毒を隠せし可憐な魔女は、英雄の座が欲しいのです
冠つらら
1 女王さまの仰せのまま
天と地がひっくり返ろうと変わらないことがある。
生物が屍から赤子に成長しようとも、上瞼と下瞼が逆さまになろうとも、ミジンコが世界一の頭脳王になったとしても。
絶対的に、誰にも覆せない不変のものが確かにある。
例えるならば、この郊外に聳え立つ瀟洒な学び舎で燦然とした輝きを放つ彼女がそれに相応しい。
地上を照らす陽をすべて集めても敵わないほどのまばゆいオーラに包まれた堂々たる姿。悠然とした仕草は人々の視線を独占し、彼女が道を歩けば誰もが前をあけていく。
羨望の眼差しを向けられる彼女の扱いは、傍から見れば国を救った英雄を彷彿とさせる。
校舎に向かう彼女の視界には自然と花道が出来上がっていた。
どれも彼女が指示したわけではない。ただ勝手に、周りの人間がそうしなければと動くだけ。
両端に寄り、できるだけ彼女の通る道を広く取ろうと肩を狭くする生徒たちを一瞥し、彼女はすぐに正面に意識を戻す。
今日もまた、いつもと変わらぬ朝の光景だ。
僅かに酸素を肺に流し込み、背筋を伸ばして胸を張る。
広すぎず、狭すぎない歩幅を保ち、それに両手の動きをしなやかに合わせた。
すると女子生徒の一人が感嘆の声を漏らす。まるで彼女の存在そのものに魅了されてしまったかのように、その女子生徒はくらりと隣の友人に寄りかかる。
彼女の正直な反応を見て、当の本人はいい気分にも悪い気分にもならなかった。
女子生徒の反応は当然のものだと分かりきっている。彼女がそんなことに動じる訳もない。
美しく艶めくロングボブの髪をさらりと風になびかせて、涼しい顔のまま自身の支持者に目もくれずに歩き続ける。光沢のある短い黒ケープコートの裏地の鮮やかなフューシャが更に彼女のブロンドの髪色を際立たせた。
瞼の上に落ちてきた前髪を額に流し、そのまま右耳に掛ける。他愛もない些細な仕草すら、彼女は見る者の興味を奪っていく。
その風格はまさに女王様を思わせた。が、それも間違いではないのかもしれない。
ミリー・アレン。彼女はここ、ローフタスラワ学園で王者の地位に君臨する絶対的存在と言われているからだ。入学してすぐに頭角を現してから、その存在感は衰えることを知らない。
洗練された容姿に飽き足らず、常にトップクラスで優秀な成績を修める彼女に勝てるわけがないと、学園の誰もが彼女の地位を認めていた。
魔法の力に溢れるこの世界。ローフタスラワ学園はウィザワン区域に位置し、あらゆる区域からエリートたちが集う学校として知られている。
魔法を扱う能力が優秀な者。家が裕福な者。頭脳の使い方に長けている者。名誉ある家柄の者。
さまざまな特色を持った生徒たちが集まり、期待された未来に向けて切磋琢磨している学舎だ。
ミリーは今学期で最終学年を迎えた十七歳。誕生日を迎えれば十八になり、立派な魔女として世間にも認められるようになる。
成績優秀なミリーの進路もさぞかし輝かしいものになるはず。約束された未来とは、まさに彼女が歩む道のことを言うのだろう。
けれどその前に、彼女には大きな試練が待ち構えていた。
いわゆる卒業試験とも言われるローフタスラワ学園伝統のマゾク退治だ。
時に本物のマゾクを相手にするこの試験はこれまでも多くの卒業生たちを苦しめてきた。遭遇したマゾクを退治しきれずに撤退した者もいるほど過酷な試験。
もちろん、学園側も何も完璧を求めているわけではない。マゾクを退治し、その首を持ち帰ることが試験の合格基準ではないからだ。
教師たちを唸らせるほど文句なく試験を完遂した卒業生は過去にたった一人だけ。
当時の学園のキングと呼ばれた男。
もはや伝説として語り継がれる彼のことを当然ミリーも尊敬していた。
彼を超える成績を修めることが、完璧を極める彼女の目標の一つになっている。
そのためにも、彼女は日々の学園生活に全力で精魂を捧げているのだ。
「ミリー」
校舎に一歩足を踏み入れた彼女のことを、同じ薬草学のクラスを受けている女子生徒が呼び止める。彼女のケープの裏地はミリーとは異なり薄紫色だった。裏地の色は好みに合わせて選べるのだ。
一学年後輩の彼女はミリーと目が合った途端、自分が呼び止めたにもかかわらず肩を震わせて縮こまった。
「なに?」
ミリーの口調はいつも通りのものだった。
柔らかさの欠片もなく、どちらかといえば棘がある。剥き出しの自尊心を隠す素振りもない。そんなことはただ面倒なだけだ。だって、皆、自分よりも劣っているのだから。
「あ、えと……。ごめんなさい。今朝、寝坊、して……あの、シナモンラテ、買う時間がなくって……」
後輩の女子生徒はびくびくと怯えた様子で口を開く。ぼそぼそ喋る彼女の声が聞こえなかったのか、ミリーはぐいっと彼女に勢いよく顔を寄せる。
「え? なに? あ、そうだ。シナモンラテ、まだ貰ってないけど」
「あ。あの、だから、今日は寝坊して……」
ミリーの迷いのない言葉運びに、後輩は自分の声が聞こえていなかったのだと思いもう一度説明しようとする。後輩の髪の毛には寝癖が残ったまま。制服のケープコートもボタンをかけ違えていることに気が付いていないようだ。本当に、寝坊をして慌てて家を出てきたのだろう。
「寝坊?」
後輩の声がようやく耳に届いたミリーは、まじまじと彼女の姿を見て目を丸める。
「え。じゃあ、シナモンラテ、ないの?」
後輩の崩れた髪を見つめながらミリーの声が儚く落ちていった。まるで世界の終わりを垣間見たかの如く、彼女の表情からは生気が失われていく。
「ごめんなさい‼ わ、わたしが昨日、宿題に夜更かしして寝るのが遅くなったから……っ‼」
ミリーの絶望の表情を見た後輩はがばっと身体を九十度に曲げて頭を下げる。
「夜更かし? そんなことしちゃ肌にも悪いって言ったでしょ。そんな、愚かな行為に、私の唯一の至福が奪われるなんて……」
両手で顔を覆い、ミリーは今にも膝から崩れ落ちそうなほどに弱弱しくふらついた。すかさず近くにいた友人が彼女を支える。
「本当にごめんなさい‼ わたしのこと、信頼してくれたのに裏切るようなことをして……‼」
後輩の顔もすっかり青ざめていた。怖くて顔を上げられないようだ。ぴしゃりと体側に腕をくっつけたまま、彼女は誠心誠意の謝罪を告げる。
「ほんと、とんだ裏切りよ」
「そうよ。ミリーが毎朝のシナモンラテをどれだけ楽しみにしているか分かる? そのために、朝起きてからミリーはずっと味のない飲み物しか飲まないんだから! どうしてそこまでするか、あなた知ってる?」
「シナモンラテを、最高の状態で楽しむため、ですよね」
ミリーを挟む友人二人に責められ、後輩はゆっくりと顔を上げて答える。その瞳には涙が浮かんでいた。
しかし友人たちの猛攻はそんなありきたりな反省に治まることもなく。
「ミリーが今学期からあなたをシナモンラテ担当にしたのは、あなたが望んだからでしょう? ミリーのために何かしたい、って。そのおかげで、去年までずっと影の薄かったあなたが学園でも名が知れるようになったっていうのに。そのお礼が、この仕打ちなの?」
「うっ……」
「薬草学のクラスであなたが気になってるって言ってた子と仲良くなれたのは誰のおかげだと思ってるの? ミリーがあなたと彼女の仲を取り持ってくれたからでしょう!」
「ううう……」
「なのにあなたは、シナモンラテの一つもまともに買ってこれないわけ? 遅刻してでも買いに行くべきでしょう!」
「ご……っ、ごめんなさーい‼」
もう後輩はほとんど泣いていた。校舎を行き交う生徒たちは何事かと小声で囁き合いながら女王の審判を見物する。
「ミリー、大丈夫?」
友人の一人が両手で頬を包み込んだまま固まってしまったミリーに優しく声をかける。トンッと肩に手を置かれ、ミリーは虚無に投げていた意識をハッと現実に取り戻した。
「モリー」
「はっ、はい……」
久しぶりにミリーの声が聞こえ、後輩モリー・ヤノスはすぐさま姿勢を正す。
「あなたは、私と名前が似ているから、なんだか愛着が湧いて仲間に入れていたわ。でも……」
ミリーは頬に添えていた手を下ろして残念そうに腕を組む。そのまま右手を顎まで持ち上げ、少しだけ考える素振りを見せる。
彼女の言葉をモリーは息をのんで待っていた。
「やっぱり、肌を思い遣らない姿勢はなかなか理解が出来ないから、モリー、あなたはもう、用な──」
「モリー‼」
神の御言葉を聞くかのように静まり返っていた校舎のロビーに、一人の無頓着な生徒の声が響き渡る。静寂に突如として割り込まれ、ミリーも思わず口をつぐんだ。
「忘れちゃったの? ほら、今日は学校に遅れるから代わりにシナモンラテを買って来てって俺に頼んだよね? 反対に住む君とは違って、俺の家からの通り道にお店があるからついでに、って」
世紀の裁判を見守る生徒たちの塊をかき分け、カッパーの髪色をした男子生徒がモリーに近づいてくる。
先程の彼の発言にモリーは心当たりがないのか、自分の前に躍り出た怖いもの知らずの彼をきょとんとした眼差しで見つめた。
「クインシー? え。どうして……」
明らかに戸惑った様子でモリーは彼に小声で囁く。するとクインシーは、その手に持っていた顔よりも大きいタンブラーをミリーに差し出す。
「はい。シナモンラテ。トリプルサイズね」
「あ。ありがとう……」
突然の知らない男子生徒の登場にミリーも呆気にとられた様子で差し出されるがままにタンブラーを受け取った。
「モリー。人に頼み事しておいて忘れるなんて、ひどいじゃないか」
そう言いながら、クインシーはモリーにだけ見える角度であどけなく垂れた目元を片方だけ瞬かせた。彼の意図に気づいたモリーは気を取り直したように溌溂とした声を装う。
「そっ。そうだった。そうだったよね、ごめんねクインシー。寝坊して、慌てていたから、自分が何をしたのかよく覚えていなくって」
「いいよ。こうやって無事に渡せたんだし」
クインシーはにこりと笑ってミリーに向き合う。
「注文通りで、合ってたかな?」
「え? あ。うん」
ミリーはタンブラーにちらりと視線を落として頷いた。
「なんだ、モリー。お友だちに代理をお願いしていたのね。やるじゃない。きちんと代替策を実行するなんて。見直したわ。やっぱりあなたは有能かも。これからも、私のことをよろしくね」
「えっ。でも、さっき、用なしって……」
「私、そんなこと言った? モリーの聞き間違いじゃない?」
ミリーは反対にモリーを訝しむ目をしてクスリと笑った。
「じゃ。授業に遅れるからこの辺で。モリー、またランチでね」
「うん……っ‼」
ミリーはくるりと踵を返してモリーに手を振る。二人の友人も彼女に続いて颯爽とその場を後にした。劇場が終幕を迎えたことを察した生徒たちは、蜘蛛の子を散らすようにあちこちへ去って行く。
残されたモリーは、同じくミリーの背中を眺めていたクインシーに改めて訊ねる。
「クインシー、どうしてわたしを庇ってくれたの? あの店、クインシーの家からも遠いよね? わたしが買い忘れたことも知らないのに、どうやって……?」
修羅場を乗り越えたかの如く放心した表情をしているモリー。背後にいる彼女を振り返り、クインシーは少しだけばつが悪そうに笑う。
「友だちを助けるのは友だちの役目ってだけ。ミリーはモリーの憧れでしょ? それに、あのシナモンラテ、実は俺の魔法で淹れたものなんだ。お店の味に似せてね。ミリーに気づかれなきゃいいけど」
「ええっ⁉」
クインシーのまさかの回答に、モリーは喉の奥底から悲鳴を上げる。
「だめだめだめだめだよ! ミリーは魔法で作られた味が嫌いで、わざわざ人の手を使って淹れてるあの店の味が好きなんだよ? もしバレたら……!」
「俺も処刑されちゃうかな」
「もー! クインシー! 助けてくれたのは嬉しいけど、これじゃ共倒れだよー!」
「はははっ。落ち着いて。大丈夫、っていう可能性もあるかもしれないし」
「そんなの無理だよー!」
モリーは頭を抱えて目をぐるぐると回していた。クインシーは彼女の大袈裟な反応に控えめに笑いながら、彼女と肩を組んで教室へ向かう。
「ミリーは、すごくかっこいいけど容赦もないんだから」
ぽつりと冗談めいて呟いたモリーの言葉に、クインシーはもう一度ミリーたちが去って行った方向を振り返る。
才色兼備なミリー・アレンは学園で絶大な人気を誇る女王様。この事実は何にも揺らぐことがない。
が、その性格は学園の誰もが認めるほどに悪い。
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