5 趣味趣向
「ミリー‼」
マノンと入れ替わるようにしてミリーの元に駆けてきたのはモリーだった。その後ろには一歩下がった場所で控えていたジュールたちが続く。
「ごめんなさい! 先生に捕まって、ランチの準備が出来なくって……!」
頭を下げて必死に謝るモリー。けれどミリーは目の前で平謝りする彼女よりも、小さくなっていくマノンの背中をじっと見つめたまま視線を動かさなかった。
「ミリー? 大丈夫?」
ジュールにそっと囁かれ、ようやくミリーの瞳が自由を取り戻す。
「ええ。あの子、ユーマニックドリンクを飲んでた……ことごとく、相性が合わないみたい」
「好みはそれぞれだからな。合わないなら、相手にしなければいい」
「……そうね」
ジュールの手が肩に回ると、ミリーは彼に頭を預けてこくりと頷いた。
ミリーが好む人間の手で作られるヒューマリーとは異なり、ユーマニックは人間の手製ではなく魔法製のものを指す言葉だ。魔法を使うおかげでどんなものでも作れるが、大味すぎてミリーはあまり好みではない。しかし見たところマノンはそうでもないようだ。
「それにしても随分と強気だったな。あの転校生」
レジーが感心したように口笛を吹く。
「空気が読めてないってだけでしょ。郷に入っては郷に従え。ローフタスラワ学園ではミリーに従えってものなのに」
ヴァレンティナが面白くなさそうに腕を組んでマノンの背中に向かってべっと舌を出した。
「変に目立って嫌な思いをするのはあっちなのに」
「ほんと。身の程を知れっての」
シエラがヴァレンティナに同調すると、ヴァレンティナはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。どうやらマノンのミリーへの態度に憤慨しているらしい。
「……あのー。そのことで、前から不思議に思っていたんですけど」
盛り上がる先輩たちの隅で、モリーが控えめに手を挙げてここぞとばかりに素朴な疑問を投げかける。
「どうして、イエナのことは黙認しているんですか? 彼女が学園に来た時も、彼女はかなり目立っていたし、注目を浴びていたと思うんですけど……」
「おいおいモリー、それを聞くか?」
レジーは後輩の愛らしい質問をからかうようにニヤニヤと楽しげに笑う。
「だ、だって。いつも学園で目立つようなことをする生徒がいれば、今みたいに、ちょっとお話をするじゃないですか……」
もしやまずいことを訊いたのか。ヒヤッとしたものが心臓を流れていく錯覚を覚え、モリーは徐々に小さくなっていった。もう、訊いてしまったものは後戻りできない。
「そもそもイエナは、あんなに挑発的じゃないし」
ヴァレンティナがモリーの質問を逆に不思議に思ったのか、きょとんとして首を傾げる。
「たしかにっ。そうです、ね」
モリーはポンッと手を叩いてヴァレンティナの言葉にうんうんと首を大きく縦に振った。が、肝心のミリーは何も言わずに黙って二人のやり取りをじっと見つめたままだ。それがモリーにしてみれば落ち着かないのだが、どうやらミリーも何か考え事をしているらしい。
モリーの不安そうな表情にはまだ気づかず、彼女の瞳はぼんやりとした過去を捉えていた。
ミリーがイエナに初めて会ったのは、ちょうど今と同じくらいの季節のことだった。イエナもまた、一年前に転校してきた生徒だ。彼女の美貌と洗練された佇まいは学園でもすぐに噂となり、彼女を一目見ようと教室に生徒が押し寄せたのも記憶に新しい。
しかし、その当時からミリーはイエナのことを敵対視することは一切なかった。すでにミリーはイエナのことを知っていたからだ。
転校前、夏季休暇に学校見学に来ていたイエナを見かけた時、激辛スパイスが入った小瓶を一気に飲み干す彼女の姿が印象的で、すぐにミリーの方から声をかけた。透き通るような瞳がこちらを向き、目が合った瞬間、警戒したのは事実だ。けれどすぐにミリーの警戒は解かれた。
スパイスの小瓶を持つ彼女の手が、緻密に編み込まれたレースの黒手袋に覆われていたからだ。今も変わらず彼女が身に着けているその手袋。ミリーはそれですぐに彼女の正体を読み取った。
「……イエナは例外」
過去を想う眼差しを今に向け、ミリーはモリーをそっと見やる。彼女の純朴な瞳がこちらを向いた。
「治癒目的以外の身体整形は禁忌魔法でしょう? もしそれをやれば、禁忌の呪いで指先から身体が黒ずんでいく。だから、禁忌を犯した者は皆、黒ずんだ箇所を隠そうとする。手袋で指先を隠すのもその一つ。イエナは禁忌魔法を使ったの。あの綺麗な顔も、スタイルも。本当は作り物なの」
あの日、手袋の隙間から見えた彼女の肌がミリーの脳裏をよぎる。直後、ミリーの表情の微かな変化を読み取ったイエナが告げた言葉も鮮明に覚えていた。
気まずさを避けたかったのか、はにかみながら素直に話してくれたことを。
──ええ。そうなの。身長が低くて、少しだけ高くしたの。あと、目元も、少し。
清々しさすら感じる彼女の正直な告白に、ミリーは岩に頭を打ったような衝撃を受けたのだ。決して忘れるはずがない。
「自分の身体をどうしようとその人の自由だと思ってる。だからあまりその話を聞きたいとも思わない。大体みんなそう思っているから、言及されることは少ないけれど」
ミリーは静かな声でモリーに伝える。
「……そうだったんですか」
「モリー、あなたはもう少し、禁忌魔法について勉強した方がいいかもね」
「ぅえっ⁉ おっ恐れ入ります……」
ミリーが呆れたように目を伏せたので、モリーは慌てて頭を下げた。
「気にすんなモリー。俺も授業で習うまで禁忌魔法のことあんま知らなかったし」
モリーを励まそうとしたのか、レジーは自虐的な笑みを見せて頭を掻く。
「へ、へへへ……」
が、あまり励ましにはならなかったらしい。モリーはへらへらと誤魔化すように笑いながら、先日触れたイエナの指先の感触を思い返していた。
禁忌魔法について無学だったことは素直に反省したい。けれど同時に、モリーはミリーの禁忌魔法に対する大胆な切り捨てようにも圧倒されかけていた。
「痺れますねぇ……」
想いがつい、独り言となってしまう。
見えないルールが蔓延る学園で、ミリーはイエナのことを認めているように思えていた。しかし実際のところ、ミリーにとって禁忌魔法を使ったイエナはそもそも眼中にないということだ。
実力で女王の座についた彼女にしてみれば当然のことなのかもしれない。
一切のブレを見せないミリーの信念に改めて尊敬の念を掲げたモリー。一方で、学園の女王にまともに対抗してきたマノンの行方に対する好奇心がふつふつと芽生え始めていた。
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