54 ハレ舞台
術義局から小鳥が消えた。
その事実に術義局は揺れた。
空っぽになった鳥籠は最後に見た時と同じく蔓植物の檻の中にひっそりと佇んでいた。中にいるはずの鳥だけがいなくなっていたのだ。
部屋の中には荒れた形跡もなく鳥籠の扉も閉められていたらしい。
魔法も使えぬはずのただの鳥がどうやって部屋を抜け出したのか。
関係者たちは頭を捻ったが、答えに辿り着く者はいなかった。
一連の事件の顛末を事細かに知る人間は術義局の中でも限られている。小鳥が元は怪族だったことも永世騎士族が関わったことも重大機密とされたからだ。
情報を厳密に隠した弊害で大々的に捜査することも難しく、小鳥脱走事件の真相は闇へと葬られていった。
そして、小鳥の解剖は正式に中止となった。
マノンの叔母が術義局から今朝そのような報告を受けたという。
「残念だね」
部屋で出掛ける準備をしていたマノンは苦々しく笑ってみせた。
制服のケープのボタンを留めたマノンを見て伯母は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ごめんなさい。今日は卒業式なのに。仕事の話はまた今度ね」
「ううん。気にしないで。まぁでも、小鳥に罪はないんだしこれで良かったんじゃない?」
首を振り、マノンはあっさりとした口調で笑う。
「じゃあ伯母さん行ってきます!」
「ええ。最後の学園、楽しんでらっしゃい」
「はーいっ!」
伯母の頬に軽くキスをしてマノンは軽い足取りで階段を下りる。
元気よく手を振って家を出ていくマノンを伯母は誇らしげに見送った。
伯母が見えなくなったところを見計らってウィギーが髪の毛からぴょこっと顔を出す。何か言いたげな眼差しだ。
「へへっ。あの部屋の片づけ、ちゃんとしといてよかったね」
マノンはウィギーに向かってウィンクしてみせる。ウィギーはぴょんっと身体を弾ませてから大きく頷いた。少し得意げな表情をするウィギーと笑い合い、マノンは一年間辿り続けた通学路をのんびりとした足取りでなぞる。
ローフタスラワ学園の卒業式は予定通りに執り行われた。
卒業試験で起きた事件の余波で中止になるのではないかと一部保護者の間では噂されていた。が、学園長が式典の開催を高らかに宣言したことにより、生徒たちも事件の呪縛から解放されるきっかけを得た。
いつも通りの日常が何よりも生徒たちの心を鼓舞したのだ。
術義局へ侵入した日から一週間後、ミリーも無事に卒業式に顔を出すことができた。小鳥がいなくなったことに術義局がどのような判断を下したのかミリーはまだ知らない。けれど今はそのことは忘れて、四年間の集大成の日を楽しむことに決めていた。
名前を呼ばれた卒業生たちは壇上に上がり、学園長から月桂冠を授与される。
月桂樹の葉のついた枝を輪っかに編んだ葉冠は高校卒業の名物だ。学校によって色や形が微妙に異なり、ローフタスラワ学園の冠は美しく澄んだ深緑のものとなっている。
首席で卒業という有終の美を飾ったミリーは最後に名を呼ばれた。学園長が手にするのは他の冠とは少し印象の異なるものだった。
深緑の中に黄金の葉が緻密に編み込まれている。その冠にだけ鮮やかな赤い実の装飾が施され、王冠を彷彿とさせる豪華さがあった。
首席卒業者だけに許される特別な冠を戴くミリーは壇上を見守る列席者に向かって筒に入った卒業証書を掲げる。すると皆は盛大な拍手で卒業生たちを称え、会場は穏やかな熱気に包まれた。
ミリーの斜め後ろでは唇で弧を描いたマノンが彼女に向かって拍手を送っていた。
マノンの隣で一段と大きく手を叩いているのはダイルだ。卒業試験の数日後に意識を取り戻した彼の傷はまだ完治していない。けれど卒業式には出たいという彼の強い要望もあり、どうにかこの場に立つことが叶った。
壇上に集う卒業生たちに最後の言葉を贈る学園長。ミリーはダイルの横に並んで彼の言葉に耳を傾けていた。さすがに教師経験の長い学園長は見事な演説を披露する。が、彼の雄弁な話よりも気になることがミリーには残っていた。
隣のダイルを一瞥し、ミリーは指で彼の腕を叩く。
「ねぇ、ダイル。GaMA試験が終わった時、私に何か言おうとしてた?」
顔を正面に向けたまま、ミリーはダイルに小声で訊ねる。
「よく覚えてるな」
ダイルの月桂冠の葉は少し大きく、彼の目元が微かに隠れてしまっている。ダイルは感心したように短く笑い、葉に隠れた目元を緩めた。
「変にもやもやを残したまま卒業したくないの。ねぇ、なんて言ったの?」
彼のからかいも気にせずミリーはぴしゃりと言い切る。
「本当に知りたい?」
「ええ」
「その顔、可愛くないぞって言いたかった」
「は?」
思わぬ言葉がダイルの口から飛び出し、つい声が大きくなった。周りの卒業生の視線がこちらを向く。ミリーはすまし顔で咳払いをして誤魔化した。
一瞬見えた彼女の憤怒の表情が可笑しかったのかダイルの肩が小刻みに震える。
「シエラを見てすごい不満そうな顔してただろ」
「うるさい。私に可愛くない瞬間なんてない。くだらないわ」
ミリーは早口でまくし立て「聞いて損した」と呆れた顔でため息をつく。隣から聞こえてくるダイルの控えめな笑い声が少し憎らしい。
まだ学園長は喋っている。だからこそ声を抑えているのだろうが、ミリーの耳にははっきりと彼の笑い声が聞こえてくるのだ。もはやその声しか聞こえない。
「心配する必要なかったかしら……」
乾いた声でぽつりと独り言を呟くも、ミリーの表情は心なしか楽しそうだった。
学園長の話が終わると同時に卒業式も閉幕を迎える。卒業生たちは最後にもう一度盛大な拍手を浴び、講堂の中央の通路を賑やかに闊歩した。
講堂を出ると出迎えていたのは先に外に出ていた在校生たちだった。
卒業生が扉から姿を現すと辺り一面に青系色のシャボン玉が舞い上がる。
美しく荘厳な青のグラデーションに視界が華やぎ、卒業生たちは思わず歓声を上げた。ふわふわ、ふわふわとシャボン玉たちは気楽に宙を行き交っていく。どこかで見覚えのある光景だ。
講堂を出たミリーはシャボン玉のカーテンの向こうに見つけたカッパー色の髪に視線を送る。彼の瞳がミリーを捉えた。
「卒業おめでとう」距離があって声は聞こえないが、彼の唇はそう動き、次に表情を綻ばせた。
大好きな色に包まれ、ミリーは満ち足りた様子で頬を緩める。
前に彼には色々な演出候補を見せてもらった。ミリーがもう少し派手なものにすればいいと意見を出せば、彼はささやかな感じで彼らを送りたいと答えた。
主役は卒業生たちだから。
あの時聞いたクインシーの言葉が今になって心に沁みていく。
嬉しくて、気恥ずかしくて。でもやっぱり、誇らしくて。
胸がぽかぽかと温かくなり、ミリーの頬はすっかり緊張感を失う。
「ミリぃー!」
ミリーが緩みきった頬でシャボン玉を見ているとモリーの悲し気な声が飛んでくる。彼女の頬は涙で濡れ、目は真っ赤になっていた。それでも飽き足らず、彼女の潤みきった瞳からはまだ涙が流れ出てくる。
「モリー。泣いてるの? もう、そんなに泣くことじゃないでしょう」
「だって……だってぇ……‼」
ぐすっ、ぐすっ、と鼻をすすりながら荒い息で呼吸するモリーは悲しみをこれでもかというくらい大胆に表現していた。
「もう夏休みが終わってもミリーと会えないんでしょう……⁉ そんなの寂しいよ。つらいよぉお」
「学園じゃなくても会う方法はいくらでもあるわ。そんなこの世の終わりみたいな顔をしないでよ」
「でもミリーも大学に入れば忙しくなるだろうしぃ」
「私のスケジュール管理を甘く見ないで。友だちと会う時間くらい余裕でつくれるわ」
「本当?」
「ええ。だからほら──」
ミリーがモリーの肩に手を置くと、モリーはくしゅんっと大きなくしゃみをした。
「もう……落ち着きがないんだから……」
「ご、ごめんなはい」
申し訳なさそうに肩をすくめるモリー。ぐしゃぐしゃの顔で見つめられてしまっては言いたかった言葉も忘れてしまう。ミリーはくすくすと笑いながら自分が持っていたタオルを彼女に渡す。もう彼女のタオルは使い物にならなさそうだったからだ。
「みっミリーのタオル……! これは……っ、なんて尊いっ……! わたしごときが使っていいのかな」
「もちろんよ」
「で、でも、でもでもでも、勿体なさすぎる! 汚れちゃうのに!」
ミリーのタオルを手にしたモリーが一人で勝手に盛り上がっていく。興奮しているのか瞳孔が開き、瞬きの数も少なくなる。
「はいはい。モリー、ミリーが困ってるだろ」
変態的な眼差しをタオルに向けているモリーを見かねたのかクインシーが間に入って彼女に自分のタオルを渡した。ミリーのタオルを取り上げられたモリーはクインシーのタオルで躊躇なく鼻をかむ。
モリーの素直な態度を横目にクインシーはミリーにタオルを返そうと身体を彼女の方へ向ける。
「クインシー。この演出、とても綺麗。すごく感動したわ」
クインシーが差し出すタオルそっちのけでミリーは前のめりに目を輝かせた。
「ありがとう。皆に喜んでもらえたみたいで良かった」
食い気味に感想を言われたクインシーは少々狼狽えながらもクスリと笑った。
「私の案よりもこの場に適切だったと思う。ふふ。あなたが私の意見を丸呑みする人じゃなくて良かった。そうじゃないと、こんな素敵な瞬間は見られなかったもの」
「なかなか言われない褒め言葉だ。はは。なんか照れるな」
「照れる必要なんかないわ。私に褒められたんだもの。もっと胸を張って?」
ミリーがなかなかタオルを受け取らないのでクインシーの手はすっかり下りていた。ミリーにグイグイ迫られ、クインシーはぽかんとしたまま「うん?」と彼女の言葉に頷く。とはいえ彼女の意図をあまり分かってはいなさそうだ。
一方のミリーはいくら距離を縮めたところで顔色一つ変えないクインシーにもどかしさを覚えていた。
大体の場合はこんなに目を見合わせていれば表情に綻びが見えてくるはずなのに。にやけるか、熱が上がるか、鼻の下が伸びるか、困惑するか……反応は様々だが、何かしらの隙があってもいいものだ。
しかしクインシーはきょとんとしたまま特段の変化はない。彼の瞳はバッチリ自分の姿が占領しているはず。けれど彼はやたら距離を詰めてくるミリーに対して感情を乱す素振りもない。
「……はぁ」
自然と肩を落としていた。彼は思う以上に鈍感なのかもしれない。
「ミリー?」
元気がなくなったミリーをクインシーが心配そうに見やる。そんな彼に対抗するようにミリーは恨めし気な眼差しで彼を見上げた。
「もう。私、クインシーのことが心配だわ」
「俺? え?」
「心配だから、卒業しても定期的に様子を確認しないと……」
「え? なんで……?」
ぽかんとするクインシー。ミリーはむっと頬を膨らませ「なにがなんでも」と力強く答える。語気こそは強かったがその声は甘ったるい。彼女の健気な意地が潜んでいた。
久しぶりにミリーの甘い顔を見たモリーの眉が訝し気に歪んでいく。
「……はて?」
もしや。
ミリーの無条件の情に無自覚なクインシーの通常運転の様子を見やり、モリーはハッと目を見開く。
「くくくく。これはミリーも大変だ」
タオルで口元を隠し、モリーは密かにほくそ笑む。
クインシーが自分のことになると客観性を失い、自らの評価を疎かにしがちなことを親友であるモリーは知っている。モリーはミリーに同情した。
隠れるように笑うモリーの奇妙な姿をミリーが見逃すはずがない。彼女は何を楽しそうにしているのか。ミリーは意味が分からず首を傾げた。
「やっほー、みなさん」
ミリーが口をへの字にしているとマノンが手を振りながら三人に近づいてくる。彼女の片手にも卒業証書が握りしめられていた。
「マノン。何か用?」
「散々な言い方だなぁ。大事な学友にそんないじわるなこと言わないで?」
ミリーの愛想のない声にマノンは砕けた笑顔を見せる。マノンにしてみればミリーのその声はもはや耳心地が良いようだ。
「もう最後でしょう? だから挨拶に来たの。これでようやくさよならだねって」
「ええ。確かにそうね。あなたがいたのはたった一年だったけれど、四年間の中で一番濃い年になったわ」
「へへへ。楽しんでもらえたようで嬉しい。学園からの巣立ちも晴れやかな気分で終われそう。そうそう、巣立ちと言えば、小鳥も何の心配もなく自由に飛び続けていけそうだって」
「……そう。それは良かった」
マノンの言葉に込められた意味をミリーは即座に理解し、安堵の微笑みを湛える。
「ミリー。色々あったけど、わたしも楽しかったよ。まったく飽きが来なかった。それってすごく最高なことだよね」
「私も。退屈することがなかったわ」
二人は目を見合わせ互いの健闘を称えて笑顔を交わす。
二人を包む清々しい空気にクインシーとモリーの表情も晴れていった。
「あ。そうだ」
そこでクインシーが何かを思い出したように口を開く。
「言い忘れてた。アイダッツ大学の合格おめでとう」
「ありがとう」
クインシーの祝福に二つの声が同時に応えた。
「えっ?」
続けてまた同じ声が重なり合う。
「あれ? 二人とも同じ大学に進むって知らなかったの?」
ぽかんとする二人に対し、クインシーは不思議そうに目を瞬かせる。
GaMA試験の結果も良好だったミリーは数ある大学の中で最も名高いアイダッツ大学への進学が決まっていた。が、合格後も卒業試験のあれこれや術義局での諸々で忙しく、他の生徒たちの進路など気にする暇もなかった。
それはマノンもまったく同じらしい。
クインシーから告げられた事実にマノンは狐につままれたような顔をしていた。
言葉を失ったまま二人の鼻先がゆっくりと向かい合う。どちらも目を丸め、口は半開きのまま固まっていた。互いの間抜けな顔が瞳に映る。と、二人の瞼が同時に開閉した。そして──
「はぁッ⁉」
腹の底から驚きが沸き上がった。
二人の声は空まで響き渡り、門出を祝う青天を突き抜ける。
毒を隠せし可憐な魔女は、英雄の座が欲しいのです 冠つらら @akano321
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