第9話 お前、変なことしてない?

 夕焼けの光が校舎を柔らかく染める中、亮太くんと私は一緒に校門へと向かって歩いていた。静かな夕暮れの中、学校の敷地はひっそりとしながらも、どこか温かい空気に包まれていた。


「今日の取材、どうだった?」


 亮太くんがふと尋ねた。その声は、いつもの明るさを保ちながらも、どこか真剣な響きを帯びていた。


「何が何やらで、わー! って思っているうちに終わったかなぁ」


 あははは……、と力無く笑う。


「ありがとう、亮太くん。亮太くんがいてくれなかったら、全然ダメだった」


「初めだから仕方がないさ。一応、俺は慣れているからさ。それに、まだまだ本当の戦いはここからだから」


「そうなの?」


「俺たちは『新聞部』だからな。記事を書くのが仕事だ」


「あじゃー!」


 私は頭を抱えた。そうだった……聞いた話をうまくまとめて、読んだ人を楽しませつつ、演劇部の公演に言ってみたい気持ちにさせないといけない。


「……た、大変だなあ……」


 松本さんや先輩たちの言葉が頭の中でぐるぐると回っている。それをパズルのように組み立てていく。普通のパズルと違うのは、パズルのピースも自分で作っていくこと。

 ああ! 大変そうで目が回る!?


「まだ取材が終わっていないから。今のうちに覚悟をしておけよ。大丈夫、困ったら助けるから」


「た、助かる……」


「だけど、できることはしておけよ。今日の内容はちゃんと忘れないようにまとめておくんだ」


「わかった」


 そこは、問題ない。なぜなら、私には『追憶』があるから。私が見聞きしたものに関しては思い出せるのだ。

「そこは自信があるから、もし葛城くんがド忘れしたら遠慮なく聞いて。絶対に思い出すから」


「ほー、頼りにしているよ」


「頼りにしてください」


 校門に近づくと、グラウンドから響いてくる野球部の練習の声が聞こえてきた。金属バットがボールを打つ音や、選手たちの掛け声が、夕暮れの静けさの中で鮮明に響いている。亮太くんの視線が、自然とその方向に向いていた。


「やっぱり、野球部が気になる?」


「そうだな。ずっとやっていたし、あそこに入部している知り合いもいるしな」


 その表情には、遠い日の思い出が重なっているようだった。


「……また、野球に戻れるのなら、戻りたい?」


「怪我したから戻れない、それが全てさ」


 こっちに心配をかけさせないような、太陽の笑顔をにかっと浮かべる。


「嬉しいことも、悲しいことも終わったのさ。だから、新しいことを頑張る。それが、新聞部の活動だ」


 そして、葛城くんが続ける。


「同じ学年だ。これからもよろしくな」


「うん、こっちこそ!」


 校門の外に出た。どうやら、ここでお別れらしい。


「じゃあね」


「おう、じゃあな――っと、」


 別れようとしたところで、葛城くんが首を傾げた。


「なあ、質問があるんだけど」


「なに?」


「さっき、演劇部で松本さんを応援しただろ?」


「……え、……あ、うん……」


 あれ、それ聞いちゃいます? 流してくれないですか……?


「なんか応援したら、松本さん、憑き物が落ちたみたいになったけど、あれってなんかあるの?」


「そっ、それは――」


 さすがは元4番でエース! 直球勝負!

 応援って言ったけど、実際には自分の能力を使って過去の記憶を見せることだった。もちろん、それは伏せておきたい事実なわけで……。


「よくわからないけど! なんか、ああすると昔から! 元気を出す人がいて!」


「ふぅん?」


 こいつ何を言ってるんだ? みたいな顔しないで!? 私もそう思ってるから!


「ま、いいか。じゃあ、俺がヘコんだときも応援してくれよ!」


「うん、するする! 絶対する!」


 ご、誤魔化せたのかな?

 まあ、まさか他人の記憶を見たり、見せたりする人間がいるとは思わないだろうから、『決定的なこと』は隠せていると思うのだけど。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 三森佳奈と校門で別れた後、葛城亮太は一直線に家に帰った。

 自分の部屋に戻って荷物を置く。制服を着替えようとしたところで、部屋の隅に置いてあるグローブとバットが目に入った。

 野球は辞めた――辞めるしかない。

 それはもう絶対的な事実なのだけど、まだ亮太は野球の道具を片付けることができずにいた。ずっと一緒に過ごしてきた相棒――少しでも時間があれば、手を伸ばしてしまう愛用品。触っているだけで、幸せだった。

 だけど、その時間はもう帰ってこない。


「捨てなきゃいけないのにな……」


 せめて、目のつかないところに置くか。

 わかっているけれど、まだ踏ん切りがつかないのが現実だった。


「踏ん切りってつかねえな!」


 煮えきれないことが嫌いな亮太は、煮えきれない己自身に怒りを覚えながら、野球道具から目を離した。結局、今日もどうにかすることはできなかった。 

 それから食事が終わり、風呂が終わり――

 色々と片付いたところで、亮太のスマホが鳴った。

 着信相手の名前は『部長』――


「はい、葛城です」


『渡辺だ。演劇部の取材、お疲れさん』


 渡辺麟太郎。新聞部の部長だ。


『取材、どうだった?』


 珍しいな、と思った。遅延が発生しているわけでもないのに、麟太郎が状況を確認してくるのは珍しいから。

 だけど、すぐに理解した。


(ああ、三森さんが絡んでいるからだな)


 三森佳奈は麟太郎の従姉妹である。かわいい従姉妹がどんな感じだったか、彼女の初陣を聞きたくて仕方ないのだろう。


(なかなか人間味のある人じゃないか)

「いい滑り出しだと思います。演劇部の状況は――」


 すらすらと説明していく。


「三森さんも、少しずつ慣れている感じがしますね」


『そうか、うん、それならいい』


 話としては終わったが、スマホの向こう側から麟太郎が言葉を探しているような雰囲気があった。


『……その、佳奈のことでなんだが、何か妙なことはなかったか?』


「妙なこと?」


『ああ、妙なことだ。なんでもいいし、ないならないでいいのだが』


 なんだか意外と過保護な人だなあ、と亮太は思ったが、そういえば、と報告し忘れていたことを口にした。


「ええと……言ってなかったですけど、副部長の松本さんがあんまり元気なかったんですけど、応援していましたね」


『……応援?』


「よくわからないんですけど、元気になれー! とか言いながら背中を押したんですよ。そんなの意味があるのか? って思っていたら、思いのほか、松本さんが元気になって、ちょっと意味不明でした」


『元気になれ、と背中を押した……押した、押したか……はは! はははは!』


 ちょっとスマホから耳を離したくなるほど、大きな笑い声が聞こえてくる。


「な、なんですか、部長!?」


『ああ、すまない……! ちょっと嬉しくてな』


「……ん? 何か知っているんですか?」


『い、いや! 何も知らないんだが……その、副部長を元気にしたんだろ? 佳奈が役に立ったみたいで! 俺としては誇らしいんだ!』


「ああ、なるほど」


 そういうこともあるだろう、と亮太は思い、深く考えないことにした。


『まだ取材は続くし、記事を作ってアップするまでが新聞部の活動だ。それまで佳奈をサポートしてくれ』


「もちろんです。任せてください」


『……それと、彼女は記憶力がいいんだ。もし、取材で忘れたことがあれば彼女に相談してみるといい』


「わかりました」


 別れ際にも三森佳奈が同じことを言っていたな――奇妙な感覚を覚えつつ、亮太は通話を終えたスマホを眺めながら首を傾げた。


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