第12話 みんなの優しさが嬉しくて
私が知っている『シンデレラの秘密』のストーリーはこうだ。
――美しくて優しいシンデレラと結婚し、王国を繁栄させている王子に嫉妬した隣国の王が魔の手を伸ばしてくる。シンデレラはピンチを乗り越えて隣国の王を打倒し、平和を勝ち取る。
そんな過激なアクションに満ちた物語。
だけど、お婆さんが話したストーリーはこうだ。
――シンデレラと王子は幸せを自分たちだけのものとはせず、堤防を作ったり、食事を振る舞ったりして国民たちの暮らしを楽にしようと尽力した。途中、意見の相違もあったが、互いを思いやる気持ちに気づき、最後は一致団結して王国を幸せで包み込む。
人々を救おうとする、心に沁み入るような愛情と幸福の物語。
え、どういうこと?
少し違うとか勘違いしているとか、そういうレベルじゃない。根本的に何かが違う。どうして、そんなことが起こっているの?
そして、スイッチがパチリと押されるように――
意識が現実に引き戻された。
もう幼い凛ちゃんはいなくて、目の前には先輩の杉山さんが座っている。
……なんだか謎が混迷中! という感じだけど……わかった部分もある。
杉山さんの強い違和感の原因だ。
おそらく、杉山さんはお婆さんから聞いた話自体は幼すぎて思い出せないけれど、無意識のうちには覚えていて、それが反発しているのでは……?
だとすれば、お婆さんとの会話を思い出してもらうのが先決だろう。ひょっとすると、どうして『シンデレラの秘密』の話がこんなにも違うのかも、思い出してくれるかもしれないし。
さてさて、どうやって思い出してもらうか……。
よし。
「あの、杉山さん。すみません、お手洗いを貸してもらえませんか……?」
「お手洗い?」
「できれば案内してもらえると……」
「仕方ないわね。ちょっと待っててね、葛城くん」
そう言って、杉山さんが立ち上がる。私も、よいしょと立ち上がって先導する杉山さんに近づいて――
「わわわわわ! ごご、ごめんなさいいいいいいい! 足が痺れてて!」
思いっきり杉山さんに抱きついた。
そして、くらえ! お婆ちゃんとの楽しい記憶!
「ちょ、三森さん、大丈――……………………え?」
私を受け止めた状態のまま、杉山さんの体が固まる。その目は、私を見ているけれど、きっと映してはいない。彼女の目はきっと、ずっとずっと古い時間に沈んでしまった思い出だけを見つめている。
「お婆ちゃん……どうして、忘れていたんだろう……」
その記憶はあまりにも鮮明で。
もうなくしたと思っていた古い写真のように宝物で。
だから、多くの感情が呼び戻される。
ずっと、お婆ちゃんと話をしたかったんだね、杉山さん。
杉山さんは蘇った記憶を噛み締めるように瞳を閉じると、そこにうっすらと涙がにじみ出る。それはきっと懐かしさと喜びの輝き。
杉山さんがにっこりと笑顔を浮かべた。
「急に思い出したんだけど……私、お婆ちゃんから『シンデレラの秘密』の話を聞いていたみたい」
そこで葛城くんが割り込んだ。
「どう違うんですか?」
「ううん……それが、私もびっくりしているんだけど、全く違う話なの。もっと心に沁み入る感じの、愛情と幸せの話」
「ええ? 違いすぎませんか? なんか、勘違いしてません?」
「そんなことない! 絶対に! すごくはっきりと思い出したんだから。あれは絶対に本当だと思う。それに――」
杉山さんが自分の胸に手を当てた。
「本当に、懐かしくて嬉しかったから。この胸にあふれる気持ちが間違いだとは思えないよ」
「それが本当だとしたら――どうするんですか?」
「決めたんだ。絶対に、脚本を変更する――お婆さんが話してくれた内容に」
本当に、決めたんだ。
その言葉には強い感情が込められていた。どんなことでも曲げない意志が。
「どうして同じタイトルのものが2個あるのかわからないけど――お婆ちゃんが話してくれたほうが正しいに決まっている。話そのものも、そっちのがいいと思う」
それは私も同感だった。
シンデレラという物語のアフターストーリーとしては、お婆さんが語った内容のほうがふさわしいのは間違いない。
「部員の皆さん、どう反応しますかね?」
「怒られるかな……」
困ったように、杉山さんが頭を掻く。
「うん、怒られると思う。だけど、精一杯話すよ。わかってもらう。これだけは絶対に譲れないから。そして、みんなならわかってくれる。私はそう信じてるよ」
「…………」
しばらく押し黙っていた葛城くんが、私に目を向けた。
「なあ……三森」
「どうしたの?」
「お手洗い、大丈夫なのか?」
しまった!? そういう理由で立ち上がったんだった。
杉山さんが慌てる。
「あ、ごめんなさい! 急に変なことを思い出しちゃったからド忘れして!」
謝らなくても大丈夫ですううううう! 私が勝手に見せたものなので!
「今すぐ連れていくね!」
「だ、大丈夫です! な、なんか、私もびっくりして、引っ込んじゃいました!」
「……引っ込むものなの、そういうの?」
葛城くんが苦笑しながら、首をぐるぐると回していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日の放課後。
私と葛城くんは演劇部の部室でミーティングに参加した。
議題は『杉山さんの感じた違和感について』ではなく――
「ごめん、私は決めたから。『シンデレラの秘密』は内容を刷新します」
杉山さんが一気に議論をすっ飛ばす。
演劇部員たちは一斉に体が強張る。一瞬にして、部屋内の空気に険悪なものに変わった。
部員たちの代表として、松本くんが重々しく口を開く。
「急だな。どうしてそうなったか、教えてくれないか?」
「もちろん。理由ならある。今まで言っていなかったけど、私のお婆ちゃんは元劇団員で『シンデレラの秘密』の脚本はそこで書かれたものなの」
予想もしていない言葉を受けて、部員たちが再び体を震わせる。え……、という声がどこからともなく漏れた。
「幼い頃、お婆ちゃんから話を聞かされていたことを思い出したの。ずっと忘れていたんだけど、無意識のうちに違いが気になって我慢できなかったんだと思う」
「違いって、どう違うんだ?」
「全く別物。シンデレラと王子の二人で王国を幸せにする物語よ」
「そんなに違うのか……? え、どうして、そこまで?」
「それはわからない。でも、気づいた以上は自分に嘘をつけない。だけど、私はお婆ちゃんが教えてくれた話に基づいた劇をしたい」
そこで杉山さんが体をくの字に折って、頭を下げた。
「お願い、みんな、力を貸して。無理を言っているのはわかっている。でも、お婆ちゃんとの絆を大切にしたい。どうか、私の気持ちを認めて欲しい……!」
すぐに返事は来なかった。
だけど、それは否定の返事というよりは、あまりにも提示された新情報が多すぎて、困惑している感じだった。
松本さんが口を開く。
「杉山のお婆ちゃんの話しか手掛かりがないけど、台本はどこにあるんだ?」
「今はない。ゴールデンウィークでお婆ちゃんの実家に戻ってみて、そこで探すつもり」
「見つからなかったら?」
「きっぱり諦めて、今の台本で進める」
「見つかったとしても、練習はゴールデンウィーク明けからか……厳しいな……」
そして、少し考えてから付け加える。
「せめて、休み明けに台本を検討させてくれ。それでダメだと結論づけたら、その場合もきっぱり諦める――どうだ?」
「……それでいい」
「わかった」
ふぅと思いため息を吐きながら、松本さんがぐるりと部員たちの目を見る。部員たちは口を開かない。ただ視線を返している。きっと、そうやって今までも進めてきたのだろう。副部長である松本さんの意見を尊重する、と。
「杉山。正直、俺は反対だ。どんな脚本が出てくるかもわからないし、公演までの日にちも限られている。現実主義の俺としては容認できない――少し前までの俺なら、そう言っていただろう」
一拍の間を置いてから、続ける。
「少し前に、先輩たちのことを思い出したんだ」
「先輩……? 倉田さんたちのことか?」
「ああ。倉田さんたちはこう言ったんだ。暴走しがちなお前のお目付役には、俺しかいないって」
「暴走しがち……ひどい言われようだなあ」
そんなことを言いつつも、杉山さんの表情は嬉しそうだった。卒業した先輩たちと過ごした楽しい日々を思い出しているのだろう。
「それはな、止めるためって意味でもあるけど――こうも思うんだ。暴走しがちなお前が無茶を通せるようなサポートとして」
ホントたまらないなあ、と言って松本さんが小さく笑う。
「先輩たちは僕たちに最高の演技を見せてくれた。僕たちも最高に挑戦しようじゃないか。ひとつの妥協もない完璧なものを。誰も見たことがない、本物の『シンデレラの秘密』を」
そして、松本さんが全員に目を向ける。
「どうだ、みんな。嫌なら遠慮なく言ってくれ」
部員たちは何も言わない。だけど、その瞳には明らかな力がこもった。それはきっと自分たちの進むべき道を見出した輝き。どんな困難も乗り越えていく覚悟の煌めき。
仲間のために、無茶を通すと決めたのだ。
「部長、これが皆の相違だよ」
杉山は目から涙をこぼしながら、鼻をすんすんと鳴らした。その表情には哀しみなどなく、心からの笑顔が浮かんでいた。
どれだけ自分が無茶なことを言ったか理解した上で――
みんなの気持ちを受け取ったから。
「うん、ありがとう。本当に、ありがとう……必ず、いいものにしよう。いいものにするから。絶対に期待に応えるからね……」
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