第15話

 ここ最近の私は波乱万丈すぎる人生を送っている。

 蝶よ花よと育てられ(たかどうかはわからないけれど)、経済的にはなにも不自由のない人生だったのに……いきなり呪われブタになり王子に愛でられ攫われて、現在養豚場という名のブタ箱に入れられている。


「ぶひぃっ!?(なんで私がこんな目に……!?)」


 アビゲイル・タルコット……覚えてなさい。私が人間に戻ったら絶対容赦なんかしないんだから! お前も同じ目に遭わせてやるわ! あと躾のなっていない従者もね!


「おはよう。起きたか? って、なんだ。お前元気だな! ずっと大人しいから具合でも悪いのかと思っていたぞ」


 檻の中を覗くのは12~13歳ぐらいの男の子だ。この養豚場の子供で、アビゲイルの従者に「迷いブタです」と言われて私を押し付けられたのだ。可哀想に……。

 どうやらこの養豚場は日中ブタを放し飼いにしているらしい。子ブタは外に出られないように管理されているそうだが、男の子は私を脱走ブタだと判断したようだ。


「一応お前に病気がないか確認しておきたいから、しばらくは他のみんなとは隔離になるけど我慢してくれよな。五日も経てばみんなのところへ戻してやるから」


 いいえ、結構です。みんなのところって、他のブタと一緒くたに飼育されるってことじゃない!

 話によるとブタ特有の病原菌があるらしく、飼育環境はきっちり管理していないとダメらしい。私が外にまで脱走したせいで病気に罹っていないか見極める必要があるのだとか。


 でもね、この子はまったく気づいていないみたいだけど、私はよそ者よ! 

 もしもここのブタたちが新参者に厳しかったらどうするの。ブタにいじめられて豚語でねちねち責められるかもしれないなんて絶対嫌よ! ……まあ、そもそも豚語を私が理解できるのかはわからないけれど。


「というか、うちに青い目のブタなんていたっけ? みんな黒目なんだけどなぁ?」

「ぶひっ!(そこよ!)」


 服も真珠もない私をただのブタかどうかを見極めるのは目の色しか残っていない。

 どうやら一般的に飼育されているブタは黒目らしい。でも私は呪いを受けた影響からか、目の色だけは変わっていないのだ。


「まあ、いっか。あとで父ちゃんも見に来るからちゃんと餌食えよ!」


 そう言って少年は去って行った。小屋の中には私ひとり……藁の上にぽつんと残されている。

 清潔な水は用意されて、食事は雑穀とトウモロコシを混ぜたもの。見た目はまさしく家畜の餌だわ。でもこれを食べるのは勇気がいる……。


「ぷきゅい……(私の自業自得だけど泣けるわ……)」


 脱走しなければよかったなんて、今さら後悔しても遅い。

 アビゲイルの従者に攫われて、昨日のうちにここへ連れて来られてしまった。王都から離れた場所にあるため、簡単には探しだせないはず。


 昨日はあまりのことに気を失うように眠ってしまったけれど、今朝は朝日とともに目が覚めたわ。なんとか五日以内に脱走しなくては! 大人のブタになってしまったら、それこそ私は食われてしまう。

 運よく生き延びたとしても、私は雌ブタ。繁殖用に母ブタにさせられるかもしれない。

 望まない交配を想像して、恐ろしさのあまり身体がキュッと縮こまった。何度も出産を繰り返して出荷されていく我が子達......そしてもう利用価値がないと分かったら私も食べられるのよ。


「ぶひぃっ!(そんな一生絶対嫌ー! )」


 キスなんかで抵抗するんじゃなかったわ! 母ブタになるくらいなら王子とのキスなんて虫刺されよりもささやかなもの。さっさと受け入れておけばよかった! そしたら今頃人間に戻っていたかもしれないし、こんな命の危機になんて陥っていなかっただろう。


 でも、おとぎ話に出てくる呪いの解呪法って、相思相愛のキスじゃなかったかしら。真実の愛とやらが必要なはず。


「ぶふぅ……(どちらにせよ無意味だったってことね)」


 王子が私をどう思っているかはわからないけれど……というか本当にあの人の真意がわからないのが怖いんだけど、私は王子に恋愛感情を抱いていない。

 見た目が完璧で面倒見もよくて蕩けるような微笑も素敵だとは思うけれど、あの異常とも呼べるブタ愛がなんか気持ち悪い。

 ベティの正体がエリザベスだとわかっても態度を変えなかった。一体どういうつもりなのか問い質したい。


 ぐぎゅる……と腹が鳴った。子ブタはすぐにお腹を空かせてしまう。


 目の前に食べ物はあるけれど、あれは家畜の餌だわ。私のお腹が壊れたらどうするの。これでも胃腸は繊細なのよ!

 ……でも、水は飲んでもいいわよね。見たところ虫も浮いてないし、きちんと取り換えられているようだ。

 恐る恐る水を飲んで脱水症状を免れることにした。いざというとき動けなくなっていた方が問題かもしれない。


「ぷぅ……(助けってくるのかしら……)」


 水を飲んだからか、目から水分が出てきそう。

 これまで生きてきて、なにかを強く後悔する日がくるなんて思わなかった。


 もっと家族と交流しておけばよかったかもしれない。いつからか言いたいことも飲み込んで、必要最低限しか会話をしなくなってしまった。

 もっと学園で親しい友人を作っておけばよかったかもしれない。会話をする同級生はいても、特別仲のいい友人はいない。親友と呼べるくらい仲のいい友達は学園でしか作れないだろう。

 そしてなんとなく苦手という理由だけで誰かを避ける真似はしなければよかった。子供の頃に抱いた劣等感が邪魔をして、学園にいたときは王子と会話すらしなかったのだ。喋ろうと思えば喋れたのに、近づきたくないと避けていた。だって神々しいほど美しい人の傍に私がいたら邪魔だもの。


 でもそれって結局、本質を見ずに見かけだけで判断していたってことなのよね。


 昨日、私がエリザベスだとわかってもらえたとき。本当はすごくうれしかった。ようやく私が置かれている状況を理解してくれる人ができて、味方を得た気持ちになっていた。

 王子を拒絶して逃げるよりも前に言うべきことがあったんじゃないか。


「ぶぅぷひぃ……(真っ先に私を保護してくれてありがとうって言っておけばよかった……)」


 次から次に涙がこぼれてしまう。後悔だけが押し寄せてきて、自分のダメさ加減に嘆きたい。

 感謝の一言すら伝えられないまま死ぬなんて、惨めすぎて絶対に嫌だ。


 もしも人間に戻れたら、今後悔したことを全部やりきりたい。

 王子に迷惑をかけたことを謝罪して感謝して、ベティの代わりにブタのぬいぐるみをプレゼントしてもいい。ちゃんと真珠のネックレスも用意するわ。あのセンスはどうかと思うけど、常人にはわからない美的センスを否定するつもりはないもの。


 家族にもちゃんと正面から向き合いたい。子供を甘やかすだけ甘やかすダメな大人だと決めつけていた私にも、きっと見えていない側面があったのだろう。


 もっと自分の気持ちに素直になって、感謝と愛情を積極的に口にしたい。人に寛容で優しくなって、困ったときには手を差し伸べられる人間になりたい。

 神様なんて信じていなかったけれど今は神にだって祈るわ。もしも奇跡が起きたら、私の悪いところはきちんと改心するから! 人に優しく敵を愛せるくらい慈悲深い人間になるって約束するから……!


「ぶひぃん……(人間に戻りたいよぉ……)」


 目を瞑ると王子の顔が頭に浮かぶ。

 自分から逃げたくせに、やっぱり私が真っ先に会いたい人は王子なんだわ。なんて自分勝手で矛盾しているのだろう。呆れて嫌われているかもしれないけれど、きちんと彼に会って話がしたい。


 ぽろぽろと涙が零れ落ちる。

 泣いたら喉が渇いたので、ふたたび水をがぶがぶ飲んだ。そのままぽてんと藁の上に横になる。


 もう少し寝て体力を戻しておこうかしら。意地でも家畜の餌は食べないって思っていたけれど、贅沢を言っている場合じゃない。いざと言うときに動けなくなったら困る。

 目が覚めたら餌も食べよう。意外とおいしいかもしれないじゃない。

 うとうとと眠気に襲われていると、小屋の外から人の足音が聞こえてきた。


「おい、聞いたか! 急に王都からお役人が視察に来るんだとよ」


 ……え?

 さっきの少年ではない。男性の声が聞こえてきた。思わず聞き耳を立てる。


「しかも今日は王都と隣接している三領の養豚場は業務を停止しろとか」

「はあ? なんで急に。臨時休業しろってか」

「ああ。しかも絶対に肉を捌くなというお達し付きだ」


 なんですって!?

 まさかの展開に、めそめそ泣いていた私の涙は止まっていた。

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