13 勝者の頂


「大活躍だったね。ミリー」


 早速声をかけられたミリーは声の方向を振り返る。待機室にはこれまで出場した他の七人の選手もいた。声をかけてきたのはその中の一人、マノンだった。


「ええ。当たり前のことでしょう」


 彼女の顔をあまり見ていたくないミリーは、フイっと顔を正面に戻して乱れた髪を整える。他の出場者たちもいるのに、一番に声をかけてきたのが彼女だということが気に食わなかったのだ。


「ジャクルシュは晴天に弱いけれど、その反面いつも身体が冷えていて満足に温められない。本当は温まりたい。でも太陽を浴びれば身体が弱ってしまうし、自らで体温を上げることは難しい。この難問を解決することは彼らにしてみれば一生の悩み。不快な寒さから逃れることができれば、それを施してくれた相手を主と認識するでしょうね」


 ミリーから拒絶反応を示されてもマノンは楽しそうな口調でぺらぺらと喋り続けた。


「すごいね。声の自由を奪って不意を突く間に、神様みたいなことをしてあげちゃうんだもん。嘴を撫でたのも、自分がやったのだと言い聞かせるためでしょう。あの子に主が誰かを思い知らせるために」

「望みを叶えてあげて何か悪いことでもある?」


 無視をしても構わず喋り続けるマノンに対し、ミリーは呆れた声色で訊く。


「ううん。全然。むしろミリーはもっと血の気を好むと思っていたから、案外穏便な方法で手懐けたことに驚いた。ミリーって鬼なのかと思ったけど、思ったよりも優しいんだね」

「──あのねぇ」


 勝手なことを飄々と言うマノンの態度はやはり面白くない。ミリーは彼女の声を聞かされることに嫌気がさしてむっとした表情で振り返る。が。


「杖、戻ってきたらウィギーの傍に置いてあった。落としたのを誰かが拾ってくれたのかなぁ? ウィギーはこんな大きなもの運べないしねぇ」


 目が合った途端、マノンはいつの間にか手に持っていた杖を自らの頬に添えてにっこりと笑いかけてきた。

 愛嬌たっぷりの笑顔の裏に見えた彼女の別の意図にミリーは微かな苛立ちと気まずさを覚える。

 恐らく、後輩たちが競技に夢中になっていた彼女から杖を盗んで隠したことも箒を濡らしたこともマノンは気づいているのだ。


 このどちらも開幕前に応援に来てくれた後輩がやったことに違いない。

 ミリーが指示をしたわけではないが、遠回しにマノンのことを敵視していることを話したからだ。ほぼ、それが後輩たちの動機になったことだろう。

 ミリーも後輩たちがマノンの杖をウィギーの横に置いたのを見た時に、自分が指示したのとそう変わりないことを自覚していた。


「はは。邪魔されてたことには気づいてたよ。でも、怒ってないから気にしないで」

「はぁ?」


 マノンの気前のいい声にミリーの表情が驚きと不快感で歪む。


「難しい方がやりがいがあるもんね。これはあなたなりの歓迎だと受け取っておくから。ほら。ミリーと張り合える人、これまでこの学園にいなかったんだろうなぁと。だからミリーも喜んでいるのかなって思って。競い合える人間がいるのといないのとでは違うでしょ? きっと寂しかったんだよね」


 マノンは杖をポケットにしまい、肩に乗ったウィギーに同意を求める。ウィギーはマノンの思考がよく分からなかったのか、きょとんとしたまま無反応だ。


「わたしが血を見せられなくって退屈だったかなって思ったけど。それも違うようだし、改めて──」

「……なに?」


 マノンの右手が自分の前に差し出されたので、ミリーは怪訝に声を尖らせる。


「わたしが、ミリーのライバルになってあげてもいいよ」

「はぁっ⁉」


 にこやかに笑う彼女の自然な上から目線の言葉にミリーは思わず大きく反応してしまう。

 周りの生徒たちがミリーの声に興味を引かれたのか二人に目を向けた。予想外の注目を浴び、マノンは伸ばした手をそっと体側に戻す。


「みなさーん‼」


 するとそこに、運営委員会の生徒が快活な笑顔で飛び込んできた。


「そろそろ結果発表です! 表彰式です!」


 どうやら審査の結果が出たらしい。運営委員会の生徒は待機室に漂う妙な空気を跳ね除け、さぁさぁ、と出場者たちを急かす。

 マノンとミリーも漏れなく委員会の生徒たちに背中を押され有無を言わさず待機室を出された。


「ふふっ」


 自分よりも後ろを歩くマノンの愉快そうな笑い声が耳に届く。表彰式を控えた今ここで口論するわけにもいかない。ミリーは胸に溜まった不満を鼻から吐き出しどうにか堪える。

 フィールドに再び出場者たちが姿を現せば、栄光の時を待ちわびた観客たちが労いの拍手で迎えた。

 先ほどまでフィールドを埋め尽くしていた岩山はものの見事に消え、一面は見慣れた芝生に覆われている。


 ジャクルシュは一定の療養を施した上で野生に返すことになっているため、教師に連れられて姿は見えなくなっていた。ジャクルシュが去ったからか、空を覆っていた分厚い雲もすっかり払われている。

 出場者たちはフィールドの中央に一列に並び、貫禄たっぷりにこちらに歩いてくる学園長に向かって会釈した。


「皆さん、今年も大健闘でしたね。年甲斐もなく、私も大いに楽しんでしまいました。それぞれのジャクルシュとの付き合い方、どれもとても勉強になり、皆の才能の芽吹きを感じる実りある時間となりました。まずはそれに感謝したい」


 学園長が観客に向かって拍手を求めると、八人を称える喝采が湧き上がる。


「幻獣に限らず、普段、我々が遠くに感じている存在は案外近い場所にいたりする。その時にどのような対処をするのか。私としては、どんな可能性も諦めて欲しくないと思う。この戦の舞は、その可能性を探る機会でもある。今回登場してくれたジャクルシュにも感謝しよう。彼らは遠い存在ではない。共に生きる存在なのだと、身をもって教えてくれた」


 学園長はそう言い、自らの両手を合わせてジャクルシュへの拍手を送る。観客も選手も学園長に倣って大きな拍手を続けた。


「さて。今年は八人の選手のうち、見事六人がジャクルシュとの舞を披露しました。本来なら順位をつけるべきでもない功績だが──しかしこれは規則なのでね。今年も、優秀者を発表しよう」


 残念な気持ちをお茶目な表情で表しながら、学園長は手元に届いた封筒を開いていく。表彰されるのは決まって三人。奨励賞、審査特別賞、最優秀賞の三つだ。


「まずは奨励賞の発表です。果敢にジャクルシュに立ち向かい、傷を負いながらも勇敢な舞を披露した三年のフリン・ライハルト!」


 フリンの名が呼ばれると、ワッと歓声が巻き起こる。彼は四番目に登場した選手で、礼儀を払い真正面からジャクルシュに決闘を申し込み、瀬戸際で勝利を収めて舞を披露した。

 生々しい傷が残る頬をくしゃっと崩し、フリンは嬉しそうに両手を上げて観客に手を振る。彼が学園長の前に出ると、華美に装飾された杖がフリンに渡された。王笏に似た形をした杖はユニエラで作られたものではないので完全な装飾品でしかない。が、学園で何か結果を残すことがなければ手に入れることも出来ず、ただ手に持っているだけでも栄誉を実感できるものだ。 

 フリンは受け取った杖を空に掲げ、嬉しそうにその輝きを太陽光に透かした。


「次は審査特別賞に移ろう。今年の審査特別賞は、驚きの機転で揺れる箒から窮地を脱した四年、マノン・ベイリー!」


 キャーッ、という歓声が一部から沸き、ミリーは疎ましい声に思わず耳を塞ぎかけた。声の方向を見やれば、人が多くてよくは見えないがマノンたちの友人が座っている気がする。やけに不器用な歓呼の声となったのは、普段は大人しすぎて滅多に出さない声を張り上げたせいだろう。ミリーはそう解釈して小さく首を振った。

 前に躍り出たマノンは学園長から杖を受け取り、友人たちの興奮に応えるように彼らのいる方向に向かってキスを投げた。


「……ベタな」


 盛り上がる彼らの光景があまりにも陳腐に映り、ミリーは憐れみを込めた声で呟く。


「では、最後に。今年の最優秀賞を発表しよう」


 歓声が止むのをしばらく待ってから、学園長はコホンと咳払いをして深い瞳で微笑む。

 学園長の息遣いにミリーの視線は釘付けになった。

 分かっている。勿論。当然。決まりきっているはず。間違いない。


「確固たる風格でジャクルシュを従え、ジャクルシュが本来持つ誇りを引き出した。会場の空気を変えるほどの堂々たる振る舞いは実に晴れ晴れしい。相手を敬う気持ちが風流な舞にも滲み出ていました──」


 学園長の視線が手元から持ち上がる。ミリーはゴクリと息をのみ込んだ。


「──最優秀賞は、お見事。これで三連続ですか。四年、ミリー・アレン‼」


 今日一番の喝采が競技場全体を揺らした。

 ミリーはホッとした息を吐き、すぐにいつもの微笑みを浮かべる。やはり名前が呼ばれるまでの緊張感に変わりはない。が、結果が出てしまえばいつものこと。


「ありがとうございます」


 ミリーは学園長から冠を受け取り、三つ目となった戦の舞を制した証である冠を頭に被せた。客席を見回せば、祝福の声と口笛、更には楽器の演奏までもが聞こえてくる。


「ありがとう、みんな」


 片手を挙げ、ミリーは全方向に向かってささやかに手を振る。はしゃいでしまってはみっともない。ミリーは栄光を噛みしめながら滲み出てくる笑みを最小限に抑えた。

 何度栄冠に輝いてもこの気持ちは何物にも代えがたい。ミリーは踊り出した心とともに喜びを味わう。


 歴代の誰も成し得なかった三連続優勝の偉業に当然の如く教師陣も驚いているはず。そう思い、ちらりと学園長たちの方を見やれば、彼らの注目はもはやこちらには向けられていなかった。

 二人の教師が学園長に何かを耳打ちし、ちょうど彼が眉をひそめたところだったのだ。


「学園長、何かあったのですか?」


 普段から冷静で大きな感情の起伏を見せない学園長が渋い顔をするなど珍しい。落ち着きのない教師二人の表情も相まって、ミリーは考えるよりも先に訊ねていた。


「いやアレン、なにもないよ。とにかく優勝おめでとう。本当に、素晴らしかったよ」

「え? でも──」


 ミリーが腑に落ちない顔をすると、学園長は口早に締めの挨拶を告げて去って行ってしまった。後に続く数名の教師は見るからに何かがあったような顔をしている。ミリーは納得がいかず、小走りで彼らの後を追いかけた。

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