41 彼がのこしたもの
帰る。とは言った。が、晴天が褒めてくれるせいだろうか。外に出てみると、まだ帰るのは勿体ないという気分が湧いてくるのだ。
右手中指になじんだ指輪に陽が反射し、身体を翻したミリーの動きをなぞる。
サクサクと足元に鳴る葉の音が小気味良い。ミリーはすっかり慣れた足取りで校舎の裏側へと回った。辿り着いたのは小ぶりな橋が架かった池だ。
気を抜けばうたた寝してしまいそうな陽気のもと見る水面は穏やかで、ミリーを歓迎しているように笑う。
橋の中央に立ったミリーはそこから一直線上に前を見やる。真っ直ぐに向けた視線を少しずつ右へとずらしていく────と。
「ねぇ」
爽やかな空気を吸い込みミリーは声を張る。すると彼女の声に反応して池の畔に座るカッパーの髪が顔を上げる。
「今日はそこで何をしているの?」
欄干に肘を乗せ、頬杖をついたミリーはわざとらしくニヤリと笑ってみせた。彼女の問いに彼は頬を綻ばせる。少し照れているようにも見えた。
「実験だよ。家だとあまり派手なことは出来ないから」
「この場所の方が都合がいいってことね」
「そう。ミリーは? まだ帰らないの?」
今度は彼が訊いてくる。ミリーは欄干についた肘を下ろし、その手を背中へ回す。
「私も実験したいことがあるの。まだ、今日を終えてしまうには勿体ないわ。ここなら先生にも見つかりにくいでしょう」
優美な口調でミリーはゆったりとした足取りをもって彼の元へ歩く。
「実験?」
案の定彼は興味深そうに首を捻る。出来ることは何でも勉強すると張り切っていた彼らしい反応だ。
「ええ。興味がある?」
「分からないけど、なんだか楽しそうだ。それってなに?」
彼はミリーが隣に来るのをのんびり待っていた。特に急かすことも苛立つこともなく、ただ好奇心だけがそこにある。
「これ。さっきジュールから渡されたの。ダイルが魔道具部で開発したものよ」
「ダイルが?」
彼の眉がピクリと機敏に動いた。ダイルの名に無意識に反応したようだ。彼の和やかだった眼差しに僅かな暗がりが覗く。ダイルの身に起きたことを知らない生徒などいないのだから過剰になってしまうのも無理はない。
「ダイルが残したものにジュールが少し改良を加えたらしいわ。まだ、どんなものか使ってみてはいないけれど。魔除けにはなるかもしれないでしょう?」
ミリーが指輪をつけた指を出して彼に見せると、柔らかな風が彼の髪を揺らす。
「……ということは。ミリー、ジュールと会ったんだ」
「────ええ」
指輪よりもそちらを先に指摘されるとは。
やけに晴れ晴れしい笑顔を広げた彼に対し、ミリーは少しむっとした顔で頷いた。図星ではある。彼女の頬がほのかに赤く染まる。彼の反応はまるで喧嘩した友だちと初めて仲直りした幼子たちの様子を見守るように温かい。それがむず痒かったのだ。
「ずっと放置していても仕方ないもの。私の方から話しに行ったの」
「さっすがぁ。女王様の器は伊達じゃないね」
ミリーが正直に白状すると、彼は手に持った杖でピッとミリーを指して楽しそうに笑う。言い方は優しい。けれどどこかからかっているようにも聞こえる。ミリーは瞼を瞳の半分まで下げ、「やめてよ」と小さな声で白旗を上げた。
「ごめん。でも、すごい。よくやったね。さすが、って思ったのは本当だよ」
「なら、もっと単純に褒めてくれてもいいじゃない」
「それじゃミリーもつまらないだろ」
「つまらなくてもいいわ」
「ミリーはそう言うけど。単純には片付けられないくらいミリーは凄いことをしたんだから。単純じゃ勿体ないよ」
「……屁理屈」
ミリーがぼそっと呟くと、彼はクスリと笑ってから改めて指輪に目を向ける。
「タビヒスを使った指輪か。分析からここまで随分と早い。ダイルはきっと優秀な術義局員になるんだろうね」
そう言って彼は目を細めて指輪をじっと見つめた。彼の眼差しからはダイルに対する敬意が伝わってくる。
「私もそう思うわ。だから早く復帰して欲しい。今はただ、それだけを願うの」
「うん。皆の気持ちは同じ。彼が必要だ」
「そうね。でもまだ、すぐには彼は戻ってこれないから。その間に、私もこの指輪をもっと魅力的なものにしたいと思っているの。この指輪には力が秘められているはずよ。まだ使いこなせる自信はない。けど、私はすぐにでもこの指輪を使いこなしてみたいの。ダイルが帰ってきた時に驚くくらいにね」
「なるほど。多分、見た感じだと攻撃を散らして盾代わりにすることは出来そうな具合だね。だけどこの指輪自体から何か攻撃することが出来るかというと……それは試してみないと分からないな」
「でしょう?」
真剣に指輪を観察する彼の表情を一瞥したミリーの頬が僅かに弛む。彼が期待通りの反応を示してくれたからか、期待以上に的確な分析をしてくれたからなのかは分からない。ただ、彼の真摯な眼差しに胸が弾んだのだ。
「タビヒスの他にもユニエラの成分を少し応用して混ぜ込んでいるはずだ。だから防御だけじゃなく、杖やネイルと同じようにこの指輪に力を込めれば装着者の能力を具現化できるのかもしれない。けど……うーん、どうだろうなぁ」
「……鑑識術の授業は取っていた?」
「うん、一年の時に。そこで習った術を使えば、この指輪のことをもっと詳しく知ることが出来そうかも。ミリーはどう思う?」
「私もそう思うわ。発明はすごいけれど、所詮は高校生が作ったものだもの。私たちにもある程度の解析ができると思う。ねぇ、クインシー」
「──えっ⁉」
一秒前まで指輪に集中していたクインシーが途端に顔を跳ね上げる。視線の先でミリーと目が合うと、彼は妙な瞬きを繰り返した。
「クインシー? どうかした?」
「あー。ううん。なんでも」
「そう?」
顔を上げたクインシーがやけに驚いた表情をしていたので気になったが、彼が何ともないと言うのでミリーは素直にそれを受け止める。
「もし、よければ、なんだけど。クインシーにも協力してもらえないかと思って」
そのまま話を続けたミリーの提案に、クインシーはまたぱちりと瞬きをした。
「いいけど……俺でいいの?」
「ええ。あなたはヒーローなんでしょう? だから適任だわ」
「それは……弟が言ってるだけなんだけども」
ミリーが先ほどの仕返しとばかりに意地悪に笑うので、クインシーは参ったように頭を掻いてはにかんだ。彼に少し申し訳ない気はした。だがこれでおあいこだ。ミリーのしたり顔にクインシーが眉尻を下げる。そこでミリーは気づく。
そういえば彼の名前を呼んだのは今日が初めてだったかもしれない。
ミリーがはたと動きを止めると、反対にクインシーの垂れた眉が持ち上がっていく。
「じゃあ時間も勿体ないし、早速だけど指輪を見てもいい?」
「うん? ええ、もちろん。先生に見つかって早く帰れと言われたら厄介だもの」
ミリーの視線が自分の指を向く。クインシーの手のひらが彼女の指先に触れたからだ。彼に渡すために指輪を外そうとしたのだが、ミリーが指輪を外すよりも先に彼の方が動いたようだ。クインシーはミリーの指輪をよく見ようと自分の手を支えに使ったらしい。ミリーの右手は今、彼の手のひらの上にある。
差し出した手を優しく包み込まれているような錯覚にとらわれ、ミリーの心臓が淡く跳ねる。喉の奥から微かな鼓動が伝わってきた。
が、当のクインシーはミリーの戸惑いには気づかないくらい指輪観察に夢中だ。慣れない感覚にミリーは久しい感情を思い出す。
なんだか照れてしまう。
自分の耳が熱を帯びているような気がする。
「──どう? 何か、形状から分かることはある?」
どうかこのまま彼が気づきませんようにと小さな祈りを胸に抱き、ミリーは気を紛らわすためにも積極的に声をかけた。
「やっぱり、特に力を使わなくても防御が出来るような仕組みにはなってるみたいだ。着ける人の能力の差に関わらず等しくね。で、見たところ、このシルバーの粒がただの飾りじゃなかったら、相手に多少の打撃を与える術は使えそうな気が──」
「へ、へぇ‼ それって、どれ?」
クインシーの瞳が上を向きそうになったので、ミリーは彼の声を遮って封じ込む。わざとらしく興味深々な声を出し、彼の視線を再び指輪に集中させるためだ。
「あ。えっとね、これだよ」
物事を丁寧に人に教える彼の意識に救われた。クインシーは指輪をじっと見やり、中に見える極小の結晶を指差す。ミリーも下を向き、彼の指が示した先を見る。確かに彼の言う通り指輪の所々に結晶が混ざっていた。
もしかしたらこれはジュールが施したものだろうか。ミリーはぼんやりとそんなことを思う。
「本当ね。なら、まずはこの結晶が何なのか分析してみましょう」
「うん。それがいいと思う」
「あっ」
クインシーの発見に純粋に感心してしまったからだろう。結晶に気を取られたミリーの傍らで彼はいつの間にか顔を上げていたらしい。彼の声に気づいて目が合った頃にはもうとっくに彼の瞳はミリーを映していた。幸い耳の熱も引いてきたところではある。もしや見られたか。彼の表情だけではそれは読み取れない。
「鑑識術はショーケースに向けた研究でもよく使ったから、多分、失敗はしないと思うけど」
「大丈夫。私がいるのだから。大抵のことはカバーできるわ」
気を取り直し、ミリーは自分にだけ聞こえるように喉を鳴らしてから得意気に胸を張る。
「うん。それじゃあ、実験を始めようか」
「ええ。望むところ」
ミリーはようやく自由になった手から指輪を外し、近くにあった大ぶりの石の上に置く。ミリーとクインシーは石を挟むように立ってそれぞれ杖を構える。
まず初めにクインシーが簡単な攻撃魔法を指輪に放つ。すると杖の先端から走って行った細い稲妻は指輪に触れる数ミリ直前で散り散りになって消えてしまった。
思った通り、タビヒスの効能が発揮されているようだ。
「でも。もし強い魔法があちこちに散ってしまったら、近くに他の人がいた場合に危ないわ」
「だね。二次被害が起きかねない」
「どうにか制御できないものかしら」
指輪を見下ろす二人はハンコを押したような同じ表情で考え込む。
「そうだ。鑑識術の中にさ、わざと不純物を組み込ませるものがあったと思うんだけど──」
「それを応用して、別の仕掛け術を指輪に忍び込ませることならできるかもしれないわね」
「うん。でさ──」
それから二人は、互いに気になることを言い合いながらこれまで学園で学んだ術を駆使して指輪に改良を加え続けた。
順々に指輪に魔法を込めていく。中には自分では思いつかなかった対応術を相手が使うこともあった。ミリーも最初のうちはクインシーが自分の知らない術を使うと悔しさを覚え、負けじとなって自身の知識を漁りまわった。が、何順か繰り返したところで自然と彼への対抗心も消え失せていた。
彼が努力家なのはどうも本当らしい。学園のことはすべて把握していたと思っていた。けれど彼が高い能力を秘めていることなどこれまで知りもしなかった。
立派なことなのに彼は学園でもあまり表には出てこない。才能を周りに見せつけることをしないなんてミリーには思いもつかない発想だ。
自分と比べてしまえば異質にも思える彼の控えめな態度がかえって新鮮で、ミリーの興味を誘う。
ミリーは素直に彼の能力を認め、麗らかな気分で指輪に想いを込め続けた。
どうかダイルの奮励が報われますように。
彼の意志を繋ぎ止める。それだけが見舞いも許されない彼への精一杯のエールの証だ。
気づけば陽も落ちかけている。そろそろ見回りの警備員が来るだろう。けれど夢中になった二人が作業を切り上げることはなかった。
疲れているのに楽しくてたまらない。
ミリーは不思議な感覚にそわそわしながらクインシーを見やる。彼の表情には好奇心が滲み、活力が漲っていた。指輪に向かう生き生きとした眼差しにミリーの目元が緩む。
たくさんの魔法を使うのはさすがのミリーも疲れてしまう。おまけに、どことなく甘く爽やかな香りが漂ってきて心が伸びをしたように安らぐのだ。
きっと、このまま眠りにつけば全身が幸福に包まれ素敵な夢を見れるだろう。
しかしそうもいかないのがミリーの性質だ。
指輪の改良が終わった後は直前に迫ったマゾク退治試験に向けた準備を進めなければ。だが苦痛などは感じない。むしろ興奮を覚える。
入学当初からの悲願を目前に、ミリーの脳内から「休息」の文字はしばし脱走しているのだから。
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