第4話 悲しい記憶から踏み出して

 拒絶――

 だけど、麟太郎くんの表情は、いつもと変わらず優しいままだった。きっと、私のそんな気持ちを予測していたのだろう。

 美咲ちゃんを傷つけた後、わんわんと泣く私を慰めてくれたのが麟太郎くんだった。


 ――佳奈ちゃんはいいことをしようとしたんだよね。気にしないで、大丈夫だよ。


 あの日、麟太郎くんからかけられた言葉が頭の中に蘇る。私を抱きしめてくれる彼の温もりと、背中を撫でる手の感触、優しい声を思い出す。

 麟太郎くんは優しくて頼りになる従兄弟だった。

 だからきっと、私のことならなんでもお見通しなのだ。


「……そう言うだろうね。君はそういう優しい子だ」


 麟太郎くんは私の言葉を受け止めて、優しく微笑んだ。彼の声には、いつもどこか安心感を与える響きがあって、心が少しずつ軽くなるようだ。


「佳奈が失敗したことは僕も知っている。君には物事を整理して、心を癒す時間が必要だと思っていた。だから、ずっと立ち止まってるのも仕方がない。だけど、そろそろ前に進むべきじゃないのかい?」


 ……さすがは麟太郎くんだ。

 彼の言葉はいつも的確で、私の心の中を見透かすようだ。

 確かに、私は立ち止まっていた。美咲ちゃんの泣き顔が頭から離れず、『追憶』の力で誰かを助けようと考えるたびに体がこわばってしまう。麟太郎くんはそんな私の弱さを理解してくれているからこそ、今こうして背中を押してくれるのだろう。


「佳奈の能力はとても素晴らしいものだ。その能力を使えば、多くの人の心を助けることができる。多くの人に喜びを与えることができる。確かに、美咲ちゃんのときみたいに、あるいは、君が言う『ズケズケと入り込む』こともあるだろう。だけど、失敗に懲りて目を背けるより、その能力をどうすればコントロールできるようになるのか、もっともっと挑戦したほうがいいんじゃないか?」


 麟太郎くんの言葉が心に深く響いた。確かに、私は恐れていた。もう一度同じ失敗をすることが怖かった。だけど、彼の言う通り、その恐れに囚われているだけでは何も変わらない。


「佳奈、何かを諦めるには、まだ絶望の数が足りないんじゃないか?」


「それは、そうだけど……」


 絶望の数なんて、カッコよく言うけど、実際にはそんなに絶望したくないよ! 1個や2個でも、心がしんどいのに! でも、麟太郎くんは、その苦しさを乗り越えるだけの価値が『追憶』にはあると言いたいのだ。そして、私にその道を歩んで欲しいと願っている。

 心は少しばかり前向きになったけれど――

 美咲ちゃんの泣き顔がまた浮かんできた。胸が詰まるような苦しさも一緒に蘇る。

 ああ、ダメだ……。


「ごめんなさい、まだ、そんな気持ちには……」


「わかった。じゃあ、お試しで、1度だけ!」


「そんなに勢いよく言われても……お寿司の注文じゃないんだけど!?」


「……佳奈、わかって欲しいんだ。ここで可能性を閉ざして欲しくない。君ができることを見つけて欲しい。どこまで頑張れるのかも含めて。その手伝いをさせて欲しいんだ」


 麟太郎くんの瞳は真剣そのものだった。おそらく、私が中学校に入学したらこの話をしようと決めていたのだろう。

 私が自分能力を受け止められるくらいに成長するのを待って――そして、来年は卒業してしまう麟太郎くんと私の人生が大きく離れてしまう前に。

 私は深く息を吸って、彼の瞳を見つめ返した。

 きっとこの一年は、彼が私を待ち望んだ最後の一年なのだ。だったら、私も一度くらいは挑戦してみるべきかもしれない。

 幼い頃に閉ざしたドアを、もう一度開くのも悪くはない。


「……試しに1回だけ、なら」


「本当か!?」


「でも、本当に1回だけだから!やっぱり何か違うと思ったら、すぐに辞めるから! それが条件だから!」



「わかった、わかったよ。それでいい。大丈夫、今の佳奈なら、自分の力を受け入れられるはずだから!」


「根拠はあるの?」


「ない!直感だ!」


「もう!」


 私は呆れたように笑った。だけど、その鷹揚なところに何度も救われたのも事実だ。細かいことに悩んでしまいがちな私とは違う、麟太郎くんの眩しいところだ。


「他の部員に挨拶がしたいんだけど」


「それはいずれ、な」


「どうして?」


「さっきも言ったように、リモートワークが主流だから、本当に部室には来ないんだよ。それに、もうちょっと新聞部の空気に染まってからのほうがいい」


「……なに、その不穏なワード」


「うちの部員は曲者揃いだからな。いきなり会うと退部したくなるかも」


「ええ!? 選択間違えちゃった!?」



「大丈夫大丈夫、根はいい連中だから。深く付き合えば良さがわかるよ」


 麟太郎くんが無責任そうに笑う。


「別にいいけどさ……私は誰とも会わずに活動するの? 何をすればいいのかもわからないんだけど?」



「そんなことはない。ちゃんとパートナーをつけるよ」


「会うと退部したくなるような人?」


「いいや、人当たりのいいマトモなやつだ。そんなに怯えなくても大丈夫だ」


 麟太郎くんは笑いながら私を安心させようとした。

 そんな感じで、新聞部の仮入部が決定したのだった。

 その夜、麟太郎くんからメッセージが届いた。


『仮入部を決めてくれてありがとう。早速だけど、演劇部がまもなく公演を行うので、その取材に向かって欲しい。同行してくれるパートナーの名前は葛城かつらぎくんだ。新聞部には似つかわしくないナイスガイだから、心配しなくていい。大事な従姉妹を預けるに足る人物だ!』


 ふーん、演劇部の取材か……何をするのか不明だけど、その葛城くんとやらが知っているのだろう。同じクラスじゃないので、聞いたことない子だけど。

 そして、最後に、こんな一文が付け加えられていた。


『葛城くんに佳奈の能力は教えていない。他の部員にも伝えるつもりはない。僕は秘密を守るから、佳奈が決めてくれ』


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