第16話
助けがくるかもしれない。そうわかってからしたことは、お腹を満たすことだった。
いざ逃げようとしても腹が減っていたら動けない。体力がなくて絶好の機会を逃すなんて愚か者がすることだわ。
ここに連れて来られてまだ一日も経っていないけれど、寝床は清潔だし水の入れ替えもあの少年、ピーターがしてくれている。餌だって見たところ雑穀とトウモロコシが混ぜられたもので健康志向かもしれない。
食わず嫌いを言っている場合ではないわ。ダイエット食だと思えばよくない?
恐る恐る一口食べる。素朴な甘みが口に広がった。
「んぷぅ(あら案外いけるじゃない)」
毎日食べたら飽きるかもしれないけれど、意外とおいしい。よく見ると細かく刻んだ野菜も混ぜられていて栄養も考えられてそうだ。
味変ソースなんかがあればもっとうれしいけれど、動物って塩分に弱いわよね。人間の味覚には物足りなくてもブタにとってはご馳走かもしれない。
味見程度に食べてみただけだったのに、気づけば完食していた。それでもお腹いっぱいにならないブタの胃袋が恐ろしい。あればあるだけ食べられるって恐怖では? だから成長も早いのだろう。
この小屋の中はそこそこ広いけど、全部が私のテリトリーではない。小屋の一画に柵が作られており、その中に入れられているのだ。柵の高さは大人の腰くらいまである。頑張ってよじ登れば柵を超えられるかもしれないけど、ブタの短い手足では難しい。
私が猫だったらよかったのに。そしたら養豚場に入れられることもなかったし、脱走なんて簡単だったはず。
でも野良猫界隈も熾烈な争いが繰り広げられていそう。うっかり発情期になってしまったら雄に追いかけられるかも……なにそれ怖い!
今の私にできることは大人しく待つだけ。
食べて寝て体力を温存して、人が来るのを待ち続けた。
◆ ◆ ◆
遠くから人の気配がする。馬の蹄も聞こえてきて、私の意識はハッとした。
藁の上でぐうすか寝ていたので体力はバッチリだ。今すぐ全力疾走しろと言われたらすぐにできるくらい。
顔についた藁をなんとか振り払って水を飲んでおく。そろそろ新しい水がほしいのだけど、ピーターはいつになったらやってくるのかしら。
ここは田舎だけあってとても長閑だわ。今まで小屋の近くで人の気配を感じたことはない。私が隔離されている小屋と他のブタたちとは距離があるのだろう。人の気配を感じても一向に私の方へ近づいてくる気がしない。
……ってあれ? もしかしてこれってよろしくないのでは?
せっかく助けに来ても、私が隔離されていることを知らなければ王子たちは気づくこともなく帰っちゃんじゃ!
「ぶ、ぶぶぅ!(ピーター、私がここにいることを伝えて!)
でも様子を見に来た人間がピーター以外だったらどうしよう。事情を知らない人の手に捕まったら、私の身に危険が起きるかもしれない……。
どうしよう、私はどうしたらいいの!?
とりあえず藁を掘って身を潜めることにした。一見ブタがいるようには見えなくすればいい。
ただこれ、頭隠して尻隠さずになっていないかしら。お尻側が少しスース―するかも。
もう一度再挑戦し、今度こそ全身を隠すように藁の中に入り込んだ。入口だけ見えるように穴を作ってひっそり身を潜める。
水と餌を食べた痕跡は残っているけれど、一見誰もいないように見えるはず。
でも温かい感触に包まれていると眠気がきそうだわ……ブタになってから気づくと居眠りをしてしまう。これも呪いの影響なのか、そもそもブタがそういう生き物なのか。
「……なあ、この小屋って使われていないはずだったよな」
「ああ、そのはずだが。なんだ、鍵が開いてるのか」
男性ふたりの声だ。思わず身を乗り出しそうになる。
「近所の悪ガキのたまり場にされちゃたまらねえな。鍵かけとくか」
「だな。王都から役人も来てることだし、余計なものは見せたくねえ」
ガチャン、と鍵をしめられた音がした。ちょっと待って!? って、思わず声を上げそうになる。
「まったく、こんな田舎に役人どころか王族が来るなんてな」
「王子様が見たっておもしれーもんもないっつーのに。国の畜産業向上のための視察とか調査とかって言われてもよぉ」
……王子様?
待って、それって蛇を連れてる方? それともブタに真珠を与えて服を着せる方!?
いいえ、どっちでも構わないかもしれない。王太子殿下とは面識もあるし、攫われた翌日に養豚場に乗り込むのは私が原因のはずだもの!
男たちの声は遠ざかってよく聞こえない。でももしかしたら王子のどっちかがすぐ傍まで来てくれるかもしれない。
藁の中から抜け出した。このまま隠れて身を潜めていたら、永遠に人間には戻れなくなる!
耳を澄まして集中するのよ。遠くの声まで拾わないと!
「……ここのブタはこれで全部ですか」
聞こえた! これはエルドレッド殿下の声だわ。やっぱり王子が来ている!
「ええ、俺たちが飼育しているブタはここだけですよ」
ピーターの父親だろうか。中年男性と思しき声が届いた。
でも待って! 保護された可愛いブタがここにいますよ!?
「そうですか、わかりました。では最後に、あの小屋は?」
あの小屋って、この小屋のこと!?
「ぶぶぅ、ぶひっ!(そうよ、私ここよ!)」
懸命に声を上げる。でも私の声、外にまで届いているとは思えないほど小さい。
「ああ、あれは物置小屋ですね。今は使用してないので鍵もかかってるはずですが」
待って待って待って、ここで見つけてもらえなかったら餓死する可能性も出てきた!
困る! そんなの絶対に嫌よ!
「ぶきゅう、ぶひーっ!!!(殿下、私はここよー!!!)」
肺の中が空っぽになるくらい、私は生まれてはじめて腹の底から声を上げた。
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