所を探せば、台本があるかもしれない!」


 おお! 確かに。そんな建物が残っているのか、残っていても、台本が置いてあるのかという問題はあるのだけど……でも、手がかりがない状態だから、どんなものでも嬉しい!

 早速、家に戻って杉山さんの叔父さんに相談してみた。


「婆さんが劇団で稽古していた場所? ああ、ちょっと待ってくれ――」


 またあちこちに電話をかけると、叔父さんは教えてくれた。


「稽古場だけど、わかったぞ。で、残っている」


「本当!?」


「大きな空き家があって、そこを使っていたらしい。劇団が解散した後も、そのまま残してあるらしい」


 やった! 思わず杉山さんと目が合ってしまう。その劇団専用のスペースだったら、台本が残っていてもおかしくない!

 そこには行ってみないと!

 興奮した私が口を開いた。


「ありがとうございます! でも、なんでも電話でわかるんですね?」


 絶対にわからないと思ってた!


「そんなに大きな街じゃないし、住んでいるのも昔馴染みばかりだからね。何人かに聞いて回れば、意外とわかるもんだよ」


 そう言って、叔父さんは自慢げにカラカラと笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る