12 お手本
七人の挑戦が終わり、ついに残された出場者はミリー一人となった。
途中の五人目からは相手役のジャクルシュも交代し、今度の個体は胸から腹にかけて広がる白い毛が特徴的だった。前半に登場したジャクルシュよりも身体は一回り小さく、その分動きも俊敏で機動力に長けている。警戒心についてもこちらの個体の方が高く、狙い通りに舞へと誘導することは容易ではなかった。
プライドが高く、人間と打ち解ける気のない彼女に出場者たちは苦戦を強いられた。
六人目の出場者が惑いの術をかけ、辛うじて催眠状態で舞を披露出来たものの、五人目、七人目の出場者に関しては健闘するも失敗に終わってしまった。
戦の舞は対峙する幻獣の個体差にも結果が左右されてしまう。運も勝敗を分ける一因になるわけだが、自分に与えられた状況を上手く立ち回ることがこの典礼の醍醐味でもあるのだ。
ミリーも勿論そのことを肝に銘じている。
前半戦のジャクルシュに比べ扱いづらそうな後半戦の相手をじっくりと眺め、ミリーは壁に最後に残った箒を手に取った。
今のところ舞を披露できたのは七人中五人。今年の戦の舞はなかなかに基準の高いものだったといえるだろう。
しかしミリーにしてみればここまでの七人はすべて前座にすぎない。
七人の活躍は自分が登場するまでの間に会場を盛り上げて観客たちの熱気を最高潮まで高めさせるためだけのもの。音楽で言えばまだ前奏が終わったところくらいだ。
幻獣を従え指揮するとはどういうことか自分がしっかりとお手本を見せてあげなければ。
ミリーは内、外、と小さく肩を回す。
『最後の選手は、初出場から二年連続冠をその頂に乗せた真の女王様! 今年もその麗しの舞を拝むことは出来るのか⁉ 四年、ミリー・アレン‼』
会場に響き渡るミリーの紹介に観客たちは一斉に手を叩いて歓声を上げた。
フィールドを包む温度が二度ほど上がったように感じる。ミリーは大波のごとく押し寄せる自分に対する歓呼をゆったりと見回しながらフィールドを歩いていく。
手を振ったり、会釈をすることもなく、ミリーは揺らぎのない勝気な微笑みを浮かべてフィールドの中央まで出た。
ジャクルシュは会場の歓声に興味を持ったのか、岩山の窪みに佇みながら静かに辺りを見回している。
ミリーはそんなジャクルシュがいる岩山の下に立ち、彼女の美しい羽毛を見上げた。真下にいるミリーの存在に、警戒心の強い彼女はすぐに気が付いたようだ。
地上を見下す大きな瞳は曇天にもかかわらず輝きを失わず一切の不純物も見えない。
未来を見据えるかのような瞳でじっとミリーを捉え、ほんの僅かに首を伸ばした。
ミリーもジャクルシュの瞳に合わせた視線を一点に固定したまま動かさない。瞬きすら惜しいと言わんばかりに目をしっかりと開けたまま、ミリーは岩山の下で仁王立ちを続ける。
ミリーを纏う空気の色が変わったことを察した観客たちは自然と静まり返り、応援のための楽器の音もぴたっと止んだ。息をすることすら憚られる。
ミリーとジャクルシュを繋ぐ視線にはらむ緊張感に、一同は音を殺して息をのみ込む。
瞬く間にして引き締まった気配が会場中を包み込んでいく。
会場の雰囲気が先ほどまでとは打って変わり、すべての注目が自分に集まっていることをミリーも感じ取っていた。
皆の視線が自分とジャクルシュに向かい、数秒先の動向を今か今かと見つめているのだ。
期待も不安も賞賛も罵倒も一つに混ざれば違いがなくなる。
ミリーは観客たちの熱狂にほくそ笑む。
音こそないものの、静寂の下ではその興奮の噴火の時を待っているのだ。
意図的な静けさを呼び起こす。これこそが待ち望んでいた瞬間だ。
皆が自分の一挙手一投足に夢中になって、ミリーの意思に同期したかのごとく騒ぎ、驚き、歓喜する。心を奪われた人間の感情を思い通りに動かすことなど容易い。それはまた、幻獣である相手も同じ。
箒を持つミリーの手に若干の力が込められる。
ジャクルシュは首を伸ばし、こちらを観察したまま。ミリーは上半身をあまり動かさず、彼女から目を逸らさないまま箒に跨り、飛行の体勢を取る。
頭の片隅に、この場で黒の巨体とともに幼稚な舞を踊った黒髪女の姿がよぎった。
「見てなさい。これが本当の戦の舞よ」
地面を蹴り、ミリーは垂直に飛び上がる。一瞬にしてジャクルシュと同じ目線の高さまで到達したミリーはその妖艶な瞳にニヤリと笑いかけた。と、同時に瞳に映る自分の髪が少し乱れていることに気づく。
「さぁ、あなたも本気を出して」
ジャクルシュの瞳を鏡代わりに髪を整えてから、ミリーはくるりと身体を回転させた。すると、じっと大人しくしていたジャクルシュが唐突に声を上げて翼を広げる。
「マァァァァァゴ‼」
「ふふ。そうでなくちゃ、私の実力が皆に伝わらないでしょう?」
狙い通りジャクルシュは怒った様子で飛び上がる。
瞳の前でちまちました動きをしてきたミリーのことが気に食わなかったのだろう。嘴を大きく開け、容赦なく目の前の小娘を噛み砕こうとしてきた。
が、ジャクルシュが飛び出すよりも数秒早く箒を走らせたミリーを捕えることは出来なかったようだ。空振りした嘴が重なり合う。金属音に近い力強い音がフィールドに鳴り響く。
五人目の出場者が術をかける際にジャクルシュに接近し、嘴で身体を跳ね飛ばされた光景が蘇ったのか、観客の一部の顔が青くなる。
ミリーは後ろを追いかけてくるジャクルシュを一瞥することもなく山間を縫うように丁寧に飛び回り、フィールドの端まで彼女を誘導した。
ミリーが目の前まで飛んできた観客たちは、その後に続く巨体に驚き慌てて席を立って逃げようとする。
観客席が混乱を見せる中、ミリーは背後のざわめきなど視界にも入れずこちらに迫ってくるジャクルシュを一直線に見やった。自分に飛び込んでくる巨体に一切動揺する素振りも見せず、ミリーは堂々とした態度で杖を取り出す。
あと五十、四十、二十、八メートル──。
ジャクルシュが威勢よく咆哮し、ミリーは真正面からその風を浴びる。せっかく整えた髪がまた乱れてしまった。ミリーは微かに眉を不快に歪ませてから杖を突き出す。
「吠えるばかりでは持ち前の気品も台無しね」
笑みを含み、ミリーは眼前に迫ったジャクルシュの嘴に向かって杖を振る。すると威嚇と牽制の号哭が弱弱しく消えていく。
何が起きたのかと、ミリーの後ろで逃げ惑っていた観客たちもぽかんとした様子でジャクルシュのことを見やった。
ミリーの目の前ではジャクルシュが翼を動かしその場を浮遊しながら首を傾げて嘴を開閉させている。けれどいくら声を出そうと試みても、出ていくのは掠れた息の音のみ。
「あなたも黙っている方が魅力的なのかもしれないわね」
声が出なくなり不思議そうに瞬きをするジャクルシュを観察し、ミリーは独り言を呟いて肩の力を抜く。そのままジャクルシュの頭部に近づき、ミリーは滑らかな彼女の毛並みをそっと撫でた。
「言うことを聞く方がよっぽどあなたのためになるわ。後悔はしたくないでしょう?」
ジャクルシュにだけ聞こえる声で囁き、ミリーは再び杖を振る。羽に潜ませた杖は微かに振動してからほんのりと灯りを照らす。温かな熱を放出する杖先の感覚にジャクルシュはとろんと瞳を垂らしていく。
ミリーは気持ちよさそうな彼女の表情につられて頬を緩めた。続けて嘴まで向かったミリーは、鋭利な嘴を優しく腕で抱きしめて撫でる。ジャクルシュはそれも気分が良かったようで反射的に目を閉じた。
気づけば翼の動きも穏やかなものになっている。
柔らかな風が観客席まで届く。
席を立った者たちも、目の前の光景に呆気にとられながら席に座り込んだ。
嘴を撫でることを止めたミリーはジャクルシュの傍らに寄り添ったままフィールドの中央まで共に向かう。途中、ジャクルシュの下方に回って杖を振ってみせた。顎を杖が這うと、ジャクルシュはピン、と背筋を伸ばして凛々しい飛行を見せる。
中央に戻り、ミリーはジャクルシュよりも先に地上に降り立つ。見上げれば、頭上をジャクルシュが旋回していた。まるでミリーの合図を待っているかのようだ。
ミリーは杖を真っ直ぐ上に向け、こちらに来るようにジャクルシュに指示をする。ジャクルシュは指示通りにミリーの隣に並び、じっと目を合わせて次の合図を待つ。
ミリーは彼女を舞に誘うように杖を回す。ジャクルシュはミリーの望み通りの華麗な舞を披露し、ミリーも彼女の動きに合わせて舞い踊った。
フィールドの中央で繰り広げられる優雅な舞に、動向を見守っていた観客たちもあんぐりと口を開けたまま魅入る。
舞が終了すると、呆気にとられていた観客たちはハッと我に返ったように立ち上がって拍手を送った。最初は小さかった賞賛の音も、次第に割れんばかりの喝采へ広がっていく。
ミリーはジャクルシュの身体をそっと撫で、観客席に向かってお辞儀をした。ジャクルシュもミリーに続けて身体を下げる。
「ありがとう」
ジャクルシュに礼を告げ、ミリーは杖をしまって箒片手に退場口へ歩き出す。この時も安易に手を振ることはしなかった。自分を包み込む賞賛の嵐と興奮の雄叫び。それだけで十分だ。
ミリーは先の選手たちと比べても短時間かつ聡明な展開でジャクルシュを従えた。その鮮やかさに文句を言う者もいないだろう。
やみくもに決闘し、力づくで上下を決めて従わせるよりも本能で主を思い込ませた方が見栄えも良く、見ている者にも不快感が残らない。
圧倒的な力には余計な暴力など不要なのだ。
無駄に決闘を挑み、剥き出しの岩肌に衝突でもすれば痛いし怪我は免れない。怪我は一瞬。だが回復魔法を使ったとしても修復には手間と忍耐が伴う。そんなリスクを負うのはご遠慮願いたい。
ミリーがフィールドから姿を消してもなお、しばらくの間は歓声が鳴り止まなかった。審査のため結果発表までは少し時間がある。ミリーは待機室に戻り、相棒の杖をポケットに戻した。
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