40 一歩踏み出した先
技術室が近づいてくると、部屋の明かりが灯っていることにも気づく。
「なんだ、いるのね」
明かりが消えていればよかったのに。
心の片隅ではそう思うものの、折角ここまで赴いたのだから空振りで終わるのもそれはそれで癪だったと思い直す。
扉は閉ざされていて、自らで開けなければ中の状況は確認できない。
嫌な記憶が蘇り、その扉を開くことをミリーは一瞬躊躇った。しかしまたしても、彼らに気を遣い続けることが癪だという思いの方が勝つ。
一応、礼儀として手の甲で扉を二回叩く。すると思いがけず中からは返事が聞こえてきた。まさか返事をする礼儀があったのかと妙に感心してしまう。が、相手は誰が戸を叩いたのかまだ分からないのだ。ならば返事をすることも妥当だと納得できる。
「失礼するわ」
ミリーはコホン、と咳払いをした後で掛け声とともに扉を開いた。
「あ」
中にいた生徒は開かれた扉の向こうから現れたミリーを見て固まる。
「……ひとり?」
念のために部屋の中を見回し、中央に座る彼に確認してみる。
「ああ。今は一人だ」
彼がそう答えたので、ミリーはほっと胸を撫でおろして後ろ手で扉を閉めた。
「久しぶりね、ジュール」
特に狙ったわけでもなく気の迷いでここまで来ただけだ。が、幸運なことに部屋にいたのは用のある彼一人だけだった。運のツキに心に余裕が出来たのか、無意識のうちにミリーは微笑みを浮かべる。
「久しぶりだな……調子は?」
「悪くないわ。試験も完璧だったから。でも……ジュールは、あまり元気がなさそうね」
ミリーは彼が座る席の二つ前の机に腰を掛け腕を組んで彼を見つめた。彼女の勝気な声とは対照的にジュールの返事はひどく気落ちしている。
「まぁ……そりゃ、幼馴染が、あんなことになったから」
ジュールは目を伏せ、作業していた手を止めた。久しぶりに見た彼の指には多少の傷があり、魔道具部での道具開発に勤しんでいたということが一目でわかる。
「ええ……ダイルのことは、残念だわ」
ミリーは彼の指から目を離し、同情するように声を顰める。
「あいつ、昨日も帰ったらすぐに試作品の改良をするって張り切ってて。なんか試験中に良い案が思いついたんだと。それが何なのか、俺たちにはさっぱりだけど」
「それ。それが、開発中の?」
ミリーはジュールの手元に置かれた小さな指輪を指差す。
「ああ。そうだ。ユニエラから抽出したタビヒスを可能な限り集め、液体に混ぜたものを凝固した。ところどころビーズが光ってるだろ? それがタビヒスの証だ」
「すごく綺麗ね」
「見た目はな。ただ見た目が良くても、使い勝手が悪かったら意味ないだろ」
「効能を最大限に有効活用する方法を、きっとダイルは思いついたのね」
「そうだろうな。俺には見当もつかないが」
ジュールは指輪を人差し指と親指でつまみ、ミリーに掲げて見せた。
「学園に来る途中、ダイルの親父さんに渡されたんだ。あいつがこの開発に熱中してたことは彼も知ってる。あいつがどうなるか分からない。だから、その意志を継いで欲しいと、これを任されたんだ」
「信頼されているのね」
「名前だけは、信用に値するからな。世間的には」
「ふふ。随分と自虐的ね。よっぽど参っているみたい」
ミリーは組んでいた腕を解き、両手を机に置いて体重を後方に傾けた。
「で。どうしたんだ。俺の顔なんてもう見たくないんじゃないのか?」
「勝手に決めつけてもらっては困るわ。それとも、あなたはもう私の顔なんか二度と見たくない?」
丁寧に指輪を置き、話題を変えようと声を切り替えたジュールに対しミリーは意地悪に笑ってみせる。
「まさか。会いたくて堪らない時は今でもある。でもミリーがそう望むなら、二度と君の前には姿を出さないように努力するけど」
ジュールの瞳が真っ直ぐにミリーを捉える。彼の瞳の中央に自分が映っていることは離れていても実感できた。そこでミリーは自覚する。彼と目を合わせることをあんなに避けていたのに、今は自然と彼の目を見れるということを。
「やっぱり、綺麗な瞳。ズルいわ」
「え?」
「なんでもない」
小声で呟いた独り言を彼に聞かせるつもりなどなかった。ミリーはクスリと笑い肩をすくめる。ただ綺麗なだけの瞳を見るだけなら、何も畏れることはないのだ。
「ダイルのことがあって、ジュールは大丈夫かしらと思って様子を見に来たの。でも、当然ショックを受けてはいるものの、彼の指輪を弄るくらいの気力は残されているようで安心したわ。それを放置していたら、ダイル、決して許さないもの」
「……ああ。そうだな」
ジュールは憂いを忍ばせた眼差しで指輪を見やる。
「それと。私自身も、あなたに用事があったから」
ミリーも彼の視線を追いかけて指輪を見つめる。青とも緑とも取れる澄んだ光が瞳の中にぼうっと浮かんだ。
「このままじゃ終われないと思ったの。きちんと話して、私のことを伝えないと。じゃないと何も終われないって、思い知ったの」
ミリーは指輪を見つめたまま感情を抑揚に乗せた。決して怒っているわけでも興奮しているわけでもない。真摯に胸の内を曝け出したいだけだ。
ジュールの瞳が彼女の自信に満ちた微笑みを向く。彼女の穏やかで清い眼差しが靄のかかった空気を浄化していくようだった。
「私、あなたのことが大好きだったわ。好きなことも似ていて、すごく気が合うって思ってた」
「二人とも、パーティーも主役になることも大好きだからな」
「ええ。二人は最強って信じてたわ。でも、合わないところもあるって気づいたの。好きが重なるだけじゃ到底乗り越えられない違いがあるって」
ミリーは重心を身体の中心に戻し、指先を結んで足の上に添えた。
「前にあなたは、今の私は私じゃないって言ったわよね。確かに、少し前の私とはちょっと違っていたかもしれない。あなたはそれを好きにはなれなかった。でもね、私はどんな自分も愛せるの。その点、あなたとは合わないみたい。ジュールが愛してくれたのは私のほんの一部だった。丸ごと私自身を愛せる私とは違う。それじゃ上手くいくわけない」
ミリーは揺るぎない声ではっきりとそう告げる。前に池の畔で話した時に実感したことだ。自分はどんな自分も受け入れることが出来るのだと。そう改めて自覚した瑞々しい記憶が胸の奥に蘇る。
「上手くいくこともあるのだろうけれど。でも私はそうは思わない。お互いに無理をして亀裂が生じるだけ。私はそんな重責を負いたくはないし、ジュールにも負って欲しいとは思わない。だから、思いがけない形にはなってしまったけれど、向かう結末自体はどの道同じだったのよ」
「ミリー……」
「本当、いっちばん最悪の筋書きを辿ってしまった気はするけどね」
「悪かった。本当、俺、自分勝手で……」
ジュールの肩がしゅん、と落ちる。体格がいいのにずっと小さくなってしまったように見えた。それがミリーには少しばかり可笑しかったようだ。くすくす、と控えめに肩を揺らして笑う。
「ほんと、最悪。私からフラせてよ」
机から下りたミリーはスッキリした面持ちでにっこりと笑う。
「ジュールたちのやったことを許す気はないの。でも、私たちのピリオドにはちゃんと理由があるのだって分かったから。だからもう責めるのも止める。それどころじゃないもの。ジュールはダイルの開発を引き継いで成功させなくちゃ」
「…………ああ」
「あ。ひとつ言っておくと、ダイルが戻ってこないなんてまったく思ってもいないけどね」
「……だな。ああ。俺もだ」
ミリーとジュールは互いを見やって笑い合う。鏡のように見合わせた二人の笑顔には絶対の自信が滲む。ダイルに対する想いは同じようだ。
「じゃあ。あんまり長く学園に残っていると先生に怒られそうだから。そろそろ私は帰るわね」
「あっ、待って、ミリー」
ミリーが踵を返して部屋を出ていこうとすると、ジュールが慌てて立ち上がる。立ち上がる途中で脚を机にぶつけたようだが、痛がる素振りも見せずに急いで彼女の元へと駆けてくる。
ミリーも足を止め、彼が目の前まで走ってくるのを待った。
「これ。まだ試作品ではあるけど、持ってけよ」
「え? でも」
ジュールが差し出したのは先ほど掲げた指輪だった。
「これ、ダイルのでしょう?」
「そうだが。試作品はまだ他にもあるんだ。これはそのうちの一つで、さっき俺が少し改良を加えたもの。まだ未完成ではあるが、身を守るのに役立つかもしれない」
「……いいの?」
「もちろんだ。君に持っていてもらいたい」
ジュールはミリーの手のひらにそっと指輪を置き、指を折り畳んでぎゅっと握らせた。
「どうして?」
「ああ。身勝手なことは承知してる。でも、ミリーのことを守りたい気持ちに変わりない。ミリーは気が強いから、事件に巻き込まれても逃げるより戦っちゃうだろ……心配なんだ」
「あら。ふふふ。余計なお世話だけど、お守り代わりに持っていても悪くないわね」
ミリーは指を開き、手のひらに乗った指輪をじっと見やる。指輪が放つ優しい輝きはまるで天使が微笑んでいるようだった。
「これ、ジュールも開発に携わったの?」
「いや。学園内では俺がやったってことになってるけど、成分の分析も指輪の作成もほとんどダイルがやったものだ。俺が一から作ったわけじゃないから安心しろ」
「ふふ。知ってる。あなたのことはなんでも」
「……そっか。すべてお見通しか。ミリーには敵わないな」
「勝とうとする方がまず間違いなの」
「ははっ。なるほど。俺の悪い癖かな」
ジュールの笑みを一瞥し、ミリーは指輪を右手の中指に通す。するとミリーの指に合わせて指輪のサイズが勝手に狭まっていった。
指にぴったり嵌った指輪を嬉しそうに眺めた後で、ミリーはジュールに目配せして部屋を出ていった。
廊下を歩く足取りはここに来る前よりもずっとずっと軽い。枷となっていた鎖が外れたような感覚にミリーの表情が綻ぶ。
右手につけた指輪は最初から自分の物だったかのようにしっくり肌に馴染んでいる。今なら大手を振ってスキップしてもいいくらいの気分だ。
ミリーがつい鼻歌を口ずさんでしまいそうになった時、廊下の向こうから誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。
「リアンナ」
ミリーに名前を呼ばれた彼女はびくりと身体を縮こまらせて固まってしまう。ミリーはやれやれと首を振って彼女に近づく。
「ジュールのこと、支えてあげて」
「──え?」
「物騒だから、あなたも帰り道には気を付けるのよ」
「は、はい……」
軽やかな笑みとともに去って行くミリーをリアンナはただ見つめることしかできなかった。
「なんだ。たいしたこと、ないじゃない」
一方のミリーは誇らしげに目を細めて自身の健闘を称える。
頭の中に渦巻き、心を搔き乱していたあの声ももう聞こえてこない。
ミリーは空を見上げ、雲の隙間に見える群青に微笑みかけた。
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