第10話 シンデレラの秘密の秘密

 翌々日の昼休み――

 演劇部の部室の前を通ると、力強い声が聞こえてきた。


 あ、この声は……。


 ドアのガラス窓越しにそっと中を覗くと、演劇部の部長の杉山さんが身振り手振りを交えながら練習をしていた。それはまさに『没頭』と言う感じで、まるでその場の空気さえも引き寄せるように滑らかで、美しかった。


 演劇部はみんな演技が上手いけど、杉山さんは別格だ。素人でもわかるほどに、輝いている。

 すごいなあ、杉山さん。


 そのシーンが終わったのだろう、杉山さんは体の力を抜くと、部屋の片隅にある椅子に近づき、置いてあるペットボトルを口にした。

 そのとき、ドアの窓から覗く私とバチっと目が合う。


「あ」


 間抜けな声をこぼした私に笑顔を見せて、杉山さんが手招きする。

 ……うーむ……。ここで立ち去るのも失礼だよね……。杉山さんと1対1になるのは初めてだけど、ええい、ここは進むのみ!

 ドアをそろっと開けた。


「お邪魔しまーす……」


「どうしたの? 昼休みまで取材?」


 杉山さんがにっこり笑う。その笑顔は、さっきまでの厳しい演技とは打って変わって柔らかく、温かかった。

 お調子者なら、ここで、そうですよ! 私の胸に宿る記者魂が熱く燃え上がっちゃいまして! とくダネのひとつでもくださいよ! と言えるのだろうが、真面目な私には難しい話で。


「いえ、たまたまです。通りかかったら杉山さんの声が聞こえたので」


 正直に申告する。

 だけど、ここで引き下がるつもりはない。偶然であれなんであれ、話を聞くまたとないチャンスなのだから。亮太くんが、副部長の松本さんと話をするとき、大袈裟な調子で褒めていたことを思い出す。

 よーし、いくぞお……!


「……あの、杉山さんにとって、演技とは何ですか?」


 ちっがーう! それじゃないぞ、私! なんで深いように聞こえるけど、ありきたりで浅い質問しちゃってるの!?


「はははははは! すごい質問ね?」


 杉山さんが本当におかしそうにお腹を抱えて笑う。

 うう……恥ずかしい……。


「す、すみません……緊張しちゃいまして……」


「いいけど。そういう質問、答えてみたいから」


 杉山さんが口元に手を置いて思案する。


「……そうね……自己表現であり、それを他人に伝える手段かな?」


「どういうことですか?」


「同じシーンであっても、役者によって表現は違うわ。全く印象が変わる――それをどう表現するか、そこに個性が現れて面白いでしょ?」


「そうですね」


「そして、観客たちがそれを評価してくれる。最高の演技であれば、まるでお腹を空かせた子供がおやつを見るような視線をくれる。白けた演技だったら、最悪だけどね」


 くすくすと、杉山さんが笑った。


「そのシーンの全てを最高の演技で飾って、誰一人がっかりさせたくないの」


「それを達成してきたと」


「ううん、まだまだ。演技を学べば学ぶほど、自分の未熟が嫌になる――」


 だけど、その表情は輝いていた。


「嫌になるから、頑張れる。もう嫌になりたくないから、頑張ろうとする。もっと良くしたいと。抜け出せない趣味のことを沼って呼ぶらしいけど、まさにそれかな。ああ、そっか。だったら、質問の答えは、私にとって演技は沼、かしら?」


 屈託なく笑っているけど、ずっとそうやって演技と向かってきたのだろう。

 こうやって昼休みに一人だけでこっそりと練習するのも、少しでも自分の未熟を補いたいと思うから。

 だから、杉山さんの演技には人を魅了する力があるのだ。

 新聞部の醍醐味って、こういうことなのかもしれない。

 本来であれば、ただ演技が上手だ、としか思わないけど、こうやってその人の内面まで踏み込むことで、より深く物事を理解できる。

 急に湧き出した、やりがいの熱に浮かされて、私は口を開いた。


「杉山さんの気持ち、頑張って記事にまとめます!」


「ありがとう」


 やる気が出てきた私は、さらに質問を投げかけてみる。


「あの……副部長の松本さんから聞いたんですけど、『シンデレラの秘密』を演目に決めるとき、反対されたと聞きました」


「そうね」


「練習を重ねた今のお気持ちはどうですか?」


 前向きな言葉が聞けると思った。理解が深まると面白さがわかってきた、とか、まだ納得はできていないけれど、これをどう自分なりに表現するかを楽しんでいる、とか。

 そんな言葉が、演劇を愛する杉山さんには似合うから。

 だけど、杉山さんの顔に浮かんだのは微妙な表情だった。影のある、濁った言葉を噛み締めた顔。


「ううん……もう少し強く反対するべきだったかもしれない」


「え?」


「ごめんなさい、まだうまく言語化できない。もう少し待ってくれる?」


「わかりました」


 練習に戻ると杉山さんと別れて、私は自分の教室へと戻る。

 なんだか、すごく言いにくそうで悩んでいる感じだったけど……何を考えていたんだろう?

 とても後悔している感じだったけど。

 私のその疑問は、時を置かずに解決する――


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その日の放課後、私は葛城くんとともに演劇部の部室を訪れた。

 すでに三日目、取材は今日までと決まっている。

 演劇部の気合いは最高潮のようで、熱の入った演技をしている。副部長の松本さんも、どうやら立ち直れたようで王子役をうまくこなしている。松本さん、吹っ切れたせいか、前よりすごく上手に見えるな……。

 練習が一段落したときのことだ。

 疲れた演劇部の部員たちが壁際で腰を下ろしていると、部長の松本さんが脚本を手に、スタスタと部屋の中央へと歩いていく。


 その顔には――

 深刻な表情が浮かんでいた。


 ……あれ……素人目には完璧な練習だったんだけど、ダメなのかな?

 松本さんが口を開いた。


「実はね、この脚本にどうしても違和感を感じるの。おかしい、というか。すっきりしない、というか」


 演劇部の部員たちは動揺の視線を杉山さんに向ける。彼らを代表して、副部長の松本さんが口を開いた。


「……どういう意味だい?」


 杉山さんがすっと息を吸い、朗々とした声で作中のセリフを口にした。


「『あらゆる犠牲を払ってでも、敵国を撃退しましょう。負けてはいけません!』」


 力強い言葉が部屋に響く。


「――これはシンデレラが戦いを強く主張するときのセリフよ」


「知っている――」


 今度は松本さんが王子のセリフを読み上げる。


「『そうだ、シンデレラの言う通りだ! 犠牲など恐れてはならない!』」


「……ここだけ切り取れば普通の会話だけど、全体を考えれば変よ。最初のほうでシンデレラは、戦いを避けようとするし、ずっと王国民の無事を願っている」


「度重なる隣国の嫌がらせに腹が立ったんだろう?」


「だったら、そういうシーンを入れなくちゃ。シンデレラが心変わりするシーンを。なのに、ここには何もない。急な代わりよう――」


 杉山さんの口からため息がこぼれる。


「役者として、シンデレラの心が理解できないの。とても違和感がある……」


 その顔には苦悩が刻まれている。

 演技のことは何もわからないけれど、役者は役の心情を理解するためにかなりの労力を注ぐと聞いたことある。そこで苦しんでいるんだろう。


「……シンデレラだけじゃない、王子だってそうよ。序盤はあれほどシンデレラを守ろうとするのに、終盤ではピンチのシンデレラのことなんて忘れて隣国の王と戦っている。たまたま助かったけど……あれは王子らしくない。理屈で考えるあなたなら、納得できるでしょ、松本くん?」


「……確かに……あそこの流れは変だと思う……」


「別に、それ以外でもいくらでも指摘できるけど、この脚本はどこもかしこもちぐはぐなのよ。心の導線が整理されていない。だから、演技を考えていると、気持ちが悪くなるの」


 そして、最後に続けた。


「あと、もっと大きな疑問がある――」


 一拍の間を置いてから、杉山さんが続けた。


「シンデレラの秘密って、結局、なんなの?」


 誰も即答しなかった。

 即答しな――え? 最後まで脚本を読んだ役者さんたちなら知っているはず。だけど、返事がないってことは、まさか――

「シンデレラの秘密はどこにも説明されていない。思わせぶりなのに、タイトル回収できていないんだけど、どういうこと?」


 ――ずしんと、部屋の空気が重くなったのを感じた。

 

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