2 指定席
ミリーには敵わないことを弁えている学園の生徒たち。
無謀なことは時間の無駄だと、彼女に挑む者もいなかった。
触らぬ神には祟りなし。
彼女に取り入るか、それともぐんと距離をとって自分は無害な存在です。どうぞ無視してください。と、透明な気配で静かなる主張をするか。
生徒たちの多くはこのどちらかを野生の本能で選択し、平穏な学園生活を保つ工夫をしていた。
とはいえ彼女に取り入ることも一筋縄ではいかないらしい。
友達と言える存在になるのにはかなりの時間を要する。彼女と親密そうに見える仲間たちも、その前段階である側近、もしくは使い走りとも言える今の地位を守ることに日々神経を尖らせている。
モリーもその一人で、ようやく掴んだ幸運を握力全開で放さないために必死だった。
だから、友人のお陰でどうにか乗り越えた今朝の失態を挽回するためにも、今日のランチには一層の気合いをいれていた。
腹痛と偽り授業が終わるよりも早く教室を抜け出し、モリーは素早く学園の外へ駆ける。人気のカフェのランチをテイクアウトし、ミリーを完璧なピクニックでお迎えするのだ。
ピクニックの場所は決まってガーデンで一番見栄えのいい場所。
中央に構えられた噴水を背に、女王様は太陽の光が最も良く当たるベンチに腰を下ろす。
モリーは彼女が座る予定の場所をハンカチで軽く履いた。
目には見えないが、恐らく塵が溜まっているはずだからだ。
準備を終え辺りをきょろきょろと見回していると、ちょうど午前の授業が終わる鐘が鳴った。次々とガーデンに出てくる生徒たちを注意深く見つめ、モリーは綺麗にしたばかりのベンチを金庫を守る門番の如く仁王立ちで守る。
ランチの場所を探す生徒たちは、モリーと目が合うなりここには近づいてはいけないことを察してサッと別の場所へと移動していく。
余計な人の気配を払うこともモリーに任された重要な任務なのだ。
何としてでもこのベンチを守り通さねばならない。
温かな陽が彼女の艶やかな肌を透かすこの場所は、彼女の美しさと権威を最大限に誇示できる。だからこそ、ミリーはこのベンチにしか座らない。
ピリピリとした空気を放つせいか、モリーの細い髪の毛が静電気を浴びたかの如く重力に逆らい始めた。辺りが賑やかになってきた頃、ご主人様を待つ忠実な瞳の中に待ちわびた人の姿が映る。
モリーと目が合うなり彼女は唇に滲ませていた優雅な笑みを僅かに広げた。
「ありがとうモリー。やっぱりあなたは、完璧ね」
「ううんっ。そんなことないよ」
モリーがブンブンと首を横に振って笑うと、ミリーはクスリと笑い声をこぼしながらモリーが死守したベンチに当たり前のように座り込む。
ミリーが引き連れてきた友人たちが座れるよう、モリーはオレンジのネイルに彩られた爪先をくるりと宙に向けて回した。すると噴水の前に広がる芝の上に円形のクロスがふわりと出現する。ギンガムチェックのクロスの上にミリーの友人たちはわいわいと会話を続けながら座り込んだ。
彼らの会話を邪魔しないように気をつけながら、モリーは用意していたバケットからベーグルサンドを皆に配っていく。ミリーのお気に入りのカフェでつい先ほどモリーが買ってきた、魔法の力を使わない天然モノだ。
ようやく一連の任務を終えたモリーはそのままクロスの端に座り込み、残った二つのベーグルサンドのうち一つを手に取ってミリーたちの会話に注目した。まだ、ベーグルに口はつけない。
「古代魔法語の抜き打ちテスト、最悪だったよなぁー」
ちょうど、モリーの一番近くに座っていた仲間の男子生徒一人が眉根を寄せ、やっちまったと言わんばかりに顔を歪め嘆いたところだった。
「レジー、テストが始まる直前まで寝てたもんね。あの焦った顔、最高だった」
彼の悲壮に満ちた声を聞いた女子生徒がベーグルを頬張る手を止めてけらけらと笑いだす。ミリーがいるベンチ下に座り込んでいたヴァレンティナだ。
「授業の途中でテストとか不意打ちにもほどがあるだろ」
「レジーが寝てるから、先生わざとテストを挟んだんじゃない?」
「そうそう。レジーが寝てることなんてきっとバレバレだよ」
ヴァレンティナの意見に同意したのは今朝もミリーと一緒に登校していたシエラだ。一つに束ねられた栗色の髪がゆらりと揺れる。
「んなワケあるか。俺は眠りのプロだ。先生に見つからない姿勢を熟知してるんだからな。シエラは見てないから分からないだろうけど」
レジーはむっとした目をシエラに向け、何故か偉そうに腕を組んでみせた。
呆れた様子でシエラとヴァレンティナが目を見合わせる。黙って会話を聞いていたミリーは涼しげな顔をしていた。が、ふと、傍を通ろうとした一人の女子生徒に注目した。
「イエナ」
ミリーが彼女に声をかけると、レジーたちも一度会話を中断する。
「ミリー。ふふ、今日もみんな一緒で、賑やかだね」
声をかけられ立ち止まったのは、他の生徒よりも丈が長く、タイトなデザインのスカートを身に纏ったイエナ・アミアンだった。
スリットが入ったロングスカートは正装用のもので、多くの生徒は式典の時くらいしか履かない。が、このイエナだけはこちらのデザインの方が似合うし、好き、という理由で日常的に着用している。そのせいか、人の群れの中にいても景色に紛れることなくすぐに彼女を見つけることができるのだ。
形よく整えられた乱れのないホワイトゴールドの髪の毛は輪郭のラインにかかる位置で切られ、僅かに波打っている。背が高く、手足の長い彼女は確かに正装用の制服がよく似合っていた。
「よかったら、イエナも一緒に食べない?」
ミリーは空いているクロスの空間を見やり、イエナをランチに誘い込む。ヴァレンティナたちも特に異論はなさそうだ。
「いいの?」
「当たり前でしょ? 一緒に食べるよね」
ミリーはわざとらしくゆっくりと首を傾け再度訊ねる。まるで答えは一つに限られているかのように。
「でも、私、まだ食べるものを買ってなくて」
イエナが遠慮がちに答えると、ヴァレンティナとシエラの視線がモリーの手元に向かう。二人の視線に気づいたモリーは、アッ、と息を吸い込んで立ち上がる。
「あ、あのっ。まだベーグル残ってるので、大丈夫ですよ」
わたわたと早口で喋るモリー。手に持ったベーグルサンドを掲げてみせると、イエナは申し訳なさそうに微笑んで首を横に振った。
「いいの。それは、あなたのでしょう?」
「いえいえいえいえ。わたし、お腹空いてないんで。いやむしろ、お腹痛いんでっ!」
「あら。ふふふ。分かった。それなら、半分ずつ食べましょう? 何も食べないのは午後の授業に響いてしまうから」
「あ……えと、ハイッ! あっ。というか、このベーグルサンド、ちょっとスパイスが足りないですが……」
「気にしないで。スパイスだけならいつも持参しているから」
イエナが激辛スパイスの小瓶を持ち歩き、清涼飲料水の如くごくごくとそれを飲み干す姿は学園でも有名だった。モリーの気遣いに肩をすくめたイエナはモリーの隣に座り、モリーの分を大きめにしてベーグルサンドを半分に割る。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございますっ」
気のせいか、イエナが隣に来たことで華やかな香りが辺りを包んだようだった。イエナもまた、その美しさから学園では一目置かれる存在だ。
そんな憧れの人が目の前に座り、自分にベーグルサンドを分けてくれるなんて。
モリーは半分になったベーグルサンドを夢見心地でイエナから受け取る。受け取る際に、イエナの手を覆う網目の細かいレースの黒手袋に指先が触れた。モリーは思わず肩をすくめる。
「す、すみませんっ」
実際には手袋越し。だが、なんだか繊細な彼女の素肌に触れてしまったようで、モリーは反射的に言葉を飛ばす。
「気にしないで」
イエナは言葉通りあまり気にする素振りもなく、むしろ彼女の過剰な反応に気が咎めたようで眉尻を下げて微笑んだ。
やはり、近くで見れば見るほど彼女の造形は美しい。
先輩であるミリーたちとは違い、学年としては同じはずなのに。数センチメートル先にいる彼女がモリーにはまるで違う次元にいる人間に思えてくる。
モリーはどきどきと小さな鼓動を鳴らしながらどうにか平常心を保とうと息を吸い込む。
学園に女王は二人もいらない。
そんな過激派のミリーが多少話題を奪われてもいいと認めているらしい唯一の存在がイエナなのだ。ミリーがイエナと対立する場面をこれまで誰も見たことがない。それが分かっているからこそ、どうしても緊張してしまう。平凡な自分たちとは違いすぎる。
しかし、今この場で緊張感を高鳴らせているのはモリーただ一人で、他の皆はイエナが加わったことで特に様子が変わることもなく、遮られた会話を再開させていた。
「勉強なんて自分の好きな時間にするのが一番だろ。俺は朝は寝ていたいんだよ。あっ、そうだ、今度俺の眠りの技を見学しに来いよ」
「ふふ。別に、見たくもないけどね」
得意気に語るレジーのことをシエラが笑っていると、その後ろを長い脚が颯爽と横切って行く。風を感じたシエラはそっと後ろを振り返った。
「まぁー、どうせ? ミリーには楽勝だったんだろうけど」
後ろを通った人影にシエラが目を向けている間、半ば投げやりな態度でレジーは一人ベンチに座るミリーに話を振る。
「当たり前でしょ。レジーは油断しすぎ」
ベーグルを小さな一口でゆっくり頬張っていたミリーは、こちらを向いたレジーと目を合わせて憐れむように微笑む。と、同時に彼女の肩が大きな手に包まれて左側へと傾く。
「何の話? またレジーがくだらないことでも?」
突如として仲間の輪に加わった新たな声に、一同はミリーに向けていた視線を彼女のすぐ横に現れた人物へ移した。一人の背の高い男子生徒がミリーの肩を抱き寄せている。ベンチの肘掛けに腰を掛けた彼を見るなりレジーはハァ、とため息をつく。
「くだらないってことはないだろ」
「いーえ。確実にどうでもいい」
レジーのくだけた嘆きをシエラがすかさず否定する。
「レジーが抜き打ちテストでやらかしたってだけ。ジュール、遅かったのね」
ヴァレンティナがまとめた端的な状況を聞き、ミリーの肩を抱くダークブロンドの髪の男子生徒は「なるほど」と笑った。彫刻として作られたかのように整った顔つきの彼の表情が動くと、ほんの些細な変化とは比例しないほどの魅力が溢れる。
彼の前世があるとすれば、恐らく大天使か何かだ。モリーは、最近になって近くで見る機会が増えた彼のことを見つめながらそんなことを考えていた。
「魔道具部に呼ばれてさ。ちょっと新作のチェックに付き合ってたら遅くなった。待たせて悪い、ミリー」
「ううん。気にしないで。きっと、ジュールの力を借りたくなったのよね」
「ああ」
すぐ傍にあるジュールの顔を見上げ、ミリーは静かに首を横に振りながら笑う。ジュールは彼女の言葉に嬉しそうに頷き、そっと額を重ねてからミリーに軽くキスをした。
ジュール・ヴィヴァルはローフタスラワ学園でも上位に食い入る資産家の息子で、立派な家柄に劣らぬ洗練された容貌と恵まれた体格からミリーと並ぶ人気の生徒だ。
学園のトップに君臨する二人は当然のごとく惹かれ合い、学園中が公認する恋人同士となった。
学園中の生徒が羨むもの全てを手にした二人はカップルとしても崇められ、憧れる者が絶えない。二人は生徒たちの理想的な夢をまさに現実にしている。
「最近、魔道具部の研究も盛んだよな。あれか? やっぱ、事件のこととか関係してるのか?」
ミリーの右隣に回ってベンチに座り直したジュールに向かってレジーが微かに首を傾げて訊ねた。最後に一つ残されていたベーグルをモリーから受け取り、ジュールは真剣な表情で頷く。
「ああ。それも無関係じゃない。事は深刻だ」
モリーにお礼を言ったジュールは、身体を前に倒してあからさまに声を顰める。皆は彼の話に興味を抱き、自然と前のめりになっていた。
「区長の親戚が、失踪したこと?」
勿体ぶるジュールに対し、話を進めたのはイエナだった。思慮深い彼女の声にジュールはもう一度意味深に頷く。
「そうだ。まだ正式には発表されてないが、前区長が保有する花畑で花に埋もれた彼女の遺体が見つかったそうだ」
「ヒィッ」
ジュールの話にヴァレンティナが息をのみ込みながら小さな悲鳴を上げる。
「これで三人目か。前区長もきっと、今頃震えてるだろうな」
「震えるどころじゃない。宣戦布告されたも同然なんだからッ」
自分の身体を抱くようにして腕をさするヴァレンティナは、呑気な反応をしたレジーを叱責するように睨みつけた。
「魔道具部のリーダーもこの話は知ってる。だから余計に研究に力が入ってるみたいだ」
「二人は幼馴染だものね」
「ああ。あいつのあの熱意には敵わないよ」
ジュールは冷静ながらも悲劇を悼むミリーの哀惜に満ちた眼差しを見やり、彼女の手を握りしめる。
「何者の仕業か、まだ見当もつかない。最初の犠牲者からそろそろ半年経つってのに……。まだ、誤逮捕者ばかりだ」
「流れを踏むと、次は前区長かその関係者ってこと? ちゃんと警備はつけてるのかな」
「流れ、ってものがあるのか、まだ確信は持てないけどな」
ジュールはシエラの疑問に残念そうに肩を落とす。
「今回は区長の親戚、その前は、区庁舎前で狂乱化した酒屋の店主。で、最初は……」
「ディマス・キング」
レジーの声を遮り、ミリーがぼそりと呟いた。彼女の手がジュールの指先をぎゅっと絞めた。静かな言葉とは裏腹に、その指には抑えきれないほどの憎悪が滲む。
「ディマスが酒屋で溺死状態で見つかった後、酒屋の店主が錯乱状態で発見された。区庁舎前で見つかった時、店主はすっかり自分を失っていた。頭が空っぽになっていて、自分が誰かも分からないまま医療所に隔離されたまま。死んではいないけど、生きているとも言い難い。そして今回、区長の親戚が殺された。だからきっと、次は単純な殺しではないかもしれないわ」
近頃連続して起きた事件を振り返り、ミリーは自らの推測を述べる。彼女の推論にジュールをはじめとする仲間たちの視線が僅かに下がっていく。
「ディマス……本当に、伝説になっちゃったな」
ミリーが予測する次なる恐怖の前に、仲間たちはその名に想いを馳せざるを得なかった。
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