42 待ちに待った時


 マゾク退治試験はウィザワン区域の端にある白の森で行われる。

 白の森はその名の通り幹は当然のこと根や葉までもが白色の木々が集う森として有名だ。ウィザワン区域に住む人間で知らぬ者はいない。

 その理由はもう一つある。


 白の森を抜けた先にあるのは世に存在するマゾクの八割が住むと言われる地区だからだ。大昔、種族争いの絶えなかった人間とマゾクの間で起こった大戦の結果、圧倒的な数の差に圧され敗戦を期したマゾクたちが追いやられた場所なのだ。

 それから数百年が経ち、人間とマゾクは相容れないままに日常を隔ててきた。


 長年の習慣が功を奏したのか、マゾクと人間が出会うことはほとんどない。が、以前ディマス・キングが子ども食いのマゾクを退治した時のように、稀にマゾクが人間の居住区に進出することがある。白の森は広大で、どこを見ても同じ景色なため道に迷うのも無理はない。


 魔法使いたちはマゾクがこちら側に来ることがないように定期的に罠を仕掛け対策を取った。世のため人のためと、多くの機関が白の森からマゾクが抜け出さぬ仕組みを考案し続けた。ローフタスラワ学園もその機関の一つだ。

 卒業生の腕試しとなるマゾク退治試験は当初、マゾクたちがこちらの世界に迷い込まないようにする、という大義名分で始まった。


 一昔前は実際のマゾクと出くわし戦うことが多かったが、時代が変わるにつれ世間の目も変わってくる。

 まだ卒業前の学園の生徒たちを危険に晒す試験に異を唱える者も続出した。

 しかし伝統となってしまったマゾク退治試験を望む生徒たちの声を無視することも出来ない。折衷案として、学園側は白の森を事前に見回り危険がないかの確認を取るようになった。そのため今では本物のマゾクと対峙する機会もほとんどない。


 代わりに教師はマゾクを模した仮初めの霊獣を白の森に放つ。生徒はその霊獣を相手に戦い、総合的な判断を持って試験の合格を目指す。

 勿論、本物のマゾクとの退治を望む生徒もいる。彼らに出くわす可能性はゼロではない。意欲があるほど確率も上がる。森をくまなく歩き回るからだ。


 けれど実際、ディマス・キングのように本物のマゾクを討伐した生徒はごく少数に限られるのだ。

 だからこそ彼は多くの研究機関からも英雄とされた。

 白の森の入り口に到着したミリーは、恐ろしいほど純粋な木々を見つめて気合いを入れる。

 極めて希少な学園の伝説的生徒に自分の名を連ねることが楽しみで仕方ない。

 ミリーの表情に笑みが宿る。


 試験はいくつかのグループに振り分けられ、グループごとに時間差で森に入っていくことで始まる。成績優秀な生徒ほど与えられる時間は短く、ミリーは最後の組に分けられた。

 同じ最終組にはほかに四人いる。そのうちの三人はミリーが明らかに自分より能力が下だと見ている生徒だ。ミリーは腕を組み最後の一人に視線を移す。


「マゾク退治って言ってもどうせ偽物だし、倒せなくても問題ないからGaMA試験よりずっと楽だよな」

「余裕だねぇ。わたしも気楽にやりたいなー」


 学園一のペーパーテストジャンキー君と一緒に話している黒髪がへらっと笑う。

 ミリーは弾を込めた眼差しで彼女の朗らかな横顔を強く見つめる。彼女の頬に穴が空いてしまいそうな気迫だ。当然彼女もミリーに気づき、一瞥した後ですぐに会話に戻る。

 ミリーにとってこの試験で何より脅威なのはマノンの存在だ。


 もし彼女に先に獲物を取られてしまえば、その瞬間に長年の夢が儚くも散ってしまう。ミリーの眉間に皺が寄る。他の生徒たちなど眼中にない。とにかく彼女よりも前に目標を仕留めなければ。

 ミリーの警戒心が昂り表情を歪めた時、合図となる鈴の音が鳴る。


「最終組、出番だぞ」


 森の入り口に立った教師が残った五人の制服姿に呼び掛ける。呼ばれた五人はそれぞれの足取りで森へ入っていく。


「無茶しすぎるなよ」


 マノンを睨みつつ森へ入っていくミリーに対し教師がぼそっと声をかけた。


「なんで私だけ……」


 教師のお節介にミリーは声を濁らせる。彼女の恨めし気な視線に肩をすくめた教師を尻目にミリーは森へ向かう。ついに試験が始まった。さっきまで近くにいた他の四人の姿はもうない。一人になったミリーは白い落ち葉を踏みしめながら前へ進む。


 耳を澄ませ、嗅覚を駆使し、視界は常にクリアに。

 獲物を見つけられない限りは何も成し遂げられない。密かに胸に潜めた緊張とともにミリーは自分を取り巻くすべてを見逃さないように慎重に森を探索する。

 森の中は白い木々に覆われ空間の認識が狂ってしまいそうだった。

 風もなく、太陽の光すら入らない。だが光はなくとも視界は白い。常に自分の身体の周りで雲が渦巻いている感覚に陥り、時折足を踏み外しそうになる。


 森というからにはここは大自然の中だ。教師がいる入り口に比べ少しばかり寒い。

 ミリーは何もない森の中を勘だけを頼りに歩き続けた。白の森に入るのは初めてだ。噂には聞いていたが確かにその面積は広いらしい。

 もう二十分近く歩き続けているのに同じ組の生徒に限らず、先に森に入っていた生徒たちの姿も形もない。自分以外の生物が存在する気配すら感じず、ミリーは眉をひそめて首を傾げる。


 こんなにも誰にも出くわさないものなのだろうか。

 先輩の体験談を思えば、一人や二人くらいの足音が聞こえても良いものだが。

 それどころか、森の定番である鳥のさえずりさえもうずっと聞いていない。

 妙に思ったミリーは近くのささくれた樹皮に触れる。


「冷たっ」


 ひんやり、というには強烈だった。指先から痛みにも似た冷気が伝わり、ミリーは咄嗟に手を離す──と。

 どこからともなく霧が木々を通り抜けていく。あっという間に視界の半分がぼやけてしまった。


「……なに」


 ミリーは冷えた指先を抱きしめたまま警戒して辺りを見回す。純粋な白色に満ちていた世界に濁りが訪れていた。意志を得たようにうにょうにょと動く霧たちが大蛇にも見える。十匹以上の霧の蛇が上下左右に駆け回り、好き勝手に場を曇らせていくのだ。


「何事……?」


 少なくとも自然の現象ではない。ミリーの疑念が確信に変わる。


「──ちっ」


 思わず舌を打った。得体の知れない何かが近くにいる。教師が創り出した霊獣か、はたまたマゾクか。いずれにせよ先手を取られるのは好みではない。

 ケープの裏に隠した杖をミリーが手に取ろうとした瞬間、足元が大きくうねり出す。叫び声とも欠伸とも取れる大地の轟が響き渡る。とても立ってはいられなかった。


 ざわめき始めた地面に放り投げられ、ミリーの身体は斜め上へと飛ばされる。身体が浮かぶ直前に辛うじて杖を手にしたミリーは杖先を地に向け高速で円を描く。すると視界を覆う霧がぐるぐると渦巻を描き、白葉の絨毯を舞い上がらせた。空気の抵抗でなんとかミリーの身体は宙に浮かんだままだ。


 未だ地面は蠢いている。まるで寝ていた赤子が無理矢理に起こされ癇癪をおこすように、うぎゃあうぎゃあと暴れ続けていた。これではまともに地面に着地できない。

 即座に判断したミリーは宙を舞う白葉に爪先を向けて彼らを誘導する。


「もう! さっさと私を守りなさいよ!」


 イラついた声で喚きながら、ミリーはネイル魔法で器用に白葉を急いで束ねる。地面が波打つ今、宙に浮かんだまま葉っぱの絨毯に乗ろうと考えたのだ。

 絨毯の形になった葉っぱたちを自分の方へ呼ぼうとミリーは指で招く。が。

 あと少しで絨毯に乗れる一歩手前で、束ねられた葉たちは無残にも散っていく。絨毯を狙って木の根が鞭を打ったからだ。


「ヤっば──!」


 同時に霧の渦巻が消滅し、塵となった葉に怒りをぶつける間もなくミリーの身体は垂直落下する。途中、根が暴れたせいで木々が連鎖的に倒れていくのが見えた。轟音が辺りを包む。慌てて近くの木の枝に飛び移ろうとするが、その木も隣接する木々に巻き込まれ無残にも横に倒れてしまう。

 もうどこにも足場はない。


「うあ……っ‼」


 ミリーはそのまま荒れた大地に落下し、乱雑に落ちた木の枝に腕を擦った。


「いっったぁあ」


 片手に杖を握りしめたまま、ミリーはうつ伏せの状態から起き上がろうとする。口内に鉄の味が広がる。どうやら地面に落ちた際に口の中を切ったらしい。ミリーは血を飲み込み、べっと泥を吐いた。

 何度吐いても口の中がすっきりしない。ミリーは何度か唾を吐きだし、ゴホゴホと咳をする。口内の不快感にすっかり気が滅入っていた。


「気持ち悪ぅ……」


 起き上がった頃には大地の癇癪も治まり、霧も僅かに薄れてきた。倒れた木々の悲惨な姿が目の前に広がり、ミリーは面白くなさそうに顔をしかめる。


「もう、なんなの?」


 もしやどこかの機関が仕掛けたマゾク用の罠に引っ掛かってしまったのだろうか。あからさまにテンションを下げるミリーは大きなため息を吐く。

 なんて初歩的なミス。ミリーは自分を情けなく思いがっくり肩を落とした。あまりにもショックだったのか、ミリーの勘はすっかり萎えてしまっていた。

 そのせいで、背後に静かな影が忍び寄っていることにも気づけない。


「ね? 美味しいでしょう?」


 清廉な声がクスリと笑えば、ようやく自分以外の存在がその場にいることに気づく。


「美味しい……?」


 何を言っているのか。

 怪訝な表情で振り返れば、彼女の表情は時が止まったように固まる。


「喉が切れていく感覚がして、気分が高揚するわ」

「え──……?」


 驚きのあまり呼吸すら最低限だった。

 自分の瞳に映る麗しい微笑みをミリーは現実のものとは認識できなかったからだ。


「どうして──?」



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