43 邪魔者
ここにいるはずのない人間がいるのだ。
ミリーは瞬きを忘れ、地面に座り込んだま瞳孔を開く。すると。
「本当、裸の女王様なんだから」
今度はミリーの右手の方から声が聞こえてくる。呆れかえったその声は、「あーあ」とため息を吐きながら近づいてきた。
「マノン?」
いつも通り黒髪をツインハーフアップにした彼女はミリーの素朴な瞳をじっと見つめる。マノンの傍らにはウィギーがぷかぷか浮かんでいた。
「え? どういう……?」
ようやくミリーの瞼が下りてきた。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ミリーはやけに冷静なマノンの表情を窺う。
「どういうもなにも、彼女が怪族だった、ってことでしょ」
「は?」
マノンは腕を組んでミリーを半目で見やる。当たり前のようにさらっと言った彼女の言葉にミリーは首を捻った。
「怪族って、あの怪族?」
最近よく調べていた言葉だ。ミリーは何の感情もない声で繰り返し訊ねる。
「そう。マゾクの一種。今年の試験は、随分と本格的になっちゃったね」
やれやれと首を振るマノンの横でウィギーが哀しそうに身体をすぼめた。
「それ、それって──どういう──?」
「見たままよ。まさか彼女がって感じだけど。全然匂わなかったし。ねぇ、あなたも黙ってないで肯定なり否定なりしてよね。まぁ、こんなことした後で否定されても信じないけど」
未だ言葉の意味を飲み込めないミリーのポカンとした表情に再びため息を吐き、マノンはじっと二人の会話を聞いている彼女に目を向ける。
ホワイトゴールドの髪にすらりとした手足の長い体躯。二人と似た制服を着ているが、そのスカートは二人と違ってタイト。腕を隠すレースの手袋。
まだ三年生である彼女が卒業試験の今日この場にいるはずがない。
イエナ・アミアンはにこやかに微笑み、マノンの要望に首を傾げた。
「あら。邪魔者は、どこまでも邪魔をするものなのね」
涼やかな口調でイエナはマノンにそう返す。
「ミリーによると、わたしはそれが特技らしいからねぇ」
「ふふ。それだけはミリーと意見が合いそう。本当、厄介な人」
飄々とした声で笑うマノンに対しイエナは穏やかに目を細めてミリーを一瞥する。
まだ蚊帳の外のミリーはこれ以上置いていかれないよう慌てて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って! 怪族って……怪族ってことは、イエナはマゾクってことなの⁉」
悲鳴にも似た声に二人の視線がミリーを向く。
「あなたが答えてよね」
マノンがイエナを促すと、イエナは困ったという顔で息を吐いた。そして何も言わずに目を伏せたまま両手の手袋を外す。
「イエナ……それ……」
現れたのは真っ黒に焦げついた肌だった。指先は煤けて、ほとんど輪郭が見えない。真実を目にしたミリーはアッと瞳を丸める。
「そう。私はマゾク……怪族の娘よ。好きなだけ憐れめばいいわ」
イエナは二人によく見えるように両手を挙げ、嘲るように声を吐き出した。その瞳は爛れた手を蔑んでいるようだった。
「数年前、ディマス・キングが討伐したのも怪族の青年。すごく……すごく優しい人だったのに……!」
両手を下げたイエナは唇を噛みしめ悔しさを露わにした瞳で二人を睨みつけた。
「い、イエナ……」
憎悪に満ちた彼女の表情にミリーはごくりと息をのみ込む。マノンとウィギーは彼女が声を荒げたことに警戒して表情を強張らせる。
「私はマゾクの中でも少し変わってる子だったの。怪族は、マゾクの中でも突然変異だから。人間と全く同じ姿になれる私を皆は嫌ったの。でも、あのお兄さんは、皆に無視されて、親にも見放された私を励ましてくれたの」
遠い過去の幼き日を思い出したイエナの瞳が僅かに潤んでいく。
*
まだイエナが六歳の頃だった。
出生検査で怪族と認定されたイエナは家族から引き離され施設に預けられることになった。怪族はマゾクの中でも特殊で、将来は人間に似た姿に成長することから避けられているのだ。過去の争いのトラウマが未だにマゾク界に根付いている証拠だろう。
また、怪族は姿が変わっているだけではなくその能力も高い。年齢とともに力を増し、場合によってはマゾクの中でも脅威になるため特別な育成が必要だと考えられている。
人間と共存が出来ず居場所も限られてしまうマゾクたち。脅威となり得る怪族本人に妙な思想が生まれぬよう慎重に育てることが、内々の争いを起こさせないためのせめてもの手段だったのだ。
施設に隔離された後も、通常のマゾクの子どもとの交流の機会が意図的に設けられた。恐らく仲間意識を芽生えさせるためだろう。
しかし子どもたちは残酷なことにイエナのことを受け入れようとはしなかった。
早くも人間の姿に似てきた彼女の姿を彼らはひ弱だとからかい、大人の目が届かない場所でいじめたのだ。
彼と出会ったのは独りぼっちのイエナが落ち込み泣いていた時だった。
久しぶりに現れた怪族仲間の様子を見るため、同じ施設出身の彼が遊びに来たのだ。
庭の隅で丸まって泣き続けるイエナと向かい合うようにしゃがみ込み、彼はその大きな手で彼女の頭を包み込んだ。
泣くことに一生懸命で彼がいることに気がついていなかったイエナは大層驚き、反動で涙も止まった。
顔を上げれば、こげ茶色の髪をした優しい青年が朗らかに笑いかけてきたのだ。
「お嬢さん、どうしたの? 下を向いていたら、勿体ないよ」
大きな瞳をぱちくりさせるイエナに向かって青年はそう言い、そっと何かを差し出す。彼が手に持っているのは羽根だった。粉雪色をしたハクチョウワシの羽根だ。オレンジの陽に照らされ細かな粒が煌めいている。
「きれい……」
思わず声が漏れ出た。イエナの声を聞いた彼は嬉しそうに微笑み、彼女の頭をわしわし撫でる。
「ねぇ、君。俺も同じ立場だったから分かるけど、何も落ち込むことはないんだよ」
「でも。みんなとちがうから。わたし、だめなこなんだよね? だから、ここにいるんだよね?」
「ううん。違うよ。君は確かに、少し変わっているのかもしれない。でもね、そこが君の魅力なんだよ」
「みりょく?」
「うん。君らしさって言うのかな。自分の魅力は大事にしないと」
「ほかのひととはちがうのに?」
イエナはきょとんと青年を見つめる。青年は力強く頷いた。
「そう。他の人とは違う。だからいいんじゃないか。変わっていると言われても、そこが君の魅力なんだから、もっと堂々としてていいんだよ」
青年の自信に満ちた眼差しにイエナは引き込まれるように瞳を開いた。
「おにいさんは、やさしいんだね。ほかの人とは違う。あ。もしかして、そこがおにいさんのみりょく……?」
イエナがハッと核心に気づいたように息を吸い込むと、青年は大きな声で笑いだした。
「はははっ、そうだったら嬉しいなぁ。君はそう思ってくれるの?」
「うん……‼」
イエナが両手の拳を握りしめて頷けば、彼は少しだけはにかんだ。照れを隠したかったのか、彼はイエナを抱き上げ、そのままぐるぐると庭をかけ回り、陽が暮れるまでイエナの遊び相手になってくれた。
また遊びに来る。そう約束した彼はその印にハクチョウワシの羽根をイエナにプレゼントした。
彼と出会ってから、イエナは不思議と自分に自信を持つことが出来るようになった。彼は約束通り定期的に遊びに来てくれた。そのことが彼が嘘つきではないという証になったのだ。
施設に隔離されている状況に挫けそうになる日もあったが、青年から施設を出た後の楽しい話を聞いていたので耐えることが出来た。
ずっと独りだったイエナが誰かに好意を抱いたのも初めてだった。彼と会えることが嬉しかった。今日は来るか、来ないか。毎日、どきどき胸を震わせながら彼が来る道をじっと見つめて待っていた。
成長するにつれ、いつか彼のように自分も誰かを助けられる存在になりたいと願った。
しかしイエナが無事に施設を出た直後から、彼に異変が訪れる。
怪族はマゾクの中でも能力が高い。その反面、能力が凶器となって暴走する可能性も高いのだ。怪族が最も苦手と言われるのが自己の能力を抑えることだった。
どうにか理性で抑え続けても、ほんの些細なきっかけで怪族の血が暴走してしまうことがある。
イエナが施設を卒業した日のこと。頭部に怪我をした彼は、それから怪族の血を抑えられなくなってしまった。怪我の原因は公には不明とされている。が、彼が怪我をしたのは白い森に迷い込んだ子どもを探しに行った時だった。魔法使いの罠で怪我をしたのかと訊ねれば彼は否定したが、彼の僅かな表情の変化すら気づくイエナにはそれが嘘だと見抜けた。
優しく、穏やかな彼が必死で守ってきた彼の理性を壊したのは人間のせいだとイエナは微かな疑念を抱くようになる。
結局、暴走のままに怪物となってしまった彼は魔法使いに討伐され姿を消した。
怒りが沸いたのは確かだ。けれど彼が常に言っていた言葉を思い出し、イエナは悶々とした思いを封じ込め日々をどうにか過ごしてきた。
マゾクも人間も、憎しみあって対立するのは無意味なことだ。
恩人である彼の口癖を胸に刻み、イエナもまた自らの血の欲求を抑え続けたのだ。
しかしそんな彼女の努力も虚しく、青年が討伐された数年後、イエナもまた自らが怪物であることを自覚する。
マゾクの身体にユニエラと同じ成分が微量に存在することを人間に気づかれたのだ。
特殊な身体を持っているのは怪族のみ。イエナをはじめ、マゾクの中でも少数派の怪族たちは彼らに利用されるかもしれないという恐怖心に苛まれた。
イエナも例外ではない。
恐怖に加え、青年の身体が解剖され好き勝手にされたという事実もまたイエナのことを苦しめた。ストレスが天井を越え限界を迎えるとともにすべての感情が消滅した。
まるで細胞のすべてに嘲笑われているようだった。これまで必死に守り抜いてきたものはなんだったのか。そこで気づく。逆らっているのは、おかしいのは自分の思考だけなのだと。
何を我慢している。何を抑え込んでいる。自らに与えられた能力なのに。本能なのに。
脳に伝う神経が余すところなく震え上がった。脳の中枢まで覆い尽くし視界が黒く狭まっていく。
特段、根拠があったわけではない。あの魔法使いもどきたちが怪族の能力に気づき利用するなど、恐れから生まれた妄想にすぎなかった。
けれどその考えが独り歩きしていく中で、イエナの体内で怒りがはっきりとした輪郭を帯びていく。
マゾク討伐。怪族の解剖。
すべてが憎かった。
一体奴らは何様なのだ。
その身一つでは何の力も持たぬというのに。
紛い物の魔法使いたちめ。
まだ見ぬ人間という存在にイエナは明確な復讐心を抱き始める。
いいや。これは復讐なんて感情的な言葉では収まらない。
数の暴力で調子に乗る奴らに対する報復だ。
イエナは自らの力で白の森を出て向こうの世界に行くことを決意する。
マゾク特有の匂いを消すために香りの魔法を体内に染み込ませた。華やかな香りに包まれ、自分が別人に生まれ変わったようにすら思えた。
次に、完璧な人間の姿になるために強制的に成長を早めて違和感のある部位を整形した。
禁忌魔術はマゾク界にも通用する。力を使ったせいで手は犠牲になってしまったが手袋で隠してしまえば問題なかった。そもそも怪族なのだから杖すらいらないのだ。手の感覚が鈍くなったとしても多少の不自由に支障はない。
準備を終えたイエナは目的を果たすためローフタスラワ学園に転校生として潜入し、虎視眈々とその時を待った。
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