10 お祭り騒ぎ


 戦の舞が開幕すると、フィールドを包み込む歓声が一段と大きくなっていく。

 最初に登場した二年生の男子生徒は、寝起きで不機嫌なジャクルシュに悪戦苦闘しながらもどうにか不器用な舞を披露した。

 次に続く二番目の選手は二回目の出場となる三年の女子生徒だった。


 彼女は得意の幻覚術でジャクルシュの架空の群れの再現を試み、ジャクルシュを安心させようと試行錯誤している。作戦通り、ジャクルシュはその場にいないはずの仲間の姿に目を丸くし驚いている。ジャクルシュの動きは止まり、箒で飄々と飛び回る選手に攻撃することも忘れて消えては現れる仲間の幻想をきょろきょろと目で追っていた。

 先ほどとは違う展開に競技場全体が沸く中、三番目に出場するマノンも二番目の選手の動向を楽しそうに見つめ、会場と一体になって胸を躍らせていた。


「ベイリーさん」


 背後から運営委員会の生徒に声をかけられ、マノンは選手の健闘に興奮したままの笑顔で振り返る。


「そろそろ準備をお願いします」

「あっ。そっか。ありがとう、つい夢中になっちゃって」


 マノンは少し恥ずかしそうに肩をすくめた。彼に声をかけられるまで、競技に熱中してしまって自分がどこにいるのかさえ忘れかけていたのだ。委員会の生徒はそんな彼女に同調したのか、くすりと笑いながら自分の仕事に戻っていく。


「さて」


 もう一度フィールドを見やり、マノンはぽかんとした様子のジャクルシュの表情を瞳に映す。続けて気分を取り戻そうと息を吸い込んだ。

 あのフィールドにこれから自分も出場するのだ。気を取り直さなければ。

 この調子でいけば二番目の選手もあと少しで舞を披露して終了しそうだ。出番はすぐそこ。マノンは委員会に言われた通り準備に取り掛かるためにフィールドに背を向けた。

 両手の指を組んだまま頭上に持ち上げて身体を伸ばし、筋肉を和らげる。

 最初の選手も二番目の選手もジャクルシュと視線を合わせるためにまず箒で飛び出した。今回は鳥獣が相手ということもあり、おのずと彼らの生態に合わせて宙を自由に飛び回る必要があるのだ。


「飛ぶのはあんまり好きじゃないんだけどなぁ」


 待機室に戻る途中、マノンは苦々しい顔をしながら本音をこぼす。

 すると彼女のケープの下でかくれんぼをしていた霊獣ウィギーが慌てて飛び出してくる。彼女の独り言が聞こえたのか、つぶらな目を丸くして驚いた表情をしていた。


「ウィギー、飛ぶのが得意なあなたには分からないかもしれないけど、わたし、箒酔いしやすいんだ。この前の飛行術で使った鶴なら、まだましなんだけどねぇ」


 信じられないと言わんばかりの眼差しでこちらを見てくるウィギーに対しマノンはばつが悪そうに笑う。

 ウィギーはマノンの主張に訝し気な目を返す。生まれた時から宙に浮かぶことが常識である彼にはマノンの気持ちは到底理解できないようだ。


「なぁにそんな顔して。わたしの気持ちを味わってもらうためにも、君も地面を足で歩く姿に変身させてあげようか?」

「うぃっ⁉」


 マノンのわざとらしく意地悪な微笑みにウィギーはピーンと身体を細めて硬直した。マノンに申し訳なく思ったのかその顔は萎んでいる。

 ウィギーはうろたえた様子で急いで身体を左右に回してマノンの提案へのお断りを表明する。


「ははっ。冗談だよ。ウィギーは今のままが一番だよね」


 分かりやすく困った表情をするウィギーの反応が可笑しくて、マノンは軽快に笑いながらウィギーを手のひらの上に呼ぶ。

 ウィギーはふわふわと手のひらの上を浮かびながら哀しそうな目をして俯く。小さな霊獣を見つめるマノンの頬が柔らかに解けた。きっとウィギーは先ほどの自分の態度を反省しているのだ。素直な彼の反応のおかげで飛ぶことへの緊張がほぐれたマノンは彼を肩の上へと誘導する。


「ウィギーはお留守番ね。ジャクルシュは目がいいし、あなたを見つけたら餌だと思って興奮しちゃうかもだから」


 マノンの言葉に再び衝撃を受けたウィギーは小さく悲鳴を上げてから彼女の髪の毛に隠れてしまった。


「ふふ。冗談冗談。でも、危ないからここにいてね」


 マノンは髪の中に隠れたウィギーを手のひらで優しく包み込み、そっと控室の椅子に乗せた。


「いってきます」


 ウィギーが心配そうに自分を見上げてくるので、マノンはにっこりと笑顔を返してから彼に敬礼した。

 相棒に安全地帯を与えたことで、マノンは改めて競技へ意識を集中させる。

 面白そうな催しだと思って参加を表明したが、想像以上の盛り上がりを見せる会場にマノンの心も持ち上がっていく。

 まさにお祭りのようでわくわくする。

 エントリーした時にはジャクルシュが相手という情報は伏せられていたために、今回は鳥獣に決まったと聞いた時には若干の不安もあった。

 けれどこの高揚の最中にいては、見ているだけなんてきっと後悔していたはず。


 また一段と大きくうねった歓声を背にマノンはクスリと口角を持ち上げる。

 危険も伴うこの競技。まだ未熟な生徒たちに挑戦させるなど学園側も思いきったことをしたものだ。

 若者ならではの無敵感故に余計に何が起こるか分からないというのに。

 特に優勝者に景品があるわけでもなく、ただ恒例行事として危険を冒し続けるなど冷静に考えれば阿呆なこと。学園側も無謀ならば、出場もせずに勝手な賭け事をして学友たちを娯楽化している生徒側も同じく愚かだ。


 しかし踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々とは言ったもので、どうせならば踊る方が楽しいはず。

 マノンは昂る高揚感に息を弾ませ、ウィギーに手を振って待機室を出ようとする。


「ベイリーさん、前の選手、無事に舞い終わりました! 準備、大丈夫ですか?」

「はーい」


 ちょうど入り口でばったり出会った委員会の生徒に笑顔を向け、マノンはもう一度ウィギーに手を振った。ウィギーも控えめながら手を振り返してくれた。

 他の出場者たちも出番までは競技を観戦しているため待機室は閑散としていて、フィールド上の興奮とはまるで無縁な印象を抱く。

 ただ一人、椅子に座って足と腕を組み、カーテンの隙間から見える外の様子をぼんやりと見つめている出場者だけを除いては。


 マノンはがらんとした待機室に一人佇むミリーを横目で見やった。ぼうっとしている彼女の静かな瞳の奥深くには猛烈な闘志が宿されている。彼女は考え事をしているのかマノンの方を見向きもしない。

 もし目が合えば、彼女の瞳にはきっと火花が散るだろう。これまでの機会を思い出し、マノンはぐっと眉に力を入れた。


 例え目が合っていなくとも、彼女の瞳に覗く確固たる意志に揺らぎはないらしい。

 マノンはミリーから目を離し、委員会の生徒に続いて選手入場口へと向かう。

 途中、見た覚えのある生徒数人とすれ違った。

 彼女たちは確か、開幕前に待機室に応援に来ていたミリーの信奉者たちだ。

 そそくさとマノンの横を通り過ぎていく彼女たちの落ち着きのない様子を疑問に思い、マノンは微かに眉根を寄せる。


「ベイリーさん、箒はそちらにあります。さぁ、そろそろですよ」


 委員会の生徒が興奮した口調で早口で言う。

 彼が指差した方向には壁に並べられた出場者たちの箒が見えた。

 マノンは自分の箒に手を伸ばし、そっと柄を掴む。が。


「────ん?」


 何か違和感を覚え、マノンの眉間に更に濃い皺が寄った。


「ベイリーさん!」


 しかし運営委員会に急かされ、その違和感が何かを掴めないままマノンは選手入場口へと背中を押される。


『次の選手は話題の転校生、四年、マノン・ベイリー‼』


 マノンが入場口に着くや否や会場に彼女の名前が大声で響き渡る。


「さぁっ! 期待してますよっ!」


 マノンの背中を押した生徒が瞳を輝かせながら拳を上下させて彼女を見送る。

 マノンは何かを言う暇もなく、会場の声援に押されるがままにフィールドへ足を踏み出した。

 手に持つ箒にはやはりまだ違和感がある。マノンは歓声に答えて大きく手を振りながらも頭の中でその違和感について考え続けていた。


 違和感を抱えたまま箒に跨り、先ほどの群れの幻覚で目を回して疲れた様子のジャクルシュを視界の先まっすぐに捉える。

 ジャクルシュはまだマノンの存在には気づいていないようだ。脚をたたみ、岩山の窪みに丸まって休憩しつつ羽を整えていた。

 近くで見るとやはりその巨体は迫力満点だ。けれど怯んでいる暇はない。


「よし、行くよ」


 自分に言い聞かせ、マノンはゆっくりと地面を蹴り身体を宙に浮かせていく──が、その瞬間。


「──ああっ‼」


 違和感の正体に気づき、マノンは驚愕の声を出す。


「待った待った、ちょ──!!」


 急いでポケットにある杖を取り出そうと片手を伸ばすも、いくら探しても杖の気配を感じない。


「えっ⁉」


 まさかと思い、ジャクルシュに向けていた視線をポケットに移せばそこにあるはずの杖がすっかり消えている。


「えっ? どうしてどうして? いつ、いつだ……?」


 杖を落としたはずがない。落とせば音がして気が付くはず。

 記憶を手繰り寄せ、どうにか平静を保ったままマノンは杖の行方を思い出そうとする。どきどきと、鼓動が焦りを刻み始めていた。

 開幕前に友人たちと待機室にいた時には確かにポケットに杖が入っていた。その後友人たちが席に戻り、教師からの最後の競技説明を聞いた時にも杖は確実に手元にあった。一番目の出場者とともに待機室を出て、彼に言葉をかけた時にも杖はそこにいた。それから──。


「あ」


 ある一定の時間だけ、はっきりとした記憶が残っていない。

 そうだ。戦の舞が開幕し、一人目の挑戦をハラハラしながら見ていた時。その時から運営の生徒に呼ばれるまでの間、マノンの意識は競技観戦に夢中でその他のことが疎かになっていた。

 多分、あの時だ。

 自分の情けなさに思わず呆れた笑い声が出る。


「杖、盗られた」

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