9 嵐の前の


 盛大なファンファーレとともに曇天に数輪の花火が打ちあがる。

 軽快な破裂音を全身で浴びた生徒たちが沸き上がった。熱気を帯びた歓声がうねるようにして競技場を埋め尽くしていく。


 歓声に続き、分厚い雲に覆われた空にはあまり似合わないはしゃぎ声と笛や太鼓などの楽器の音が絶えず響き渡る。

 いつもはスポーツや実験をするために使われている広大な学園競技場のフィールドに無数の岩山が聳え立ち、岩の間には直立が困難なほどの強風が吹き荒れていた。

 フィールドを囲む観覧席は生徒と教師で満席だ。

 皆、今か今かと選手たちの登場を待っていた。


「もうすぐだね。なんだかそわそわしてきちゃう」


 競技場に溢れる期待と興奮を選手たちの待機場所から見上げたヴァレンティナは、両手の拳を胸の前で震わせ目を輝かせた。


「出場者でもないのに、呑気だねぇ」

「出場しなくっても緊張するのは同じでしょっ」


 シエラが温かい目で見てきたのでヴァレンティナは少しだけ頬を赤くして反論する。


「はいはい。まぁ気持ちは分からないでもないけど。でも、肝心なのは──」


 ヴァレンティナへの共感を吐露しつつも、シエラの視線は二人の背後で椅子に座り、ぼうっと杖を眺めているミリーへ向かう。意味もなく杖を手のひらの中で回転させているミリーはまさに心ここにあらず。魂が抜けたかのように呆けた顔をしている彼女を不審に思い、シエラとヴァレンティナは目を見合わせた。


「ミリー、準備は出来てる?」


 そこへ、ミリーを激励に来たモリーが姿を現す。

 彼女は両腕を背中で組み、ミリーの表情を覗き込むようにして前かがみになった。


「──うん」


 返事はした。けれどその声もまた、どこか上の空だ。


「今年の舞台はまた去年と違ってなんだか物々しいけど、きっとミリーなら平気だよ」

「うん」


 ミリーはまた短く返事をして軽く頷いた。

 モリーはこちらを見ているヴァレンティナとシエラの視線に気づき、二人を見て簡単に会釈をする。

 二人とも、いつもと様子の違うミリーの具合を少し心配しているようだ。身振り手振りで彼女は大丈夫なのかと訊いてくる。が、モリーも「わからない」と肩をすくめることしか返せなかった。


 今日はローフタスラワ学園でも一大行事の一つ、戦の舞の典礼が行われる日だ。

 戦の舞では毎年教師が決めた幻獣とその性質に合わせた戦場が用意される。典礼に参加を表明した生徒は戦場に放たれた幻獣と対峙し最終的に彼らを従わせなければならない。

 自らの力を誇示し、戦の終結を迎えるために幻獣と共に舞を披露するためだ。


 幻獣を指揮するまでの手段は問われない。ただ力だけで従わせる者もいれば、幻獣を一切傷つけることなく和解を果たす者もいる。とにかく、共に舞を披露し観客を魅了することができればいい。反対にそれが出来なければどんなに幻獣が弱ろうと出場者は失格となるのだ。

 選手と呼ばれる出場者がフィールドに出てから舞を終えるまで。そこまでの過程と、幻獣と息を合わせた舞の完成度が評価され優勝者が決まる。

 身体能力や魔力だけでは簡単には優勝を手にすることはできない。


 しかしミリーは、出場資格を得た二年生の時に初出場にして見事優勝を手にした。翌年の三年の時にも、観客を大いに沸かせて当然のように優勝している。そして最終学年となった四年生での出場。観客である生徒たちも、一番は彼女の演舞を見ることが目的だった。

 今年の出場者は全部で七人。ミリーの出番は最後で、もうすぐ一人目の挑戦が始まるところだ。


 今回、相手となる幻獣として選ばれたのはジャクルシュという鳥獣だった。幻獣と言っても何も絶滅危惧種や幻の生物というわけではない。一般的に、日常生活で見かけることはなく、人とあまり関わりのない場所に生息する珍しい獣のことを指しているからだ。

 ジャクルシュは光沢のある漆黒の羽に身体を覆われた巨大な鳥で、でっぷりとした身体には似合わない素早い動きが特徴的と言われている。


 鋭い嘴の付け根は白く、岩をも削ることができる威力があるという。嘴で岩を削り巣を作るために秘境の地に生息していることが多い。

 多くの個体は闇に紛れる黒色をしているが、稀に胸や腹が白色になっている個体もいる。人と離れて生活しているため機会もなく、普段から人を襲うことはないというが、性格はどちらかと言えば獰猛。いつもは群れで行動する分、単体行動となると余計に攻撃的になる性質を持っているらしい。


 基本的に、典礼では幻獣たちが得意な環境に合わせた舞台を用意する。

 川に生息する幻獣ならば水中を再現し、森に生きる相手ならば大木をも生やす。

 教師たちが魔法を駆使して再現するそれらの光景もこの戦の舞の見どころの一つと言える。

 現在競技場のフィールドに無造作に立ち並ぶ岩山もジャクルシュの生息地に合わせて用意されたもの。

 昨年の色鮮やかな森林と比べれば少し味気ないが、今年の方がスリル感は何倍も上回る。


 ミリーも剥き出しの岩山が出現したフィールドの様子見はしたものの、軽く見渡しただけですぐに待機室に戻ってきていた。

 ジャクルシュとともに舞を披露すること。勿論、今の最優先事項はそれに決まっている。だがぐるぐると壊れた時計のように回るミリーの思考では別の要素が邪魔をしてくるのだ。

 調子が悪そうなミリーを心配したモリーは彼女の隣に座って唇を噛む。

 近くで横顔を見れば、その瞳は何も映しておらず、焦点すら行方不明に思えた。

 明らかに集中を欠いたミリーの表情にモリーはやるせなさを覚える。


 いくら連続優勝中の実績を持つミリーとはいえ油断はできない。幻獣と張り合うには危険も多いはず。

 モリーはなんとか彼女を励まそうと、かける言葉を高速で探す。なんとか良さそうな言葉を見つけ、すぅ、と息を吸い込んだ、その時。

 待機室の入り口から賑やかな声が聞こえてきた。フィールドの視察に行っていた他の選手たちが待機室に戻ってきたようだ。

 ミリーは近づいてくる華やかな声に顔を上げ、じっと声の中心を見やる。


 そこにはマノンの姿があった。出場者リストに名前があったことは確認していたが、本当に出場するらしい。

 マノンを瞳に映すミリーの表情は徐々に忌々しさを露わにしていく。マノンの肩には以前実験室で見かけたクラゲてるてる坊主がちょこんと乗っていた。

 モリーもその小さな姿を見やり、ぎょっと気まずそうに目を丸くした。


「信じらんない。なんで得体も知れないモンスターが許可されてるの」


 地を這うようなミリーの恨めしげな声が隣から聞こえてくる。モリーは笑顔を精一杯取り繕い、過剰に明るい口調でへらへらと笑う。


「ほんと、嘘みたいだよね。審査をパスした霊獣は学園に連れてきてもいいだなんて」


 モリーの大袈裟な語調に一瞬ミリーの瞳がこちらを向いた。が、すぐにその瞳はマノンが連れた霊獣へと移る。


「ネイル魔法は規則違反なのに意味が分からない。霊獣だって何をしでかすか分からないし、危険なことに変わりないでしょう」

「ほんとほんと」


 ミリーの淡々とした主張にモリーはうんうんと首を縦に振った。

 頷きながら、モリーはつい先日の出来事を思い出す。実験室でシャンデリアに隠れていた霊獣がマノンについて行った場面を目撃した二人はすぐにそのことを教師に報告した。

 得体の知れない生物が学園を浮遊し、生徒たちに危害を与えるかもしれない。

 ミリーはマノンの弱点を見つけ、得意気にそう警鐘を鳴らした。


 しかし教師の反応は思ったものではなく、マノンが霊獣を連れていることは承知済みで、あれは学園内の審査基準を満たしているから何の問題もないとのことだった。

 どうやらあのクラゲてるてる坊主はマノンが自らの魔法によって作り出したもので、不慣れな転校先で精神の支えとするために連れているとのことだった。


「ウィギーとか、余計な情報まで教えてくれちゃってさ。能天気なものね」


 ミリーは教師が話していたマノンの霊獣の名前を思い出し、はぁ、とため息を吐く。

 せっかくマノンの立場を脅かす弱点を見つけたと思ったのに、逆に彼女が霊獣を作れるほどの能力がある事実を知ることとなったミリーの心情は複雑だった。


「ほんと、面白くない」


 リアンナをはじめとしたマノンの友人たちが彼女のことを激励している光景は、出来の悪い映画を見ているようで気分が悪かった。

 ただ眺めているだけの人を苛立たせるなんて彼女は確かに類まれなる才能を持っている。

 ミリーは彼女への皮肉を胸に秘め、ふん、と鼻を鳴らして瞼を閉じた。景色をシャットダウンしても脳裏に焼き付いた彼女たちの姿が邪魔をして余計に不快感が増してきた。今回の相手がジャクルシュじゃなくてウィギーだったらよかったのに。


 ミリーは杖を力強く握りしめ、強がりの笑みを口元に浮かべてみる。

 ミリーの苛立ちを感じ取ったモリーが慌てて彼女の肩を叩く。このまま感情が昂ったまま競技場に出れば、確実に良くない結果が待っているような気がしたからだ。


「ミリー、落ち着いて。ウィギーの件は納得いかないけど、今はジャクルシュに集中しなくちゃ。マノンもだけど、他の出場者も気合い入ってるみたいだし」


 この期に及んでもマノンの名を耳にすることは気に入らなかったがモリーの言っていることは正しい。

 ミリーは目を開き、むう、と小さく頬を膨らませた。珍しいミリーの表情が愛らしく、モリーは思わず声にならない息をこぼした。じっとこちらを見てくる瞳には不満が滲んでいる。が、そんなことはどうでもよく、いつもの傲岸不遜ながらも気品を漂わせているミリーとは違い、年相応の幼さが垣間見えたことがモリーの胸を射止めたのだ。


 ヤバいやばいヤバイやばい────。モリーの鼓動が早くなっていく。

 このまま見つめられていたら確実に沸騰して倒れてしまう。

 密かな焦りにモリーが戸惑っていると、待機室の入り口から救世主の声が聞こえてくる。


「モリー、飲み物買えたから、早く席に戻ろう? 誰かに取られちゃうかも」


 救いの神の声に勢いよく振り返ると、入り口に立つカッパーの髪の男子生徒が両手に持ったドリンクを掲げて笑いかけてきた。


「クインシー‼ うんっ! ありがとうッ‼」


 うるうると瞳を輝かせて手を合わせるモリーの異様な反応にクインシーは微かに首を傾げた。しかしそのことに特に言及することもなく、入り口まで駆けてきたモリーとともに彼は競技場の観客席へと向かっていった。


「ミリー、調子はどう?」


 クインシーたちと入れ違いに待機室に入ってきたイエナが、椅子に座って大人しくしているミリーに声をかけてきた。イエナの後ろにはジュールと数人の後輩の姿がある。


「連続優勝がかかってるからな。緊張してるのか?」


 ジュールは自分を取り巻く後輩たちに笑いかけながらもミリーに優しく訊ねる。


「緊張はしてないわ。もう大丈夫。それよりその子たちは何?」


 ミリーは杖をポケットにしまい、ジュールが連れてきた数人の後輩たちを見やって眉根を寄せた。


「ああ。皆、史上初の三連続優勝を目前にしたミリーのことを応援したいって言っててさ。自分たちだけじゃここに行きにくいから、俺とイエナと一緒に応援に来たってわけ」

「ふふ。みんな、ミリーに憧れているみたい。本当、罪な子なんだから」


 イエナはくすくすと笑いながらミリーの肩をちょんっと小突く。


「ふぅん……応援、ね」


 ミリーはついさっき去って行ったモリーに言われた言葉を思い出す。待機室の反対側で相変わらず憎たらしい笑顔を振りまいているマノンのことは気に食わない。けれど今はそんなことよりも目の前の課題に集中しなければ。

 ちらりとマノンを横目で見たミリーは、気を鎮めるためにも深呼吸をする。


「ありがとう、わざわざ来てくれて。とても嬉しいわ」


 ジュールが連れてきた後輩たちに惜しみない微笑みを送り、ミリーはスッと立ち上がった。


「ジュールも来てくれてありがとう。今日は規則通り杖だけを使うからね」

「ん。万一のことがあるから、気をつけろよ」

「ええ、言われなくとも」


 ミリーは通りすがりにジュールの頬にキスをして、彼が連れてきた後輩たちの前に立つ。後輩たちは、ミリーとジュールのやり取りを夢心地の表情で見つめていたようだ。彼女の瞳がこちらを向いていることに気づき、ハッと恥ずかしそうに姿勢を正す。


「みんなの応援のおかげで、私も気が引き締まるわ。最近、学園でも色んな事が変わってきているでしょう?」


 マノンが転校してきてからというもの、学園内の空気は少しずつ変化していた。演劇部が大胆な行動に出たのを皮切りに、他の同類の生徒たちも自由を見出したかのように学園内で活気を見せる機会が増えてきたのだ。


「わかります!」

「学園内の風紀が乱れてますよね」


 後輩たちはミリーの言葉に強く同意し、頭が取れそうなほどに次々と頷いた。

 目の前にいる後輩たちは学園内の地位でもそこそこ優位なところに所属している者たちばかりだ。頂点に君臨するミリーと同じような居心地の悪さを感じていたらしい。


「ねぇ。だから、私は今回の戦の舞で、誰が学園の秩序を保っているか分かってもらいたいと思っているの。皆も、それは賛成してくれる?」

「もちろんです!」

「ありがとう。当然ジャクルシュのことは手懐けてみせるわ。だけどね、それだけじゃ不安で」

「不安ですか? ミリーさんが?」

「ええ。私だって頑張っているけれど……」

「そんな。ミリーさん、何か私たちにお手伝いできることはないですか?」

「そうですそうです。ミリーさん一人で頑張る必要はないんですよ! もう十分に、私たちに希望を与えてくれていますから」


 ミリーが哀しそうな目をしたので、後輩たちは口々に彼女を褒めそやす。後輩たちが思った通りの反応を見せ、ミリーは心地よさそうに目を細める。


「手伝えること……そうねぇ──」


 悩む素振りを見せ、ミリーは後輩たちを集めてそっと囁く。

 円陣を組んでしまったミリーたちの会話は輪の外にまでは聞こえてこなかった。

 ジュールはヴァレンティナたちと今回の典礼の賭け事を企み、すでにミリーたちからは背を向けている。

 賭け事には興味がないらしいイエナはそちらの会話には意識を向けず、ミリーたちの奇妙な円陣を不思議そうに見つめた。

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