4 ベンチの先客
学園の新学期が開けて一週間と二日が経ち、休み気分が抜けていなかった生徒たちの気持ちも次第に回復していく。
毎日の学園生活の感覚を取り戻していく中で、一人の転校生の存在など誰も気にも留めていなかった。強いて言えば、最初に案内係として任命されたアストリッドが彼女のことを気にかけていたくらいだ。
当然、ミリーも転校生のことをその他大勢の生徒たちと同じだと認識し、彼女を初めて見たその日以降、彼女の姿を思い出すことすらなかった。
最終学年を迎え、新入生から送られる羨望の眼差しにも飽きてきた頃合いだ。ミリーにとって、ディマス・キング殺害に関連する事件の情報に目を通すことくらいしか刺激的なことは何もない。
相変わらず、捜査の進展は芳しくなかった。
花畑で区長の親戚が無残な姿で見つかってから、元区長は事件に巻き込まれることを恐れて街を離れた。その行方は極秘とされ誰も知らない。
ただ、彼とその周りの人間の悲劇的な話が聞こえてこない以上、今のところは平穏が保たれていると言えるのかもしれない。
午前の最後の授業で防衛魔法の実例レポートをまとめていたミリーは、頭の端でぼんやりとディマスのことを思い出す。たくさんの事件記録を頭に詰め込むと、どうしても反射的に彼のことを考えてしまうのだ。
彼と直接会い、何かを話したわけでもない。けれど講堂のロビーに威風堂々と掲げられた彼の肖像画と目が合うたびに、ミリーの瞳には希望が宿された。
ミリーにとって彼は永遠の憧れであり英雄であり続ける。
七年前、近所に住んでいた幼子を攫い、皮膚だけを残して幼子のすべてを食らい尽くしたマゾク。そんな悪魔を退治し、恐怖の底から救い出してくれたのはディマス・キングに他ならないからだ。
家の前に襤褸切れの如く棄てられていた幼子の変わり果てた姿を見つけた両親の悲鳴は今でもミリーの耳にこびりついている。
二人はミリーや家族と何か接点があったわけでもないただの隣人だった。しかし、まだ幼かったミリーにも彼らに起きた悲劇は他人事ではなかった。
当時ようやく使える魔法が増えてきたミリーにとって、マゾクの事件はあまりにも強烈だった。少しずつ力を手にし始め、可能性が広がっていく喜びに水を差されたような気分だったのだ。
幼子の両親の人生が転げ落ちていく様を目の当たりにし、ミリーは揺るぎのない想いを自らに誓った。
日常は簡単に崩れ去ってしまう。ならば、何事にも壊されない強固な力を身につけなければ。
ミリーが誰よりも一番に拘るようになったのはその頃からだ。
そんな中で飛び込んできたディマス・キングの偉業。彼女がローフタスラワ学園を目指すようになったのも彼の存在があったからこそ。
彼と同じ所業を成し遂げ、彼に認めてもらうことが学園生活を締めくくる集大成となったはずなのに。
レポートを書き上げたミリーは、ダイヤモンドを砕いて閉じ込めたかのような爪先をクルクルと回してレポート用紙を宙に浮かせる。
ミリーの指揮に導かれ、レポートはそのまま教室の前に設置された教師の机までゆらゆらと飛んでいく。
「アレン、校内では杖を使えと言っているだろ」
自らの机の上にパサリとレポートが落ちてきたのを見た若い教師が太い眉を怪訝に歪ませてミリーを嗜めた。
「すみません。つい、癖で」
教師の苦言をものともせず、ミリーは唇の端を持ち上げて悪びれもなく微笑む。
彼女の清々しい堂々とした表情に若い教師もやれやれと肩をすくめてため息を吐いた。
レポートを提出し、鐘が鳴るよりも早く手が空いてしまったミリーは、持て余した時間で前方の席に座るジュールの後頭部をじっと観察し始めた。
マゾク退治試験について無理をしないとジュールには口では言ったものの本音は違う。
モリーが言うように、ディマスの後に続くことで彼を殺した犯人をおびき寄せ、自らの手で仇を取りたい。
いつ終わるか分からない術義局の捜査などミリーはもとから期待していないのだ。
犯人が誰であろうと、ディマスを狙うということは、世間に持て囃される優秀な人間が気に食わないことに違いはないだろう。
いつかのマゾクのように連続で事件を起こして人々を怖がらせるなど、いかにも卑劣で憐れな空っぽ魔法使いがしそうなことだ。
とはいえ、陰に隠れる人間ほど厄介なもの。だからこそ自分が餌になるのが一番手っ取り早い。勿論、こんなことはジュールには言えないが。
そんなことを考えているうちに、ミリーはじっと見つめていたジュールの襟足に寝癖を見つける。つい気が抜けて、彼女は乾いた笑い声をこぼして頬杖をついた。
ランチの時間を迎え、ミリーはお馴染みの顔の大きさほどのタンブラーを左手に持ち、右手をジュールの腕に絡めたまま校舎を闊歩する。
ジュールが父親の自慢話をしているが、ミリーの耳には彼の話は入ってこない。流石に毎日のように同じ話を聞いていると耳が勝手に拒絶するのだ。
ただそれでも聞いていないことがバレると面倒なので、適度に相槌を打ちながらミリーは噴水前の指定席に向かって歩を進める。
二人の後ろには変わらぬ顔が揃っていた。シエラ、レジー、ヴァレンティナ。三人はジュールの話を聞くこともなく学園内のゴシップ話に夢中なようだ。
ランチの場所取りは一日のうちでも生徒たちが我先にと闘志をむき出しにする瞬間でもある。しかし五人は、周りの生徒とは違って余裕の表情でのんびり目的地を目指していた。自分たちで頑張る必要もなく、当たり前に特等席が用意されていることを分かっているからだ。
が、見慣れた噴水が近づいてくると、昨日までとは様子が違うことに気づかされる。
誰よりも先にランチの場所取りをしているはずのモリーの姿が見当たらない。代わりに、見慣れぬ黒髪の生徒がミリーのベンチに座り込んでいた。
「……あれ、誰?」
つい最近同じような言葉を言ったような気がする。
ミリーはふとそんな感覚が脳を掠めて眉を顰めた。
「あれって……えっと……マノン……?」
そう。まさに同じ声で似た回答を聞いた記憶がある。
シエラの方をちらりと一瞥したミリーは、数日前に見たアストリッドともう一人の生徒のことをぼんやりと思い出した。
「……マノン」
お人好しのアストリッドの隣にいた小柄な黒髪の女子生徒。ケープについた独特なリボン。転校生の、マノン・ベイリーだ。
「どうしてあの子があそこにいるの」
例えモリーが何かしらの事情でランチの事前準備が出来なくても、学園の生徒であればあの場所がミリーたちの指定席であることは承知済みのはず。そもそも、誰かがそこに座ることはないのに。
ミリーは不快感を隠すことなく厳しい眼差しを遠くの噴水へと向けた。
「分かんない。アストリッド、忠告を忘れたのかな?」
アストリッドであれば学園内のルールをすべて把握している。親切な彼女がそのことを転校生に伝え忘れるとは思えない。ヴァレンティナが一つの可能性を口にして首を傾げたが、ミリーはすぐさま頭の中で彼女の言葉を一蹴した。
「まぁ転校生だし。慣れないこともあるだろ」
レジーの呑気な声が、毛羽立ち始めたミリーの感情を僅かに抑え込む。
「……そうね。確かに。慣れない環境って、大変よね」
一息吸い込んだ後で自分に言い聞かせるような独り言を呟いたミリーは、ジュールの腕から手を離してスッと姿勢を真っ直ぐに正す。
そのまま四人に少し離れているように指示をして、ミリーは一人、ベンチに座って読書をしているマノンに近づいていった。
「ねぇ、あなた、転校生のベイリーよね? 私、ミリー・アレン。同じ学年の生徒よ。まだ挨拶してなかったでしょう? 改めまして、よろしくね」
凛とした笑みを浮かべたミリーは、本に視線を落としたままのマノンに向かって穏やかな口調で友好的な自己紹介をする。ミリーが目の前にいることに気づいたマノンはゆっくりと本から視線を上げて、その深い茶色の瞳でミリーの笑顔をしっかりと捉えた。
近くで見ると、思ったよりも意思の強い顔つきをしていることが分かる。ミリーは遠目からは分からなかった彼女の精悍な眼差しにほんの少しの驚きを覚えた。
「マノンでいいよ」
マノンはミリーと目を合わせたままにこっと笑う。が、手元の本を閉じる気配はない。
「ご家族の引っ越しで転校してきたとか。色々と大変でしょう?」
自分と目が合っても怯むどころか臆することなく笑いかけてきたマノンの態度に負けじと、ミリーはお得意の微笑みを返す。大体の場合、その美しさにたじろいでしまう生徒が多い。とにかく会話の主導権を自分が握るためには有効的な手段だとミリーは熟知していた。しかし。
「アストリッドが色々教えてくれたから問題はないと思う。この学園は親切な人が多いね。もう卒業だし、一年しかいられないのが残念なくらいかも」
マノンはミリーの必殺美麗微笑を前に、マイペースにうーん、と顎に指をあてて考え事などをする余裕を見せつけてきた。ミリーの微笑みなどまるで効果はないようだ。
「前の学校にも友だちはいたでしょう? 最後までいられなかったのは残念ね」
「そうだけど。でも、色んな世界を見れることは楽しいし、気持ちとしては半々かな」
むしろ、ミリーの笑みに対抗するようににこりと挑戦的な笑顔を返してくる。いや、対抗しているように感じているのはミリーだけかもしれないが。
「そう。だけどやっぱり、慣れない環境は大変よね。ほら──」
もしかすると相手は超絶鈍感な人間かもしれない。そう思い、ミリーは会話を早期完結しようとさり気なく彼女が座るベンチに目を向ける。わざとらしい口ぶりに、マノンの方も何か違和感を覚えたらしい。きょとんと目を丸めて軽く頭を傾けてきた。
「──ね? 前の学校でも、色々と学ぶことがあったはずよね」
転校生とはいえ、彼女も別の場所でそれなりの学生生活を送ってきた経験者のはず。あとは言わずとも分かるだろう。ミリーは敢えて言葉にすることを避け、彼女に察してもらおうと遠慮がちに眉根を寄せた──が。
「ええ。この場所は最高。日当たりもいいし、噴水の音が癒される。あっ。もしかして、このベンチって寄贈品? あなたの名前が彫られているのかな?」
「……はい?」
マノンが大袈裟な仕草でベンチの裏を覗き込もうとするので、ミリーの口からも思わず低い声が出ていった。
「いいえ、そのベンチは、別に寄贈品ってわけじゃ……」
マノンの動きが神経を逆なでしそうになり、冷静を保つためにも彼女の妙な動作を止めようとミリーはすぐさまそう答える。
「あっ。やっぱりそうなんだ。じゃ、別にいいよね」
「……なにが?」
「ここ。アストリッドが、あなたたちが占拠してる場所だからあまり近づかない方がいいよって。だから、もしかしたらあなたが買った領地なのかなーって思って。でも違うみたい。なら、こんないい場所、独占するなんて勿体ないよ」
「あなた、知ってて──」
「何を? ここが、あなたの指定席だって?」
今度はマノンの方がわざとらしくニヤリと口角を上げていった。思わぬ好戦的な態度に一瞬の隙を見せたミリーをマノンは興味深そうに見上げる。
「わたしは、別に独占するつもりはないよ」
瞬きもせずにミリーと眼差しを交わしたマノンは、開いていたページに指を挟んでそっと本を閉じた。
「どうぞ。貴重なランチライムだもんね。楽しんで」
本を持たない方の手でベンチに置いていたドリンクを掴み、マノンはにっこりと笑って立ち上がる。じーっと数秒ミリーを見た後で、彼女は笑顔を湛えたまま軽い足取りでベンチを後にした。
「……ユーマニック」
去り際、マノンが持つライムグリーン色のドリンクが視界に入ったミリーの口から恨めし気な声が洩れた。
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