11 ひらめき


 フィールド上で繰り広げられる熱戦ばかりに集中して、ポケットから杖が盗られていることすら気づけなかった。

 自分の迂闊さに半ば可笑しさすら感じてしまう。

 何故、今。

 マノンは上空へ向かう自分の身体が徐々にふらついていくのを自覚する。

 箒を持った時の違和感。それもまた、今になって確信するとは。


 両手で箒を握りしめ、マノンはやれやれと肩を脱力させる。杖もなく、戦の舞ではネイル魔法も当然禁止。それを破れば即失格だ。

 つまり今の自分には魔法で何とかする術はないということ。


「──どうしようかなぁ」


 ふぅ、とため息をつくや否や、マノンの身体は突として大きく左右に揺すぶられ、グワングワンと規則なく宙を飛び回り始める。


「きゃあああっ‼」


 まるで呪いを受けたかのような不気味な飛行に観客席からはちらほら悲鳴が上がり始めた。


「あー。目が回るよう」


 マノンも出来ることなら観客と同じように叫びたかった。けれど今、口を大きく開いて喉を鳴らすなんてことをすれば悲鳴以上の惨事が待ち受けているかもしれない。ジャクルシュを刺激するだけだ。

 マノンは唇を固く閉じ、目を回さないようにぎゅっと瞼を閉じた。こうすれば酔いが回るまでの時間も稼げるはず。

 マノンを乗せた箒は意思を持っているかの如く四方八方に飛び回り、もはやマノンの操縦などあってないようなものだった。

 マノンは箒に振り落とされないことだけに集中し、柄を持つ手に力を込める。


「誰かさん、やってくれたな」


 ぎゅっと握りしめれば、箒を掴む手のひらが少し湿り気を帯びてきた。

 決して汗をかいているわけではない。箒が濡れているせいだ。

 箒を手に取った時の違和感はこれだった。箒は本来乾燥させて保管するもので、水気はご法度とされている。

 水気を帯びた箒は機嫌を損ねて言うことを聞いてくれなくなることは、飛行を習得し始める小学生の時には学ぶ誰もが知る常識だ。


 少量の水気ならばまだ問題なかった。が、この箒が纏う水気はそんなものではない。明らかに誰かが意図的に水を被せたとしか思えなかった。

 加えてマノンには心当たりもあった。

 出場前にすれ違った数人の生徒たち。彼女たちの異様な興奮にはどこか背徳感が潜んでいた。


「────ミリー」


 マノンの喉の奥から自然と声が出ていった。けれどそれは恨みのこもったものではなく、どこか飄々とした軽快さを含んでいる。

 やってくれたな。

 そう思う気持ちとは裏腹にマノンの表情には次第に笑みが広がっていく。

 閉じたままの瞼の裏では彼女の優雅な笑みが自分を見つめていた。

 違和感の正解には辿り着いた。とはいえ──。


「おっとっとっとっと⁉」


 マノンは身体のバランスを大きく崩し、慌てて目を空けて体勢を整えようとする。

 真横に倒れかけた身体をどうにか正面に戻し、マノンは握りしめた箒を一瞥した。


「まずはこれをなんとかしなくちゃね」


 ぽつりと呟き、マノンは岩山の窪みで見かけたジャクルシュを探す。しかしもう、先ほどいた窪みに黒の巨体はいなくなっていた。

 どこにいったのかとフィールドを見渡せば、背後からネコ科の動物が鳴くような声が襲いかかってくる。

 振り返れば、休んでいたはずのジャクルシュが大きな翼を広げて宙を飛び回っていた。巨体はゆっくりと旋回したかと思えば不意に瞳を光らせてマノンを睨みつける。


「──っと、まずいかも?」


 ぎらついた水晶玉と目が合ったマノンは挨拶の笑みをジャクルシュに向けながらも微かに首を傾けた。


「まぁぁあああご‼」


 マノンが嫌な予感を悟ったのも束の間、ジャクルシュは喉の奥をごろごろと鳴らして地響きを起こしそうなほどの雄叫びを上げる。観客たちはジャクルシュの鳴き声に耳を塞ぎ、声の反響で渦巻いた風に目を閉じた。


「やっぱりぃぃ‼」


 一方のマノンは雄叫びとともに一直線にこちらに飛んできたジャクルシュから逃れるため、言うことを聞かない箒を無理矢理にでも動かして高速で飛び回る。

 箒はよほど機嫌を損ねているのかマノンが意図する方向へは頑なに飛ぼうとしない。

 右に行こうとすれば左を向き、上昇を試みると明後日の方向へと飛んでいく。


 それでもマノンはどうにかジャクルシュの鋭利な嘴と凛々しい脚先に捕まることなく一定の距離を保ち続けた。想定外の展開の影響か、不思議と酔いは回ってこない。そんな余裕もないからだ。

 箒の不安定な飛行が、意図せずジャクルシュの視界を惑わしているらしい。

 フィールド上を縦横無尽に飛び回るジャクルシュの動向に注目すれば、あちらもまた方向の定まらない標的に戸惑いを見せていた。箒の気まぐれに振り回されているのはマノンだけでもないようだ。


「……そっか」


 箒に翻弄されつつも自分を必死で追い回し続けるジャクルシュの姿を観察したところで、マノンは一つの可能性を思いつく。

 迷っている暇はない。

 マノンは考えるよりも先に勘を信じ、不機嫌な箒を改めて力強く握りしめる。


「よろしく頼むね、箒ちゃん」


 自分が酔いやすいために、なかなか箒とは仲良くなれない。それでもマノンは自らの箒に信頼の眼差しを向けて威勢よく声をかける。

 前に傾けていた身体を少し起こし、丸まっていた背筋を伸ばして正しい飛行姿勢に戻す。

 追いかけてくるジャクルシュを視線で捉えたまま、マノンは陽気な口調で黒の巨体に笑いかけた。


「こっちだよ、大きなネコちゃん」


 もちろんジャクルシュは鳥獣で、ネコ科に所属する小柄なネコとは大違いの生物だ。けれどジャクルシュの生態レポートによれば、彼らはネコ科の動物に似て動くものを追いかける性質があるという。

 ネコ科の動物たちは狩猟本能が刺激されるが故にそのような行動に出ると言われているが、ジャクルシュに関しては狩猟というよりは単に好奇心が強く、遊ぶことが好きだからという理由らしい。


 迫力のある見た目から勘違いされやすいが、彼らは獰猛なだけではなく遊び心も持っているのだ。

 以前図鑑でそのような記述を読んだこと思い出したマノンは、自分自身がネコじゃらしとなり、彼と遊ぶことを決意した。

 敵意から攻撃されるよりも遊びの感覚を呼び覚まして楽しんでもらった方がずっといい。ジャクルシュも三戦目を迎えてそろそろ退屈してきたところだろう。

 ジャクルシュの警戒心を解かすためにも、マノンは道化となって彼と打ち解けることを選択した。

 体勢を整えたことで先程よりも少しばかり制御が効くようになった。これならば、より彼を楽しませることが出来るかもしれない。


「まぁあご?」


 マノンの突拍子もない動きを見たジャクルシュは一度岩山に降り立って首を傾げた。

 ジャクルシュが興味深そうにこちらを観察する間、マノンは絶えずあちこちの方面に飛び回り、彼らが好むネコじゃらしの動きを出来るだけ再現する。


「まあご‼」


 するとマノンの意図が通じたのかジャクルシュの猟奇的な瞳の色が変わる。まるで小さな子ネコのごとく、キラキラと瞳を輝かせ始めたのだ。


「ほら、一緒に遊ぼう?」

「まーーごっ!」


 マノンの誘いにジャクルシュの声色にも変化が起きた。先ほどの威嚇とは違う甘えるような幼い鳴き声は、同じ生物から出されているものとは認識ができないほど違う。

 彼女の狙いがぴたりとハマり、それから数分間、ジャクルシュは不規則な動きで飛び回るマノンを追いかけながら遊び続けた。


 よほど楽しかったのか、最後にジャクルシュは遊んでくれたお礼としてマノンの指示通り一緒に舞を披露してくれた。遊んだせいで童心返りしたジャクルシュの舞は先の二回と比べると少し幼いものではあった。

 けれどマノンもジャクルシュもとても愉快な調子で踊るので、観客たちも口笛を鳴らして一緒になって身体を揺らした。

 去り際に一礼すれば、マノンの健闘に対して競技場は歓声で揺れる。大歓声を浴び、笑顔で退場していくマノン。鳴り止まない拍手に誰もが興奮に包まれていく。

 しかし一人、待機室を出て彼女の様子を見つめていたミリーだけはそのお祭り騒ぎに共感することは出来なかった。礼儀として彼女の機転に最低限の拍手は送った。が。


「まったく。能力を見せつける偉そうなやつね」


 憎たらしさが限度を超すと、不思議と表情には笑みが浮かぶものだ。

 ミリーは運営委員会の生徒とハイタッチするマノンを一瞥し、腕を組んで奥へと引っ込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る