3 黒髪テール


 ローフタスラワ学園を六年前に卒業したディマス・キングは彼らの先輩だ。難関マゾク退治の卒業試験において、試験が始まってから唯一任務を完遂した伝説の生徒と言われている。


 当時、幼い子どもたちを誘拐し食べたと言われるマゾクを退治して市民たちを恐怖のどん底から救ったことから、学園外でも英雄として称えられている優秀な生徒だった。

 ミリーも彼に憧れ、その後に続くことを目標としている。しかし、そんな英雄だった彼の命は半年前に起きた事件によって奪われてしまった。


 開店準備に店を訪れた酒屋の店主が鍵のかかった扉を開けると、フロアの中央でディマスが息絶えていたのだ。辺りに水が入り込んだ形跡もないままに、彼は肺に水を溜めて溺死してしまったという。

 彼が故郷であるウィザワンに帰ってきて数日後に起きた凄惨な事件だ。

 ウィザワン出身の傑人として区域外にも名が知られていた彼を襲った悲劇はすぐさま世に広がり、ローフタスラワ学園も悲しみで包まれた。

 ミリーも突如として憧れの存在を失い、一週間黒のベールを頭につけて登校したものだ。


 魔法の悪用によって殺されたことは明白だったが、未だにその魔術の正体も、犯人の像も掴めてはいない。

 ただ明らかなのは、悲劇に見舞われた物語が転じて、学園において彼が絶対的な英雄として認識されるようになったことだ。

 正義感も強く、多くの魔法を自在に操る類まれなる才能に恵まれた若者が市民を救い、これからを期待されたところで謎の死を遂げた。

 後輩であるミリーたち現役生徒にとってはまさに御伽噺のような存在になってしまったのだ。


「今回の花畑で起きた事件も、やっぱりディマスの件に関係してるのかな?」


 イエナが青ざめた表情で不安そうにジュールに問う。


「さぁ。でも、可能性は高い。今回だって区長じゃなくてその親戚だ。次は誰が犠牲になるか、誰も読めないよ」

「おおお……こわいこわい……」


 身を震わせ小声で呟くヴァレンティナにシエラはそっと寄り添い、その肩を撫でた。


「魔道具部も、その捜査に一役買いたいってことか」

「そういうことだ。ディマスの後輩として、黙っちゃいられないってさ。ダイルの家は代々術義局に勤めてる。当然、あいつもそれを目指してるからな。家の威信もかけてるんだとさ」


 ダイルはジュールの幼馴染で魔道具部のリーダーを務めている。術義局とは犯罪を捜査する専門捜査官を有するエリート部隊のことだ。各区域に拠点があり、中でもウィザワンの術義局は規模が大きい。

 レジーの見解に回答したジュールは、隣で密かな闘志を渦巻かせるミリーをちらりと一瞥する。


「……私は、ディマスのように試験を完遂して、彼に会って、その憧れと、成果を直接伝えたかった。あの人に認められて、私の目標は達成されたはずなの。でも、もうそれは出来ない。だから」


 強固な決意を胸に掲げ、ミリーはジュールの手に絡めた指の力を緩めていく。


「せめて、マゾク退治を完璧に成し遂げて、彼の伝説を引き継いでみせる。このまま、彼を悲劇の人だなんて印象で終わらせたくないもの。彼は凄い人だったんだから。私も彼のように学園のレガシーになって、彼のことを語り継ぎたいの。彼に憧れたから、彼の存在があったから、私もここまでやってこれたのだと」

「レジェンドの言葉は重いからな。ミリーなら適役だ」


 ミリーの覚悟にレジーは感心して口笛を鳴らす。


「会ったことはないけど、やっぱり学園の凄い先輩だもん。犯人のことはまだ分からないけど、マゾク退治を成し遂げたら、犯人もミリーを恐れて降参するかも。出来れば英雄の仇は取りたいよね」


 モリーもまた、ミリーの発言に感化されたらしい。表情を引き締め、隣に座るイエナに意気揚々と声をかける。堂々としたミリーの決意表明に気分が昂ったようだ。


「ふふ。ええ、恨みは、永遠に残したくはないものね」


 興奮した様子のモリーにイエナは優しく微笑みを返した。


「ミリー」

「なあに?」


 盛り上がる仲間たちの中誰にも聞こえない声で囁かれ、ミリーはジュールを見つめる。


「あまり根詰めるなよ。マゾク退治は危険なことに変わりないからさ」

「分かってる。勿論、分かってる」


 ジュールの柔らかな声は確かにミリーのことを思い遣っているようだった。ミリーは彼の手を再び握りしめ、その身を彼の胸に寄せる。

 彼の温もりに寄りかかり、ミリーはぼうっとガーデンを見回した。もうすぐ昼休みが終わる時間ではあるが、まだまだ生徒たちはその場で会話や遊びに熱中している。

 すると、遠くに見えるいくつかのグループからウットリとした眼差しを向けられていることに気づいた。ミリーの口元が無意識に綻ぶ。我慢しようとしても、どうにも頬が緩むのを止められない。


 あなたたちのようになりたい。あなたのように、完璧に。

 聞こえないはずの声が彼らの表情にははっきりと滲み出ているせいだ。

 ベンチの前で他愛もない会話に移行した仲間たちに気づかれぬよう、ミリーの顔はそっと噴水越しの景色へ向かう。こうすれば、ジュールにもモリーにも誰にも緩みきった顔を見られる恐れはない。


 鳥の翼を意識したデザインでアーチを描く噴水の向こうを見やれば、そこにも三人ほどの男子生徒がいた。が、ミリーの意識は近くにいるその三人よりも、更に向こうにある時計塔の下を歩く二人の生徒に吸い込まれていく。


「ねぇ」


 ミリーが声を出せば、仲間たちの会話がぴたりと止む。


「あの子。あの黒髪の子、誰?」


 ミリーが指差す先に皆の視線が一斉に向かう。ミリーが訊ねたのは時計塔から出てきた二人の女子生徒のうち、右を歩く黒髪の女子だった。

 髪には自然なウェーブがかかっており、それが彼女の髪の癖なのだと一目で分かる。毛量が多いからか、髪型がサイドテールになっていることは風が彼女の髪を揺らすまでは気づけなかった。


 制服のケープの裾部分には他の生徒にはない赤紫色のリボン飾りが然り気無くついている。恐らく彼女が自分で施したものだろう。

 彼女の左を歩く生徒にはミリーも見覚えがあった。確か、先生からも信頼の厚い温厚で親切な一つ年下の女子生徒だ。見知らぬ黒髪の生徒はそんな彼女と何やら楽しそうに話をしている。が、特段親しそうな雰囲気でもない。どちらかと言えば、見知らぬ土地でもてなされる客人のようだ。


 遠目からでも伝わる和やかな二人の雰囲気を、ミリーは目を離すことなく追いかける。まるで獲物を見定める獣のような気配を纏って。

 学園の生徒の顔をすべて覚えているわけではない。けれど、あのような目立つ制服の着方をする生徒がいたら、確実に覚えがあるはず。

 ミリーが眉根を寄せて訝しげに瞳を歪ませると、手のひらで額に庇をつくったシエラが口笛とともに口を開く。


「あー。あれ。あのこ、転校生だよ」

「転校生?」


 シエラの言葉を受けたミリーの表情に不信感が滲み出す。


「そう。私たちと同じ学年だったはず。珍しいよね、最終学年で転校なんて」


 シエラは本館校舎に入って行く転校生を眺めながら、彼女に同情するような語調で続ける。


「家族の引っ越しの都合とかって聞いた。まだ、話したことはないけど。たしか、名前は……」


 うんうんと、シエラは記憶を辿って考え込む。


「あっ! そうそう。マノンだよ。マノン・ベイリー。アストリッドに聞いたんだ。今日、学園を案内するって言ってた」


 転校生の隣にいた女子生徒の名はアストリッドだ。思いがけず、忘れていた彼女の名前も思い出し、ミリーは「あぁ」と飾り気のない声を洩らす。


「転校生、ね」


 黒髪女子の正体を知ったミリーは続けてぽつりと独り言を呟く。

 学園内の平均身長であるアストリッドよりも五センチ以上は小柄で、地味な髪色。謙虚で大人しく、無害そうな雰囲気を漂わせながら、マノンは校舎の奥へと消えていった。


 制服のアレンジこそは気になるが、そういうことをしているのはたいてい変わり者で、目が合うだけで気まずそうに下手くそな笑顔を向けてくるだけの相手だ。

 ミリーはこれまでの経験から、彼女のことを頭の片隅にすら置く必要もないと判断した。

 マノンたちに向けていた視線を前に戻し、ミリーはふぅ、と息を吐く。ついでに食べかけのベーグルサンドをジュールに渡した。


「お腹いっぱいだわ。そろそろ教室に行く。モリー、あとはよろしくね」

「あっ。はいっ!」


 ミリーに呼びかけられ、モリーは裏返った声で返事をする。まだベーグルサンドを食べている途中で、むせかけたのだ。

 ミリーの動きに合わせてヴァレンティナとシエラは同時に立ち上がる。


「そうそう」


 校舎に向かうために一歩足を前に踏み出したミリーが、思い出したようにモリーを振り返った。

 イエナに背中をさすられていたモリーは、突如としてこちらを向いたミリーの瞳にどきりと胸を高鳴らせる。いつも目が合う瞳とは違い、ほんの少し。気のせいかと思うくらい僅かに、その色が穏やかなものに見えたからだ。


「今朝のシナモンラテ、ありがとう。いつも通り、すごく美味しくて癒されたわ。やっぱりあの店のヒューマリーシナモンラテは最高ね」

「えっ」


 思わぬミリーからの感謝の言葉にモリーは瞬きも忘れてきょとんとする。


「じゃあ、また明日もよろしくね」


 ひらりとケープを翻し、ミリーはそのままヴァレンティナたちを引き連れて立ち去っていく。

 呆気にとられたままのモリーに、隣のイエナが不思議そうに首を傾げた。


 今朝のシナモンラテはモリーの友だちが魔法で淹れたものだ。こだわりの強いミリーにそのことがバレることを恐れていたが、どうやらその心配はなさそうに思える。彼女はヒューマリーシナモンラテと言い切った。つまりは、魔法を使わず人間の手で作られたものだと認識したということだ。


「クインシー、ほんっとにありがと……! 感謝感謝……っ! あんたは神だよ~ッ」


 誰もいない方向に向かって手を合わせ、モリーは小声で独り言を呟く。


「モリー? 大丈夫?」

「あっ、えっと……、大丈夫、大丈夫ですっ」


 モリーの奇妙な行動に、イエナは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。清廉な声に引き戻され、モリーはハッと意識を目の前に戻す。どうやらモリーの独り言はイエナには聞こえていなかったようだ。


「片付け、手伝うわ。終わったら一緒に教室に行きましょう」

「いいんですかっ? ありがとうございますっ!」

「ふふ。そんなに喜ばれることなのかしら」

「そうですそうですっ! わたしにとっては、もう、とっても嬉しいことなんですからっ。今日のわたしは、ほんとにラッキーガールですぅう」

「あらあら。なんだか恥ずかしくなってしまうわ」


 気づけばジュールとレジーもミリーの後を追っている。残されたモリーは、イエナとともにピクニックの片付けに取りかかった。

 二人でやってしまえば片付けなどすぐに終わってしまう。

 おまけに、ミリーと並ぶ憧れの人と一緒に共同作業ができたのだ。


「今日はほんと、いい日だよ……」


 朝、寝坊したときに感じたどん底の絶望感から一転して、今のモリーはまさに天にも昇る幸福感で満たされていた。

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